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第二章 共通の知人
第十八話 イーサン・ノット
しおりを挟む「もう、やだぁ」
「なんで、とても可愛かったよ?」
恥ずかしくて顔をまともにあげられない。
後処理は彼らが率先してやってくれたおかげで濡れたシーツも枕も見ずに済んだが、一週間ぶりのセックスがこんなに過激に幕を開けるとは想像もしてなかった。
「……もっと、普通のがいい」
赤く目を腫らした顔で三人をじっと見つめてみる。これだけズタボロにされたのだから、少しは同情の声があがると思ったのに、三人は顔を見合わせて「普通?」と首をかしげているのだから落ち込みたくもなる。
というか、なぜ。そんなに残念な子を見るような目で見られるのだろう。
「アヤは自分を理解した方がいい」
「スヲン、どういう意味?」
「試しに今度は普通にしてみるか?」
「ランディ、ほんと?」
「無理だと思うけどな」
「……ランディまで、どういう意味」
「はいはい、子猫ちゃん。騒がないで大人しくしよう。ここ病院だよ?」
「ロイ、だって」
「ボクはどんどんエッチになっていくアヤが大好きだから、普通は諦めてほしいな」
「……ぅ」
無理だ。毎日こんな風に底なし沼に沈んでいく感覚になるのかと思うと、少しだけ怖い。
受け入れるか、諦めるか。どちらにしろ彼らと離れる選択肢が存在しないのなら、どちらを選んでも大差ない。
逃げる。
それは出来ないし、したくない。
「……変態」
せめてもの抵抗にそう呟いてみたが、彼らは総じて嬉しそうに笑っただけだった。
だって仕方ない。この輪の中にいる今に幸せを感じている。誰か一人欠けることは、きっともう不可能だろう。
だから誰も選べない。全員が大好きで、全員を欲している。
「アヤ」
彼らが愛しそうに名前を呼んで、見つめてくるのは自分だけがいい。伸ばした腕に応えてくれるのも、甘える仕草に喜んでくれるのも、自分だけの特権であってほしい。
そんな風に思いながらスヲンとランディと手を繋ぎ、背中にロイの重さを感じて団子状態で病院の廊下を歩いていると、前方からくたびれた白衣の男が姿をみせる。
「っ」
まず最初に人がいたんだと驚いた。
次に、さっき奥の空き病室でしていた行為を思い出して、また顔が熱くなってくる。
「アヤ、気にしなくていいよ。こいつは口が堅いから」
ゆるやかなカーブを描く長髪に、くたびれた白衣。暗がりのせいで色はわからないが、少し垂れ目の瞳に通った鼻筋。類は友を呼ぶというが、イケメンの知り合いはイケメンらしい。
口が堅いというのは職業柄だろうか。
ロイたちと並んでも背の高さが変わらない。少しダルそうに体重を左に寄せて、彼はイーサン・ノットと名乗った。
「偉大な先輩に向かってこいつ呼ばわりはよしなさい。大体、夜に突然押し寄せたと思ったら自分たちは仲良く愛を育んでばかり。汚れたシーツはいったい誰が洗うんでしょうね」
「……ごめんなさい」
イーサンに怒られたと思って謝る。
ぺこりと頭を下げて許しを求めるアヤの姿に、突き刺さる視線が地味に痛い。
「ね、可愛いでしょ。ボクたちのアヤ」
「ロイ。ロイも謝って」
「いいんだよ。シーツは業者が洗うし、イーサンは夜型人間だし、愛を育むのは悪いことじゃないんだから」
そういう問題ではないと思うのに、スヲンもランディもロイの意見に賛同しているのだから、この場でおかしいのは自分だけかもしれない。
日々、常識という壁が崩れていく。ただ、すぐに順応できるものとそうでないものがあることも確かで、アヤは困ったように一人イーサンを見上げた。
「…っ…ごめんなさい」
じっとモノ言わぬ眼光に謝罪しか出てこない。
にらまれると委縮して謝ってしまうのは自分の性格なのか、国柄なのか。たぶんこれは、単純なうしろめたさ。
「はぁ。迷惑をかけられるのは、別にいつものことなので気にしなくてよろしい。それよりもセイラという、あなたの友達が目を覚ましましたよ」
「セイラが?」
「まだ意識は少し朦朧としていますが、会話をする分には問題ないでしょう」
「イーサン先生、ありがとうございます」
またお辞儀をするが、これは謝罪ではなく謝礼。アヤはイーサンに頭を下げてからセイラの病室向かって走っていった。
