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序章:夢から醒めた娘
【追憶】相違なる形見
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瘴気が視界を遮る朝は、珍しいことではない。一面の靄に覆われて、自分の手の指先さえもかすむほどの濃霧。それが人体どころか、呼吸をするすべて、空気に触れるすべてに害を与える瘴気だというのだからクレドコンパスは「楽園」とはほど遠い。
それでも、人は楽園を求めてやまない。
クレドコンパスは古代の森林が広がる未開の地。けれど、すべてがそうかといえば、そうではない。人間は往々にして、クレドコンパスの攻略に挑んできた。
そこにいけば、何かが得られると思っている。
富、名声、地位。それにつながる何かがあると信じている。
特に魔石。かつて、人々は楽園で暮らしていたといい、魔石を介して不思議な力を操ることができたという。
今は、クレドコンパスから出土する魔石を得た一部の人間だけが、火、水、風などを操ることができる程度で、おとぎ話のような、それこそ六賢人が扱えるような力を人は持っていない。
「ダイス、ちと聞きたいことがある」
「サブリエ、その記憶であればわたしも幾度と見た」
「さすが、ダイス。わしの聞きたいことがわかるのか?」
「聞くまでもない。これは至るべき歴史の終焉に続いている」
瘴気に遮られた視界の中で、サブリエとダイスの位置を特定するのはむずかしい。
二人とも、近くにいるのか、離れているのか。それさえもよくわからない。声だけが一定の距離を保って聞こえてくる。
「不定期に疼かれると、わしは落ち着かん」
「核となる異物を得てから数百年がたつ、いい加減に慣れろ」
「おぬしはジーアグローの気質が強く反映されているから余計に腹立たしいだろう」
「腹立たしい?」
疑問符を浮かべたダイスの声だけが宙を泳ぐ。
本当にどこにいるのか。瘴気の靄に紛れるのがうますぎて、声以外をいまだに感じることができない。とはいえ、サブリエがそれを気にしていないのだから、別に支障はない。
彼らは彼らで、各々に状況を把握しているのだろう。
「これは人間という種族に対する嫌悪だな」
ダイスが会話の続きを告げるように鼻で笑った。
瘴気から生まれたデファイ。その代表格として存在する人型の上位種である彼らは、ただ人を襲い、食すだけのデファイとは異なる視点や思考をもっている。
例えば、感情。それは本来デファイにはないもの。
「その点はわしも変わらん。モノと融合すると、その記憶がみせる残滓に引きずられることがあるというのは、先に知っておきたかった」
「同感だ」
数百年前にも同じ話をしたと、ダイスは嘲笑を吐く。
正しくは、数年おきに同じ話をしている。それはサブリエとダイスとは限らない。ランタン、サック、シュガー、リンネルといった他の四名も含めて、どこかで同じような話を同じ時期にこぼしている。
「ジーアグローは唯一、人間としては食えぬ男だった」
「頭の回る賢い男だったからな、してやられるとはこういうときに使う言葉らしい」
「異物もそうだが、六十六の戒律がなければ、人間はとっくに滅んでいる。あやつは本当にどこまで見越していたのやら」
「滅ぼされては困る。そう言っていたのを忘れたか?」
「わしが忘れても、この頭が永遠に覚えている」
こんこんと、ガラスを叩いたのはサブリエに違いない。
自分の顔を指で弾いたのか、もしくは近くにあった窓でも叩いたのか。詳細はわからないが、サブリエの記憶と同じものをダイスも思い出しているのだろう。
二人の声は、しんと瘴気の靄の中に沈んでいる。
* * * * * *
これは誰の記憶か。
六賢人の記憶でないことだけは確かだった。
角度が歪んでいたり、ところどころ擦り切れたりしているが、全員が共通して認識できているのは、荒れた家の中。それは、自分たちを形作る要因となった「モノ」が記憶した同じ光景。
そうでなくては、説明がつかない。
六賢人は家の中の出来事を知らない。
