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第拾章:あるべき姿へ

05:旅は道連れ

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「前方を見て参ります」

そう言い残して狗墨が消えた。
今度は消えたと言っても目の前を走っていったにすぎない。
おそらくは、進行方向に待ち構える愚叉を倒しにいったのだろう。が、残る面々がいれば、わざわざ狗墨が特攻隊にならなくても良いと教えてあげたい。


「なんで怒ってるの?」


朱禅と炉伯が不機嫌極まりない顔で真後ろにいる。振り返るまでもなく、先ほどから無言でにらまれている背中が痛い。


「なぜは、こちらの問いだ。胡涅。狗墨との距離が近すぎる。気にかけるのはなぜだ」

「狗墨の怪我は心配ねぇっつったろ?」

「そんなこと言ったって、勝手に心配しちゃうんだから仕方ないでしょ」


足を止めて振り返って、朱禅と炉伯の着物の端を掴んでみる。拒否はされない。見下ろしてくる無言の赤と青は怖いが、見たことのあるその気配にヤキモチだとすぐにわかった。


「……ふふ」


なんだか可愛く思えてきて、胡涅は笑みを口にする。


「狗墨に妬いているの?」


意地悪をこめて尋ねてみた。
もしかしたら面白い答えが聞けるかもしれない。いや、自分にとって都合のいい甘い台詞を聞けるかもしれないと期待してのこと。
それなのに「ぶち犯す」とは、どういう返答だろう。


「わー、炉伯。まだアカンて、全部の努力を無駄にする気か!?」

「止めてくれるな、瀬尾。俺は胡涅を喰うと決めた」

「朱禅も抑えろ」

「紘宇、離せ。胡涅には抱いてわからせるしかない」

「………えぇ」


どうしてそういう答えに行き着いたのかはわからない。
それでもカッと目を見開いた二人の気配に、胡涅があとずさりをしたのは嘘ではない。


「夜叉の男は嫉妬で狂えるんですよ。困った人ですね。わたしたちがいて気が立っているのを知っていて煽るとは、末恐ろしい。さすがは姫といったところでしょうか」

「吟慈…さ…ん」


一番後ろにいたはずなのに、どうして今はそこにいるのか。
夜叉という存在が底知れない。


「おや、もう名前を覚えてくださったんですね。褒美に、わたしが夜叉の男とはどういうものか、ゆっくりと教えて差し上げましょう」


密着するほど背後にいる吟慈に、胡涅は肩を飛び上がらせて、朱禅と炉伯のほうへ身体を寄せる。


「いえ……あの、それは……」


見れば見るほど美しいが、笑っているようで笑っていない雰囲気に身震いしてくる。
一度狙われたら逃がしてもらえない気がして、胡涅はふるふると首を横に振った。


「泣いてしまうほど美味しい食事をご一緒にいかがですか?」


まるで朱禅と炉伯の間に埋めようと近付いてきた顔が耳元で囁いて、胡涅は再度首を横に振る。


「……ヤッ」


朱禅と炉伯の腕を引っ張って、巻き付いて告げるしか逃れる道はない。


「しょ、食事は…ッ…しゅ、朱禅と炉伯だけで…っ…いい」


頑張って告げた声は震えていたし、美形のもつ色気に迫られて顔は熱いし、全然威厳もないけれど、それでも断りはきちんといれた。


「残念です。振られてしまいました」


そういうわりに、頬にキスをされた気がするのは気のせいだろうか。
こういうときになぜ、朱禅と炉伯は役にたたないのだろうか。


「喜びに天を仰ぐ朱禅と炉伯なんて滅多に拝めないので、今回はそれで良しとしましょう」


ふふっと微笑まれて気配が離れる。代わりに、朱禅と炉伯に抱きつかれたが、もはや聞き取れる言語ではない鳴き声に、胡涅は「んー」っと言葉をのみこんだ。
機嫌が戻ったのなら、それでいい。
吟慈の唇が触れた頬は二人の袖で擦られて痛いが、赤くなるだけで済むなら安いものだ。これで、ようやく先に進めそうだと、胡涅は朱禅と炉伯の手を引っ張って歩き始めた。


「胡涅、手を離すなよ」

「はぁい」


狗墨が進行方向で孤軍奮闘している今は、右手に朱禅、左手に炉伯と手をつないでいる。
指を絡ませてきたのはお約束だが、すりすりと指先を遊ばれるのは、むず痒い。


「もっ、すぐに変なことする」

「恋人繋ぎに憧れてただろ?」

「結びを強くしているだけだ。他のオスに奪われないようにな」


夜叉の姿で顔の下半分を覆っているとはいえ、随分とわかりやすい声と視線に、胡涅の顔が照れたように赤く染まった。


「胡涅」

「な、なに?」

「夜叉となって数刻がたつが、身体はつらくないか?」


朱禅の左手が離れて、頬を撫でてくるのを嬉しく思ってしまう。
言葉の代わりに「うん」と小さくうなずいて、「たぶん夜叉になったからだと思うけど」と胡涅は続きを口にした。


「全然疲れないし、人間だったときよりも元気な気がする」

「夜叉とはそういうものだ。ヒトとは身体のつくりが違う。先ほどの毘貴のように、女は腹がすけば発情し、男に餌をねだる。胡涅もつらくなればすぐに言え」


撫でられた頬に触れる指先に、胡涅は「はっ」と顔を引きつらせるのも無理はない。


「そ、そんなこと……しない、もん」


自分からセックスを誘うなど恥ずかしくてできないと、胡涅は朱禅の指先から離れるように顔を伏せた。それでも追いかけてくる指先は、くすりと笑って、また胡涅の右手に絡みつく。
それを見ていた炉伯が、今度は掴んでいた左手の指をかじったのだから胡涅の心拍は落ち着かない。


「胡涅は術前、仙蒜の煎じ薬を吸わされ、夜叉の血による発情をただの発作だと思わされていた」

「身児神の核と融合し、覚醒したいま、発情を抑える方法はひとつしかない。無理は禁物だと肝に銘じろ」

「発情は自然の摂理。人間が空腹を感じるのと同じだ。恥ずかしがることはねぇよ」


藤蜜姫の夜叉核は胡涅の心臓と馴染み、おかげで全身を巡る夜叉の血は安定するようになった。
気持ちは人間の頃と何も変わっていないのに、身体ばかりが進化していく。けれど、それを嬉しく感じることを止められない。
彼らとずっと生きられる。
それが何よりも嬉しい。
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