5 / 48
5 フラエの職場
しおりを挟む
フラエとミスミが連れ立って寮へ戻る頃には、雪の月の早い日没が訪れていた。ミスミはフラエの荷物を暖房の効いた部屋まで運搬し、「植木鉢は研究室に戻しておこうか」とふさふさ茂った葉を摘まむ。
「いいよ。それくらい、僕がやる」
フラエは植木鉢を受け取り、ミスミは「じゃ」と軽く手を挙げて部屋を後にした。フラエは革靴をつっかけて研究棟へ向かい、明かりの灯った「生体魔術研究室」と書かれた部屋の扉をノックする。
「リンカーです」
すぐに扉は開かれ、同僚であるカシエが顔を出した。中肉中背の彼はフラエに「お疲れ」と気安く声をかけ、入室を促すように身体をどける。フラエは軽く会釈して入室し、実験道具や書類の山をかきわけて進んだ。その中でも一際散らかった自分の机の横に、植木鉢を置く。コートを脱いで椅子の背もたれにかけて、一息ついた。
フラエが産んだ種子は、あともう一株発芽させたものの他は、検体としてエーテル漬けにされていた。発芽させた一株は普段温室で管理されており、面倒なので明日戻そうと思う。そういえば、自分がもらっている標本棚がそろそろ限界を超えそうだった。少しは棚を整理して、置き場に余裕を持たせた方がいいかもしれない。
「研究発表、どうだった?」
背中をぽんと叩かれて振り返ると、ミジーが資料を手に立っていた。彼女は商家出身で、噂に耳ざとい。くりくりとした青い瞳を細め、人懐っこく笑う。
「色々大変だったみたいだね」
「そうなんだよ」
げんなりした声を出せば、「リンカーはそういうの、苦手そう」と彼女は肩を竦める。フラエは「やっぱり、分かる?」と頭を掻き、ミジーは気安い様子で「後で話を聞かせてよ」と言いながら書類を差し出した。
「実験してたフラスコ、特定魔力属性と指向性付与だっけ? 詳細な分析が終わった報告が返ってきてたから、渡しておくね」
ありがとう、と受け取ると、低くねっとりとした声がフラエへかけられる。
「血統書つきはいいよなぁ、簡単に研究ができて」
フラエを揶揄する、椅子に座ってニヤニヤしている筋肉質な彼はギック。貧しい生まれからここまでのし上がってきた彼は、何かと貴族出身のフラエを目の仇にしていた。フラエは彼にどうしてそんなことを言われたのかが心底分からないので、腹も立たないし、不思議に思って首を傾げる。
「僕の実力が優れているから、研究が簡単にできるように見えるだけなんじゃないか?」
その言葉にギックは顔をしかめ、「お貴族様なら嫌味のひとつくらい分かれってんだ」と吐き捨てる。見かねたミジーが「ひがむのもいい加減にしなさいよ」と口を挟み、ギックは気まずそうに口をつぐんで退散した。研究室内で、ギックがミジーに片思いしていることは暗黙の了解だった。知らないのは、フラエとミジー本人だけだ。
「幼稚だな」
フラエが言うと、リンカー、とミジーが咎めるように言った。フラエは首を横に振り、「もったいない」と続ける。
「ギックは僕よりずっと優秀なんだから、血筋がどうとか、気にしなくていいのに」
ミジーはそれに呆れたように笑って、自分の机へと戻っていく。フラエが書類を整理しようとしたら雪崩が起こったので、ひとまず植木鉢を窓際に避難させる。
生体研究室の標本室は研究室の隣であり、部屋の奥に取り付けられた鉄扉から出入りする必要がある。重たい扉を開けて標本室へ入ると、暖かい部屋よりもひやりと冷えた空気が肌を撫でた。四隅の魔導ランタンが燃えている以外の光源のない薄暗い部屋だ。研究員一人あたりに、一つの棚が割り当てられている。
フラエは自身の棚に並べられた瓶を整列させ直していく。大まかな種類を分別し、日付ごとに並べていった。今度、ラベルをつけ直した方がいいかもしれない。淡々と透明なエーテル体が満ちた重たい瓶を並べ、すべてを整列し終えて立ち上がると、丁度エイラが入室するところだった。
「所長」
声をかけると、エイラは眼鏡をかけ直して「リンカー君か」と不愛想に言う。フラエは彼に寄っていって、「今日はありがとうございました」と礼を言う。怪訝な顔をしたエイラに、「研究発表のとき、助けていただきましたから」と笑みを向ける。彼は、ああ、と気のない返事をして、首を横に振る。
「学者として当然のことをしたまでだ」
その言葉に、フラエは痺れてしまった。エイラは生体魔術の第一線で研究成果を上げ続けている、フラエが学生時代から憧れ続けている研究者だ。その彼に認められたということは、フラエの自尊心を大いにくすぐった。
「僕は、学生時代からずっと、所長に憧れているんです」
