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第3章:テンバス騎士団
04:断片的な記憶
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人の記憶は不確かで、よく覚えている人もいれば、まったく覚えていない人もいる。
六賢人は物覚えがいい方だといえるが、彼らは人間の基準とは違う気がするので、あてにならない。
オフィリアの親しい人間といえば、エンデバくらいだが、テンバス騎士団として活動していた彼とは共通認識が違う気がする。
「…………六王戦争」
やはり、思い出せない。
テンバスタードの歴史に刻まれる四年前の戦争。クレドコンパスを囲む十国のうち、六つの国の王が同時に首を落として終結したという「六賢人と十国の全面戦争」のこと。
六賢人である彼らがどこで何をしているのか、すべてを把握しているわけではないが、さすがに「何も知らない」では通らない気がする。
意図的に隠されているのか。でも、何のために。
「隠される理由が思い浮かばないのよね……っ、痛い」
時系列を考え始めると頭痛がする。
まるで何かに妨害されているみたいに、記憶が途切れ途切れで、つぎはぎみたいな違和感が不快な気持ちにさせてくる。自分の認知が歪んでいく気がする。
「…………はぁ」
小刻みに震える手を握りしめて、オフィリアは気持ちを落ち着かせる。
考えるのをやめた方がいいだろう。けれど、思考は勝手にめぐるもの。
オフィリアはひとり、書斎の机に突っ伏しながら再度溜息を吐き出した。
「私は、オフィリア。六賢人の魔女で、クレドコンパスにあるヴィラジルエットで暮らしている」
わかることから書き出してみる。紙に文字を書くこと。本を読むこと、食事をすること、お風呂に入ることなど、日常生活で疑問に感じることはひとつもない。
ここ数か月の記憶は問題ない。違和感もない。当たり前として、毎日を過ごしている。
「十二年前、は……えっと……ッ」
数年間の記憶があいまいならと、六賢人との出会いからさかのぼってみることにした。断片的にでも書き出してみれば、何かつながりが見えるかもしれない。
十二年間の記憶。始まりはいつだったか。
アヴァルネルトス。金のりんご祭りで、りんごジュースを口にした。よく晴れた日で、簡素な白い一枚布を身にまとっていた。
「違う…っ……これはプラントシードで」
土に種を植えて、発芽を待つ。
テンバス協会の決めた相手と結婚するまでに花が咲けば、幸せになれるといわれる儀式のひとつ。オフィリアも十六歳の年に種を植えた。将来の伴侶を想像して、修道院でみんなと一緒にそれを植えた。オフィリアは魔女として、六賢人に見初められたが、そうでなければ今ごろはどこかの国で普通の家庭を築いていたに違いない。
「花は……どうなったっけ」
思い出せない。
種を植えた記憶はあるのに、花を見た記憶がない。空白の期間があったとしても、植えた種はすでに花を咲かせているだろう。本来、十八歳の結婚式までに咲くようになっている。
「私は、十二年前に魔女になって、いまは二十八歳で……あれ、私……十六歳で魔女になったっけ……痛っ」
頭が痛い。十二年間の記憶が混濁してくる。
十六歳までの記憶と、ここ数か月の記憶があるのに、中間の記憶が不確かなんてことがあるのだろうか。それに、ごっそりと抜け落ちたというには無理がある。
六賢人との思い出がある。何度も交わった夜を覚えている。
いつも記憶を飛ばすから、少し自信がないけれど、彼らとの十二年間は自分でも納得している。証拠として、あの頃より、ちょっと胸が大きくなった。
「………うん」
ペタりと一般的な大きさに育った胸に手を当てて、オフィリアはうなずく。
魔女となって十二年。十六歳の頃より確実に成長している。
「ぅ……っ、痛い……」
ズキズキと頭が痛む。
体調が不調になると聖女の像が浮かぶのは、育ってきた環境のせいだと思っている。
