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第四章『朝敵篇』
第七十九話『合流』 序
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九月七日月曜日、朝。
日本国、都内高級ホテルのエントランスで、四人の若い女が少女の様な風体の女を見送ろうとしていた。
出迎えにはこれまた高級リムジンが待機しており、出発しようとしているのが重要人物であると、遠目にも窺い知ることが出来る。
「十桐様、行ってらっしゃいませ」
見送りの一人・メイド服の水徒端早辺子が皇國六摂家当主・十桐綺葉に頭を下げた。
十桐はこれから、日本国の首相官邸で真柴総理と停戦講和の交渉へと向かう。
「今日、午後に現地の者達と合流する話が付いておる。我は見てやれんが、呉々も先方に迷惑を掛けるでないぞ」
十桐は特に、見送りの一人・鬼獄東風美に向かって釘を刺した。
相変わらず胴着にスパッツという場違いな格好をしている彼女は、十桐の前でこそ愛想良く振る舞っている。
しかし、本性は暴力的且つ身勝手で腹黒く、十桐の見ていないところで早辺子を突然殴ったり、日本国で会うことになる誰かに対して良からぬ事を企んでいたり、危うい裏を持っている。
最高位の貴族として海千山千の十桐は、そんな東風美の内面を見通しているからこそ、改めて念を押す。
「明治日本は皇國と同じ日本で、国民性や風俗がよく似ておる。しかし、我らにとってはあくまで外国だということを忘れてはいかん。その為、叛逆者の掃討にはどうしても現地の協力が必要不可欠じゃ。下手に先方と揉めてはならん。誇り高き貴族として相応しい振る舞いを以て節度ある接し方をすること、解っておろうな」
「勿論ですよ、十桐様!」
東風美は能く通る大きな声で答える。
こうしていると、ただの行き過ぎた御転婆娘に見える。
だが十桐はそんな東風美の眼を暫しじっと見据え、そして残る二人の方へと視線を移した。
「枚辻・別府幡、お前達も弁えるのだぞ。勿論水徒端も、誰一人として先方と諍いを起こさんようにな」
「委細承知」
「私も、十桐様の期待は裏切りませんわ」
「畏まりました」
十桐は実質、他の三人に東風美を強く戒める様に言い含み、リムジンに乗り込んだ。
発車するリムジンを、四人は笑顔で見送る。
「あー、十桐様が行ってしまったということは、午後まで私達だけですね」
東風美が意味深に北叟笑んだ。
侮りを多分に込めた横目で早辺子のことを仰ぎ見ている。
早辺子の顔が青くなるのを見て、東風美の口角は更につり上がる。
「水徒端さんは此方の連中と知り合いなんですよね? 良かったらどういう人達なのか、お話を聞かせてもらえませんか?」
「それは……勿論……」
早辺子が言葉を詰まらせる理由、それは三人と合流したからの彼女の扱いにあった。
鬼獄家は伯爵、枚辻・別府幡両家は子爵、対して水徒端家は男爵の家格を持つ。
つまり早辺子はこの中で最も格下である。
それを良いことに、東風美は早辺子を使用人の様に扱っていた。
しかも、気に入らないことがあればすぐに手が出るのだ。
枚辻埜愛瑠と別府幡黎子も、暴力が余程度を超さない限り、基本的に東風美を止めようとしない。
東風美を統御出来る十桐はたった今、和平交渉という重要な仕事に出掛けてしまった。
「それにしても、不愉快ですよね」
エントランスからロビーに戻った四人だったが、東風美が周囲を見渡して顔を顰めた。
このホテルは彼女達の貸し切りという訳ではなく、ロビーには裕福な者達が今日の予定に向けて出掛けようとしている。
