日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第四章『朝敵篇』

第八十一話『神瀛帯熾天王』 序

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 九月九日水曜日。
 さきもりわたるうることは新華族令嬢が宿泊する高級ホテルの一室に招かれていた。
 招待の主はごく
 先日の会議でびやくだんあげが言っていたとおり、和解の席を設けたいとのことだった。

ふたとも、ようこそお越しくださいました!」

 にこやかに、わたることを部屋の中へと招き入れる。
 高級ホテルだけあって、広々とした間取りにきらびやかな内装だ。
 社会的地位のある人間が家族でくつろぐことを見越してか、ちょっとした三席の椅子が備わった小卓まで設置されている。
 二人はから促されるままに席に着いた。

「この度は本当に、御心配と御迷惑をお掛けしました! かげさまで、わたしはもうすっかり大丈夫! 心を入れ替えて皆さんと一緒に頑張っていきたいと思います! 仲直りの印に、このような物を御用意させていただきました!」

 にもわざとらしい笑みを浮かべるは、わたることの前に高級感のある錦がかぶせられた皿を置いた。

「あら、何かしら?」
「もう少し待ってくださいね。わたしの分も準備しますから、三人で仲良く食べましょう!」

 はそう言うと、自分の席にも同じ皿を置き、更に小卓の中央に大皿を置いた。
 四枚の更には全て同じ錦が被せられ、中身が隠されている。

わたしはですね、本当に反省しているんです! それで、仲直りするにはどうすれば良いか、何をお贈りすれば喜んでいただけるか、一生懸命考えました! 皆さんのお仲間に意見を聞いたりして、これしか無いだろうと確信出来る物を御用意いたしました! どうぞ、開けてみてください!」

 二人は自分の皿に欠けられた錦を取った。
 皿に置かれていたのは、子供の拳程の大きさをした小麦色の膨らみだった。
 ことは目蓋を上げ、両眼を輝かせる。

「銀座のあんぱんじゃない……! かの有名な伝統の高級あんぱん……!」
「ああ、あんぱんの中でもことが特に目が無いやつだな。これ、びやくだんさんに聞いたの?」
「はい、大好物だとお聞きしまして! せつかくですから、一番良い物を御用意しようと! もちろん、大皿に盛ったのも全てちらですよ! 好きなだけお召し上がりになってくださいね!」

 の笑顔は明らかに何か良からぬたくらみを裏に隠していた。
 しかし、ことは目の前のあんぱんに夢中になっている。

(おいおい、大丈夫か?)

 わたるは一抹の不安を覚えた。
 ことが不覚を取るところなど想像出来ないが、万に一つが無いとも言い切れない。
 まあ理系の場合この言い方をするのは「無い」を意味すると受け取ってもらってほぼ間違い無いのだが。

こと、ちょっと……」

 わたるは小声でことに話し掛けた。

「なんか白地あからさまじゃない? 怪し過ぎるでしょ」
「言われるまでも無いわ」

 どうやらことも疑ってはいるらしい。

「でもあんぱんを前にして食べねば無作法というものよ」
「な、何を言って……」

 ことを止めようとするわたるを尻目に、向かいの席ではがこれ見よがしにあんぱんを口に入れた。

「これ、しいですね! 独特の風味を持ったパンとコクのあるあんの調和が絶妙で、ほっぺたが落ちそうです!」
「あら、わかっているじゃない。わたしの大好物を気に入ってもらえるというのはうれしいわ。こればっかりは、わたるの舌があまり優秀ではないのよね」
「別に、美味しくないと言ったことは無いだろ」
「こんなに用意してもらって、嬉しいわ」
「ええ! 本当に最高ですよね、このあんぱん!」
「そんなに気に入った?」

 ほほことの瞳の奥が鋭利に光った。
 瞬間、わたるの背筋に刺す様な寒気がはしる。
 ことは自分に出されたあんぱんを手に取ると、立ち上がって身を乗り出す。

「ではどんどん食べなさい」
「え? もがーッッ!?」

 ことは手に取ったあんぱんをの口にんだ。
 突然の出来事に、はただされるがままに喉奥へあんぱんを詰め込まれる。

「むーっ! むーっ!!」
「さあ、遠慮せずにおなかいっぱい食べなさい」
「いや、そんな無理矢理突っ込んでも喉に詰まるだけでしょ」
「なら食道まで押し込んであげるわ」
「んぐぅーっっ!!」

 ことの手がの口から離れる。
 は自らの手を口に突っ込み、捻じ込まれたあんぱんを無理矢理吐き出そうとする。
 だがことがその手首をつかんで口から外し、大皿から追加のあんぱんをの口に押し込んだ。

「むぐぅぅぅっっ!!」
貴女あなたの仕掛けたくだらない戯れはお見通しなのよ。匂いですぐに気付いたわ。至高の完全食たるあんぱんにこんなことをするなんて。ぼうとくの報いを受けなさい」

 二つ目のあんぱんを無理矢理まされたは、床に転げてもんぜつし始めた。

「あひぃ、ひぎぃぃぃっ!!」
「おいおい大丈夫か? 喉に詰まらせて窒息死したらしやにならないぞ」
「御心配なく。わたしは人体を知り尽くしている。食べ物を強引に確実にえんさせるなどやすいわ。だから気管に詰まることは無い。でも、大丈夫ではないでしょうね」
「もしかして、毒か?」
「おそらくね。どういう効果かはまあ、食べてみれば解るわ」