知っているのは丘の有り様から。
「っ…………ああ」
見晴らしのいい小高い丘は焦土と化して、立ち上る噴煙をくすぶらせている。
本来、そこは小さな花が無数に咲き乱れる絶景を望める場所であり、やわらかな風が吹く心地よい場所だった。それが、いまは見る影もない。
大地は赤く染まり、黒に変色し始めている。空は灰色の雲に覆われ、焦げた匂いが鼻をつく。死を連想させる気配はすぐそこにあり、実際、そこには多数の死者が転がっていた。
「…………すまない」
絞りだしたように小さな声。かすれた声。
その手は赤く染まる大地にあった亡骸を持ち上げたが、すでに焼き焦げた身体は粉塵と化してボロボロと崩れていった。男か、女か。それさえもわからない。
ただはっきりとしているのは、声を吐き出した者が壮年の大人であり、随分と長時間拘束されていたかのような身なりの汚い男であるということ。
そして、点々と歩いてきた足跡は身体をひきずって、棒を支えにたどり着いたことを示している。
何日も食べていないような細い身体で、それこそ何日もかけて歩いてやってきたに違いない。その結果が無残な有様では、男の声が絶望に染まるのもうなずける。
「…………すまない」
それは何に対しての謝罪なのか。
涙さえも枯れてしまったらしい男は、手の中に残ったざらつきを握りしめて、その場にへたりこんでいる。声をかけるものは一人もいない。そもそも、生きた人間は汚れた男ひとりだけ。周囲はすべて焼き払われて、独特のにおいが充満している。
「わたしは、間に合わなかった」
懺悔は焦土の中に埋もれる。ぼさぼさと絡まる髪は、何カ月も男が幽閉されていたことを物語っているが、ぼろ布と見間違う服の下には多数の傷跡が残っているのだから、男一人が責められる状況ではない。
それでも男は、自分自身が許せなかったに違いない。
瞬間、慟哭は粉塵を薙ぎ払う勢いで響き渡り、男は地面に頭を打ち付けて血を流していた。
何度も、何度も、自分で自分の頭を地面へと打ち付ける。それは正気とは思えず、狂った人間が行う不気味な行動そのものだった。
「……いったい、何をしたというのだ……なぜ、こんな仕打ちを与えられなければならない」
ひとしきり泣き叫び、血を流し終えて落ち着いたのか、男は小さく呟きながら身体を起こす。その顔はもつれた髪と額から流れる血でよく見えなかったが、表情が抜け落ちたようにごっそりと光を失い、静かな怒りをその瞳に宿していた。
「同じ人間同士、いつか分かり合えると信じていた。わたしが愚かだった」
悲しみと憎しみ、それが男の気配からひしひしと伝わってくる。
だらりと垂れ下がった手、ひざをついた足、すぐにでも折れてしまいそうな細い身体のどこにそんな力があるのか。ぶつぶつと小さな声から漏れて聞こえるのは詠唱。粉塵を流していただけの風が逆流をはじめ、男の周囲を覆い始める。
「許さない、わたしから大切なものを奪った人間どもをわたしは絶対」
まがまがしい風は、俗に瘴気と呼ばれる不穏なもの。
人間を主食とする「デファイ」の根源であり、人間の脅威そのもの。
男は、その瘴気を詠唱で集め、風を起こしている。人工的に巻き起こされる強靭な風の集合体は、徐々に膨れ上がって、ついには空を覆っていた分厚い灰色の雲に風穴をあけていた。
男の真上に出来た大きな穴。
そこでようやく、今が茜空の美しい夕刻であることを知ることができた。
「…………っ」
目の前が明るくなったことで、何かを見つけたらしい。男は、足をもつれさせながら、目的の場所へと転がり落ちていく。走ることができればどれほどよかったか。まるで四足歩行の獣にでもなったように、男はその場所まで随分と時間がかかると感じていた。
「っ……はぁ…はぁ……っ、ああ」
そこは、丸太小屋ともいえる古い木造の住居。
すべて焼き払われたと思ったのに、苔むした丸太と石垣に救われたのか。屋根は朽ちて、壁ははがれていたが、かろうじて「家」と呼べる原型を保った建物がそこにあった。
一縷の希望をもって、男はそこに転がり込む。
「ああ……ああ……」
屋根のない家屋の中に、不釣り合いな食卓がひとつ。