皇國臣民の彼女達に用意されただけあって、海外からの客に対し円滑に対応出来る優れたホテルであるらしく、ロビーには外国人の姿も見られる。
これは、皇國ではあり得ない光景である。
「この私達が蛮族と同じ宿泊施設だなんて……」
皇國では日本の国家主義が徹底されており、国内で外国人を見ることは殆ど無い。
また民族主義故に、日本人以外を蛮族と呼び蔑む風潮もあるのだ。
「確かに不快」
「皇國では考えられないことですわね」
埜愛瑠と黎子も東風美に同調する。
と次の瞬間、東風美は突然早辺子の脇腹に肘打ちを入れてきた。
「あぐっ!」
「無視するな。水徒端さんはどう思うんですか?」
「申し訳……御座いません。別府幡様と同じく、皇國では見ない光景に『外国に来たのだ』と実感しています……」
早辺子の扱いは、昨日からこの調子である。
「ずっと捕虜だった癖に今更ですね。貴女から此方での振る舞い方を教わるようにと言われましたが、頼りないです」
「申し訳御座いません」
四人は一先ず、エレベーターの方へ向かった。
この後、十四時に岬守航達が彼女達を訪問する。
⦿⦿⦿
十四時少し前、三人の人物がホテルのロビーでソファに坐り待機していた。
根尾弓矢からの要望で、特別警察特殊防衛課のうち三人が皇國から送られて来た戦士達と面会することになっていた。
「随分良いホテルですね、白檀さん」
案内されて訪れた当初、航はホテルの格に面食らった。
つい先日まで航達が滞在していたビジネスホテルとは大違いである。
今回皇國から派遣された面々は和平交渉特使も兼ねているので、扱いが丁重になるのも当然だろう。
「SNSじゃ叩かれてますけどねー。敵国に良いホテルを用意するのはおかしい、だなんて言われちゃってます」
「やれやれね……」
麗真魅琴は溜息を吐いた。
そんな遣り取りをしていると、四人の人影が近付いてきた。
その中の一人に見知った顔を認めた航達は立ち上がる。
水徒端早辺子と共に現れた三人の女達が、話に効いている皇國の戦士達だろう。
と、突如その中の一人が飛び掛かってきた。
胴着を着た茶髪の少女・鬼獄東風美が瞬時に間合いを詰め、拳を振るう。
乾いた激しい音が響く。
航が気付いた時には、東風美の拳が魅琴に受け止められていた。
「一応訊くわね、何のつもり……?」
東風美の拳を掴む魅琴の眼は鋭い光を宿している。
凄まじい威圧感に、脇の航が気圧されていた。
しかし、相対している東風美は全く動じていない。
「貴女、麗真の女でしょう? 鬼獄家の敵、この場で始末させてもらいます!」
東風美は次なる攻撃を仕掛けようと、魅琴の手を勢い良く振り解く。
否、振り解こうとした。
しかしその時、ロビーに嫌な音が響いた。
「あ痛アアアアアッッ!?」
振り解けなかったのだ。
魅琴の握力はそんな生易しいものではなかった。
東風美は腕の勢いで肩を脱臼してしまい、痛みに蹲っていた。
勿論、神為に因って脱臼は程無くして治るのだが、苦痛まで消える訳ではない。
「何やってんだ、この娘?」
航は勝手に自滅して涙目になっている東風美に呆れて呟いた。
そしてふと、彼女の顔付きがどことなく魅琴と似ていることに気が付き、両者の顔を見比べる。
違いは髪の色と、魅琴よりも若干丸く垂れた目、それから雰囲気も少し幼い。
「白檀さん、この娘知ってます?」
「鬼獄東風美さん、戦争中に急逝した鬼獄康彌元遠征軍大臣のお孫さんです。彼は麗真さんを鬼獄家に招き入れようとした大叔父でもありますので、彼女は麗真さんの再従妹ということになりますねー」
白檀揚羽は魅琴から逃れようと必死に腕を引く東風美を横目に、残る二人の紹介を始める。
