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去年のリッチな夜でした
その16
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元々、俺はこういう役回りが苦手なんだよなぁ、と鬼塚匠は幾度目かの欠伸を噛み殺しながら、胸中で一人愚痴を零したのであった。
昼下がりの校長室での事である。
時刻は既に午後一時を回り 、その所為か室温も次第に上がって来ているようであった。ぽかぽかと、と言う表現が実にしっくり来る程に。
横手の窓から、レースのカーテンを透かして、午後の日差しが差し込んで来る。
正に格好の午睡時、蛙の目借り時に、しかし、こちらは欠伸どころか、迂闊な瞬きも満足に許されぬ場に身を置いている。
これも、しがない『使い走り』に背負わされた哀しみと言うものであろうか。
全く、世の中と言う奴は、何処まで行っても不公平だ。
然るに、そんなこちらを脇に置いて、もう一人の『使い走り』と言えば、実に律儀に職務を遂行するのである。麗かな春の陽気なぞ初めから歯牙にも掛けず、全く以っていつも通りの、揺るぎの無い生真面目な態度で。
「……はい。残念な事に、同様の『事件』はこの御簾嘉戸市内で既に幾つか確認されているのです」
ソファーに尻を沈めながらも前屈みになって、薬師寺弘樹は相手へと説明していた。
「左様ですか……」
まるで落語に登場する幽霊のような、何やらしんみりとした声が返って来た。
テーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろしているのは、小柄な一人の男であった。
着込んだスーツこそ清潔で立派な代物であったが、それが当人へ殊更に威厳を与えている訳でもない。装いを除けば、若しくは、腰を据えているのがこの校長室でなければ、大半の人間が然して気にも留めないような風貌の男であった。
ひっそりと事務方の仕事ばっかりやってそうな人だな、と鬼塚は眠気の纏わり付く瞼を懸命に支えながら、至極つまらない感慨を抱いた。
これでも、この学校の最高責任者であるに間違いは無い筈なのだが。
白いものがぽつぽつと混じった頭髮を綺麗に整えたその校長は、相対する二人の若い警官へ、物怖じするでも侮るでもなく、ただ丁寧に確認する。
「……それで、その事実が我が校とどのように繋がるのでしょう? いえ、被害者の方の一人に、当校の卒業生が含まれてしまった事は残念でなりませんが」
「うーん、それについてなんですけどねぇ……」
鬼塚は言葉を濁して頭を掻いた後、隣に座った薬師寺をちらと垣間見る。
薬師寺は、黙って小さく頷いた。
それを確認してから鬼塚は顔を前に戻すと、面前の校長へと説明する。
「さっき申し上げました通り、市内に於いて、突如として意識不明の状態に陥る人間が増えて来てるのは事実なんですが、どうにも一連の『事件』の裏には、『違法薬物』の流通が関係してるみたいなんですわ」
鬼塚は両膝の前で手を組んで、ばつが悪そうに上目遣いに相手を見上げた。
一瞬の緘黙が、校長室に漂った。
「ですが先程……」
校長が怪訝な表現を浮かべて口を挟もうとすると、鬼塚は少し慌てて言葉を続ける。
「ええ。ナイトクラブで倒れたこちらの卒業生さんを初め、一連の事件の関係者から薬物反応が出なかったってのは事実ではあるんですが、それは飽くまで『既存の』薬物の検査に引っ掛からなかったって話でして……」
「意識を取り戻した関係者の幾人かは、ネットや人伝で特定の『薬』を入手したと供述しているのです。話したがらない残りの数名についても、ほぼ同様の事情があると見てまず間違い無いと思われます」
鬼塚の後を継いで、薬師寺が言葉を添えた。
然る後、薬師寺は目元をやや鋭いものに変える。
「一連の『事件』の裏には、反社会的勢力の影がちらついているのも事実でして……」
「……ははあ」
二人の警官から交互に説明を受けても、小柄な校長はただ困ったような素振りを見せるばかりであった。