テンバス協会の管理する修道院には、色とりどりのガラスをはめた大きな窓を背景に、微笑む聖女の像がある。オフィリアはいつもそこで祈っていた。
聖女アヴァルに祈っていた。
デファイと遭遇することなく、平和と幸福が続く未来の訪れを願っていた。
「聖女アヴァルよ」
声に出して唱えてみる。
あの頃は口癖のように唱えていた一節。だけど、もう、スラスラと出てこない。
それこそが六賢人と過ごした日々の証明だと、心のどこかで安堵する。
「………聖女アヴァル、か」
聖女アヴァル。クレドコンパスと十国の境界「守護防壁」を創造した偉大なる聖女。聖女アヴァルの守護防壁のおかげで、デファイはクレドコンパスから一定数出られないようになった。また、出られたとしても彼らを構築する瘴気が薄まるせいで、活動範囲も本来の能力も大幅に減少するらしい。
実際は知らない。「みんな」がそう言った。各国はデファイ撃退用の砦をクレドコンパスとの国境に配置し、テンバス騎士団を常駐させている。だから「近づいてはならない」「魔女は捕まる」「危険だ」と教えてくれた。
「オフィリア、何をしているんです?」
「………ランタン」
背後から現れたランタンが、覗き込んできた姿勢のまま乗り出して、オフィリアの落書きを奪い去る。
記憶の断片が記された紙。
それをじっと眺めて「ふむ」と変な鳴き声を発したあと、ランタンは頭を押さえるオフィリアを見下ろす瞳を細めた。
「記憶とは、それほど大事ですか?」
「…………え」
「あなたが目の前にいて、我々が目の前にいる。その事実に変わりないでしょう」
そう言われてしまえば、なにも言い返せない。ランタンの右手が前髪を撫で下ろすように視界をおおったせいで、余計にそう思うのかもしれない。
「オフィリア、何を吹き込まれたのかは知りませんが。あなたはもう魔女なのです」
「………うん」
「どこにも行けませんし、誰にも奪わせません。あなたに王を孕ませる権利は我らにあるということを忘れてもらっては困ります」
目を覆われたまま、横からさらうように口付けられる。何度も触れた唇の温もり。ランタンの匂いがして、軽く触れた唇は、次に深く侵入してくる。
「………っ……ぁ」
重ね合わせていると、不思議と心が落ち着いていく。ランタンがいれば、彼らがいれば、それでいいのだと思えてくる。
一方で不安は残る。独占欲や執着心に似たものがデファイにも芽吹くのだろうか。十二年も一緒にいるのに自信が持てない。王を孕ませる器だというが、一向に孕む気配のない身体は、彼らの失望を招くのではないか。
いや、もう招いているのかもしれない。彼らはずっといるわけではない。他に囲っている女性がいて、何らかの事情で「オフィリアが魔女」だということにしたいのかもしれない。
「余計なことを考えている顔ですね」
「……ぅ……ンッ…ぁ」
「オフィリア、こちらへ」
ランタンの腕が簡単に身体を抱き上げてきて、対面に座る形でベッドへと運ばれる。
ランタンが眼鏡を外す。
黒い瞳の奥に青い炎が揺らいでいる。
またがる姿勢で密着したままキスを交わす行為は、恋人のように甘く、慈しむように優しい。だけど、これも全部。ただの真似事かもしれない。
人間ではない彼らは、いつまで魔女を大切にしてくれるのだろう。
「ん゛、ぅ」
突然、後頭部を固定され、もう片方の手で頬を掴まれて、のどの奥までランタンの長い舌が侵入してくる。
垂直に伸びた首が口を上へ向かせる。体格差が恨めしい。唇をこじ開けた先にある舌の奥を狙うランタンは、容赦なく息を止めにくる。
「……りゃ、んっ……ぅ……ん゛ぁッ」
口を閉じることもできず、みっともなく喘ぐ声が漏れ出る。ランタンの舌は、全部食べ尽くしそうなほど器用に動き回るくせに、キレイとは程遠い音を響かせる。
ぐちゃぐちゃと、卑猥な音が口回りを濡らしていく。吐息よりも唾液が混ざり、抵抗の爪痕がランタンの手首に引っ掻き傷として残っていく。
整った顔立ちとは不釣り合いな口付けが、ランタンもデファイなのだと伝えてくる。
「無駄な行為に耽ろうとするのはいけませんね」
「ぁ………はぁ…っ……ぁ、ぅ」