「あちらの、背の高い金髪碧眼の女性が別府幡黎子さん」
「初めまして、御機嫌良う」
「隣にいらっしゃる猫の縫い包みを抱えた御方が枚辻埜愛瑠さん」
「宜しく。因みに私は十七歳、東風美が十八歳、黎子が十九歳」
航は黎子と埜愛瑠に一礼した。
「岬守航です。それとこっちは……」
続いて魅琴を紹介しようとしたが、其方では今も東風美が足掻いている。
矢継ぎ早に拳と蹴りを繰り出す東風美だが、全て魅琴に軽々と躱されていた。
勿論、片手は取ったままだ。
「中々っ……はぁーっ……はぁーっ……やりますねぇっ! しかし……ぜぇーっ……ぜぇーっ……これは……どうですかッ!!」
東風美は息を切らしながら、魅琴の力を利用して技を掛けようとする。
が、魅琴はそれを見抜いていたかのように手を放し、更に東風美の手首を掴んで逆に関節技を掛けた。
「がああああ‼」
東風美は極められた腕の痛みに悶絶する。
喧嘩を仕掛けるにはあまりにも相手が悪かった。
東風美は弱々しく魅琴の腿を叩く。
「痛いイイイイ!」
「そりゃ関節極めてるんだもの当然よね。もっとする?」
「いぎゃああああ無理いいい折れるううう‼」
「折れてもすぐ治るんだから平気でしょ?」
「や、やめっ」
「という訳で一回折っとくわね」
「あぎいいいいいッッ‼」
東風美の腕から骨の折れる音がした。
相変わらず魅琴は容赦が無い。
皇國の新華族令嬢達はみな揃ってドン引きしていた。
しかし、二人の「じゃれ合い」は尚も続く。
「あギャーッ!! ちょっ、繋がった瞬間に折らないでっ……ンギャーッ!! もうやめてもうやめてオギャーッ!!」
東風美の腕から何度も何度も骨の折れる音が鳴り、その度に悲痛な叫びが上がっていた。
神為は殆どの損傷を忽ち治してしまうが、逆にそれは同じ部位が短時間で何度でも故障し得るということでもある。
そして痛みまでは消えないので、場合によってはこういう悲惨な目に遭うのだ。
「魅琴、もう許してあげたら?」
余りの無体に、見かねた航が遠慮がちに声を掛けた。
東風美は縋るような眼で彼を見上げている。
しかし、魅琴は繋がった東風美の骨を折りながら、悲鳴を上げる彼女には目もくれず答える。
「許してあげるのも吝かではないけど、この娘にもそれなりの態度ってものがあるでしょう? これから一緒に組むことを考えると、いきなり手を出してくるような不安要素は残しておけないし、ケジメは必要だと思うの」
「まあ言わんとすることは解るけども、ねえ、ほら……」
航は魅琴に周囲に目を向けるよう促す。
東風美の大騒ぎによってこの一団は耳目を集めていた。
しかし、彼女はそれでも首を縦に振らない。
「白檀さんがいるでしょう」
「はえ⁉」
指名された白檀は驚いた様子で声を上げた。
確かに彼女の幻惑能力ならば、この光景を衆目から隠すことが出来る。
「いやまあ、この状況ですし隠しますけど……」
「ありがとうございます。という訳で、心置き無く続けられるわね」
「い、嫌あーっっ‼」
残酷な宣告と共に、再び乾いた音と絶叫が響く。
航と白檀は溜息を吐いた。
東風美に同行して皇國からやって来た黎子と埜愛瑠などは立ち竦んで絶句している。
「待っでッ……! 待っでぐだざいっ……!」
魅琴の腕折りが一旦止まった。
東風美は顔を涙と鼻水と涎でぐしゃぐしゃにしながら、濁った声で問い掛ける。
「どおずれば許じで貰えまずがっ……⁉」
「貴女ね、そんなことも分からないの? 鬼獄伯爵家の御立派な親御さんも、それくらい教育してくれたでしょう」
「あ、謝っだらやめでぐれまずがっ……⁉」
魅琴はほんの少し眉を顰めて目を閉じ、溜息を吐いた。
