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第参章:八束市の支配者

01:月に一度の会食

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色めく落葉樹も赤い葉を半分以上落とし、丸裸の枝が増えた木々が等間隔で並ぶ街路を横目に、コンクリートの上を黒塗りの車が進んでいく。
コートを羽織る人がほとんどのなか、止まった車から降りたのは、スーツを着こなす白髪の美形。もちろん周囲の視線は集中する。


「あれ、棋風院のフタカベさまじゃない!?」

「ほんとだ。実物、初めて見たかも……写真以上にかっこいい。え、まじで動いてる」

「この道通ってよかった。目の保養、最高……って、うわ、めっずらし」

「ああ、棋風院の姫様ね」

「外出されるなんて珍しいこともあるのね。あ、あそこ、三ツ星で有名な高級店じゃん。今から遅めのランチか、早めのディナーか。贅沢すぎる。お近づきになりたい」

「無駄無駄、住む世界が違うって」

「イケメンの護衛とお金持ちの実家……家も豪邸だろうな、毎日一緒なのかな。一日でいいから変わってほしい」


野次馬で出来た人垣は一定の距離を保ちつつ、普通の声量で会話してくれるせいで丸聞こえなのはいかがなものか。
見ればそれは一組ではなく、数名は足を止めている。とはいえ、この町は「棋風院」のお膝元といわれるほど、どの家系も恩恵を受けているのだから滅多なことはしてこない。
あるものはそそくさと立ち去り、あるものは遠巻きに見つめてくるだけ。それでも突然拝みだす人よりは、ましかもしれない。


「情報社会とは面倒なものだな」


運転席に座ったままの朱禅の呟きももっともだと、胡涅は行き先がわかっているような人の群れに「はぁ」と重たい息を吐く。


「お祖父様、お店変えてくれないかな」


スモークガラスの窓に顔を写して、胡涅は誰にでもなく呟いた。


「胡涅、降りるぞ」

「…………はぁい」


よくみる光景のひとつなのだろう。
噂の双璧と書いてフタカベと読む内の一人が、後部座席のドアを開け、恭しく車内から取り出すのが一人の女性だということに、囁きは冷たい風となって吹き荒れる。
白を基調とした膝丈ワンピースに、薄紫のカーディガンを羽織り、髪をハーフアップにセットした胡涅が紫のヒールで地面を踏む。


「………殺すか?」

「物騒だよ、炉伯」


ハンカチとリップしか入っていないコンパクトバッグと、膝掛けにも寒さ対策にもなる大判マフラーを胡涅は嘆息しながら受け取った。


「特にあの男」

「男?」

「いいから、早く来い」

「…………はぁい」


女の間違いではないのか。
フタカベなんて愛称で呼ばれている朱禅と炉伯を連れていれば、十中八九悪口を言われる。ずるい、うらやましい、不公平、お祖父様の七光り、なんであの女が、など、数え上げたらキリがない。
ただ、それに付き合う道理もないので無視をするに限る


「何が恵まれているかなんて、持ってるときには気付かないのよね」


健康な肉体、愛してくれる両親、素直に好きといえる恋人。願ったところで、胡涅には決して手に入らない。
その代わりに完璧な二人がいる。
今は炉伯に手を引かれて、車から降りた足で、目の前の店に歩いていく。


「何かあれば呼べ」

「何もないよ。ただの食事会だもん」

「胡涅。これを持っていけ」

「いらない。持ってるの見つかったら全部没収されるし」


店の入り口でサヨナラしなければならない炉伯が、断られたチョコをポケットにしまいながら名残惜しそうに見つめてくる。


「そんな目で見ないでよ」


すぐに戻るからと手をふれば、従者らしく胸に手を当て、腰を折って「いってらっしゃいませ。胡涅お嬢様」と見送ってくれた。


「………ほんと、ズルい」


顔が赤くなるのがわかる。
誤魔化しきれない感情に蓋をするのは何度目か。招かれた扉の先、ひとりで歩く店内の廊下が異様に熱く、長く感じる。
棋風院家の御用達。
三ツ星だか、なんだかの有名な賞をいくつも受賞している高級店を貸しきって開催される『一ヶ月に一度の食事会』に参加するため、胡涅はこうして足を運んでいた。


「おお、わしの藤蜜が来たか」


耳元で何かを囁かれるなり、嬉しそうに両手を広げて出迎えてくれたのが、胡涅の祖父であり、世界有数の製薬会社をもつ棋風院グループの会長、棋風院堂胡その人だった。


「お祖父様、お久しぶりです」

「すっかり元気そうだな。どうだ、日々の暮らしは」

「おかげさまで、何不自由なくしています」

「うむ。そうでなければならん」


偉い人なのだから敬語で話さなければならない。古い教養は、くせになってしまえば、さほど苦にもならない。
小言を食らうくらいなら、愛想笑いと敬語で時間をやり過ごす。それが胡涅の処世術のひとつであり、少ない交流のなかで身につけた、祖父への対応だった。


