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第一章 ウサギの攻防編
第十二話 「もう絶対逃さないからな」
しおりを挟む「ノワ?ノワ?大丈夫か?」
優しいアウル様の声で目が覚める。アウル様の顔が私を見下ろしていた。その目が気遣わしげに動いている。
「すまん、初めてなのにやりすぎたな。嬉しくてつい飛ばしすぎた。気分はどうだ?」
「‥‥‥だい‥じょぶ‥‥」
茫然とアウル様を見上げる。体も動かない。汗だくで髪も乱れている。声だって枯れて喉が痛い。
私の目が覚めて安心したのかアウル様はふぅとため息をついてゴロンと私の横に寝転がった。その手が頭を撫でてくれる。
「やはり耳は隠した方がいいかもしれないな。こんな敏感な性感帯を人に晒すのは俺としても心配になってきた」
セイカンタイ?なんだろうそれ?
あやふやな思考でそんなことを考えていればアウル様が半身を起こし私を真剣な顔で見下ろす。顔の半分だけが隣の部屋の光を受けて闇から浮かび上がっていた。
「ノワ、嫁に来い。結婚しよう。俺の妻になれ」
そう言う真摯なアウル様にぼんやりと思う。
アウル様好き。大好き。
でも引きこもりウサギ姫の私が大国ファシアの王太子妃。そんなの無理だ。
私の思考を読んだアウル様が必死の説得に入る。
「無理じゃない。お前は今まで通りでいい。俺は妻に無理な公務を押し付ける無能じゃない。環境は変わるから最初は色々大変かもしれないが俺もサポートする。一緒にやればできるから」
「‥‥一緒に?」
「ああ、一緒だ。必ず側で守るから。だからどうか俺の側にいてくれ。な?俺にはお前だけなんだ」
初めて見るアウル様のその誠実でひたむきな表情に魅入られて私はこくりと頷いた。頷いてしまった。どこか脳が麻痺していたのかもしれない。
今まで通りでいい訳はない。大変なことになる。それは確定事項。
だけど私はこの王子と一緒にいたいと思ってしまったのだ。今更その想いに蓋をして以前のように引きこもれるわけもない。
アウル様に会えず辛かった。拐われて怖かった。もう二度と離れたくない。ずっと一緒と言われてとても嬉しかった。そう思えば求婚をこともなげに飛び越えてしまった。
アウル様が感極まったようにきつく抱き締めてきた。絞り出したような声が震えていた。
「‥‥やっと。やっと俺の手に入った。俺の愛しいウサギ、もう絶対逃さないからな」
「‥‥私も‥大好き‥」
舌足らずにそういえばアウル様は溢れんばかりに破顔した。
たくさんのキスが顔中に降ってきて気持ちが良くてうっとりとする。
アウル様が顔を首筋に近づける。何をするんだろう、と思った直後アウル様が首に吸い付いた。チクリとした痛みに驚いて声をあげる。
「ひゃぁ!!」
「俺の所有印。隠すなよ?」
そして噛みつかれるような獣のキスをされる。口内を貪られキスが長く深くて息が苦しい。もがいていればやっと解放してくれた。
「これ以上続けると流石の俺もまずい。そろそろ帰る」
「‥‥え?でも‥‥」
気を飛ばしてしまったから最後までシていない。アウル様はそれじゃダメだろうに。
目を泳がせ言い淀めばアウル様がにこりと微笑む。抱きしめた私の背中をあやすようにぽんぽんと叩いた。
「続きはまた今度な。怖がってたろ?今の俺は手加減が利かない。酷いことしそうだしな。自重だ。今はお前の約束だけで十分だ」
私がさっき怯えていたから?だから?
あぁ、大好きな優しいアウル様だ。この優しさにはとことん甘えたくなってしまう。抱きしめられた腕の中で頭を撫でられてうっとりと甘い息を吐いた。
「まぁそれに公務をぶん投げてきた。ファシアも相当慌ててるはずだから。今頃宰相のクレマン卿が怒り狂ってそうだ。今回の舐め腐った奴らの事後処理もあるし。何より俺が帰らないと完成しないからな」
完成?なんだろう?
そんな私の顔を見てアウル様が目を細める。
「言っただろ?もう放さない。離れない。俺の愛は重い。婚約は成された。俺の妻はお前ただ一人。今更逃げられると思うなよ?」
そう言ってアウル様はベッドから起き上がり脱いだシャツを羽織りくしゃくしゃの前髪を更に乱してかきあげる。そして左の親指を咥えて鋭い犬歯でかき切った。
親指から流れる血に目を瞠り混乱する。自傷行為の意味がわからない。
「アウル様何を!」
「落ち着け、すぐ済む」
その傷に唾液が親指を伝う。そしてその親指をシーツの上にかざす。
赤い雫がシーツにぽたぽたと落ちた。血痕ではない赤いシミがシーツにいくつも広がっていく。
え?これは?