「オフィリア。あなたはまだ、自分の役割を認識できていないのですか?」
ぞくりと走った悪寒に、オフィリアの瞳が湿っていく。
ランタンは優しい。六賢人は優しい。
それがわかっているのに、なぜか泣いてしまうほど怖いと感じる。逃げなければならないと本能が警鐘を鳴らしている。
「嗚呼、そんな目で見ないでください」
とぷり。
濃厚な蜜に沈む音が聞こえた気がした。
黒い影が足元から這い上がってきて、底無し沼に飲み込まれたような錯覚に襲われる。
「怖がらなくてもよろしいですよ。少々、ご自分の立場をしつけ直すだけです」
「………ッぁ」
「大丈夫。ここではどれほど、泣き、叫び、逃げ、もがこうと、わたししか知りません」
「面白そうなことをひとりで楽しむなよ。オレも混ぜろ」
暗い暗い水底へ沈んでいく感覚が落ち着く頃、サックの声が聞こえてきた。
ランタンの手が離れて、だけど、後ろからゆるく抱き締められているのを感じる。
「………サック?」
「オフィリア、どこを見てやがる。オレはこっちだ」
「どこ……見えない」
目を閉じているときよりも、開けた方が暗く感じるほどの漆黒の闇。自分の指先も見えない。サックがどこにいるかなんて、わかるはずもない。
「あ……ッ…ランタン、やだ」
ランタンの手が離れていくのがわかる。
こんな暗闇でひとり放置されるのはいやだと、慌ててて掴んだものは、およそ「手」といえるものではないような気がした。
「そういえば、この姿で抱いたのは初めの一回だけでしたか?」
「オフィリアがあまりに泣いて、怖がるから、人間の造形を真似たんだったな」
「こちらの方が効率よく注げるので、我々としてはこちらの姿でも回数を得たいものです。そろそろ、オフィリアも耐えられる頃合いでしょう」
「異形頭への抵抗が薄れてきたからな。試してみる価値はある」
ランタンとサックの声が楽しそうに弾んでいる。
何がそんなに楽しいのか。面白いのか。わからない。わからないけれど、触れている「手」を放すのが正解だとわかる。
わかっている。
咄嗟にしがみついた手を放さなけば、よくないことになる。わかっていても、恐怖でかたまった身体は素直に反応しないらしい。
「………ッ、ぁ」
植物のツルのような細長い何かが手足に巻きついてくる。慌てて逃げようとしても、それは滑り止めのような繊毛が生えていて、オフィリアの手足を逃がさない。
さらに、柔らかな弾力を持っていて、引きちぎることもできない。
「や………や、だ」
麻で作った縄に似た何かが胸や太ももに巻き付いて、手足を四方に広げていく。
空中に張り付けられた。
その感覚はあるのに、真っ暗な空間は視覚でそれを認識しない。
「………ひっ……ぃ」
服が消えた。下着もない。
ざらりと、胸を舐めたのは何か。
股の間を往復するのは何か。
肌の表面をすりすりと撫でるのは何か。
「おや。震えているのですか?」
「まだ、何もしてねぇだろ?」
「オフィリアは魔女の自覚が足りませんね。ここはもう、こんなに濡れているのに」
耳に吹き込むほど近いランタンの声が、涙を溢れさせてくる。
自然と身体が震えてくる。歯の音がして、どうしようもなく神経が警戒していく。
「……………ぁ」
知っている。この暗闇が、乙女をすべて壊した。彼らは人間ではないのだと、如実にわかる造形が浮かんでくる。
なぜか、そんな気がした。
なにも見えない暗闇の中で、なにかわからないものに蹂躙される。
記憶ではなく、身体が覚えている。そうでなければ、こんなに怖いと思わない。
「六賢人と魔女の始まりを再現いたしましょう」
「…………ッ」
胸の高鳴りを誤魔化せるほど器用にもなれないくせに、泣くほど怖い。
深淵ともよべる暗闇。
知らないはずなのに知っている。
魔女になった悪夢がよみがえってくる。
「なんだ、オフィリア。あの日を忘れちまったのか?」
「無垢なあなたを食らいつくす興奮をもう一度とは、さすがはオフィリア」
「それはいい。肌に食い込み、赤くなった痕を見るのは格別だった」