「言質を取ろうとするのは気に入らないけど、私も鬼じゃないしそれで手打ちにしてあげるわ」
拘束から解放された東風美は一瞬顔色を窺う様な眼で魅琴みことを見上げた。
そして射竦めるような視線に怖気づいたのか、すぐに体を丸め、震えながら膝を突き、手と額を地に着けた。
おそらく伯爵家に生まれ、恵まれた暴力とそれに伴う実績から好き放題してきた東風美が、初めて行うであろう土下座である。
「ごめんなざい。もう二度とじまぜん」
「……別に土下座まで要求したつもりは無かったわ」
それはどうにか絞り出した涙声の謝罪だった。
魅琴にしてみれば言葉さえ貰えれば良かったのだろう。
しかし、何度も腕を折られるうちに心まで折れてしまった結果、必然そうしてしまったのだ。
「と、とりあえず一件落着ということで、移動しましょうかー」
「移動、ですか?」
航はこの場をさっさと切り上げるように取り纏めようとする白檀に問い掛けた。
「実はこの後、リモートで根尾さんと繋ぐ様に言われていまして、会議室を取ってあるんですよー」
「へえ……」
「まあ時間はまだあるので、その間に親交を深めてくれれば、と思ったんですが……」
白檀は、早辺子と黎子の二人に支えられて放心状態の東風美に目を遣った。
「……まあ、彼女は参加出来そうにないですね」
「ですねー。自分の御部屋で反省しておいて貰いますか……」
東風美はそのまま早辺子と黎子に連れられて客室行きのエレベーターの方へと引っ込んでいった。
日本国、都内高級ホテルのエントランスで、四人の若い女が少女の様な風体の女を見送ろうとしていた。
出迎えにはこれまた高級リムジンが待機しており、出発しようとしているのが重要人物であると、遠目にも窺い知ることが出来る。
「十桐様、行ってらっしゃいませ」
見送りの一人・メイド服の水徒端早辺子が皇國六摂家当主・十桐綺葉に頭を下げた。
十桐はこれから、日本国の首相官邸で真柴総理と停戦講和の交渉へと向かう。
「今日、午後に現地の者達と合流する話が付いておる。我は見てやれんが、呉々も先方に迷惑を掛けるでないぞ」
十桐は特に、見送りの一人・鬼獄東風美に向かって釘を刺した。
相変わらず胴着にスパッツという場違いな格好をしている彼女は、十桐の前でこそ愛想良く振る舞っている。
しかし、本性は暴力的且つ身勝手で腹黒く、十桐の見ていないところで早辺子を突然殴ったり、日本国で会うことになる誰かに対して良からぬ事を企んでいたり、危うい裏を持っている。
最高位の貴族として海千山千の十桐は、そんな東風美の内面を見通しているからこそ、改めて念を押す。
「明治日本は皇國と同じ日本で、国民性や風俗がよく似ておる。しかし、我らにとってはあくまで外国だということを忘れてはいかん。その為、叛逆者の掃討にはどうしても現地の協力が必要不可欠じゃ。下手に先方と揉めてはならん。誇り高き貴族として相応しい振る舞いを以て節度ある接し方をすること、解っておろうな」
「勿論ですよ、十桐様!」
東風美は能く通る大きな声で答える。
こうしていると、ただの行き過ぎた御転婆娘に見える。
だが十桐はそんな東風美の眼を暫しじっと見据え、そして残る二人の方へと視線を移した。
「枚辻・別府幡、お前達も弁えるのだぞ。勿論水徒端も、誰一人として先方と諍いを起こさんようにな」
「委細承知」
「私も、十桐様の期待は裏切りませんわ」
「畏まりました」
十桐は実質、他の三人に東風美を強く戒める様に言い含み、リムジンに乗り込んだ。
発車するリムジンを、四人は笑顔で見送る。
「あー、十桐様が行ってしまったということは、午後まで私達だけですね」
東風美が意味深に北叟笑んだ。