「お前、ほんといい声で鳴いたな。窓も扉も開けといたから離宮に響き渡っただろう。俺もでかい声で話したし。廊下に控えている侍女にはいい感じに聞こえたはずだ。あ、衛兵は追っ払っといたから安心しろ。お前の可愛い声を男に聞かせるわけにいかないからな」
親指の血をぺろりと舐めて陶然と微笑む。なんだか楽しそうだ。
アウル様の唇に赤い血がついて何かを啜ったように見える。
え?え?え?ええ??
鳴く?いい感じに聞こえた?
ハンカチで親指を包みアウル様は満足げだ。
「お前もいかにもな感じでできあがってる。首の俺の所有印。そしてこの物証。まあ既成事実には見えるだろうな。行為の有無自体に意味はない。周りがどう思うか、だ」
「え?はい?!」
「今日は正門から帰る。ファシア王国王太子として。もうすぐ夜明けのこの時間だ。忍んで出れば俺がお前に手を出したと皆思うだろうよ」
今まで散々正門から帰るように言っても帰らなかったのに。頑なに正門を使わなかったのはこのため?なぜ?
「なんで?どうして?」
「お前が俺のものだと思えば縁談なんて来ないだろ?こんなふざけた誘拐もなくなる。ファシアを舐めるとどうなるか皆わかっているはずだからな。あ、ファシアから婚約の使者はちゃんと送るから受けるように」
「私が婚約を拒否してたら?!」
「それはない。絶対落とすつもりだった。落ちなければ落ちるまで攻めるつもりだった。最後までシてでもな」
おおぅ、前言撤回。
全然優しくない。腹黒王子だったわ。
「ま、心の準備ができたら言ってくれ。忍耐が持つ限りは待つ。だがなるべく早くしてくれ」
その言葉でざぁと私の血の気が一気に引いた。
心の準備ができたら言う?絶対言えない。それをわかっていて言っているのか?この王子、鬼畜なのか?
むしろアウル様の忍耐が切れる方が早いかもしれない。
アウル様は私の体にガウンを羽織らせ、愛おしげに頬を撫でた。
「無理をさせたから後のことは任せとけ。お前は黙って頷いていればいい。じゃあな」
顔を私に近づけて一瞬見つめあった後、ねっとりと食むようなキスを落としてアウル様は寝室を出ていく。シャツの前も閉じていないからあの硬い胸板も腹筋もシャツから覗いていた。
キスに血の鉄の味がしてぞくりとする。肉食獣が何か食らった味だ。
そっと自分の唇に触れれば指に赤いものがついた。
廊下でトリスとの会話が聞こえてくる。
「アウレーリオ王太子殿下、おかえりでしょうか」
「ああ、迎えは来ているか?」
「到着しております」
「すまない、ノワに無理をさせた。しばらく動けないかもしれない。湯を使わせてやってくれ」
アウル様の最後の言葉にカッと顔が赤くなった。
え?もう公然にするの?
トリスが気遣わしげに寝室にやってきた。
「姫殿下、お世話に参りました。お体はいかがですか?」
え?ホントに?事後だと思われているの?
トリスの視線の先には先程のシーツのシミ。そして私はガウンを羽織ってるが素っ裸。さらに私の首と体中の鬱血痕。いつの間にか虫に刺されたような赤い痕が全身に散っている。
その意味を理解して咄嗟にガウンをかき寄せて体を隠した。
「や!これは違って!」
「恥ずかしがらなくて大丈夫です。初めてですとそういうものですので。お体の痛みも休まれれば治ります」
「違うの!違うから!!」
その時トリスが人差し指を口に当てる。その視線に言葉が詰まった。
「姫殿下、事実は関係ありません。アウレーリオ王太子殿下のお心遣いです。ありがたく頂戴いたしましょう」
え?え?何を?何を言ってるの?
私は目を瞠りトリスを見やった。
「ご婚約おめでとうございます。今は姫殿下のお幸せが一番ですよ」
そこで知る。状況を理解する。
アウル様が私の部屋で待っていた訳。
風呂上がりに香油を擦られあんな夜着を着せられた理由。
部屋に侍女も居らず夜中に二人きりにされた意図。
この件はトリスも噛んでいた。おそらく、いや絶対マテオ兄様も。全員知ってたのかもしれない。だからここまで誰にも邪魔されずアウル様は実行できたのだ。
どこまでが本当?
アウル様は単身で私を助けに来たの?
誘拐犯は本当にいたの?
金鉱は?
どこからが謀りごとだったの?
全ては私の知らないところで仕組まれていた。
私はアウル様という檻に捕らえられたウサギ。
もう逃さない。
もう逃れられない。
もう放さない。
もう離れられない。
ただ愛と呼ぶにはそれは重すぎる。
それをなんと呼ぶべきなんだろう。
その言葉の真実の重さを理解して私は愕然とした。
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