「ええ、覚えています。誰もが自分の痕を刻み、残し、そして理解したのですから」
魔女は特別であり、王を産むに値する器である。と。ランタンだけではなく、サックも他の賢人たちもみんな、それを信じている。
「オレの種で孕めばいいと毎回思うぜ」
「それはサックだけではありません。わたしもそう思っています。サブリエも、ダイスも、リンネルも、そしてシュガーも」
「ああ、楽しみだな。オフィリア」
「ん……っぅ、や……ぅ……楽しみじゃ……な、ぃ」
「あなたが楽しみでなくても、我々が楽しみなのです」
「オレたちは他に方法を知らない」
「我々は王がどのようにして生まれるのか、魔女へ注ぐ以外に知りません。そして魔女はただひとり、オフィリア。あなただけです」
人間にデファイなど生めるわけがない。それは口実にならない。
デファイに犯され、子を孕んだ妊婦たちを見たことがある。彼女たちは修道院を管理するテンバス協会の管理者や騎士たちに連れていかれて、秘密にされた。
どうなったのかは知らない。噂では、みんな殺されたと言っていた。
でも、それは誰も見たことがない。他の国に売り飛ばされた、見世物にされた、生んだデファイに食われた、そんな噂もひとり歩きしている。
「………っ…」
抵抗は無意味に終わる。そもそも、宙に浮いた身体でもがいても、彼らの欲情を煽るだけ。欲望に忠実なデファイ。その頂点に君臨するのは、王ではなく六賢人であり、その内の二人がすぐそこにいる。
先ほどから、身体を好き勝手に這いずり回る蛇のような、縄のようなものは、無遠慮な動きをしている。
「人間はもろく、弱い生き物なので、力加減を間違えてしまいそうです」
「魔女がそんなヤワかよ。オフィリアはオレたちの王を孕む器だ。問題ねぇ。な?」
触手と呼べる肢体が求める流れに任せて、ランタンとサックに身をゆだねる。体重をあずけて、無抵抗の息を吐き出す。
そうすれば、きっと。
ふたりは優しい夢を与えてくれる。
「ぅ……ぁ」
涙も震えも全部、ぜんぶ、包み込んで。
何を考えていたか忘れてしまう。思考を放棄した闇の中へ沈めてくれる。
それはかつて、オフィリアの記憶にあった古い経験さえも塗りつぶしていく。
六賢人は物覚えがいい方だといえるが、彼らは人間の基準とは違う気がするので、あてにならない。
オフィリアの親しい人間といえば、エンデバくらいだが、テンバス騎士団として活動していた彼とは共通認識が違う気がする。
「…………六王戦争」
やはり、思い出せない。
テンバスタードの歴史に刻まれる四年前の戦争。クレドコンパスを囲む十国のうち、六つの国の王が同時に首を落として終結したという「六賢人と十国の全面戦争」のこと。
六賢人である彼らがどこで何をしているのか、すべてを把握しているわけではないが、さすがに「何も知らない」では通らない気がする。
意図的に隠されているのか。でも、何のために。
「隠される理由が思い浮かばないのよね……っ、痛い」
時系列を考え始めると頭痛がする。
まるで何かに妨害されているみたいに、記憶が途切れ途切れで、つぎはぎみたいな違和感が不快な気持ちにさせてくる。自分の認知が歪んでいく気がする。
「…………はぁ」
小刻みに震える手を握りしめて、オフィリアは気持ちを落ち着かせる。
考えるのをやめた方がいいだろう。けれど、思考は勝手にめぐるもの。
オフィリアはひとり、書斎の机に突っ伏しながら再度溜息を吐き出した。
「私は、オフィリア。六賢人の魔女で、クレドコンパスにあるヴィラジルエットで暮らしている」
わかることから書き出してみる。紙に文字を書くこと。本を読むこと、食事をすること、お風呂に入ることなど、日常生活で疑問に感じることはひとつもない。
ここ数か月の記憶は問題ない。違和感もない。当たり前として、毎日を過ごしている。
「十二年前、は……えっと……ッ」
数年間の記憶があいまいならと、六賢人との出会いからさかのぼってみることにした。断片的にでも書き出してみれば、何かつながりが見えるかもしれない。
十二年間の記憶。始まりはいつだったか。