「体調に変化はないか?」

「変化は特にありませんが」


毎回聞かれる最初の質問。
毎回決まったように「いいえ、特には」と答えていた胡涅が、別の言葉を口にしたことで、堂胡の目が細く変わる。


「特にないが、なんだ?」


テーブル越しとはいえ、疑いの視線で見つめられて、胡涅の背筋に緊張がはしった。まさか、朱禅と炉伯と性的な展開が進んだとは言えない。
バレていないと思いたい。


「あやつの息子から報告を受けた。検査を途中で放棄したそうだな」

「え…………あ」


そういえば、そうだったと胡涅は取って付けたような愛想笑いで誤魔化す。
検査の途中で苦しくなり、新任の担当者を置き去りにして帰ってきたことを今思い出した。
炉伯に怒鳴られて抜けた腰は平気だろうか。思い出せば、随分と気の弱い男だと微笑みも生まれる。


「保倉先生に息子さんがいたことをすっかり忘れていました」

「ああ、将充に会わせたのも二十年以上前の話だったか」

「研究者として、あの研究所で働いていらっしゃったのですね」

「才能ある保倉の血だ。保倉には長年、わしら棋風院の助けをしてもらっている。不実な態度はよくない」

「………はい。申し訳ありませんでした」

「まあそうかしこまらんでいい。月に一度の食事会だ、楽しもう」


素直に謝ればお咎めはない。
それどころか、不実な態度という割りにどこか嬉しそうな表情も珍しい。保倉家には、たしかに長年お世話になっている。祖父の古くからの付き合いがある家系であり、生まれてから今までずっと命をつないでくれた人たちでもある。


「保倉先生には、改めて謝罪を」

「せんでいい。謝罪は不要だ」

「………はい」


しなくていいと言われてしまえば、するわけにもいかない。祖父の命令は絶対であり、それを拒否できる教育は受けていない。
どうせ一ヶ月後には、また会う。
特段急ぐ必要もないだろうと、胡涅は口角の端を上げるだけにした。


「さあ、食べよう」


運ばれてきた料理をすすめられて、一番端のスプーンを手に取る。丸一日煮込んだシェフ自慢のオニオンスープらしいが、正直、美味しくはない。というより、この店は年々不味くなっている気がするのだが、大丈夫だろうか。


「最近はどうだ?」


これが二つ目の質問となる。
最近が示すここ一ヶ月以内の出来事を思い返せば、赤と青の二人しか出てこない。


「朱禅と炉伯はよく尽くしてくれています」


本当に色々と尽くしてくれている。
世間知らずのワガママに付き合い、世話を焼いて、身体が弱いくせにどこへでも行きたがる雇い主に、文句ひとつ言わない。当然のように隣にいて、自由を一緒に楽しんでくれて、初めてを沢山教えてくれる。
六年間。毎日、朝も昼も夜も、朱禅と炉伯はずっと胡涅の横にいる。だからこそ、他人とのコミュニケーションが上手ではない胡涅の気持ちを先回りし、口にしなくてもわかってくれるのかもしれない。
もっと静かで大人しいと自他ともに認める「いいこ」だったのに、たかだか数年で、これだけ自我が芽生え、成長したのだという誇らしい気持ちを祖父には理解してほしい。


「わしの前では、あやつらの名前を口にするな」


間髪いれずに返ってきた言葉に泣きたくなる。スープに映る二人の残像が霧散して、胡涅は唇を結んだ。


「お祖父様はなぜ、そこまでして彼らを嫌うのですか?」

「忌々しい存在だからだ。お前の調子が良くなるから傍に置かせているが、早々に引き離したいのはずっと変わらん」


医者ですら手の施しようがなく、痩せ細っていくばかりだった身体が、彼らと生活するようになってからみるみるうちに回復し、今では健康体とほぼ変わらないのだから引き離したくてもできないらしい。
健康体と言い切ってしまうには、まだ不便の多い体だが、それでも他人からみた姿は「健康体」と言い切れるほどにはなったのだろう。胡涅自身、ダイエットの言葉が浮かぶほどには、体型の心配が浮上している。
ありがたい話だと、少しだけ気を取り直して「スープはもういらない」と胡涅はスプーンを置いた。


「お祖父様、ひとつ質問をよろしいでしょうか?」
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