胸を張って、エイラを見上げた。なかなか人と目を合わせないエイラは斜め下を見ているが、フラエは気にせず続ける。
「所長のように研究成果をあげ、世の役に立つことが、僕の目標です」
その言葉にエイラは首を横に振り、「役に立たないことも研究するのが、学問だよ」と呟いて、部屋の奥にある彼の棚へと向かっていった。かっこいいな、とフラエは思う。
鉄扉を開けて研究室へ戻ると、カシエがちょうど入れ違いに標本室へと入っていった。中をのぞくと、カシエはエイラと親しげに話しているようだった。何やら白熱しているようで、エイラはカシエの顔を真っすぐ見つめ、熱弁を振るっている。
少しだけ胸が切なくなって、フラエはすぐに扉を閉じた。カシエはエイラのお気に入りで、だからそれが何だということはないのだ。
「いいよ。それくらい、僕がやる」
フラエは植木鉢を受け取り、ミスミは「じゃ」と軽く手を挙げて部屋を後にした。フラエは革靴をつっかけて研究棟へ向かい、明かりの灯った「生体魔術研究室」と書かれた部屋の扉をノックする。
「リンカーです」
すぐに扉は開かれ、同僚であるカシエが顔を出した。中肉中背の彼はフラエに「お疲れ」と気安く声をかけ、入室を促すように身体をどける。フラエは軽く会釈して入室し、実験道具や書類の山をかきわけて進んだ。その中でも一際散らかった自分の机の横に、植木鉢を置く。コートを脱いで椅子の背もたれにかけて、一息ついた。
フラエが産んだ種子は、あともう一株発芽させたものの他は、検体としてエーテル漬けにされていた。発芽させた一株は普段温室で管理されており、面倒なので明日戻そうと思う。そういえば、自分がもらっている標本棚がそろそろ限界を超えそうだった。少しは棚を整理して、置き場に余裕を持たせた方がいいかもしれない。
「研究発表、どうだった?」
背中をぽんと叩かれて振り返ると、ミジーが資料を手に立っていた。彼女は商家出身で、噂に耳ざとい。くりくりとした青い瞳を細め、人懐っこく笑う。
「色々大変だったみたいだね」
「そうなんだよ」
げんなりした声を出せば、「リンカーはそういうの、苦手そう」と彼女は肩を竦める。フラエは「やっぱり、分かる?」と頭を掻き、ミジーは気安い様子で「後で話を聞かせてよ」と言いながら書類を差し出した。
「実験してたフラスコ、特定魔力属性と指向性付与だっけ? 詳細な分析が終わった報告が返ってきてたから、渡しておくね」
ありがとう、と受け取ると、低くねっとりとした声がフラエへかけられる。
「血統書つきはいいよなぁ、簡単に研究ができて」
フラエを揶揄する、椅子に座ってニヤニヤしている筋肉質な彼はギック。貧しい生まれからここまでのし上がってきた彼は、何かと貴族出身のフラエを目の仇にしていた。フラエは彼にどうしてそんなことを言われたのかが心底分からないので、腹も立たないし、不思議に思って首を傾げる。
「僕の実力が優れているから、研究が簡単にできるように見えるだけなんじゃないか?」
その言葉にギックは顔をしかめ、「お貴族様なら嫌味のひとつくらい分かれってんだ」と吐き捨てる。見かねたミジーが「ひがむのもいい加減にしなさいよ」と口を挟み、ギックは気まずそうに口をつぐんで退散した。研究室内で、ギックがミジーに片思いしていることは暗黙の了解だった。知らないのは、フラエとミジー本人だけだ。
「幼稚だな」
フラエが言うと、リンカー、とミジーが咎めるように言った。フラエは首を横に振り、「もったいない」と続ける。
「ギックは僕よりずっと優秀なんだから、血筋がどうとか、気にしなくていいのに」
ミジーはそれに呆れたように笑って、自分の机へと戻っていく。フラエが書類を整理しようとしたら雪崩が起こったので、ひとまず植木鉢を窓際に避難させる。
生体研究室の標本室は研究室の隣であり、部屋の奥に取り付けられた鉄扉から出入りする必要がある。重たい扉を開けて標本室へ入ると、暖かい部屋よりもひやりと冷えた空気が肌を撫でた。四隅の魔導ランタンが燃えている以外の光源のない薄暗い部屋だ。研究員一人あたりに、一つの棚が割り当てられている。
フラエは自身の棚に並べられた瓶を整列させ直していく。大まかな種類を分別し、日付ごとに並べていった。今度、ラベルをつけ直した方がいいかもしれない。淡々と透明なエーテル体が満ちた重たい瓶を並べ、すべてを整列し終えて立ち上がると、丁度エイラが入室するところだった。
「所長」