アヴァルネルトス。金のりんご祭りで、りんごジュースを口にした。よく晴れた日で、簡素な白い一枚布を身にまとっていた。
「違う…っ……これはプラントシードで」
土に種を植えて、発芽を待つ。
テンバス協会の決めた相手と結婚するまでに花が咲けば、幸せになれるといわれる儀式のひとつ。オフィリアも十六歳の年に種を植えた。将来の伴侶を想像して、修道院でみんなと一緒にそれを植えた。オフィリアは魔女として、六賢人に見初められたが、そうでなければ今ごろはどこかの国で普通の家庭を築いていたに違いない。
「花は……どうなったっけ」
思い出せない。
種を植えた記憶はあるのに、花を見た記憶がない。空白の期間があったとしても、植えた種はすでに花を咲かせているだろう。本来、十八歳の結婚式までに咲くようになっている。
「私は、十二年前に魔女になって、いまは二十八歳で……あれ、私……十六歳で魔女になったっけ……痛っ」
頭が痛い。十二年間の記憶が混濁してくる。
十六歳までの記憶と、ここ数か月の記憶があるのに、中間の記憶が不確かなんてことがあるのだろうか。それに、ごっそりと抜け落ちたというには無理がある。
六賢人との思い出がある。何度も交わった夜を覚えている。
いつも記憶を飛ばすから、少し自信がないけれど、彼らとの十二年間は自分でも納得している。証拠として、あの頃より、ちょっと胸が大きくなった。
「………うん」
ペタりと一般的な大きさに育った胸に手を当てて、オフィリアはうなずく。
魔女となって十二年。十六歳の頃より確実に成長している。
「ぅ……っ、痛い……」
ズキズキと頭が痛む。
体調が不調になると聖女の像が浮かぶのは、育ってきた環境のせいだと思っている。
テンバス協会の管理する修道院には、色とりどりのガラスをはめた大きな窓を背景に、微笑む聖女の像がある。オフィリアはいつもそこで祈っていた。
聖女アヴァルに祈っていた。
デファイと遭遇することなく、平和と幸福が続く未来の訪れを願っていた。
「聖女アヴァルよ」
声に出して唱えてみる。
あの頃は口癖のように唱えていた一節。だけど、もう、スラスラと出てこない。
それこそが六賢人と過ごした日々の証明だと、心のどこかで安堵する。
「………聖女アヴァル、か」
聖女アヴァル。クレドコンパスと十国の境界「守護防壁」を創造した偉大なる聖女。聖女アヴァルの守護防壁のおかげで、デファイはクレドコンパスから一定数出られないようになった。また、出られたとしても彼らを構築する瘴気が薄まるせいで、活動範囲も本来の能力も大幅に減少するらしい。
実際は知らない。「みんな」がそう言った。各国はデファイ撃退用の砦をクレドコンパスとの国境に配置し、テンバス騎士団を常駐させている。だから「近づいてはならない」「魔女は捕まる」「危険だ」と教えてくれた。
「オフィリア、何をしているんです?」
「………ランタン」
背後から現れたランタンが、覗き込んできた姿勢のまま乗り出して、オフィリアの落書きを奪い去る。
記憶の断片が記された紙。
それをじっと眺めて「ふむ」と変な鳴き声を発したあと、ランタンは頭を押さえるオフィリアを見下ろす瞳を細めた。
「記憶とは、それほど大事ですか?」
「…………え」
「あなたが目の前にいて、我々が目の前にいる。その事実に変わりないでしょう」
そう言われてしまえば、なにも言い返せない。ランタンの右手が前髪を撫で下ろすように視界をおおったせいで、余計にそう思うのかもしれない。
「オフィリア、何を吹き込まれたのかは知りませんが。あなたはもう魔女なのです」
「………うん」
「どこにも行けませんし、誰にも奪わせません。あなたに王を孕ませる権利は我らにあるということを忘れてもらっては困ります」
目を覆われたまま、横からさらうように口付けられる。何度も触れた唇の温もり。ランタンの匂いがして、軽く触れた唇は、次に深く侵入してくる。
「………っ……ぁ」
重ね合わせていると、不思議と心が落ち着いていく。ランタンがいれば、彼らがいれば、それでいいのだと思えてくる。