それに釣られて、鬼塚も思わず困り顔を晒しそうになってしまう。
偶に出くわすのだ、こういう人物には。
こちらが何を真面目に訴え掛けようとも、或いは真剣に脅かして掛かろうとも、まるっきり暖簾に腕押しの体であっさりと受け流し、決して狼狽える事は無い。
恐れ慄いたり、気を吞まれたりと言った気配は一貫して微塵も覗かせない。
肝が据わっていると言う括りとは別に、こうした人間は根っ子の部分から、滅多な事では動じないように出来ているのだろう。
俗に、極度の天然だの、ニブチンだのと呼ばれる人種であった。
これでよく校長が務まるなぁ、と鬼塚は呆れるのと一緒に、逆にこれぐらいのメンタルでなきゃ重責に耐えらんないのかな、とも訝ったのであった。
とまれ、そんなどうでもいい事柄に頭を悩ませる鬼塚の横で、薬師寺が尚も神妙な顔付きで言葉を続ける。
「……そして、これは大変申し上げ難い事なのですが、現実として、薬物の乱用は得てして若年層を中心に起こるものですから、市内の学校にそうした予兆が表れていないかどうかを、こちらも確認して回っている最中なのです」
今度の発言には、マイペースな校長も流石に懸念を表情へと乗せた。
「ですが……」
「あ、いや、勿論我々も、こちらの学校が危ない薬の取引場所になってるなんて疑ってるんじゃないんですよ? クラブで倒れた元生徒さんにしても、在学してたのは二年前でしたっけ? 今度の騒ぎが起こるずっと前ですからねぇ。先程伺った限り、取り立てて素行に問題があった訳でもないようですし」
何やら反論を遣そうとした相手の機先を制して、鬼塚が釈明じみた言葉を発した。
「こちらとしても『難癖』を付けているのではなく、飽くまで『協力』をお願いしたいんですよ、これ以上被害を増やす前に。もし仮に、反社のゴロツキ連中に唆された馬、いや誰かが危ない薬に手を出したりしたんなら、周りにそれとなく吹聴するなり何なり、何かしらの『兆候』が現れるものでしょう? その辺の『サイン』が出ていないかどうか、先生方にも御協力を仰ぎたいんです、是非」
「教え子達に疑惑の目を向けろ、などと要請しているのではありません。未だ全容の掴めぬ事件に付き、あらゆる方面から手広く情報を集めたいだけなのです。何卒、力添えをしては頂けないでしょうか?」
薬師寺が相手の目を真っ直ぐに見つめて真摯に訴えると、校長はまた困ったような面持ちを浮かべたのだった。
「……警察に協力する事自体に異議は御座いませんが、やはり薬物絡みのお話となりますと、どうしても……」
「校内での噂話に、それとなく聞き耳を立てて下さるだけでも充分なのです。こうした場所に成り立つコミュニティと言うのも、決して侮る事の出来ない代物ですから」
薬師寺が念を押すように進言した。
それに合わせて、鬼塚も少々強引に笑顔を作って訴え掛ける。
「先生方だって皆色々とお忙しいでしょうからねぇ。それに、変に聞き込みなんか始めたりしたら、却って生徒達の興味を惹く事態にもなりかねませんし、ここは飽くまでも消極的協力って事で……」
校長は、やはり困ったような面持ちを保ったまま、幾度か頷いて見せた。
「……そういう形でのお手伝いでしたら、他の職員にも周知は致しますが、そちらの御希望に沿った成果に繋がるかどうかは保証致しかねます」
「いや、まあ、この場合は成果が上がらないのが一番なんでしょうけどね……」
俺は一体、何を口走ってるんだろう。
鬼塚は自分でも良く判らない合いの手を入れながら、そんな自分の有様に内心で呆れていたのであった。
思い返せば、この部屋に通されてからと言うもの、己の吐いた台詞が己のものでない気が絶えずしてならない。極めて浮付いた、酷く素人臭い道化芝居をずっと繰り返している。
だから、こういう場面は苦手なのだ。
特に、『こいつ』と一緒にいる時は尚更。
胸中でそう纏めて、鬼塚は傍らに座る『相棒』を横目で一瞥する。
果たして彼の予想を裏切らず、薬師寺は今も何ら変化の認められない、最初から一切動じない態度を保っていた。
