日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第四章『朝敵篇』

幕間十三『破邪顕正の華傑刀(火ノ巻)』 下

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 たかつがいしおり――旧名・ひばりしきしおりは、結婚して一年で不可解な自殺を遂げた。
 そのほうは、程無くして親友のはたにも伝わった。
 そのてんまつは、に貴族社会への疑念を抱かせるには充分だった。
 彼女はしゅうしんいんだいがくへの進学をやめ、一般の私立大学への進学を選んだ。

 は進学先の大学で、一人の先輩男子学生と親しくなった。
 今日はそんな彼と待ち合わせをし、裏町を案内してもらうことになっている。
 貴族社会に生きていた頃には触れ合うことの無かった世界が知りたかったのだ。

ふみ!」

 大学の正門へ向かっていたは、男の姿を認めて駆け寄った。
 ふみ――もう何年も在学しているという美青年で、小柄で細身でやや幼い顔立ち、そして強い意志を秘めたが印象的である。

「悪いふみ、待たせたかな?」
ぼくが好きで待ったんだよ。この社会で生きて行くには時間という支配者に隷属しなければならない。逆に言えば、無為に時間を浪費することこそが人生にける究極のぜいたくなのさ。愚かな成功者はこの贅沢を知らないけれどね。あわれなものだよ」
「ふふ、とうさまが聞いたら頭を抱えそうな言葉だ。だが、そうかも知れないな」

 の父・はたさいぞうは世界を股にかける実業家である。
 それ故、娘が庶民の生活を知りたいと言いだしても、それで知見を広められるならばと理解してくれた。
 はた男爵は愛の深い男で、事業の傍ら二人の娘の相手も決しておろそかにしなかった。
 しかしそれでも、父は何処どこまでも上流階級の人間だった。

ふみには色々なことを教わってばかりだな」
「そうでもないさ。ぼくさんと過ごす時間が楽しくて仕方が無いからね。確実な幸せが訪れるのを待つ瞬間にこそ、実は本当の幸せがあるものさ。ぼくさんに、そんな掛け替えの無いものをもらっているんだよ」

 ふみとの会話には、この様に何処か浮き世離れした哲学的な話題が多い。
 しかし彼は人生に於いて大切なことを確信している――澄んだ眼がそう語っていた。
 もまた、ふみと過ごす時間が好きだった。
 かみえいの様な力強い頼もしさとは異なる、そうめいさと安心感に満ちたところにかれていた。

「ではさん、行こうか」
「ああ」

 ふみに守られているような気がした。
 彼と居ればこの風景の中に自分が存在しても許される気がしたのだ。
 しおりの死以来、は心に黒いもやを抱えていた。
 しかしふみはそんな彼女の闇を理解し、受け止めてくれる。

「そうだ、さん」
「どうした、ふみ?」

 ふみは突然何かを思い出したように立ち止まった。

「実は近い内に、会わせたい人が居るんだよ。せっかくだから、今日この後で彼のことも呼んで良いかな?」
「会わせたい人?」
「簡単に言えば、ぼくに自分の道を教えてくれた人だよ。彼に会えば、きっきみの悩みの答えも見付かると思うんだ」
ふみ……」

 うれしかった。
 ふみは自分の悩みに対して真剣に向き合ってくれている。
 自分の為にわざわざ人と会う約束まで取り付けて、手間を掛けてくれる。

「ありがとう。ふみがそこまで言う人なら、わたくしも是非会ってみたい」
「本当かい? では、彼の都合を確認してみるよ」

 ふみはそう言うと、何者かに電話を掛けた。
 相手の合意も取れたようで、会合の席を設けることになった。



    ⦿⦿⦿



 二人は喫茶店に入り、テーブル席に向かい合ってすわった。

「もう少しで来ると思うから、何か頼んでおこう」
「ああ。ふみは何が良い? 遠慮せず、好きなものを頼んでくれ」
「いや、今日はさんのおごりじゃなくて良いよ。ぼくが無理を言って来てもらったんだし、この後で人も来るからね」

 そんな話をしつつ、二人は飲み物を注文した。
 珈琲コーヒーが届いた頃、見計らったかのように一人の壮年男が入店してきた。
 どうやら待ち人が来たようだ。

「初めまして。あんちんきよしと申します」

 長身の男だった。
 黒い装束は、どこか加特力の神父を思わせる。
 洗練された雰囲気をまとっているが、どういう訳かいい知れぬ不穏さもまた含んでいる。

(なんだ? この男、どこかで……)

 あんちんに見覚えがあった。
 しかし、どういう訳か全く思い出せない。
 そんなの不安をに、あんちんふみの隣に腰掛けた。

て、はたさん、でしたかな?」
「あ、はい」
君から話は聞いています。何か、悩みがあるそうですね」

 あんちんをじっと見詰めてくる。
 その視線に、彼女は生まれて初めて恐怖を覚えた。

(この眼は……まれる……! ふみ、どうして?)