崩壊した家具が無残に散らばった床にも、壁にも、目に鮮やかな赤い色が飛び散っているのに、まるでその食卓だけは「おかえり」と言わんばかりに中央に鎮座していた。
出迎えてくれる人はいないのに、食卓は椅子までそろえて、そこにある。
夕食の準備をしていたのか。台所だった場所では鍋が放置されていて、食べられた形跡のない中身が残っている。
ここにいたはずの住民がどこへ行ったのか。
それは聞くべきことではない。
食卓には、まるで勝利を宣言するように腕章が置かれている。黄金のリンゴと白い花を刺繍したテンバス騎士団の腕章が置かれている。
「……………っ……」
するはずのない物音がして、男は咄嗟に振り返った。
警戒心と希望の入り交じった複雑な心境は、そこに現れたものを見て、目を丸く見開いていく。一言で「信じられない」現象だったのだろう。
「…………お前たち」
黒い瘴気の集合体。渦巻く形は実体のない影のように揺れ動き、向こう側がほんの少し透けて見える。それは、男にとって知った存在だったといえば、世間はきっと驚くに違いない。彼らはあまりにも世間が知る「デファイ」とは異なっている。
「帰ったか、ジーアグロー」
「随分と遅かったな。ずっと待ってたんだぜ?」
「きっと寄り道していたんだよ。ジーアグローはそういうのが好きだから」
「それで、どうしてそんなところで突っ立っている」
「へんな顔、してる」
「その表情は実に興味深いですね。今度真似てみましょう」
くすくすと笑う声は別の個体であることを示しているのに、どこからどうみても同じ黒い影が六本の柱となって揺れているようにしか見えない。
声以外で見分ける方法がわからない。
透けた黒い靄のような瘴気の集合体は、男をジーアグローと呼び、取り囲んでいる。
「ジーアグロー。最後に望みはありますか?」
そのうちのひとつが、ゆらりと距離を縮めて、そしてジーアグローの顔を覗き込んだ。
ジーアグローもまた、死の底から腕を伸ばすような心地で揺れる影の深淵を覗き込んだ。
自然と膝をつき、頭を下げたのは、胸の内に宿る憎しみや怒りから救ってくれる唯一がそこにあったからだろう。
「デファイの統治者、六賢人よ」
その日、ジーアグローは六賢人に大切な形見を受け渡した。
茜空がとても綺麗な日のことだった。
それでも、人は楽園を求めてやまない。
クレドコンパスは古代の森林が広がる未開の地。けれど、すべてがそうかといえば、そうではない。人間は往々にして、クレドコンパスの攻略に挑んできた。
そこにいけば、何かが得られると思っている。
富、名声、地位。それにつながる何かがあると信じている。
特に魔石。かつて、人々は楽園で暮らしていたといい、魔石を介して不思議な力を操ることができたという。
今は、クレドコンパスから出土する魔石を得た一部の人間だけが、火、水、風などを操ることができる程度で、おとぎ話のような、それこそ六賢人が扱えるような力を人は持っていない。
「ダイス、ちと聞きたいことがある」
「サブリエ、その記憶であればわたしも幾度と見た」
「さすが、ダイス。わしの聞きたいことがわかるのか?」
「聞くまでもない。これは至るべき歴史の終焉に続いている」
瘴気に遮られた視界の中で、サブリエとダイスの位置を特定するのはむずかしい。
二人とも、近くにいるのか、離れているのか。それさえもよくわからない。声だけが一定の距離を保って聞こえてくる。
「不定期に疼かれると、わしは落ち着かん」
「核となる異物を得てから数百年がたつ、いい加減に慣れろ」
「おぬしはジーアグローの気質が強く反映されているから余計に腹立たしいだろう」
「腹立たしい?」
疑問符を浮かべたダイスの声だけが宙を泳ぐ。
本当にどこにいるのか。瘴気の靄に紛れるのがうますぎて、声以外をいまだに感じることができない。とはいえ、サブリエがそれを気にしていないのだから、別に支障はない。
彼らは彼らで、各々に状況を把握しているのだろう。
「これは人間という種族に対する嫌悪だな」
ダイスが会話の続きを告げるように鼻で笑った。