午後の日差しは益々辺りを温め、レースのカーテンを煌めかせる日差しは、僅かに曇る気配も覗かせない。
全ては、春の日に浮かび上がる浮世の様相であった。
昼下がりの校長室での事である。
時刻は既に午後一時を回り 、その所為か室温も次第に上がって来ているようであった。ぽかぽかと、と言う表現が実にしっくり来る程に。
横手の窓から、レースのカーテンを透かして、午後の日差しが差し込んで来る。
正に格好の午睡時、蛙の目借り時に、しかし、こちらは欠伸どころか、迂闊な瞬きも満足に許されぬ場に身を置いている。
これも、しがない『使い走り』に背負わされた哀しみと言うものであろうか。
全く、世の中と言う奴は、何処まで行っても不公平だ。
然るに、そんなこちらを脇に置いて、もう一人の『使い走り』と言えば、実に律儀に職務を遂行するのである。麗かな春の陽気なぞ初めから歯牙にも掛けず、全く以っていつも通りの、揺るぎの無い生真面目な態度で。
「……はい。残念な事に、同様の『事件』はこの御簾嘉戸市内で既に幾つか確認されているのです」
ソファーに尻を沈めながらも前屈みになって、薬師寺弘樹は相手へと説明していた。
「左様ですか……」
まるで落語に登場する幽霊のような、何やらしんみりとした声が返って来た。
テーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろしているのは、小柄な一人の男であった。
着込んだスーツこそ清潔で立派な代物であったが、それが当人へ殊更に威厳を与えている訳でもない。装いを除けば、若しくは、腰を据えているのがこの校長室でなければ、大半の人間が然して気にも留めないような風貌の男であった。
ひっそりと事務方の仕事ばっかりやってそうな人だな、と鬼塚は眠気の纏わり付く瞼を懸命に支えながら、至極つまらない感慨を抱いた。
これでも、この学校の最高責任者であるに間違いは無い筈なのだが。
白いものがぽつぽつと混じった頭髮を綺麗に整えたその校長は、相対する二人の若い警官へ、物怖じするでも侮るでもなく、ただ丁寧に確認する。
「……それで、その事実が我が校とどのように繋がるのでしょう? いえ、被害者の方の一人に、当校の卒業生が含まれてしまった事は残念でなりませんが」
「うーん、それについてなんですけどねぇ……」
鬼塚は言葉を濁して頭を掻いた後、隣に座った薬師寺をちらと垣間見る。
薬師寺は、黙って小さく頷いた。
それを確認してから鬼塚は顔を前に戻すと、面前の校長へと説明する。
「さっき申し上げました通り、市内に於いて、突如として意識不明の状態に陥る人間が増えて来てるのは事実なんですが、どうにも一連の『事件』の裏には、『違法薬物』の流通が関係してるみたいなんですわ」
鬼塚は両膝の前で手を組んで、ばつが悪そうに上目遣いに相手を見上げた。
一瞬の緘黙が、校長室に漂った。
「ですが先程……」
校長が怪訝な表現を浮かべて口を挟もうとすると、鬼塚は少し慌てて言葉を続ける。
「ええ。ナイトクラブで倒れたこちらの卒業生さんを初め、一連の事件の関係者から薬物反応が出なかったってのは事実ではあるんですが、それは飽くまで『既存の』薬物の検査に引っ掛からなかったって話でして……」
「意識を取り戻した関係者の幾人かは、ネットや人伝で特定の『薬』を入手したと供述しているのです。話したがらない残りの数名についても、ほぼ同様の事情があると見てまず間違い無いと思われます」
鬼塚の後を継いで、薬師寺が言葉を添えた。
然る後、薬師寺は目元をやや鋭いものに変える。
「一連の『事件』の裏には、反社会的勢力の影がちらついているのも事実でして……」
「……ははあ」
二人の警官から交互に説明を受けても、小柄な校長はただ困ったような素振りを見せるばかりであった。
それに釣られて、鬼塚も思わず困り顔を晒しそうになってしまう。
偶に出くわすのだ、こういう人物には。
こちらが何を真面目に訴え掛けようとも、或いは真剣に脅かして掛かろうとも、まるっきり暖簾に腕押しの体であっさりと受け流し、決して狼狽える事は無い。
