野犬公の愛人

鳥羽ミワ

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24. 秘密兵器

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 エリックが連れてこられたのは、騎士団の庁舎の片隅にある、小さな会議室だった。扉に鍵はかかっていない。ゲスナーはエリックを乱暴に放り込み、後ろ手に扉を閉めた。
 鍵をかけた様子はない。エリックは視線だけで彼を見上げて、ろれつの回らない舌を、なんとか動かす。喘鳴とともに、なんとか声が出た。
 何のために、こんなことをしているのか。

「らんろ、らえに、おんなこぉ」
「何か言いたいなら、はっきり言ってくれないか」

 まるでちゃんとした言葉にならない。
 ゲスナーはエリックを嘲笑って、床へと打ち捨てた。そしてエリックの目の前で、これ見よがしに、ポケットから何かを取り出す。
 小型の通信水晶だ。
 エリックの目が、驚愕に丸く見開かれる。
 その表情に、ゲスナーは口の端を上げた。満足げに笑って、エリックの目の前でそれを揺らす。

「ドミニク閣下から賜った、特別な通信水晶だ。親機への干渉権限を半永久的に付与されている、私の秘密兵器さ」

 エリックの目は、ひたすらそれへ釘付けになった。その表情に、ゲスナーは低く呟く。

「これで再び、貴様は通信網へ干渉する。そうだよな? クレーバー」

 唇を舌で舐めて湿らせた。その残忍な仕草を、エリックはじっと見つめる。背中には、じっとりと嫌な汗を掻いていた。
 ゲスナーはなおも続ける。

「レオポルト殿下の気を引くために、貴様はなんでもする。感情的で短絡的な貴様は、自ら盗み取った成果をも台無しにするのだ」

 演説じみたその言葉に、エリックは唇を噛んだ。
 ここでゲスナーが通信水晶を使えば、エリックの仕掛けた罠は作動する。しかしそれは、ゲスナーを逆上させる原因にしかならないだろう。
 もつれそうになる舌を、ゆっくり動かした。

「それで、……きみの、ことばを、でんかが……しんじるって?」

 まだ上手く舌が回らない。顔をしかめるエリックをよそに、ゲスナーは手を叩いた。

「それはさほど重要なことじゃない。殿下の周りがどう思うかだよ、クレーバー。たとえお前が無実でも、ひとたび染みついた偏見が消えることはない。短絡的で愚かな貴様には、分からないことだろうが」

 たしかに、エリックには分からないことだった。周りからどう思われるか。どう思われたいか。良くも悪くも自己中心的なエリックには、馴染みのない考え方だ。
 だからこそエリックは、なおもゲスナーに噛みついた。

「そんなの、ひきょう、だろ。そんなの、いつまでも、つうじる、あんて」
「卑怯は貴様だろッ!」

 癇癪のような叫び声の後、頬に衝撃が走った。ゲスナーが、エリックの頭を蹴ったのだ。
 咄嗟に頭を抱えるエリックの背中を踏み、脇腹を蹴りながら、ゲスナーが裏返った涙声で叫ぶ。

「これはッ! これは、私がやっと掴んだ、出世の糸口だったんだぞ! それをッ貴様がッ! 横から、掠め取って……!」

 暴力に耐えながら、エリックは目を瞑った。自らと、レオポルトの罪深さを思う。それでも、謝罪の言葉は、言えなかった。言えるわけもなかった。
 大切なものを奪われたのは、エリックも同じだ。そして奪われても、こんな風に、直接人に暴力を振るうことは選ばなかった。
 今、エリックを痛めつけることを選んだのは、ゲスナーだ。
 歯を食いしばり、暴力に耐える。身体強化魔術の乗った蹴りは、踏みつけは、痛かった。
 やがてゲスナーはぜいぜいと息を切らして、暴行を止める。エリックがわずかにみじろぎすると、足音は少しだけ遠ざかった。

「貴様の作ったものは、私が壊してやる」

 恨みがましい声で、ゲスナーが言う。エリックが顔をあげると、彼は、通信水晶を起動させるところだった。

「これから通信網へ侵入し、それぞれの子機の接続を切断する」

 上擦った声には、勝ち誇るような響きがあった。喜びがあった。エリックは茫然としながら、ゲスナーを見上げる。
 エリックの復讐が、彼を壊したのだ。罪悪感が背筋を這い上がり、彼の名前を叫んでいた。