「同一人物ですか?」
「そうだよ。あんなにエロくて、ボクたちの全部咥えちゃうのに、小さくて可愛いなんて犯罪だよね」
「そこまでは言ってません」
「……あげないよ?」
「欲しい。なんて、一言も口にしていませんけど」
そこまで言って無言で見つめ合う。アヤに続いてランディとスヲンが先に行ったのもあるが、ロイはそれ以上何も言わずにイーサンの横を通り過ぎただけだった。
「セイラっ、よかった」
病室に駆け込んだ勢いのまま、アヤはセイラのベッドにダイブする勢いで近寄る。勢いあまってベッドを揺らしてしまったのは申し訳ない。慌てて謝ると、セイラはまだ少しだけ朦朧としながらも緩く微笑んで首を横に振った。
「アヤ。ここ、どこ?」
「セイラ、覚えてないの?」
「少しは、でも…半分くらい、記憶が…っ」
「頭、痛むの?無理しないで寝てていいから」
「いや、でも。っていうか、ごめん。あたし、アヤに酷いことした」
「セイラ、私もゴメ……」
「あんたは謝っちゃダメでしょ」
ベッドで上半身を起こして座るセイラの背中に差し込まれた枕を抜こうとしたが、セイラがそれを止めて謝ってくる。数日ぶりに見るその目は少しだけ元のセイラで、アヤはホッと肩の力を抜いて近くの椅子に腰かける。
ところが、アヤが安堵するのとは対照的に「ひっ」と息を呑んだセイラが硬直していた。
「どうしたの?」
座ろうとした瞬間にセイラが息を呑んだので、中途半端な姿勢でアヤはセイラの視線の先を追う。そこで納得した。
そういえば、セイラは知らない。
「あのね、セイラ。その、ね」
もじもじと自分のことを語るのに勇気がいる。
「大体察した。で、誰?」
「え?」
「あの三人の誰?」
顔を寄せてひそひそと小さな声で問いかけてくれるが、その質問に答えるのは少しばかりの勇気と時間がいる。
「ぜ…ッ…全員」
「は?」
「三人とお付き合いをしています」
たぶん、耳まで赤い。
定型文のような丁寧さで伝えたのだから、間違いなく伝わっただろう。セイラの顔が信じられないと疑いの目でアヤの言葉を飲み込んだ後、再度アヤの後ろに控える全員を見つめて数秒、何かを悟ったのか深い息を吐き出す。
「……そう」
「え、それだけ?」
「なによ。もっと色々言ってほしかったの?」
「別に、そうじゃないけど。あまりにすんなりすぎて」
「アヤが誰をどう好きになるかはアヤの自由でしょ。それに、今のあたしが色々言える立場じゃないってのはわかってる。アヤのおかげで助かったって、そこまであたし馬鹿じゃない」
「そんな……」
近くにいるのに距離を感じる。短い付き合いだといえばそうだが、少し前のセイラならもっと他に何か言ってくれていたと思ってしまうのはオゴリなのだろうか。
もっと早くセイラに三人と付き合っていることを言えていたら。
「行く場所がなかったらうちに来たらいい」あのとき、そう言えていたかもしれないのに。
「ありがとう、アヤ。教えてくれて」
他人行儀にお礼を口するセイラに合わせる顔がない。
「……あのね、セイラ。私ね、バートからセイラのことを聞いて」
「バート?」
「全然帰ってこないって、すごく心配してた」
自分のことだけに必死で、セイラがどういう日々を過ごしていたか気にもしていなかった。今さら隠しようのない事実を嘘で補ったところでどうしようもない。
落ち込むアヤの姿に、セイラはじっと無言で見つめてから、どこか寂しそうに笑う。
「あたしさ、こんなナリじゃん。自分の好きなように生きたくて、自分の好きを大事にしたくて、世間からいつも浮いた目で見られてさ。だから、自分を受け入れてくれる世界ってのに弱いのよ。認めてくれる場所っていうか、ありのままを評価してくれるっていうか、そういう自由ってのに、すごくね」
遠くを見つめるような目は、たぶんここじゃないどこかを見ている。
過去なのか、さっきの場所なのか。いつも堂々として見えるセイラにも人知れず抱えているものがあるのだと、アヤはじっとその目を見つめていた。
「バートがさ、自分の両親に挨拶に行くときは普通にしてくれてって。あいつ、そう言ったの」
「挨拶?」
「結婚の……十年も付き合ってるのに、親と会うなんて今さらなのに。いい年して恥ずかしいから、素直になれって。で、喧嘩になった」