侮りを多分に込めた横目で早辺子のことを仰ぎ見ている。
早辺子の顔が青くなるのを見て、東風美の口角は更につり上がる。
「水徒端さんは此方の連中と知り合いなんですよね? 良かったらどういう人達なのか、お話を聞かせてもらえませんか?」
「それは……勿論……」
早辺子が言葉を詰まらせる理由、それは三人と合流したからの彼女の扱いにあった。
鬼獄家は伯爵、枚辻・別府幡両家は子爵、対して水徒端家は男爵の家格を持つ。
つまり早辺子はこの中で最も格下である。
それを良いことに、東風美は早辺子を使用人の様に扱っていた。
しかも、気に入らないことがあればすぐに手が出るのだ。
枚辻埜愛瑠と別府幡黎子も、暴力が余程度を超さない限り、基本的に東風美を止めようとしない。
東風美を統御出来る十桐はたった今、和平交渉という重要な仕事に出掛けてしまった。
「それにしても、不愉快ですよね」
エントランスからロビーに戻った四人だったが、東風美が周囲を見渡して顔を顰めた。
このホテルは彼女達の貸し切りという訳ではなく、ロビーには裕福な者達が今日の予定に向けて出掛けようとしている。
皇國臣民の彼女達に用意されただけあって、海外からの客に対し円滑に対応出来る優れたホテルであるらしく、ロビーには外国人の姿も見られる。
これは、皇國ではあり得ない光景である。
「この私達が蛮族と同じ宿泊施設だなんて……」
皇國では日本の国家主義が徹底されており、国内で外国人を見ることは殆ど無い。
また民族主義故に、日本人以外を蛮族と呼び蔑む風潮もあるのだ。
「確かに不快」
「皇國では考えられないことですわね」
埜愛瑠と黎子も東風美に同調する。
と次の瞬間、東風美は突然早辺子の脇腹に肘打ちを入れてきた。
「あぐっ!」
「無視するな。水徒端さんはどう思うんですか?」
「申し訳……御座いません。別府幡様と同じく、皇國では見ない光景に『外国に来たのだ』と実感しています……」
早辺子の扱いは、昨日からこの調子である。
「ずっと捕虜だった癖に今更ですね。貴女から此方での振る舞い方を教わるようにと言われましたが、頼りないです」
「申し訳御座いません」
四人は一先ず、エレベーターの方へ向かった。
この後、十四時に岬守航達が彼女達を訪問する。
⦿⦿⦿
十四時少し前、三人の人物がホテルのロビーでソファに坐り待機していた。
根尾弓矢からの要望で、特別警察特殊防衛課のうち三人が皇國から送られて来た戦士達と面会することになっていた。
「随分良いホテルですね、白檀さん」
案内されて訪れた当初、航はホテルの格に面食らった。
つい先日まで航達が滞在していたビジネスホテルとは大違いである。
今回皇國から派遣された面々は和平交渉特使も兼ねているので、扱いが丁重になるのも当然だろう。
「SNSじゃ叩かれてますけどねー。敵国に良いホテルを用意するのはおかしい、だなんて言われちゃってます」
「やれやれね……」
麗真魅琴は溜息を吐いた。
そんな遣り取りをしていると、四人の人影が近付いてきた。
その中の一人に見知った顔を認めた航達は立ち上がる。
水徒端早辺子と共に現れた三人の女達が、話に効いている皇國の戦士達だろう。
と、突如その中の一人が飛び掛かってきた。
胴着を着た茶髪の少女・鬼獄東風美が瞬時に間合いを詰め、拳を振るう。
乾いた激しい音が響く。
航が気付いた時には、東風美の拳が魅琴に受け止められていた。
「一応訊くわね、何のつもり……?」
東風美の拳を掴む魅琴の眼は鋭い光を宿している。
凄まじい威圧感に、脇の航が気圧されていた。
しかし、相対している東風美は全く動じていない。
