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海へ
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夏合宿の打ち上げと称したバーベキューは、沙耶さんと沙耶さんの両親も参加して、大いに盛り上がった。
二日酔いからようやく復活して、朝と昼の分を取り戻すように勢いよく食べる瑛輔くんに、沙耶さんが詰め寄る。
「こら、肉ばっかり食べないの」
「いいだろ、別に。飯くらい好きに食わせろ」
「だめだめ。これからお医者さんになる人が不摂生なんてありえないんだから」
そう言いながら、鉄板で焼いたトマトにモッツァレラチーズをのせたものを鼻先に突き付けた。しぶしぶ口に入れた瑛輔くんは、その熱さに目を白黒させた。
沙耶さんの両親は、そんな二人の姿を微笑ましく見つめていた。
「私ね、お父さんとお母さんの店を継ぐのが夢なの。二人が私の名前を付けてくれた店だから」
ワインを飲んでほんのり頬を染めた沙耶さんが、さっきそう話してくれた。
瑛輔くんの想いが叶うことは、もしかしたら沙耶さんの夢を消してしまうことなのかもしれない。
でも、そうやって瑛輔くんが勝手に諦めることは、沙耶さんの気持ちを蔑ろにすることとイコールである気もする。
瑛輔くんが誰かに押し付けられた義務のような未来と、沙耶さんが大切にする夢。
それに二人の想いが乗っかって絡んだものは、私なんかじゃとても解せそうにない。
「千佳、ちょっと散歩しない?」
瑞希と桐原先輩が花火をしているのを見ながら、ぼんやり考えごとをしていた私に、遥が声をかけた。
でも、と戸惑う私に、瑞希が「行け!」というジェスチャーをする。火花が散って、桐原先輩が声を上げて飛び跳ねた。
「二人とも、あんまり遠くまで行かないように」
瑛輔くんはそう言って、おどけたように両目を手でふさいだ。
みんなに見送られて、遥に手を引かれた私は夜の海へと歩き出した。
静かな夜だった。さく、さく、と砂を踏む音が、波音に混じる。
空に浮かんだ満月に照らされた遥の白いTシャツは、まるで光を放っているみたいにまぶしくて、いつもより大きく見えた。
遥はなにも言わなかった。ただ、私の手を引いて歩き続けた。みんなの声が遠くなっていく。世界は、私と遥の二人だけになっていく。
砂浜から海上へと突き出た堤防に上がった。砂の柔らかさに慣れた足裏が、硬いコンクリートの感触に戸惑っている気がした。
突端にたどり着いて遥はやっと足を止めた。繋いでいた手が離れて、その隙間を潮風が抜けていく。
「今日、怒鳴ってごめんな」
月の光が、海面を走っていた。青白い光を反射してちらちらと輝く美しい海。
けれどその奥には、すべてを飲み込んでしまう巨大な闇が潜んでいるって私は知っている。
「俺、千佳が心配でさ。瑞希ちゃんも変なこと言うし」
振り返った遥を見て、ああやっぱりこの人は綺麗だ、と思った。
闇を打ち消して、光だけを私に見せてくれる。世界を、チーを飲み込んで消してしまった世界を美しいと思わせてくれる。
「ううん、心配してくれてありがとう。ちょっとびっくりしたけど」
遥の指先が私の前髪をはらった。
「傷、消えてよかった。ずっと気にしてたから」
――これはねぇ、わたしとはるかのひみつ。
私にないものを持っているチーが羨ましかった。
チーからなにもかもを、その命さえも奪ってしまった私に、そんな権利なんかあるはずもないのに。
「ごめんな」
潮風にまぎれて、遥の言葉が届いた。その謝罪の意味が分からなくて、私はなにも答えられない。
足元では堤防のコンクリートにぶつかって砕ける波が、ちゃぷん、ちゃぷん、と音を立てている。まるで、私を誘う声みたいだった。
もしかしたらチーは、海のどこかでいまも私を探し続けているのかもしれない。ふと、そんなことを考えた。
だとしたら……。足が自然に前に出た。。
「千佳?」
遥の声にハッとする。なに考えてるんだろ、私。
「そろそろ帰ろっか。みんなも心配してる――」
歩き出そうとした瞬間、体がふっと浮いて、言葉が途切れた。空に浮かんだ月が揺れ、コンクリートの硬い感触が足裏から消える。
あ、と思って手を伸ばした先にあるのは、暗い海。
――もういいかい。
チーもこうだったの?
もういいよ。
これでやっと終わる。長い、長いかくれんぼ。
「千佳!」
遥が呼ぶ「ちか」は私? それともチー?
ああもう分からない。もうどうでもいい。
目を閉じて、私は闇に落ちる覚悟を決めた。
腕に痛みが走った。ぐい、と強く引き上げられ、その勢いのまま放り投げられる。倒れ込んだ拍子に、膝と手のひらをコンクリートに擦ってしまう。
「い……った」
顔をしかめた私の背後で水音がした。それはまるで、なにか大きなものが落ちたような音。
間を置いて、一気に血の気が引く。
「……遥?」
いくら見回しても、その姿を見つけられない。闇を打ち消してしまう、遥の存在がどこにもない。
「遥! ねえ、どこにいるの!」
――俺、カナヅチなんだよね。
「遥!」
どんなに叫んでも、帰ってくるのは波の音だけ。目の前に広がる海は、さっきと少しも変りなく、月の光を反射してただ美しく揺らめいているだけだ。
また――またなのか。
無数の命が潜む海は、たった一つの死なんか簡単になかったことにしてしまう。
チーを、遥を、私の大切なものを飲み込んでしまったくせに、知らん顔でいる。
だから、海は嫌いだ。――大嫌いだ!