恐れ慄いたり、気を吞まれたりと言った気配は一貫して微塵も覗かせない。
肝が据わっていると言う括りとは別に、こうした人間は根っ子の部分から、滅多な事では動じないように出来ているのだろう。
俗に、極度の天然だの、ニブチンだのと呼ばれる人種であった。
これでよく校長が務まるなぁ、と鬼塚は呆れるのと一緒に、逆にこれぐらいのメンタルでなきゃ重責に耐えらんないのかな、とも訝ったのであった。
とまれ、そんなどうでもいい事柄に頭を悩ませる鬼塚の横で、薬師寺が尚も神妙な顔付きで言葉を続ける。
「……そして、これは大変申し上げ難い事なのですが、現実として、薬物の乱用は得てして若年層を中心に起こるものですから、市内の学校にそうした予兆が表れていないかどうかを、こちらも確認して回っている最中なのです」
今度の発言には、マイペースな校長も流石に懸念を表情へと乗せた。
「ですが……」
「あ、いや、勿論我々も、こちらの学校が危ない薬の取引場所になってるなんて疑ってるんじゃないんですよ? クラブで倒れた元生徒さんにしても、在学してたのは二年前でしたっけ? 今度の騒ぎが起こるずっと前ですからねぇ。先程伺った限り、取り立てて素行に問題があった訳でもないようですし」
何やら反論を遣そうとした相手の機先を制して、鬼塚が釈明じみた言葉を発した。
「こちらとしても『難癖』を付けているのではなく、飽くまで『協力』をお願いしたいんですよ、これ以上被害を増やす前に。もし仮に、反社のゴロツキ連中に唆された馬、いや誰かが危ない薬に手を出したりしたんなら、周りにそれとなく吹聴するなり何なり、何かしらの『兆候』が現れるものでしょう? その辺の『サイン』が出ていないかどうか、先生方にも御協力を仰ぎたいんです、是非」
「教え子達に疑惑の目を向けろ、などと要請しているのではありません。未だ全容の掴めぬ事件に付き、あらゆる方面から手広く情報を集めたいだけなのです。何卒、力添えをしては頂けないでしょうか?」
薬師寺が相手の目を真っ直ぐに見つめて真摯に訴えると、校長はまた困ったような面持ちを浮かべたのだった。
「……警察に協力する事自体に異議は御座いませんが、やはり薬物絡みのお話となりますと、どうしても……」
「校内での噂話に、それとなく聞き耳を立てて下さるだけでも充分なのです。こうした場所に成り立つコミュニティと言うのも、決して侮る事の出来ない代物ですから」
薬師寺が念を押すように進言した。
それに合わせて、鬼塚も少々強引に笑顔を作って訴え掛ける。
「先生方だって皆色々とお忙しいでしょうからねぇ。それに、変に聞き込みなんか始めたりしたら、却って生徒達の興味を惹く事態にもなりかねませんし、ここは飽くまでも消極的協力って事で……」
校長は、やはり困ったような面持ちを保ったまま、幾度か頷いて見せた。
「……そういう形でのお手伝いでしたら、他の職員にも周知は致しますが、そちらの御希望に沿った成果に繋がるかどうかは保証致しかねます」
「いや、まあ、この場合は成果が上がらないのが一番なんでしょうけどね……」
俺は一体、何を口走ってるんだろう。
鬼塚は自分でも良く判らない合いの手を入れながら、そんな自分の有様に内心で呆れていたのであった。
思い返せば、この部屋に通されてからと言うもの、己の吐いた台詞が己のものでない気が絶えずしてならない。極めて浮付いた、酷く素人臭い道化芝居をずっと繰り返している。
だから、こういう場面は苦手なのだ。
特に、『こいつ』と一緒にいる時は尚更。
胸中でそう纏めて、鬼塚は傍らに座る『相棒』を横目で一瞥する。
果たして彼の予想を裏切らず、薬師寺は今も何ら変化の認められない、最初から一切動じない態度を保っていた。
午後の日差しは益々辺りを温め、レースのカーテンを煌めかせる日差しは、僅かに曇る気配も覗かせない。
全ては、春の日に浮かび上がる浮世の様相であった。
応援ありがとうございます!
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