魔女達に愛を

リーゼスリエ

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クロエ編③メルガとスルネ

血の魔女の微笑み

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リヴィエールの夜は、静かに、そして温かかった。
 水の都と呼ばれるその街の中心にある、白い石造りの建物。そこが健司達の住まう屋敷だ。
 街の灯りが水面に反射し、まるで星が湖に落ちたかのように煌めいていた。

 戦いが終わり、しばらくの平穏が訪れていた。
 大地を揺るがせたラグナの戦いも終息し、捕らえられた野蛮の魔女――ブラットレインは、健司の手によって処罰されることなく、この屋敷に滞在していた。
 表向きは「監視下にある身」だが、彼女の表情はどこか自由そのものであった。

 そして今――
 健司達は、屋敷の食堂に集まっていた。長い戦いの後の、束の間の晩餐である。

 テーブルの上には温かいスープと焼きたてのパン。リセルが仕込んだサラダ、クロエが焼いた香ばしい魚料理。
 そして、ファルネーゼが作ったスパイスの効いた肉料理が湯気を立てている。

 そんな中、異様なほどの存在感を放っていたのは、他ならぬブラットレインだった。

 彼女はいつもの黒衣を脱ぎ、白い軽装に身を包んでいる。
 長い赤髪を下ろし、目元には柔らかい笑みを浮かべていた。
 その姿は、あの血の海を歩く冷酷な魔女の姿とはまるで別人だった。

 そして――事件は、食事が始まってすぐに起きた。

「……はい、健司。口を開けて?」

 スプーンを手にしたブラットレインが、当たり前のように健司にスープを差し出したのだ。
 その声色は甘く、柔らかく、どこか恋する乙女のように。

「……え? あ、あ~ん……?」

 健司は完全に戸惑っていた。
 だが、ブラットレインの瞳は真剣そのものだった。
 紅玉のような瞳がまっすぐに見つめるその先には、疑いも計算もない――ただ純粋な「感謝と想い」だけが宿っていた。

「ちょ、ちょっと!? なにそれ……!」
 
最初に声を上げたのはファルネーゼだった。炎の魔女らしい勢いで立ち上がる。

「あなたのそんな姿、見たことない! いつもは血で世界を染めていたようなあなたが、なにしてるのよ!」

 横でヒシリエも困惑していた。
 「冷酷な女」として知られていたブラットレインが、まるで少女のように微笑む姿など、誰も想像したことがなかったのだ。

「愛よ。」
 
ブラットレインは小さく言った。
 まるで当たり前のように。

「……え?」

「愛されているって、素晴らしいことじゃない? ファルネーゼ、ヒシリエ……あなたたちも同じ気持ちなんじゃないの?」

「なっ……!?」

 ファルネーゼは顔を真っ赤にし、ヒシリエは目を泳がせた。
 野蛮の魔女と炎の魔女。立場は違えど、戦場で何度も刃を交えた仲だ。
 だからこそ、互いの力を知り、そして――今のように「女」としての話をされると、言葉を失うしかなかった。

「愛、ねぇ……」
 
ぽつりと、クロエが呟いた。
 テーブルの端に座り、パンを千切りながら、皮肉を浮かべる。

「血まみれの愛ほど、扱いづらいものはないわ。ねぇ、リセル?」

「ふふ、そうね。」
 
リセルは笑った。だが、その声の裏には微かな棘があった。
 「血の魔女」と「炎の魔女」。対極に位置する二人が、同じ食卓にいるというだけでも異様なのに、その中心で健司が「両方に気に入られている」状況が、彼女たちには少しばかり面白くないらしい。

「でもまあ……」

リセルが続ける。

「あの人に救われた気持ちは、少しわかるかも。だって、あの人――人の傷を、ちゃんと見てくれるもの。」

「へぇ? あんたにしてはロマンチックなこと言うのね。」

クロエが笑う。

「ま、でも……あ~んなんて、私は絶対しないけど。」

 そんな会話を、健司は苦笑しながら聞いていた。
 そして、再びブラットレインに向き直る。

「……ありがとう、ブラットレイン。でも、自分で食べられるよ。」

「ダメよ。」
 
ブラットレインは微笑んだまま、ぴたりと健司の動きを止めた。
 
「これは償いでもあるの。あなたに危害を加えようとした私の、せめてもの……」

 そう言って、彼女はスプーンを口元に近づけた。
 健司は少しだけためらい、だが、やがて小さく口を開ける。

「あ~ん。」

 その瞬間――
 テーブルの空気が一気に静まった。
 ブラットレインは満面の笑みを浮かべ、まるで少女のように頬を赤らめた。
 その笑顔は、戦いの中で誰も見たことがない、まったく新しい表情だった。

「……まったく。」
 
ファルネーゼは呆れながら、頬杖をついた。

「人間って、こうやって女の顔を変えるのね。」

「まるで魔法ね。」

と、ヒシリエが囁く。

「魔法じゃない。」
 
ブラットレインは小さく笑った。
 
「心が動くって、こういうことよ。」

 健司はその言葉を黙って聞いていた。
 確かに――彼女の中で、何かが変わったのだ。
 冷酷さではなく、愛のために力を使いたいという願い。
 それが、あの戦いの後から彼女の瞳に宿っていた。

 ふと、クロエが外を見た。
 水面に映る月の光が、波紋に揺れていた。
 その中に、何かの影が一瞬見えた気がした。

「……ねぇ、今、誰かいた?」

「誰か?」

リセルが振り向く。

「ううん、気のせいかも。」

 そのとき、健司の背筋に微かな寒気が走った。
 ――外の気配。
 あの戦場を幾度も経験した彼の感覚が、何かを捉えていた。

 リヴィエールの外、霧の中。
 2つの影がゆっくりと街を見下ろしていた。

「ここが……健司のいる場所ね。」
 
柔らかな声が風に混じる。
 魂の魔女・メルガと、透明の魔女・スルネ。

 2人の姿は闇に溶け、夜の水面に映ることもない。
 ただ、その気配だけが、確実にリヴィエールへと迫っていた。

「血の魔女が心を変えた? ……ふふ、それは見ものね。」

「ねぇメルガ。彼を壊すの、楽しみだね。」

「ええ。でも――その前に、愛を見せてもらいましょう。」

 月の光が雲に隠れ、夜が深まっていく。
 その静けさの中で、健司達はまだ、温かい笑い声を交わしていた。
 知らぬ間に、次の嵐がもう――すぐそばまで来ていることも知らずに。
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