快傑!紅烏(ベニカラス) 蘇る大江戸ヒーロー伝

冨井春義

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序章 紅烏登場

空飛ぶ紅烏

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日の落ちる時刻、町奉行・岡田新右衛門を乗せた駕籠は深川の料理茶屋『河豚善』に到着した。
警護を任されていた黒河豚一家の面々の顔にもひとまず安堵の表情が浮かぶ。

「結局、紅烏は道中を襲わなかったな。しかし本気でここに乗り込むつもりなのかね?岡場所内は黒河豚一家の見回り組がウヨウヨと居るし、岡場所周辺は奉行所の役人も見回っている。『河豚善』の中には二百人からの警護が詰めている。ここに乗り込んだんじゃいかに紅烏といえど、あっという間にあの世行きだ。どう思う?」

岡田と黒河豚の駒三が店内に入るのを見送った佐藤平右衛門が源三郎に話しかけた。

「さあ、どうだかね。野郎はどこかでこの警護の様子を見ていて、怖気づいて諦めたんじゃねえかな」

源三郎は日暮れと共に賑やかになりつつある岡場所内を見回しながら応えた。

「それなら楽でいいんだがな。よし、のんびりと辺りの店を冷かしながら見回りでもすることにしよう」

「俺もそうしたいが黒河豚の親分に約束した手前、とりあえず二階の階段前で酒でもちびちびやりながら居座ることにするぜ」

「それも悪くないな。ではまたな」

そう言い残すと、平右衛門は賑やかな通りをゆっくりと散策するように歩き出した。
源三郎はその背中を見送ると、踵を返して『河豚善』の表玄関に向かった。

(さて、こっちはこれからが大仕事だ)

源三郎は二階に上ると、花鳥の間に通じる階段の前に座り込む。
すぐに先刻の手代風の男が近寄って来る。

「紅烏に手傷を負わせた先生がここに陣取ってくれるのなら、私はもうお役御免ですな」

「ははは、これだけ厳重な警護じゃ俺も出る幕はねえよ。仕事にかこつけてゆっくり飲ませてもらわねえか」

「おお、それはいいですな」飲みと聞いて相好を崩した男は、すぐに近くの仲居を呼び止めた。

「酒を五、六本。それと何か肴をここに運んできてくれ」

「はーい、かしこまりました」

仲居が姿を消すと源三郎は言った。

「おめえ、名前は何という」

「へえ、半助と申します」

「じゃあ半助、酒肴が届くまでに俺はちょっと厠に用足しに行って来るぜ」

この楼は二階にも厠があった。
これは水洗の無い時代としては珍しかったであろう。
その厠に入ると源三郎はしゃがみ込み、床を軽く叩きながら音を聞いた。

(あった。ここだな・・源内先生が下見の際に細工しておいてくれたのは)

床板の一部に小柄を差し込み、器用に板の一部分を外す。
その内部には小さく折りたたんだ布物があった。
源三郎はそれを両手で拡げ、子細に確かめた。

(前のやつに比べるとずいぶんと薄いな。小さく折りたためば懐に隠せるし、覆面も一体になっているから素早く着ることができるのはいい。だがこれじゃ、防刃効果は望めねえな)

早変わり用の紅烏の衣装である。今回の策では素早さがすべてに優先する。

(そしてこれが武器か・・これで二百人、いや外に居る連中が集まればもっとだ。そいつらと戦えってか・・なるだけ殺すなってことだが源内先生も無茶を言うぜ)

衣にくるまれていたそれは、長さにしてわずか一尺ほどの紅色の金属の棒であった。

源三郎は再びそれを衣にくるんで懐に仕舞い、階段前に戻った。
すでに酒肴の膳が置かれている。

「先生、待ってましたよ。さあ一杯やりましょう」

「おお、美味そうだ。俺は腹が減ってるから肴からいくぜ。うーむ!さすが一流だな。これは石鯛かね?俺のような貧乏浪人の口にはめったに入らねえ。ありがたい役得だな。おお、悪かった、まあぐっと飲ってくれ」