「ゲスナー、やめろ!」

 その声が、ゲスナーの口元を愉悦に歪ませた。ゲスナーの指が、水晶の表面で躍るように跳ねる。通信水晶が起動したと、魔力の流れで分かった。
 エリックは、なおも「やめろ」と叫ぶ。また涙がぼろぼろとあふれた。これ以上、ゲスナーを壊したくなかった。
 復讐したことを、はじめてきちんと後悔した。エリックは這いずるようにしてゲスナーへ寄り、その足元へ取りすがる。

「こわれるのは、つうしんもう、じゃない。きみだ……!」
「何を言う。私が壊すんだよ、クレーバー」

 哄笑が響く。エリックは身体を起こそうとするが、ゲスナーはその身体を蹴り飛ばした。
 崩れ落ちるエリックの目の前で、ゲスナーが高らかに呪文を唱える。通信水晶が光り、通信網へと接続される。
 一拍の無音。エリックが耳を塞ぐ間もなく、けたたましく、妖精の歌が鳴り響いた。

「ぎゃっ」

 ゲスナーが叫び、通信水晶をエリックの上に取り落とす。それは背中へ直撃し、エリックは「うっ」と声を上げてうめいた。ゲスナーは杖を放り出し、通信水晶を慌てて拾いあげる。しかしいくら魔力を止めても、流しても、妖精の歌が止むことはない。
 これがエリックの罠だった。外部から通信網へ接続した際、通信網が魔力を跳ね返し、妖精の歌を大音量で流す。管理室でも、同じことが起きているはずだ。
 どうやら当初の意図通り、罠は正常に作動したらしい。それが今、裏目になっている。
 エリックは耳を掌で押さえて、床を這いずった。ゲスナーが何かをわめいているが、何を言っているのか分からないほどに、妖精の歌がうるさい。
 業を切らして、ゲスナーが地団駄を踏んだ。またエリックへ蹴りを入れる。その激しい暴力へ耐えながら、エリックは這いずるのをやめて、じっとうずくまった。妖精の歌がガンガンと頭へ響く。涙がにじんで、きつく目を瞑った。
 逃げることすら忘れるような暴力だ。暗闇の中で、痛みと衝撃にひたすら耐える。いつまでも続くような苦しみだった。そして、エリック自身が招いてしまった結果だった。
 投獄された時以来の絶望が、エリックの心を満たす。呼吸が重苦しくなって、届きもしないのに、エリックは助けを乞うていた。

「たすけて、……れおぽると、でんか……」

 こんな時でも思うのは、レオポルトのことだった。つらくて、つらくて、耐えがたくて、掌を握りしめたときのことだ。
 降り注いでいた暴力が、ふっと止む。顔をあげると同時に、妖精の歌も止まった。
 しんと静まり返った部屋で、レオポルトが、ゲスナーを殴っていた。
 でんか、と声にならない悲鳴が、エリックの喉から漏れた。
 ゲスナーは呆気なく体勢を崩し、それへ追い打ちをかけるように、レオポルトのブーツの踵が脇腹へ食い込む。ゲスナーは悲鳴をあげ、鈍い音とともに床へ転んだ。
 逃げることも許さないとばかりに、レオポルトは落ちていた杖を拾い、先端で掌を床に縫い付ける。ぎちぎちと音が立つほどきつく押し付けながら、レオポルトが冷ややかな声で言った。

「貴様、何をしていた」

 恐ろしいほどの無表情だった。

「でんか」

 ひりつく喉で、なんとか声をかける。レオポルトは振り返って、エリックへ微笑みかけた。さらにエリックの肩には背後から、ジャケットがかけられた。ヘンケルのものだ。
 ヘンケルはエリックの肩に手を置いて、拳を握る。淡々とした口調へわずかに焦りをにじませて、レオポルトへ声をかけた。

「殿下。落ち着かれてください」
「落ち着いている。ヨーゼフ、剣を」

 冷淡な声だ。杖を持っていない方の手を伸ばして、「剣を」と、微笑んだまま、念押しするように言う。
 ヘンケルは息をのみつつ、腰に提げた剣の柄を、掌で押さえた。

「何に、使われるおつもりですか」
「こいつを斬る」

 ぞっ、とエリックの全身の毛が逆立つ。レオポルトは笑みを消して、「何をしている」と掌を揺らした。

「早く渡してくれ」
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