一方で不安は残る。独占欲や執着心に似たものがデファイにも芽吹くのだろうか。十二年も一緒にいるのに自信が持てない。王を孕ませる器だというが、一向に孕む気配のない身体は、彼らの失望を招くのではないか。
いや、もう招いているのかもしれない。彼らはずっといるわけではない。他に囲っている女性がいて、何らかの事情で「オフィリアが魔女」だということにしたいのかもしれない。
「余計なことを考えている顔ですね」
「……ぅ……ンッ…ぁ」
「オフィリア、こちらへ」
ランタンの腕が簡単に身体を抱き上げてきて、対面に座る形でベッドへと運ばれる。
ランタンが眼鏡を外す。
黒い瞳の奥に青い炎が揺らいでいる。
またがる姿勢で密着したままキスを交わす行為は、恋人のように甘く、慈しむように優しい。だけど、これも全部。ただの真似事かもしれない。
人間ではない彼らは、いつまで魔女を大切にしてくれるのだろう。
「ん゛、ぅ」
突然、後頭部を固定され、もう片方の手で頬を掴まれて、のどの奥までランタンの長い舌が侵入してくる。
垂直に伸びた首が口を上へ向かせる。体格差が恨めしい。唇をこじ開けた先にある舌の奥を狙うランタンは、容赦なく息を止めにくる。
「……りゃ、んっ……ぅ……ん゛ぁッ」
口を閉じることもできず、みっともなく喘ぐ声が漏れ出る。ランタンの舌は、全部食べ尽くしそうなほど器用に動き回るくせに、キレイとは程遠い音を響かせる。
ぐちゃぐちゃと、卑猥な音が口回りを濡らしていく。吐息よりも唾液が混ざり、抵抗の爪痕がランタンの手首に引っ掻き傷として残っていく。
整った顔立ちとは不釣り合いな口付けが、ランタンもデファイなのだと伝えてくる。
「無駄な行為に耽ろうとするのはいけませんね」
「ぁ………はぁ…っ……ぁ、ぅ」
「オフィリア。あなたはまだ、自分の役割を認識できていないのですか?」
ぞくりと走った悪寒に、オフィリアの瞳が湿っていく。
ランタンは優しい。六賢人は優しい。
それがわかっているのに、なぜか泣いてしまうほど怖いと感じる。逃げなければならないと本能が警鐘を鳴らしている。
「嗚呼、そんな目で見ないでください」
とぷり。
濃厚な蜜に沈む音が聞こえた気がした。
黒い影が足元から這い上がってきて、底無し沼に飲み込まれたような錯覚に襲われる。
「怖がらなくてもよろしいですよ。少々、ご自分の立場をしつけ直すだけです」
「………ッぁ」
「大丈夫。ここではどれほど、泣き、叫び、逃げ、もがこうと、わたししか知りません」
「面白そうなことをひとりで楽しむなよ。オレも混ぜろ」
暗い暗い水底へ沈んでいく感覚が落ち着く頃、サックの声が聞こえてきた。
ランタンの手が離れて、だけど、後ろからゆるく抱き締められているのを感じる。
「………サック?」
「オフィリア、どこを見てやがる。オレはこっちだ」
「どこ……見えない」
目を閉じているときよりも、開けた方が暗く感じるほどの漆黒の闇。自分の指先も見えない。サックがどこにいるかなんて、わかるはずもない。
「あ……ッ…ランタン、やだ」
ランタンの手が離れていくのがわかる。
こんな暗闇でひとり放置されるのはいやだと、慌ててて掴んだものは、およそ「手」といえるものではないような気がした。
「そういえば、この姿で抱いたのは初めの一回だけでしたか?」
「オフィリアがあまりに泣いて、怖がるから、人間の造形を真似たんだったな」
「こちらの方が効率よく注げるので、我々としてはこちらの姿でも回数を得たいものです。そろそろ、オフィリアも耐えられる頃合いでしょう」
「異形頭への抵抗が薄れてきたからな。試してみる価値はある」
ランタンとサックの声が楽しそうに弾んでいる。
何がそんなに楽しいのか。面白いのか。わからない。わからないけれど、触れている「手」を放すのが正解だとわかる。
わかっている。
咄嗟にしがみついた手を放さなけば、よくないことになる。わかっていても、恐怖でかたまった身体は素直に反応しないらしい。
「………ッ、ぁ」
