84 / 123
第五章 動き出す人々
第六十九話 噛み痕
しおりを挟む「あーあ、スヲンが噛んだところ。週明けまでに治らないかも」
結局、アヤは文句ひとつ言えずに綺麗にされてしまった。
これで笑顔になれるだろうか。
お風呂からあがり、タオルにくるまれ、ベッドに運ばれて仰向けに転がされたところで、上を陣取ったロイの顔が心配そうな目で見つめてくる。が、しかし。論点はそこではないと気付いてほしい。
「痛くない?」
「……平気」
スヲンの歯形を指で撫でたロイの唇が軽く傷痕に触れて、頬をすり寄せてくる。
視界には、髪を乾かすためにドライヤーを持ってきたランディと、美容液などを並べ始めたスヲンの姿。彼らを横目に眺めていると、わかりやすく機嫌を取りに来たロイの瞳に、アヤは唇を尖らせて強がりを口にした。
「別に、痛くないし」
「そう?」
「痛……く、ない…ッし」
「すごく痛そうなのに?」
わざと一番深く刺さった部分を舌先でつつくロイに身体が引きつく。
「ロイ」と名前を呼んでにらみたくても、体格差に抑え込まれた体は少しも逃げられない。逃げられないから、好きにされる。それとも、逃げようとするから好きにされるのか。
どちらにしても、ロイの悪戯が過ぎてアヤが泣きだすのは時間の問題だった。
「~~~~ッ、なん…で、いじわるするの?」
ロイの肩を全力で押すのにも疲れて、震える声をあげたアヤの瞳に、金色の髪が踊っている。
「ヤッ……ろ、ぃ…痛ぃ…~~ンんぅッ」
突然、ロイの左手で口を塞がれて息を呑む。
なぜスヲンの歯型の上から噛みつかれたのか理解できずに、アヤの視界が滲んでいく。
混乱に足をばたつかせ、ロイの腕に爪痕を刻んでみるものの、吸血鬼のようにロイの唇はそこから離れない。離れてくれない。
「ンっ…ぅ…ンンンッん」
あまりの痛さに微塵も動けなくなった。
スヲンとランディはどうしたのか。
覆いかぶさって彼女を抑え込むロイの姿は、普段の優しいロイからは想像つかないほど物騒で過激に思えた。静寂の支配。セレブの子息よりも、ドラキュラの末裔の方がぴったりの称号だと、アヤは滲む視界にその支配者を眺める。
「……ロイ…ッ……ぅ」
そういえば昔、セイラに誘われて無断で夜遊びをした挙句、彼らを避け続けていたときもロイに噛まれたことを思い出す。
あのとき、ロイは怒っていた。ともすれば、今回も怒りの表れなのかもしれない。
それは何に対してなのか。理不尽でしかない不機嫌をぶつけてしまった結果なのか。それともしつこい態度を続けたせいで、ついに愛想が尽きたのか。こんな面倒な女は彼女にしておけないと、呆れられたのかもしれない。
何にせよ、なぜロイが噛んできたのかわからずに、怖くなった。
嫌われたくなくて、離れてほしくなくて、アヤはぎゅっとロイにしがみつく。
「煽らないで、アヤ。ボクはね、優しくしたいんだよ。大事にしたいって思ってるのに、そんな風に泣いたり、強がったり、反抗的な態度を取られると、加減が難しいんだ。可愛すぎて壊しちゃいそう。そうじゃなくても、今日はアヤを抱けないと思ってたボクにとって、嬉しい誤算づくしなのに、アヤはどこまでボクを夢中にさせれば気が済むの?」
「っ…ぅ……ぁ」
「嗚呼、怖くないよ。大丈夫、これはね、怒ってるんじゃないんだ。食べたくなるほど可愛いアヤに興奮しちゃったっていうか、してるっていうか……ねぇ。アヤ。童話の狼は赤ずきんを噛まずに丸のみにしたっていうけど、ボクはそんな勿体ないことは出来ない」
「ッ、ぁ……ヒッぅ……んッ」
