あなたの代わりに恋をする、はず、だった

清谷ロジィ

文字の大きさ
26 / 38
海へ

しおりを挟む
 夏合宿の打ち上げと称したバーベキューは、沙耶さんと沙耶さんの両親も参加して、大いに盛り上がった。
 二日酔いからようやく復活して、朝と昼の分を取り戻すように勢いよく食べる瑛輔くんに、沙耶さんが詰め寄る。

「こら、肉ばっかり食べないの」
「いいだろ、別に。飯くらい好きに食わせろ」
「だめだめ。これからお医者さんになる人が不摂生なんてありえないんだから」

 そう言いながら、鉄板で焼いたトマトにモッツァレラチーズをのせたものを鼻先に突き付けた。しぶしぶ口に入れた瑛輔くんは、その熱さに目を白黒させた。
 沙耶さんの両親は、そんな二人の姿を微笑ましく見つめていた。

「私ね、お父さんとお母さんの店を継ぐのが夢なの。二人が私の名前を付けてくれた店だから」

 ワインを飲んでほんのり頬を染めた沙耶さんが、さっきそう話してくれた。
 瑛輔くんの想いが叶うことは、もしかしたら沙耶さんの夢を消してしまうことなのかもしれない。
 でも、そうやって瑛輔くんが勝手に諦めることは、沙耶さんの気持ちを蔑ろにすることとイコールである気もする。
 瑛輔くんが誰かに押し付けられた義務のような未来と、沙耶さんが大切にする夢。
 それに二人の想いが乗っかって絡んだものは、私なんかじゃとてもほぐせそうにない。

「千佳、ちょっと散歩しない?」

 瑞希と桐原先輩が花火をしているのを見ながら、ぼんやり考えごとをしていた私に、遥が声をかけた。
 でも、と戸惑う私に、瑞希が「行け!」というジェスチャーをする。火花が散って、桐原先輩が声を上げて飛び跳ねた。

「二人とも、あんまり遠くまで行かないように」

 瑛輔くんはそう言って、おどけたように両目を手でふさいだ。
 みんなに見送られて、遥に手を引かれた私は夜の海へと歩き出した。
 静かな夜だった。さく、さく、と砂を踏む音が、波音に混じる。
 空に浮かんだ満月に照らされた遥の白いTシャツは、まるで光を放っているみたいにまぶしくて、いつもより大きく見えた。
 遥はなにも言わなかった。ただ、私の手を引いて歩き続けた。みんなの声が遠くなっていく。世界は、私と遥の二人だけになっていく。
 砂浜から海上へと突き出た堤防に上がった。砂の柔らかさに慣れた足裏が、硬いコンクリートの感触に戸惑っている気がした。
 突端にたどり着いて遥はやっと足を止めた。繋いでいた手が離れて、その隙間を潮風が抜けていく。

「今日、怒鳴ってごめんな」

 月の光が、海面を走っていた。青白い光を反射してちらちらと輝く美しい海。
 けれどその奥には、すべてを飲み込んでしまう巨大な闇が潜んでいるって私は知っている。

「俺、千佳が心配でさ。瑞希ちゃんも変なこと言うし」

 振り返った遥を見て、ああやっぱりこの人は綺麗だ、と思った。
 闇を打ち消して、光だけを私に見せてくれる。世界を、チーを飲み込んで消してしまった世界を美しいと思わせてくれる。

「ううん、心配してくれてありがとう。ちょっとびっくりしたけど」

 遥の指先が私の前髪をはらった。

「傷、消えてよかった。ずっと気にしてたから」

――これはねぇ、わたしとはるかのひみつ。

 私にないものを持っているチーが羨ましかった。
 チーからなにもかもを、その命さえも奪ってしまった私に、そんな権利なんかあるはずもないのに。

「ごめんな」

 潮風にまぎれて、遥の言葉が届いた。その謝罪の意味が分からなくて、私はなにも答えられない。
 足元では堤防のコンクリートにぶつかって砕ける波が、ちゃぷん、ちゃぷん、と音を立てている。まるで、私を誘う声みたいだった。
 もしかしたらチーは、海のどこかでいまも私を探し続けているのかもしれない。ふと、そんなことを考えた。
 だとしたら……。足が自然に前に出た。。

「千佳?」

 遥の声にハッとする。なに考えてるんだろ、私。

「そろそろ帰ろっか。みんなも心配してる――」

 歩き出そうとした瞬間、体がふっと浮いて、言葉が途切れた。空に浮かんだ月が揺れ、コンクリートの硬い感触が足裏から消える。
 あ、と思って手を伸ばした先にあるのは、暗い海。

――もういいかい。

 チーもこうだったの?
 もういいよ。
 これでやっと終わる。長い、長いかくれんぼ。

「千佳!」

 遥が呼ぶ「ちか」は私? それともチー? 
 ああもう分からない。もうどうでもいい。
 目を閉じて、私は闇に落ちる覚悟を決めた。
 腕に痛みが走った。ぐい、と強く引き上げられ、その勢いのまま放り投げられる。倒れ込んだ拍子に、膝と手のひらをコンクリートに擦ってしまう。

「い……った」

 顔をしかめた私の背後で水音がした。それはまるで、なにか大きなものが落ちたような音。
 間を置いて、一気に血の気が引く。

「……遥?」

 いくら見回しても、その姿を見つけられない。闇を打ち消してしまう、遥の存在がどこにもない。

「遥! ねえ、どこにいるの!」

――俺、カナヅチなんだよね。

「遥!」

 どんなに叫んでも、帰ってくるのは波の音だけ。目の前に広がる海は、さっきと少しも変りなく、月の光を反射してただ美しく揺らめいているだけだ。
 また――またなのか。
 無数の命が潜む海は、たった一つの死なんか簡単になかったことにしてしまう。
 チーを、遥を、私の大切なものを飲み込んでしまったくせに、知らん顔でいる。
 だから、海は嫌いだ。――大嫌いだ!
 大きく息を吸うと、私は地面を蹴って海に飛び込んだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

処理中です...