植物のツルのような細長い何かが手足に巻きついてくる。慌てて逃げようとしても、それは滑り止めのような繊毛が生えていて、オフィリアの手足を逃がさない。
さらに、柔らかな弾力を持っていて、引きちぎることもできない。
「や………や、だ」
麻で作った縄に似た何かが胸や太ももに巻き付いて、手足を四方に広げていく。
空中に張り付けられた。
その感覚はあるのに、真っ暗な空間は視覚でそれを認識しない。
「………ひっ……ぃ」
服が消えた。下着もない。
ざらりと、胸を舐めたのは何か。
股の間を往復するのは何か。
肌の表面をすりすりと撫でるのは何か。
「おや。震えているのですか?」
「まだ、何もしてねぇだろ?」
「オフィリアは魔女の自覚が足りませんね。ここはもう、こんなに濡れているのに」
耳に吹き込むほど近いランタンの声が、涙を溢れさせてくる。
自然と身体が震えてくる。歯の音がして、どうしようもなく神経が警戒していく。
「……………ぁ」
知っている。この暗闇が、乙女をすべて壊した。彼らは人間ではないのだと、如実にわかる造形が浮かんでくる。
なぜか、そんな気がした。
なにも見えない暗闇の中で、なにかわからないものに蹂躙される。
記憶ではなく、身体が覚えている。そうでなければ、こんなに怖いと思わない。
「六賢人と魔女の始まりを再現いたしましょう」
「…………ッ」
胸の高鳴りを誤魔化せるほど器用にもなれないくせに、泣くほど怖い。
深淵ともよべる暗闇。
知らないはずなのに知っている。
魔女になった悪夢がよみがえってくる。
「なんだ、オフィリア。あの日を忘れちまったのか?」
「無垢なあなたを食らいつくす興奮をもう一度とは、さすがはオフィリア」
「それはいい。肌に食い込み、赤くなった痕を見るのは格別だった」
「ええ、覚えています。誰もが自分の痕を刻み、残し、そして理解したのですから」
魔女は特別であり、王を産むに値する器である。と。ランタンだけではなく、サックも他の賢人たちもみんな、それを信じている。
「オレの種で孕めばいいと毎回思うぜ」
「それはサックだけではありません。わたしもそう思っています。サブリエも、ダイスも、リンネルも、そしてシュガーも」
「ああ、楽しみだな。オフィリア」
「ん……っぅ、や……ぅ……楽しみじゃ……な、ぃ」
「あなたが楽しみでなくても、我々が楽しみなのです」
「オレたちは他に方法を知らない」
「我々は王がどのようにして生まれるのか、魔女へ注ぐ以外に知りません。そして魔女はただひとり、オフィリア。あなただけです」
人間にデファイなど生めるわけがない。それは口実にならない。
デファイに犯され、子を孕んだ妊婦たちを見たことがある。彼女たちは修道院を管理するテンバス協会の管理者や騎士たちに連れていかれて、秘密にされた。
どうなったのかは知らない。噂では、みんな殺されたと言っていた。
でも、それは誰も見たことがない。他の国に売り飛ばされた、見世物にされた、生んだデファイに食われた、そんな噂もひとり歩きしている。
「………っ…」
抵抗は無意味に終わる。そもそも、宙に浮いた身体でもがいても、彼らの欲情を煽るだけ。欲望に忠実なデファイ。その頂点に君臨するのは、王ではなく六賢人であり、その内の二人がすぐそこにいる。
先ほどから、身体を好き勝手に這いずり回る蛇のような、縄のようなものは、無遠慮な動きをしている。
「人間はもろく、弱い生き物なので、力加減を間違えてしまいそうです」
「魔女がそんなヤワかよ。オフィリアはオレたちの王を孕む器だ。問題ねぇ。な?」
触手と呼べる肢体が求める流れに任せて、ランタンとサックに身をゆだねる。体重をあずけて、無抵抗の息を吐き出す。
そうすれば、きっと。
ふたりは優しい夢を与えてくれる。
「ぅ……ぁ」
涙も震えも全部、ぜんぶ、包み込んで。
何を考えていたか忘れてしまう。思考を放棄した闇の中へ沈めてくれる。
それはかつて、オフィリアの記憶にあった古い経験さえも塗りつぶしていく。
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