声をかけると、エイラは眼鏡をかけ直して「リンカー君か」と不愛想に言う。フラエは彼に寄っていって、「今日はありがとうございました」と礼を言う。怪訝な顔をしたエイラに、「研究発表のとき、助けていただきましたから」と笑みを向ける。彼は、ああ、と気のない返事をして、首を横に振る。
「学者として当然のことをしたまでだ」
その言葉に、フラエは痺れてしまった。エイラは生体魔術の第一線で研究成果を上げ続けている、フラエが学生時代から憧れ続けている研究者だ。その彼に認められたということは、フラエの自尊心を大いにくすぐった。
「僕は、学生時代からずっと、所長に憧れているんです」
胸を張って、エイラを見上げた。なかなか人と目を合わせないエイラは斜め下を見ているが、フラエは気にせず続ける。
「所長のように研究成果をあげ、世の役に立つことが、僕の目標です」
その言葉にエイラは首を横に振り、「役に立たないことも研究するのが、学問だよ」と呟いて、部屋の奥にある彼の棚へと向かっていった。かっこいいな、とフラエは思う。
鉄扉を開けて研究室へ戻ると、カシエがちょうど入れ違いに標本室へと入っていった。中をのぞくと、カシエはエイラと親しげに話しているようだった。何やら白熱しているようで、エイラはカシエの顔を真っすぐ見つめ、熱弁を振るっている。
少しだけ胸が切なくなって、フラエはすぐに扉を閉じた。カシエはエイラのお気に入りで、だからそれが何だということはないのだ。
27
あなたにおすすめの小説
魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます
オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。
魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。
ハッピーライフのために地味で根暗な僕がチャラ男会計になるために
ミカン
BL
地味で根暗な北斗が上手く生きていくために王道学園でチャラ男会計になる話
※主人公へのいじめ描写ありのため苦手な方は閲覧ご注意下さい。
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
隣国の国王キリアン(アルファ)に嫁がされたオメガの王子リュカ。
しかし実は、結婚から逃げ出した双子の弟セラの身代わりなのです…
本当の花嫁じゃないとばれたら大変!
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだんキリアンに惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
魔王さまのヒミツ♡
黒木 鳴
BL
歴代最年少で魔王の地位に就いたレイには隠し通さなければならない秘密がある。それは……「魔王もうやだぁぁぁ~~!!下剋上こわいよぉぉぉーーー!!!」その実態が泣き虫ポンコツ魔王だということ。バレれば即・下剋上を挑まれることは必至!なので先々代の魔王を父に持ち、悪魔公爵ジェラルドが膝を折ったという2枚看板を武器にクールな魔王を演じている。だけどその実力を疑う者たちも出てきて……?!果たしてレイの運命は……?!溺愛腹黒系悪魔×初心な小悪魔系吸血鬼。お茶目なパパんも大活躍!!
死神は結婚生活が楽しすぎて探し物をすぐ忘れる
ユーリ
BL
「俺たち本当の夫婦になろうな」
駆除対象である死神に出された条件は、なんと結婚! 死神は生きるためにその条件を飲むけれどーー
「お前と結婚してよかった」生かす代わりに結婚を条件に出した悪魔×突然変異で生まれた死神「僕の鎌知りませんか!?」ーー死神は落とした鎌を探そうとするけれど、悪魔との結婚生活が楽しくてすぐに忘れてしまい…。
転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。
星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。
前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。
だが図書室の記録が冤罪を覆す。
そしてレイは知る。
聖女ディーンの本当の名はアキラ。
同じ日本から来た存在だった。
帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。
秘密を共有した二人は、友達になる。
人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる