【R18】タブーレプリカ

皐月うしこ

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第2章:サバトの目撃者

【幕間】聖女への祈り

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周囲の十国と同じように、クレドコンパスも一日を繰り返す。違う点は、朝には濃霧を吐き出し、昼には瘴気を噴き出し、夜にはデファイの咆哮を響かせるということだけ。豊富な資源と肥沃な大地に育てられた摩訶不思議な鉱物や生物は魅力的に映るだろう。現に、人間たちは、これまでに多くの人材と財力を投げうって、クレドコンパスの攻略を狙ってきた。


「なぜだ、なぜ、いつまでたっても出口が見えんのだ。無傷で最深部まで到達したってのに、帰りの方が危険度が増している、だと」

「隊長、さっきもここを曲がりましたよ」

「わかっている。せっかく高額で売れる血廻石(ちかいせき)を手に入れたってのに、全滅してたまるか。早く地上に戻る道を、っ、くそ」


お宝が眠る洞窟。内部は古代遺跡。クレドコンパスでは珍しくない。冒険者や盗賊はみな、手っ取り早く宝物を狙い、同じ道をたどる。今回は遺跡を飲み込んだ洞窟。もしくは、人間の歴史を真似て擬態したデファイかもしれない。得体は知れない。デファイだと思ったほうが話は早い。そうでなければ、壁が人間を食べるなどありえない。
ひとり、またひとりと消えていく。
松明を持っていた仲間のひとりが、現在進行形で壁に飲み込まれている。見えるのは壁から生えた片腕だけ。そして、それが消えると同時に床に落ちた松明も消えた。


「人間は、随分と不慣れな目を持っているくせに、なぜこうも同じ過ちを繰り返す?」


訪れた暗闇の世界で聞こえる声は、静かに問いかける。
心底理解できないといった口調なのは、本当に心の底から理解できないせいだろう。岩のくぼみに足を組んで腰かけ、優雅に観賞を決め込んでいる存在。頭の形が四角い立方体で出来ている人型のデファイはひとりしかいない。


「異形頭の六賢人、ダイス。か」


再びついた松明の灯りで現状を把握したのか。赤い魔石を持った隊長格の男がダイスと距離をとる。同時に剣士らしき二人の男が前に出ていた。
総勢二十五人のパーティは、たった八人へと減っている。
隊長、剣士、剣士。僧侶、魔導士、あとは武闘家といったところか。冒険者というより盗賊に近い匂いがする。


「民間護衛を雇って素材集めにでもやってきた。およそそんな群れだろう」

「……っ、化け物め」


人間よりも人間らしい仕草、口調に悪寒が走る。高貴な身分の人種がまとうような身なりのいい服を着て、身長や体格に恵まれた均整のとれた体つきをしているのも恐ろしい。
頭だけが人間ではない。
それなのに、脳は彼らを「人間に近いもの」として認識してしまう。デファイだとわかっているのに、人を食う魔物を従える人外の生物が「まとも」であるはずがないとわかっているのに、六賢人の声に耳を傾けてしまう。


「わたしが助けてやろうか?」


地上へ出たいのだろうと優しく声をかけられて、面食らったのは隊長の男だけではない。剣士の持つ剣先が震えているのは、正しいものに違いないが、数時間も迷宮を歩き続けていた仲間たちの心境は非常にもろい。


「六賢人とも称されるデファイが、なぜこんなところに」

「おかしな質問をする。ここはお前の家か?」


くすくすと笑う声に警戒心がつのっていく。たしかに、ここはクレドコンパスであり、デファイが住む森の遺跡。不法侵入者は自分たちであると、理解したのだろう。


「ちっ、血廻石は渡さんぞ!!」

「ただの赤い石に興味はない」

「だったら、何が望みだ」


声が裏返る。荒々しく叫んだせいかもしれない。代表格の男は苦労して手に入れた魔石を手放そうとせず、かといって、ダイスもそれを欲しがったりはしなかった。
沈黙の時間。
誰かがごくりとのどを鳴らしたとき、ダイスが口を開いた。


「警戒する必要はない。わたしは退屈しのぎに、賭けの相手を探していた。それだけだ」

「賭け、だと?」


そこで足元に転がってきたのはダイスの頭と同じ形をした四角い立方体。
数字ではなく、何か文字がかかれている。松明を持った男のひとりがそれを拾おうとしたところで「ひっ」と悲鳴を飲み込んで、腰を抜かした。


「なんだ、これは。目、耳、口、指、臓、地」

「賽を振れ。地の目が出れば地上へ、他はその文字の部位を示す」


言われなくても難なく察する。それを転がして、出た目のものを奪われるか、運よく地上へ送られるか。六分の一の確率で無傷で生還できるのはありがたい。けれど、代償を考えれば、あまりにも理不尽極まりない。


「わたしは気が長い方だ。お前たちの決心とやらがつくまで待ってやれるが、怒っているらしいこの遺跡はそうではないぞ」

「……脅すつもりか」

「奪われたものを取り返す行為は人間だけの特権ではない。血廻石はこの遺跡にあったのだろう?」


壁に飲み込まれて死ぬか、身体の部位を削られて生き延びるか。
賽はひとつ。命を優先するものなら迷いはない。最後尾に立っていた武闘家らしい男が飛びつく勢いでそれを掴んで、そのままそれを投げつけた。


「……っ、やった」


出た目は「地」六分の一の幸運をつかんだ男は瞬時に消えて、目の前からいなくなる。


「わたしは約束を守る」


ダイスの声が迫り来る洞窟内で静かに響く。それは等しく「早い者勝ち」であることを植え付け、賽の争奪戦へと発展していた。


「おや、リンネル。こんな場所で珍しい」


数分後、ひとり遺跡の洞窟から出てきたダイスは、その出入口付近にいた金髪の大男を見つけて声をかける。
リンネルは振り返りもしなければ、指一本動かさない。静かにうつむいて立っているだけ。しかし、その足元では布にくるまれた人型の何かがもぞもぞと動いていた。


「死体、迷惑」

「リンネル、まだそれは死体ではない」

「目も耳も臓器もない、いずれ、死体」

「まあ、それはそうだが。舌と指を失った魔導士はどこへ?」

「あれは」


リンネルがゆっくりと言葉を選んでいるうちに、地鳴りのような振動と野太い悲鳴が聞こえて、すぐにしんと静まり返った。森はさわさわと風を運んでいるが、その風に血なまぐさい鉄の匂いが混ざっていることをダイスもリンネルも知っていた。


「森の、エサ」

「そうらしいな」


あえて告げてきたリンネルにダイスも言葉を返す。そしてその足元に視線を向けた。
足元でもぞもぞと動いている布は何かを必死に訴え続けている。口を奪われていないからこそ成せる芸当だが、徐々に小さくなっていく布に吸収されて、その言葉は聞き取れない。代わりに、ごきごきと砕ける音がして、染みだした液体が布をひとかたまりにしている。
片手で掴みあげられるほどの小さな包み。
それはやがて動くのを止めた。


「大きいの、食べるの、面倒」

「普段は老人や死体ばかり片づけているんだ。たまには栄養のあるものを食べたほうが良い」

「ダイスは、偏食」

「美食家と言ってくれ」


小さな包みほどの大きさになった布をリンネルが持ち上げたところで、ダイスも並んで歩き始める。三歩ほど進んだところで大樹に囲まれた風景からヴィラジルエットの村の入り口に変わっていたが、それは何も珍しいことではない。


「オフィリア、起きてる」

「ああ。起きたら栄養のあるものを食べさせてやろうと森に出向いたことを忘れていた」

「これ、食べるかな?」

「それはやめておけ」


そこで笑ったダイスの顔が、異形の様相から表情のある人間のものへと変わっていく。さらりとした白髪と血に濡れた真っ赤な瞳。その目をすっと細めて森の方を振り返ったが、しばらく考えたふりをして村の方へと視線を戻した。


「人間はなぜ、与えられたもので満足しないのだろうな」

「むずかしい、質問?」

「いや。ランタンに食われることを哀れに思っただけだ」

「ランタン、いつも、いっぱい食べる」

「クレドコンパスが胃袋といっても過言ではないからな」


六賢人にしか笑えない。そう思えるほど二人そろって笑みをこぼした後ろ姿に悪寒が走る。クレドコンパスが六賢人の胃袋というのは、体験した者にしかわからない例え話だろう。実際、それは比喩でもなんでもなく、現実であるということを目の当たりにしている者がいる。