 は助けを求める様にふみの方へ目を遣った。
 しかし、ふみもまたまっぐに見詰めている。
 普段、はこの眼で見られると、自分のことを包み隠さずに話すことが出来る。
 それが今は、包み隠すことを許していない様だ。

わたくしは……」

 は観念して話すことにした。
 親友のしおりたかつがい公爵家に嫁ぎ、そしてごうの死を遂げたこと。
 それを切掛に、自分がこうこくの貴族社会に疑念を抱くようになったこと。

「ふむ、成程……。それは大変胸の痛む話だね……」

 顔をしかめるあんちんだったが、その仕草にはどうにもさんくささが漂っている。
 は話してしまったことに後悔を覚えずにはいられなかった。

「しかしだ、きみわかっているとは思うが、このまま貴族社会の闇に目を背け続けたところで、きみは決してそのしがらみから逃れられはしない」
「やはり……そうでしょうか……」
「当然だ。そもそも、きみはた家から離れるつもりはあるかね? きみの通っている大學の学費は決して安くない。しゅうしんいんと比べれば庶民にんだつもりかも知れんが、それでも何不自由なく通えているのは男爵令嬢としての恩恵にあずかっている証左に他ならない」
「それは……解っています……」

 は膝の上で拳を握り締めた。
 正直、これはあんちんの言うとおりだと思った。
 だが、そんな彼女を見てあんちんは深い溜息を吐く。

「解っていないよ。ではわがはいが、きみに真実を教えてやろうではないかね」
「え?」

 あんちんが合図をすると、一人の女が入店してきた。
 ピンク色のラメが入った服を着た、にも派手な装いと厚化粧が印象的な女だった。

「どうも、貴族のお嬢さん」

 女はの退路をふさぐ様に隣の席に腰掛けた。

「あの、貴女あなたは?」
「そうだね……お前のせいでひどい目に遭った女、とだけ言っておこうか」
「何……?」

 女は憎しみに満ちた笑みを浮かべ、にらめる様に見詰める。
 その表情は、どこか蛇を思わせた。

「実はね、酷い婚姻にはきみも無縁ではないのだよ、はた君。ひばりしきしおりたかつがいよるあきと結婚した頃、きみちちうえもまたきみの縁談を進めていたのだ」
「え?」

 初耳だった。
 しかし、父親がそういう話を進めるであろうことは、自身解っていたことだ。

きみの父上はいのくま子爵家との縁談を進めようとしていた。たかつがいの結婚から一年が過ぎた頃、つまりしおり嬢が亡くなった頃だ。だが彼女の不幸があって、はたさいぞうはこの話を考え直した。ややもすると、きみのこともまた不幸な目に遭わせるかも知れないと恐れたのだ。そして調査の結果、縁談は立ち消えになった」
わたくしは……しおりが死ななければ……結婚していた……?」
「うむ。きみの縁談が無くなったのは、いのくま子爵家に恐るべき秘密があったからだ。きみの縁談相手にはおぞましい性癖の弟が居た。弟は女をいたることがやめられない真性の嗜虐趣味者サディストだった。それが破談の理由だ」
「そう……か……。たかつがい公爵といい、これがこうこくの貴族社会……」
ごとの様だがね、きみの御父上はこの事実を決して公表しなかったのだよ。その結果が、きみの隣に居る彼女の身内に厄災として降り掛かったのだ」

 はギョッとして隣の女を見た。
 厚化粧の裏に、ぞうに満ちた眼を輝かせている。

いのくま家の次男坊はな、わたしの妹と結婚した。そして、殺したんだよ! はた家が貴族社会での地位を守る為に、いのくま子爵家の秘密をにぎつぶしたせいでこうなった! お前だって無関係じゃない! だってそうだろう? はたさいぞうはお前のことだけ守ろうとしたんだから! お前は守りたかったが、わたしの妹のことはどうでも良かったんだ!」
「そんな、違う……! 御父様は、そんな人じゃ……」
「そこでおやかばう時点で、お前も薄汚い貴族共と同じ穴のむじななんだよ!」

 は激しくきゅうだんされた。
 テーブル席は、彼女をるしげる法廷と化した。

 くして、はたあんちんきよし――本名・どうじょうふとしにより自己批判を迫られ、革命戦士となることを余儀無くされた。
 新華族の令嬢がはんぎゃく者にちたという悲報はこうこく上流階級に衝撃を与えた。
 結果、そうせんたいおおかみきばなど叛逆組織の勧誘は、特別高等警察から厳重に取り締まられることになる。
 そしてこうこく内に増員の当てを失くしたおおかみきばは別時空の日本に手を伸ばし、やがはっしゅうによる拉致へとはしるのだ。
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