はっきりとした原因を口にしなかったのは、迷いがあったからだとセイラは言う。
「普通って、あたしにはこれが普通で素直な自分。バートはあたしっていう存在を受け入れてくれていると信じてたのに、たった一人の味方だと思ってたのに。ああ、こいつも違うんだって思ったら、悲しくて、悔しくて。苦手な料理、俺も頑張るってそうじゃないだろって火に油。だけどこんなあたしを心配してくれるのも、やっぱりあいつしかいないってのは皮肉な話だね」
返す言葉がない。ゴメンと口にしてしまえば、それこそ認めてしまう気がして声が出てきてくれない。そんなアヤを見かねたように、ランディが隣にやってくる。
「明日は休め」
「……くび?」
「会社は優秀な人材を見捨てはしない。まだ能力を発揮する意思があるのなら」
ランディが「もう行こう」と肩を抱いて促してくる以上、長居はするべきではないのだろう。セイラも安静が必要に違いない。
「セイラ。あの…ッ…バートにはまだ連絡してない」
「うん。自分でする」
ベッドに横になるセイラの顔はもう、良く見えなかった。
「巻き込んでゴメン」
消えるほどの声で呟かれたそれを胸に、アヤも病院をあとにした。そこからは帰る途中で眠ってしまったらしい。起きたときにはロイたちの腕の中で、マンションのベッドの上にいた。
「おはようございます」
昨晩の疲れがないといえば嘘になる。それでも火曜日はカレンダー通りにやってくるし、時計の針が止まることはない。仕事を終え、帰宅をして、三人とお風呂に入る日常が戻り、水曜日がやってきても、アヤの中ではまだ時間が止まったように気分が落ちたままだった。
「……はぁ」
マグカップに注がれていく黒い液体をじっと見つめる。
お昼後のブレイクタイム。デイビットが馴れ馴れしい程度で仕事の問題は特にない。
「アヤはここでため息を吐くのが好きね」
「……セイラ?」
一瞬、声をかけてきたのが誰かわからなかった。トレードマークの赤いボブは茶髪になり、奇抜なファッションは少し派手さが減っている。もとからスタイルが良い彼女が、さらに美人にみえて、人の印象は髪型だけで随分変わるのだなと目から鱗がおちた。
「少し話せる?」
もちろんだと、アヤはうなずいてセイラと近くの椅子に座る。珍しく他には誰もいなくて、自販機やコーヒーサーバーに流れる電気の音だけが妙に響く。
「あのあと、バートと話し合って。結婚、することにした」
「はっ、え、熱ッ!?」
「ちょっと、気を付けなよ。それさっき入れたばっかりでしょ」
「あ…はい…ぇ、じゃなくて、結婚って、ほっ、本当?」
「うん。すごく怒ると思ったら、あいつ大泣きしてさ。近所迷惑もいいところだよ。わんわん泣いて、抱き着いて離れなくて、あまりに情けなくて、あたしがしっかりしなくちゃって、そう思えたんだ」
照れたように頬を染めて笑うセイラがいつにも増して可愛く映る。バートのあの心配っぷりも気になっていたので、なんだかご褒美をもらえたみたいに気持ちが温かくなった気がした。
本当によかった。
「この髪はお詫びに、挨拶行く時くらいはバートの両親の好みに合わせてあげるってことで染めたの。式では赤に戻すけどね」
「セイラらしいね」
「どう、似合う?」
「うん、とっても。おめでとう、セイラ」
「ありがとう、アヤ。それでね、アヤにお願いがあるんだけど」
珍しく緊張した態度に、こちらまで緊張が伝染してくる。
「なに?」と聞き返した声が若干震えていたことを否定はしない。
「アヤさえよければ、ブライズメイドになってほしい」
「え…ッ…私で、いいの?」
ブライズメイドといえば、花嫁の親友が務めるという結婚式の介添え人。主役と同じくらいに大事な役割だと聞いたことがあるが、そんな大役を自分なんかに与えていいのだろうかとアヤはセイラを不安げに見つめる。
「アヤが、いいの。先輩後輩っていう関係だからってわけじゃなくて、その……」
珍しく言葉を詰まらせるセイラに不安は募る。じっとセイラを見つめていると、突然セイラは立ち上がってプロポーズをする男性のようにひざまずいた。
「あたしと友達になってほしい」
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