「アヤがボクの愛を信じられないっていうなら、些細なことでも不安になるなら、全身に残してあげてもいいよ。消せないくらい深く、激しく、痛くて泣いちゃうくらいのボクの印を感じさせてあげる。ああ、そのときアヤはどんな顔をみせてくれるのかな。例えば、この細い指先を食べるときとか」
いつも以上に甘い声で、熱のこもった瞳で言われる台詞を信じたくない。力を込めてロイの腕に食い込んでいたはずの指先が、いともたやすく捕らえられて、その唇に運ばれた途端。アヤは思わず涙をこぼした。
「ヤバい……可愛い、アヤ。もっと泣い、てっ痛ぁぁああ。ちょっとランディ、なにするの!?」
「殴り殺すか?」
「待って待って、手に持ってるの、ドライヤーじゃん。それで殴るとか怖すぎる。凶器だよ凶器。ちょっとスヲンも、なにそれ!?」
「ランディに先を越された」
「舌打ちする前に自分の姿を鏡で見てよ。アヤが泣いちゃってるじゃん。木刀なんてどこで買ったの?」
噛んでいた場所に一瞬深くめり込んで、すぐに顔をあげたロイの目に涙が浮かんでいる。ランディが殴って、スヲンは出遅れたらしい。
勢いよく抱きついて「アヤ、怖いよね。よしよし」と、慰めてくるロイの気が知れない。
自分が泣かすのはよくて、他人に泣かされるのはイヤ。実に気難しい。
「元はといえばスヲンが歯型残したせいじゃん」
「アヤを怖がらせるような本性の出し方をするな」
「本当にな」
「でも遅かれ早かれだよ。ねぇ、アヤ。噛まれて発情しちゃうような猫ちゃんだもん。泣きながらボクに食べられることを想像するだけで、ほら、もうトロトロ」
「ッ!?」
思わず、全身を硬直させてしまった。
抱きついたロイが左側に重心を寄せて、右手で太ももの付け根に指を這わせたせい。スヲンとランディに見せつけるように持ち上げたその指は、ベッド横にあるサイドテーブルに灯されたランプの明かりを受けて、光っている。
「~~~ッ、ぅ」
本格的に泣けてきたのは、情けなさの一言につきる。
愛想をつかされてなかったどころか、今回の噛み痕の意味を知って安堵してしまった。嬉しいと思ってしまった。歪んだ愛情表現。だけどそれは、自分だけが知る特別なもの。
彼らがいないと生きていけない。
それは頭で理解するよりも早く、心と体が物語っている。
「どんなことされても悦んじゃうね」
「オレたちみたいなのに見つかったのが運の尽きだな」
「ロイじゃなくても、アヤが愛し過ぎて制御が効かなくなりそうだ」
ロイに足を持ち上げられたそこに、ランディとスヲンの息がかかっていた。
覗き込まれなくても、改めて告げられなくても、自分の体なんだからわかっている。
勝ち負けなんて、もうどうでもいいのだと。
感情を上回る身体を早く慰めてほしいのだと。
蜜は糸を引いて、誘う色香を放っている。
「怖がらせたお詫びに、いつも通り優しく。時間をかけて食べてあげるね」
くすぶった気持ちを制御できずに、自分から腰を揺らして続きを促す。
本能は貪欲に、彼らの本性を刻んでほしいと期待している。
痛いだとか、怖いだとか、不思議と感じていなかった。
情けなくて、悔しくて、涙が止まらない。
もう、好きすぎておかしくなりかけているのだろう。狂いかけているのかもしれない。それとも、すでに狂っているのか。
三方向から伸びてきた腕に甘えて、声をあげたくてたまらない。
そしてそれを許されるのが自分だけだという幸福に、今はただ、溺れてしまいたかった。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる