魔女達に愛を

リーゼスリエ

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クロエ編③メルガとスルネ

―リヴィエールの夜、血の女王と魂の影

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夜のリヴィエール。
 街を覆う霧が、ゆっくりと水路を流れ、月光の粒を揺らしていた。
 昼は明るく清らかな水の都も、夜になればその姿を一変させる。
 静けさの奥に、目には見えない魔力が流れていた。
 それはこの街に住まう魔女たち――そして、「人間」と共に生きるという奇跡が作り出した、特別な気配だった。

 その静寂を破るように、波紋が広がる。

 水面から、影が二つ現れた。
 細身の女と、その隣にいる成人女性のような姿。
 どちらも地を踏むことなく、水面の上に立っていた。

「……着いたわね。ここがリヴィエール。」
 
透き通るような声が夜気を震わせた。
 魂の魔女――メルガ。
 彼女の背には、白い布がゆらゆらと揺れ、まるで幽霊のように見えた。
 その隣で、もう一人が微笑む。透明の魔女・スルネ。
 月明かりが通り抜けるその身体は、輪郭を保っているのが奇跡のように儚い。

「静かね。」

スルネが囁く。

「こんなにも穏やかで……でも、血の匂いが残ってる。」

「そう。ブラットレインの気配よ。」
 
メルガは水面を見つめる。その眼差しは冷たくも、どこか哀しげだった。
 
「彼女、変わったって噂。本当にそうかしらね。」

 2人は霧の中を進み、水路沿いの石橋を渡った。
 人の姿はない。だが、感じる。
 確かに、この街は“生きている”。
 健司という人間を中心に、魔女たちが共に暮らす、奇跡のような場所。

 ――だが、それは野蛮の魔女達にとって、許されざる光景でもあった。

「行こう。まずは、確かめなきゃ。」

「誰を?」

「もちろん、ブラットレイン。あの女が変わったというなら、確かめてやる。」
 
メルガの声には棘があった。
 彼女にとって「裏切り」は、最も許せない罪だったからだ。

 リヴィエールの中心部へと続く小径に、ふいに灯りが差した。
 それはまるで、2人を導くようだった。
 水晶灯が揺れる。その明かりの中、ひとりの女性が立っていた。

「……久しぶりね、メルガ、スルネ。」

 その声を聞いた瞬間、2人は立ち止まった。
 ――ブラットレイン。

 だが、その姿を見た瞬間、2人の目が見開かれた。

「……何だ、その格好は?」
 
スルネの声がかすかに震える。
 そこにいたのは、彼女たちが知る“血の女王”ではなかった。

 黒衣に染まった冷酷な姿ではなく、深紅のローブに身を包み、胸元には小さな宝石が光っている。
 血のような赤でありながら、その色は恐怖ではなく、どこか温もりを感じさせた。
 顔には柔らかな笑み――そして、かつて決して浮かべることのなかった穏やかな表情。

「……どういうつもり?」

メルガが問い詰める。

「お前が“愛”なんて口にするとはね。ふざけてるの?」

「ふざけてなんかいないわ。」

ブラットレインは静かに言った。

「愛よ。愛されるって、素晴らしいことよね。」

 その言葉は、夜の静寂に吸い込まれるように響いた。
 スルネがあざ笑う。

「あなたが? “血の女王”が? いったい何を見たらそんなことを言うの?」

「人の心を、見たの。」
 
ブラットレインは迷いのない声で言った。
 
「健司に救われたの。血で生きる私の手を、恐れずに握ってくれた。……その瞬間、私の中で何かが変わったの。」

「……バカバカしい。」

メルガが吐き捨てる。

「お前がそんな甘い幻想に浸るなんて。愛なんて、結局は裏切りに変わる。あんたが一番知ってるはずでしょ?」

 一瞬、ブラットレインの瞳が曇った。
 過去の記憶――血に染まった約束。裏切られ、すべてを失った夜。
 確かに彼女は、愛を最も遠ざけてきた存在だった。
 だが、その痛みを乗り越えたからこそ、今ここに立っている。

「知ってるわ。だからこそ、信じるの。」
 
その言葉に、メルガは眉をひそめた。

「……救いようがないわね。」

 スルネがふっと笑い、指先を空に掲げた。
 透明な波が広がる。空間が揺らぎ、月光が歪んだ。
 
「まあいいわ。健司っていう人間、ちょっと見てみたいし。」

 「なにをするつもり?」
 
ブラットレインの声が鋭くなった。
 
「……まさか、彼に手を出す気?」

 「当然よ。」

メルガの声が冷たい。
 
「私たちの目的は“絶望”を作ること。あの男がどんな顔をするのか、見てみたいのよ。」

「絶望……?」
 
ブラットレインは一歩、前へ出た。
 その紅いローブが風に揺れ、光を反射した。
 
「あなたたちはまだ知らないのね。絶望を知った者が、愛に救われることを。」

「……なにそれ?」

スルネが首を傾げる。

「説教のつもり?」

「違う。ただ、あなたたちも、いずれ分かるわ。」
 
ブラットレインの声は不思議と穏やかだった。
 怒りではなく、祈りのような響き。

 「人を信じること。愛すること。それが、どんなに怖くて、どんなに尊いものか。」

 メルガは短く息を吐いた。

 「……相変わらずだわ。お前はいつも理想ばかり語る。けど、現実は違う。愛なんて、結局は弱さの言い訳よ。」

 その瞳の奥に、一瞬だけ、痛みが走った。
 ブラットレインはそれを見逃さなかった。

「……あなたも、誰かを失ったのね。」

「黙れ。」
 
メルガの声が低く響く。
 空気が一変した。水面が震え、魂の気配が漂う。
 
「次に会うときは――その“愛”とやら、壊してあげる。」

 スルネが微笑んだ。

 「ふふ。楽しみにしててね。血の女王。」

 2人は霧に包まれるようにして姿を消した。
 ブラットレインはしばらくその場に立ち尽くし、赤い髪を風になびかせた。
 水面に映る自分の姿――そこには、かつての冷酷な魔女の影はもうなかった。

「……壊す? できるものなら、やってみなさい。」
 
小さく呟いた声は、夜の風に溶けた。
 その胸の奥では、確かに鼓動が鳴っていた。
 血ではなく、心の熱として。
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