瘴気から生まれたデファイ。その代表格として存在する人型の上位種である彼らは、ただ人を襲い、食すだけのデファイとは異なる視点や思考をもっている。
例えば、感情。それは本来デファイにはないもの。
「その点はわしも変わらん。モノと融合すると、その記憶がみせる残滓に引きずられることがあるというのは、先に知っておきたかった」
「同感だ」
数百年前にも同じ話をしたと、ダイスは嘲笑を吐く。
正しくは、数年おきに同じ話をしている。それはサブリエとダイスとは限らない。ランタン、サック、シュガー、リンネルといった他の四名も含めて、どこかで同じような話を同じ時期にこぼしている。
「ジーアグローは唯一、人間としては食えぬ男だった」
「頭の回る賢い男だったからな、してやられるとはこういうときに使う言葉らしい」
「異物もそうだが、六十六の戒律がなければ、人間はとっくに滅んでいる。あやつは本当にどこまで見越していたのやら」
「滅ぼされては困る。そう言っていたのを忘れたか?」
「わしが忘れても、この頭が永遠に覚えている」
こんこんと、ガラスを叩いたのはサブリエに違いない。
自分の顔を指で弾いたのか、もしくは近くにあった窓でも叩いたのか。詳細はわからないが、サブリエの記憶と同じものをダイスも思い出しているのだろう。
二人の声は、しんと瘴気の靄の中に沈んでいる。
* * * * * *
これは誰の記憶か。
六賢人の記憶でないことだけは確かだった。
角度が歪んでいたり、ところどころ擦り切れたりしているが、全員が共通して認識できているのは、荒れた家の中。それは、自分たちを形作る要因となった「モノ」が記憶した同じ光景。
そうでなくては、説明がつかない。
六賢人は家の中の出来事を知らない。
知っているのは丘の有り様から。
「っ…………ああ」
見晴らしのいい小高い丘は焦土と化して、立ち上る噴煙をくすぶらせている。
本来、そこは小さな花が無数に咲き乱れる絶景を望める場所であり、やわらかな風が吹く心地よい場所だった。それが、いまは見る影もない。
大地は赤く染まり、黒に変色し始めている。空は灰色の雲に覆われ、焦げた匂いが鼻をつく。死を連想させる気配はすぐそこにあり、実際、そこには多数の死者が転がっていた。
「…………すまない」
絞りだしたように小さな声。かすれた声。
その手は赤く染まる大地にあった亡骸を持ち上げたが、すでに焼き焦げた身体は粉塵と化してボロボロと崩れていった。男か、女か。それさえもわからない。
ただはっきりとしているのは、声を吐き出した者が壮年の大人であり、随分と長時間拘束されていたかのような身なりの汚い男であるということ。
そして、点々と歩いてきた足跡は身体をひきずって、棒を支えにたどり着いたことを示している。
何日も食べていないような細い身体で、それこそ何日もかけて歩いてやってきたに違いない。その結果が無残な有様では、男の声が絶望に染まるのもうなずける。
「…………すまない」
それは何に対しての謝罪なのか。
涙さえも枯れてしまったらしい男は、手の中に残ったざらつきを握りしめて、その場にへたりこんでいる。声をかけるものは一人もいない。そもそも、生きた人間は汚れた男ひとりだけ。周囲はすべて焼き払われて、独特のにおいが充満している。
「わたしは、間に合わなかった」
懺悔は焦土の中に埋もれる。ぼさぼさと絡まる髪は、何カ月も男が幽閉されていたことを物語っているが、ぼろ布と見間違う服の下には多数の傷跡が残っているのだから、男一人が責められる状況ではない。
それでも男は、自分自身が許せなかったに違いない。
瞬間、慟哭は粉塵を薙ぎ払う勢いで響き渡り、男は地面に頭を打ち付けて血を流していた。
何度も、何度も、自分で自分の頭を地面へと打ち付ける。それは正気とは思えず、狂った人間が行う不気味な行動そのものだった。
「……いったい、何をしたというのだ……なぜ、こんな仕打ちを与えられなければならない」
ひとしきり泣き叫び、血を流し終えて落ち着いたのか、男は小さく呟きながら身体を起こす。その顔はもつれた髪と額から流れる血でよく見えなかったが、表情が抜け落ちたようにごっそりと光を失い、静かな怒りをその瞳に宿していた。