源三郎は右手で忙しく箸を使いながら、左手で半助に酌をする。

「ああ、これは先生すみません」そう言うと半助は一息で杯を空ける。

「おめえはいける口だな。よし、もっといこう」

源三郎はつづけて半助に酒を勧めるが、自分では口を付けた程度でほとんど飲んではいない。
しばらくして六本の徳利が空いたころ、上機嫌になっていた半助が言った

「あれ、酔ったかな。変だな先生、こんな時間にどこからかカラスの鳴き声が聴こえる」


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「もうすっかり日が落ちました。そろそろですよ、用意はいいですか」

源内にそう言われた幸助は周りを見回した。
ここは愛宕山の山頂からさらに千尺の高空。
ふたりは平賀源内作の熱気球「飛び灯篭」の籠(ゴンドラ)に乗っていた。

幸助は紅烏の飛行用の衣装を着て、浮田式紅烏凧を背負っている。
こんなに高い場所から下界を見下ろすのは初めてのことで、正直なところ身のすくむ思いなのだ。
しかし気力を振り絞って答える。

「はい先生、いつでもいいです」

「では籠の扉を開けます。ほらあれが深川の灯ですよ。ひときわ大きくて賑やかなのが『河豚善』です。訓練通りあそこの屋根に降りてください。かなり広いですが、勢いで落ちないように十分注意して。そこからは段取り通りにお願いします」

源内が籠の一部を開いた。

「武運をお祈りします」

「行ってまいります」

そう言うと幸助は虚空に飛び出した。
すぐに右手の綱を引っ張ると、紅色の大きな翼が勢いよく広がる。
一瞬身体がぐらついたが、すぐに態勢を立て直しすと、紅烏凧はすべるように深川に向かって飛んだ。

(思っていたより風圧が強い。源内先生特製の眼鏡がなければまったく目が見えなかったことだろう)

幸助はつまりゴーグルを着用していたのである。
目視で深川の灯りを目指して滑空する。
両手で舵を切ると、自由に飛んでいる感覚がある。

(これはなかなか面白い。俺は本当に烏になったようだ。源内先生も天才だが、浮田さんという人はほんとうにとんでもない物を発明したもんだ)

間もなく深川である。
高度がかなり下がっているので、蟻の群れのように歩く人波が見える。

幸助は烏笛を口に咥えて吹き鳴らした。

『河豚善』の大きな屋根が見える。
幸助は深川上空を旋回しながら、徐々に交互を下げていった。

岡場所を行き交う人々が立ち止まりこちらを見上げて、指さして騒いでいる様子が見える。
幸助はさらに烏笛を吹き鳴らした。

(さあ仕上げだ。屋根に降りるぞ)

旋回しながら『河豚善』の屋根に近づく。
屋根の端から着地する直前に凧の前方部分を持ちあげて減速するのだ。
上手く屋根の上に降りたなら、すぐに翼を外し畳んで用意した金具で屋根の上に固定する。
紅烏凧は逃げる際にも使用するからだ。

そして屋根から三階の回廊に飛び移り、花鳥の間に居る岡田と駒三を襲う。
その間、楼内に居る黒河豚一家の手勢は源三郎が食い止めてくれるはずだ。

悪党ふたりを裸にして縛り上げ、三階の回廊から宙づりにして、群衆の前で奴らの悪行をしたためた書状を読み上げるのだ。
この失態で岡田は失脚を免れないだろうし、面子の潰れた駒三はやくざの世界では二度と睨みを利かせることはできなくなるだろう。

『河豚善』の大屋根に突き進む。
足が屋根瓦に触れた。すぐに凧の前方を持ちあげようとする。
そのとき、急に追い風が吹いた。
減速が効かず、勢いのまま屋根河原を蹴散らす。

(しまった!失敗だ。降りられない)

幸助の凧は『河豚善』の屋根を離れ旋回するが、再度屋根に乗るには高度が足りない。

(くそっ!こうなったら運まかせだ)

幸助は三階の回廊の障子をめがけて紅烏凧で突入した。
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