「貴女、麗真の女でしょう? 鬼獄家の敵、この場で始末させてもらいます!」
東風美は次なる攻撃を仕掛けようと、魅琴の手を勢い良く振り解く。
否、振り解こうとした。
しかしその時、ロビーに嫌な音が響いた。
「あ痛アアアアアッッ!?」
振り解けなかったのだ。
魅琴の握力はそんな生易しいものではなかった。
東風美は腕の勢いで肩を脱臼してしまい、痛みに蹲っていた。
勿論、神為に因って脱臼は程無くして治るのだが、苦痛まで消える訳ではない。
「何やってんだ、この娘?」
航は勝手に自滅して涙目になっている東風美に呆れて呟いた。
そしてふと、彼女の顔付きがどことなく魅琴と似ていることに気が付き、両者の顔を見比べる。
違いは髪の色と、魅琴よりも若干丸く垂れた目、それから雰囲気も少し幼い。
「白檀さん、この娘知ってます?」
「鬼獄東風美さん、戦争中に急逝した鬼獄康彌元遠征軍大臣のお孫さんです。彼は麗真さんを鬼獄家に招き入れようとした大叔父でもありますので、彼女は麗真さんの再従妹ということになりますねー」
白檀揚羽は魅琴から逃れようと必死に腕を引く東風美を横目に、残る二人の紹介を始める。
「あちらの、背の高い金髪碧眼の女性が別府幡黎子さん」
「初めまして、御機嫌良う」
「隣にいらっしゃる猫の縫い包みを抱えた御方が枚辻埜愛瑠さん」
「宜しく。因みに私は十七歳、東風美が十八歳、黎子が十九歳」
航は黎子と埜愛瑠に一礼した。
「岬守航です。それとこっちは……」
続いて魅琴を紹介しようとしたが、其方では今も東風美が足掻いている。
矢継ぎ早に拳と蹴りを繰り出す東風美だが、全て魅琴に軽々と躱されていた。
勿論、片手は取ったままだ。
「中々っ……はぁーっ……はぁーっ……やりますねぇっ! しかし……ぜぇーっ……ぜぇーっ……これは……どうですかッ!!」
東風美は息を切らしながら、魅琴の力を利用して技を掛けようとする。
が、魅琴はそれを見抜いていたかのように手を放し、更に東風美の手首を掴んで逆に関節技を掛けた。
「がああああ‼」
東風美は極められた腕の痛みに悶絶する。
喧嘩を仕掛けるにはあまりにも相手が悪かった。
東風美は弱々しく魅琴の腿を叩く。
「痛いイイイイ!」
「そりゃ関節極めてるんだもの当然よね。もっとする?」
「いぎゃああああ無理いいい折れるううう‼」
「折れてもすぐ治るんだから平気でしょ?」
「や、やめっ」
「という訳で一回折っとくわね」
「あぎいいいいいッッ‼」
東風美の腕から骨の折れる音がした。
相変わらず魅琴は容赦が無い。
皇國の新華族令嬢達はみな揃ってドン引きしていた。
しかし、二人の「じゃれ合い」は尚も続く。
「あギャーッ!! ちょっ、繋がった瞬間に折らないでっ……ンギャーッ!! もうやめてもうやめてオギャーッ!!」
東風美の腕から何度も何度も骨の折れる音が鳴り、その度に悲痛な叫びが上がっていた。
神為は殆どの損傷を忽ち治してしまうが、逆にそれは同じ部位が短時間で何度でも故障し得るということでもある。
そして痛みまでは消えないので、場合によってはこういう悲惨な目に遭うのだ。
「魅琴、もう許してあげたら?」
余りの無体に、見かねた航が遠慮がちに声を掛けた。
東風美は縋るような眼で彼を見上げている。
しかし、魅琴は繋がった東風美の骨を折りながら、悲鳴を上げる彼女には目もくれず答える。
「許してあげるのも吝かではないけど、この娘にもそれなりの態度ってものがあるでしょう? これから一緒に組むことを考えると、いきなり手を出してくるような不安要素は残しておけないし、ケジメは必要だと思うの」
「まあ言わんとすることは解るけども、ねえ、ほら……」
航は魅琴に周囲に目を向けるよう促す。