「同じ人間同士、いつか分かり合えると信じていた。わたしが愚かだった」
悲しみと憎しみ、それが男の気配からひしひしと伝わってくる。
だらりと垂れ下がった手、ひざをついた足、すぐにでも折れてしまいそうな細い身体のどこにそんな力があるのか。ぶつぶつと小さな声から漏れて聞こえるのは詠唱。粉塵を流していただけの風が逆流をはじめ、男の周囲を覆い始める。
「許さない、わたしから大切なものを奪った人間どもをわたしは絶対」
まがまがしい風は、俗に瘴気と呼ばれる不穏なもの。
人間を主食とする「デファイ」の根源であり、人間の脅威そのもの。
男は、その瘴気を詠唱で集め、風を起こしている。人工的に巻き起こされる強靭な風の集合体は、徐々に膨れ上がって、ついには空を覆っていた分厚い灰色の雲に風穴をあけていた。
男の真上に出来た大きな穴。
そこでようやく、今が茜空の美しい夕刻であることを知ることができた。
「…………っ」
目の前が明るくなったことで、何かを見つけたらしい。男は、足をもつれさせながら、目的の場所へと転がり落ちていく。走ることができればどれほどよかったか。まるで四足歩行の獣にでもなったように、男はその場所まで随分と時間がかかると感じていた。
「っ……はぁ…はぁ……っ、ああ」
そこは、丸太小屋ともいえる古い木造の住居。
すべて焼き払われたと思ったのに、苔むした丸太と石垣に救われたのか。屋根は朽ちて、壁ははがれていたが、かろうじて「家」と呼べる原型を保った建物がそこにあった。
一縷の希望をもって、男はそこに転がり込む。
「ああ……ああ……」
屋根のない家屋の中に、不釣り合いな食卓がひとつ。
崩壊した家具が無残に散らばった床にも、壁にも、目に鮮やかな赤い色が飛び散っているのに、まるでその食卓だけは「おかえり」と言わんばかりに中央に鎮座していた。
出迎えてくれる人はいないのに、食卓は椅子までそろえて、そこにある。
夕食の準備をしていたのか。台所だった場所では鍋が放置されていて、食べられた形跡のない中身が残っている。
ここにいたはずの住民がどこへ行ったのか。
それは聞くべきことではない。
食卓には、まるで勝利を宣言するように腕章が置かれている。黄金のリンゴと白い花を刺繍したテンバス騎士団の腕章が置かれている。
「……………っ……」
するはずのない物音がして、男は咄嗟に振り返った。
警戒心と希望の入り交じった複雑な心境は、そこに現れたものを見て、目を丸く見開いていく。一言で「信じられない」現象だったのだろう。
「…………お前たち」
黒い瘴気の集合体。渦巻く形は実体のない影のように揺れ動き、向こう側がほんの少し透けて見える。それは、男にとって知った存在だったといえば、世間はきっと驚くに違いない。彼らはあまりにも世間が知る「デファイ」とは異なっている。
「帰ったか、ジーアグロー」
「随分と遅かったな。ずっと待ってたんだぜ?」
「きっと寄り道していたんだよ。ジーアグローはそういうのが好きだから」
「それで、どうしてそんなところで突っ立っている」
「へんな顔、してる」
「その表情は実に興味深いですね。今度真似てみましょう」
くすくすと笑う声は別の個体であることを示しているのに、どこからどうみても同じ黒い影が六本の柱となって揺れているようにしか見えない。
声以外で見分ける方法がわからない。
透けた黒い靄のような瘴気の集合体は、男をジーアグローと呼び、取り囲んでいる。
「ジーアグロー。最後に望みはありますか?」
そのうちのひとつが、ゆらりと距離を縮めて、そしてジーアグローの顔を覗き込んだ。
ジーアグローもまた、死の底から腕を伸ばすような心地で揺れる影の深淵を覗き込んだ。
自然と膝をつき、頭を下げたのは、胸の内に宿る憎しみや怒りから救ってくれる唯一がそこにあったからだろう。
「デファイの統治者、六賢人よ」
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