 そう言うとことわたるの皿からあんぱんを手に取り、自らの口に入れた。

「おいこと……」
「成程、やってくれたわね」

 ことは何かに納得しながら、大皿のあんぱんを全部食べ尽くした。

「盛られていたのは感度増幅の薬ね。あんぱんを一つ食べるごとに、体の感度が百倍になるわ」
「え!? それってえっちなコンテンツで良くある、あの?」
「まあそのたとえはどうかと思うけれど大体合っているわ。多分この、自分だけはあらかじめ中和剤を服用して薬の効果をそうさいしていたのよ。でも、中和効果は一つ分だけだったようね」

 地面では眼球を釣り上げ、あられも無い表情をさらしていた。
 自分で食した分は効果を相殺出来たとしても、ことの手によって二つ追加で食べさせられている。

「今、このは全身の感度が一万倍になっているというわけね」
「ん? ちょっと待って? 今、きみは何個食べた?」
「このびやくだんさんに買わせたのは十五個入りのギフトセットね。三つはこのが食べたから、残りは十二個だけれど、それが何か?」
「そうか、残念ながらことにはこの薬に対する耐性があったんだな」
「あら、無いわよそんなの」
「え?」
「食べた分だけ感度は上がっているけれど、我慢しているだけよ」
「ええ……」

 わたるがドン引きしている足下で、只管ひたすらもだえ続けていた。

「ていうか、しんがあるなら感度暴走はすぐにかいふくするんじゃないのか?」
「多分、薬にそうがんの成分も混ざっているわね。食べたらしんが失われるようになっているのよ。ま、これに関してはわたしは今しんを失っているから、効果は無いけれどね」

 ことが解説している足下で、は延々と悶え続けていた。

「助けれ……助けれくらふぁあい……!」
「あらあら、随分大変そうね。でも、とろけたお顔を晒しちゃって、とっても気持ち良さそう。折角なんだから、わたしために用意してくれた天国をこのまま味わい続けなさい」
「ふひ、ふひぃぃ……。ほ、ほんなぁ……」

 ことはさも愉快気に嗜虐的サディスティックな嘲笑を浮かべてを見下ろしていた。
 わたるはその表情と仕草にわくてきな魅力を感じてしまう。
 ほんの少し、うらやましいとすら思った。

わたる、鼻の下を伸ばさないの」
「ナ、ナンノコトカナ?」
「昔から下心をすのが下手な男ね。どうせこのに自分を重ねて変な妄想をしているんでしょう」

 図星だった。
 なお、二人がイチャ付いている足下では変わらずが悶絶している。

「無視ひないれ……」
「あ、ごめん。こと、これどうしようか?」
「自分のあんぱんに入れた中和剤があるでしょ?」
「一個分ひか用意ひれまへん……」

 わたるは深く溜息を吐いた。

とうえいがんを飲ませるしかないか……」
「そうね。喪失直後のしんは一時的にしか復活しないけれど、その間に薬を中和出来るでしょうし」
「ところで、とうえいがんの小瓶って今何処どこにあるんだっけ?」
さんが持っているわね」
「……詰んだじゃん」

 きゆうは今、遠く西日本へ出張している。
 今から連絡したとして、間違い無く戻りは夜遅くになる。
 二人のりを聞いて絶望したのか、足下のが激しく暴れ始めた。
 極端に増幅した感覚にいよいよ耐えられなくなったのだろう。

「本当、どうしようか?」
「やれやれね。成分は大体解ったから、わたしが中和剤を作ってくるわ」
「そんなこと出来るんだ……」
「必要な物は崇神會の本部に行けば手に入ると思うわ。じいさまが色々と黒いことをやっていたみたいだし」

 ことは体をかがめ、の顔をのぞんだ。

「仕方が無いから助けてあげるわ。これに懲りたら、二度とわたしに刃向かわないことね。三度目は無いわよ」
「ふぁい! ふぁい! 二度ろ逆らひまへん!」

 が必死にうなずくのを確認すると、ことは体を起こしてわたるの方を向いた。

「早ければ三十分くらいで戻るわ。わたる、こののことよろしく。感度が一万倍だから扱いには細心の注意を払うこと。くれぐれも変なことはしないように」
「するわけないだろ。いくらきみに似ているからといって……」
「ふぅん、わたし本人だったら?」
「十二個も食って平然としている癖によく言うよ……」

 わたるの返答に、ことは小さく笑って扉へ足を運んだ。

「良い? 彼女には何も与えては駄目よ。喉が渇いただのお腹がいただの訴えてきても全て無視。下手なものを摂取したら、例えばアルコールのめいてい作用やカフェインの覚醒作用も増幅しているから、命の保証が出来ないわ」
「はいよ。ぼくはこのが余計なことしないように監視していれば良い訳ね」
「そういうこと。じゃ、頼んだわよ」

 ことはそう言い残し、部屋を後にした。

(それにしても……)

 わたるに目をり、溜息を吐いた。

(本当にこととそっくりだな。この顔で巨大な快感に善がる姿、目の毒だ……)

 わたるは下腹部に集まろうとする血液をどうにか分散させるべく意識を他に向けながら、こと本人の帰りを待つのだった。
 結局、ことの戻りは一時間半後だった。
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