大きく息を吸うと、私は地面を蹴って海に飛び込んだ。
二日酔いからようやく復活して、朝と昼の分を取り戻すように勢いよく食べる瑛輔くんに、沙耶さんが詰め寄る。
「こら、肉ばっかり食べないの」
「いいだろ、別に。飯くらい好きに食わせろ」
「だめだめ。これからお医者さんになる人が不摂生なんてありえないんだから」
そう言いながら、鉄板で焼いたトマトにモッツァレラチーズをのせたものを鼻先に突き付けた。しぶしぶ口に入れた瑛輔くんは、その熱さに目を白黒させた。
沙耶さんの両親は、そんな二人の姿を微笑ましく見つめていた。
「私ね、お父さんとお母さんの店を継ぐのが夢なの。二人が私の名前を付けてくれた店だから」
ワインを飲んでほんのり頬を染めた沙耶さんが、さっきそう話してくれた。
瑛輔くんの想いが叶うことは、もしかしたら沙耶さんの夢を消してしまうことなのかもしれない。
でも、そうやって瑛輔くんが勝手に諦めることは、沙耶さんの気持ちを蔑ろにすることとイコールである気もする。
瑛輔くんが誰かに押し付けられた義務のような未来と、沙耶さんが大切にする夢。
それに二人の想いが乗っかって絡んだものは、私なんかじゃとても解せそうにない。
「千佳、ちょっと散歩しない?」
瑞希と桐原先輩が花火をしているのを見ながら、ぼんやり考えごとをしていた私に、遥が声をかけた。
でも、と戸惑う私に、瑞希が「行け!」というジェスチャーをする。火花が散って、桐原先輩が声を上げて飛び跳ねた。
「二人とも、あんまり遠くまで行かないように」
瑛輔くんはそう言って、おどけたように両目を手でふさいだ。
みんなに見送られて、遥に手を引かれた私は夜の海へと歩き出した。
静かな夜だった。さく、さく、と砂を踏む音が、波音に混じる。
空に浮かんだ満月に照らされた遥の白いTシャツは、まるで光を放っているみたいにまぶしくて、いつもより大きく見えた。
遥はなにも言わなかった。ただ、私の手を引いて歩き続けた。みんなの声が遠くなっていく。世界は、私と遥の二人だけになっていく。
砂浜から海上へと突き出た堤防に上がった。砂の柔らかさに慣れた足裏が、硬いコンクリートの感触に戸惑っている気がした。
突端にたどり着いて遥はやっと足を止めた。繋いでいた手が離れて、その隙間を潮風が抜けていく。
「今日、怒鳴ってごめんな」
月の光が、海面を走っていた。青白い光を反射してちらちらと輝く美しい海。
けれどその奥には、すべてを飲み込んでしまう巨大な闇が潜んでいるって私は知っている。
「俺、千佳が心配でさ。瑞希ちゃんも変なこと言うし」
振り返った遥を見て、ああやっぱりこの人は綺麗だ、と思った。
闇を打ち消して、光だけを私に見せてくれる。世界を、チーを飲み込んで消してしまった世界を美しいと思わせてくれる。
「ううん、心配してくれてありがとう。ちょっとびっくりしたけど」
遥の指先が私の前髪をはらった。
「傷、消えてよかった。ずっと気にしてたから」
――これはねぇ、わたしとはるかのひみつ。
私にないものを持っているチーが羨ましかった。
チーからなにもかもを、その命さえも奪ってしまった私に、そんな権利なんかあるはずもないのに。
「ごめんな」
潮風にまぎれて、遥の言葉が届いた。その謝罪の意味が分からなくて、私はなにも答えられない。
足元では堤防のコンクリートにぶつかって砕ける波が、ちゃぷん、ちゃぷん、と音を立てている。まるで、私を誘う声みたいだった。
もしかしたらチーは、海のどこかでいまも私を探し続けているのかもしれない。ふと、そんなことを考えた。
だとしたら……。足が自然に前に出た。。
「千佳?」
遥の声にハッとする。なに考えてるんだろ、私。
「そろそろ帰ろっか。みんなも心配してる――」
歩き出そうとした瞬間、体がふっと浮いて、言葉が途切れた。空に浮かんだ月が揺れ、コンクリートの硬い感触が足裏から消える。
あ、と思って手を伸ばした先にあるのは、暗い海。
――もういいかい。
チーもこうだったの?
もういいよ。
これでやっと終わる。長い、長いかくれんぼ。
「千佳!」
遥が呼ぶ「ちか」は私? それともチー?
ああもう分からない。もうどうでもいい。
目を閉じて、私は闇に落ちる覚悟を決めた。
腕に痛みが走った。ぐい、と強く引き上げられ、その勢いのまま放り投げられる。倒れ込んだ拍子に、膝と手のひらをコンクリートに擦ってしまう。
「い……った」
顔をしかめた私の背後で水音がした。それはまるで、なにか大きなものが落ちたような音。
間を置いて、一気に血の気が引く。
「……遥?」
いくら見回しても、その姿を見つけられない。闇を打ち消してしまう、遥の存在がどこにもない。
「遥! ねえ、どこにいるの!」
――俺、カナヅチなんだよね。
「遥!」
どんなに叫んでも、帰ってくるのは波の音だけ。目の前に広がる海は、さっきと少しも変りなく、月の光を反射してただ美しく揺らめいているだけだ。
また――またなのか。
無数の命が潜む海は、たった一つの死なんか簡単になかったことにしてしまう。
チーを、遥を、私の大切なものを飲み込んでしまったくせに、知らん顔でいる。
だから、海は嫌いだ。――大嫌いだ!
大きく息を吸うと、私は地面を蹴って海に飛び込んだ。
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