東風美の大騒ぎによってこの一団は耳目を集めていた。
しかし、彼女はそれでも首を縦に振らない。
「白檀さんがいるでしょう」
「はえ⁉」
指名された白檀は驚いた様子で声を上げた。
確かに彼女の幻惑能力ならば、この光景を衆目から隠すことが出来る。
「いやまあ、この状況ですし隠しますけど……」
「ありがとうございます。という訳で、心置き無く続けられるわね」
「い、嫌あーっっ‼」
残酷な宣告と共に、再び乾いた音と絶叫が響く。
航と白檀は溜息を吐いた。
東風美に同行して皇國からやって来た黎子と埜愛瑠などは立ち竦んで絶句している。
「待っでッ……! 待っでぐだざいっ……!」
魅琴の腕折りが一旦止まった。
東風美は顔を涙と鼻水と涎でぐしゃぐしゃにしながら、濁った声で問い掛ける。
「どおずれば許じで貰えまずがっ……⁉」
「貴女ね、そんなことも分からないの? 鬼獄伯爵家の御立派な親御さんも、それくらい教育してくれたでしょう」
「あ、謝っだらやめでぐれまずがっ……⁉」
魅琴はほんの少し眉を顰めて目を閉じ、溜息を吐いた。
「言質を取ろうとするのは気に入らないけど、私も鬼じゃないしそれで手打ちにしてあげるわ」
拘束から解放された東風美は一瞬顔色を窺う様な眼で魅琴みことを見上げた。
そして射竦めるような視線に怖気づいたのか、すぐに体を丸め、震えながら膝を突き、手と額を地に着けた。
おそらく伯爵家に生まれ、恵まれた暴力とそれに伴う実績から好き放題してきた東風美が、初めて行うであろう土下座である。
「ごめんなざい。もう二度とじまぜん」
「……別に土下座まで要求したつもりは無かったわ」
それはどうにか絞り出した涙声の謝罪だった。
魅琴にしてみれば言葉さえ貰えれば良かったのだろう。
しかし、何度も腕を折られるうちに心まで折れてしまった結果、必然そうしてしまったのだ。
「と、とりあえず一件落着ということで、移動しましょうかー」
「移動、ですか?」
航はこの場をさっさと切り上げるように取り纏めようとする白檀に問い掛けた。
「実はこの後、リモートで根尾さんと繋ぐ様に言われていまして、会議室を取ってあるんですよー」
「へえ……」
「まあ時間はまだあるので、その間に親交を深めてくれれば、と思ったんですが……」
白檀は、早辺子と黎子の二人に支えられて放心状態の東風美に目を遣った。
「……まあ、彼女は参加出来そうにないですね」
「ですねー。自分の御部屋で反省しておいて貰いますか……」
東風美はそのまま早辺子と黎子に連れられて客室行きのエレベーターの方へと引っ込んでいった。
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それでも森の中でこのまま死ぬよりはまだいいだろうと考え魔法をかける。
すると新木は一気に生長し、天をつくほどの巨木にまで変化しそこから新木に宿っていたという聖霊まで姿を現した。
〝この地はあなたが創造した聖地。あなたがこの地を去らない限りこの地を必要とするもの以外は誰も踏み入れませんよ〟
そんな言葉から始まるシントののんびりとした生活。
同じように行き場を失った少女や幻獣や精霊、妖精たちなど様々な面々が集まり織りなすスローライフの幕開けです。
※この小説はカクヨム様でも連載しています。アルファポリス様とカクヨム様以外の場所では公開しておりません。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
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