「ああ、くそ。俺もここまでか」


リンネルとダイスがオフィリアの眠る寝台へもぐりこむころ、クレドコンパスの一角では影の深さがより一層濃くなっていた。その境界線とでもいうべきだろうか。あと、ほんの一歩。踏み込んでいれば命がなかった現状に、ひとりの男が命の終わりを悟っていた。


「聖女アヴァルよ。貴女への愛を誓う我をどうか傍に置いてください」


片膝を立ててひざまずき、両手を組んで祈りを捧げる。
じっと目を閉じて頭を垂れれば、目の前になくても、色のついたガラス絵がそこにあるようだった。デファイの脅威から人々を守り、十国を導いた聖女アヴァル。神話と呼べるほど遠い昔ではないからこそ、彼女の存在は絶対的なものとして信仰の礎となっている。
騎士であっても、なくても。
甲冑を身に付けていても、いなくても。
場所、時間、身分を問わず、祈りや誓いを捧げる行為は習慣として染み付いている。


「聖女アヴァルよ。貴女への愛を誓う我をどうか傍に置いてください」


祈りは心の平穏を連れてくる。
戦う前にはいつも祈りを捧げ、戦い抜いた後は聖女の元へ旅立てることを誇りとして生きてきた。聖女が守った国と人々を守るため、テンバス騎士団の団員として鍛錬を積み、デファイを倒すことを生きがいとして、年齢を重ねてきた。
だから、悔いはない。
異形頭のランタンに出会ったが運の尽き。
多くの仲間が待つその場所へ。最後の相手が六賢人のひとりであれば本望だと、男は祈りを捧げながらその時を待っていた。


「聖女アヴァルよ。貴女への愛を誓う我をどうか傍に置いてください」


聖女アヴァルよ。聖女アヴァルよ。聖女アヴァルよ。何度、聖女の名前を唱え続けただろう。もういいのではないか。十分ではないか。声もかすれてきた。同じ姿勢を維持するのも疲れてきた。
実はもう、死んでいるのかもしれない。
それに気付いていないだけで、目を開けたそこに聖女が立っているのかもしれない。


「アヴァルさ……なっ」


意を決して男が目を開けてみると、そこは静寂な森がただ広がっていた。まるで巨大な何かでくり抜いたような地面が、手を伸ばした場所にあること以外は、目を閉じる前と何も変わらない。


「俺は……っ……助かった、のか?」


どさっとついた尻もちに、森の風がなだれ込んできて、これは夢ではないのだと知らせてくる。見上げた空には無数の星が輝き、煌々とした月が浮かんでいる。クレドコンパスで空を眺めることができる場所は多くない。真っ暗な森で視界が妙に明るいのは月のおかげだと思うと同時に、何百年と生きた大樹ごと飲み込まれた事態に唖然とする。
あと一歩。足を踏み入れていれば、終わっていた。
何が運命を分けたのかはわからない。知りようもない。ただ、信仰心を持って生きてきたものからしてみれば「聖女アヴァル」の意思としか考えられない。


「…………はは」


乾いた笑いが意味するものはなにか。
捨て置かれた身で、仲間もなく生き残れるほどクレドコンパスが優しい場所ではないことを知っている。六賢人は目立つ。けれど、一生で出会う確率はほぼ「無」に等しい。その確率が去った今、次なる恐怖は人を食う化け物デファイだろう。あのとき死んでおけばよかったと、後悔するような死に目にならないことを祈るしかない。
それこそ、聖女アヴァルに祈るしかない。


「ああ……っ、くそ」


男は悪態づいて立ち上がる。
生かされた意味を無意識に考えてしまう。
そうしないと行けない気がした。なぜなら、巨大な円形の窪地の向こう側。対岸で複数の人間がデファイに襲われているのを見つけてしまったから。


「聖女アヴァルよ」


地面を蹴る足が妙に震える。一度死ぬことを覚悟した身。いや、何度も死ぬことを覚悟して戦場に身を置いてきた。それでもこうして生き残り、今日にいたっている。
今回も同じだと、そう思えばいいだけのこと。
腰にぶら下げた剣の柄に手をかける。勢いよく振りぬいた燐光の先、デファイが放つ瘴気の血を浴びながら、男はその背に複数の人間をかばっていた。
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