日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第四章『朝敵篇』

第八十二話『穢詛禍終』 急

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 アパートの一室、部屋の入口前に立つおとは闇を背負っていた。
 闇は玉子の殻にはしる亀裂の様にひろがっていき、彼とたいするどうじょうなわをももうとしていた。
 その形は八本の足を持つ節足動物にも似ていた。

どうじょうきみなわずみ……。これは『しんえいたいてんのう』たるぼくから『はちしゅう』たるきみ達に贈る最後のはなむけだ。しかし、ここで再び生まれ変わればきみ達は更なる力を得るだろう。日本を滅ぼすための絶大な力を……」
「『はちしゅう』? 我々は『はっしゅう』だよ?」
「おや、そうだったかな?」
「それに、餞とはどういうことです?」
「ふふふ……」

 おとは二人に向けて軽く握った拳を差し出した。
 彼の背負う闇とは対照的に、手の中から虹色の光が漏れている。

「先程も言ったとおり、今からきみ達に与えるのはこの世のものではない。しんが己の中の内なる神に近付く『晴れの力』だとすれば、そまつひは神に忌み嫌われる『けがれの力』。しかしその忌避は恐怖でもある。ならこの力には、この穢れには、神々が人を縛るこの世の理をむしばみ壊す力があるからだ!」

 おとを覆う闇が膨れ上がっていく。
 彼の姿は月影に潜む巨大な蜘蛛くもを思わせた。

しんは人間の力を神に近付け、あらひとがみとする。それに対し、そまつひは人間をこの世の者ではない別の存在に変えるもの。故に、そまつひを与えられた者はしんとは全く異質の力に目覚めるであろう。葬られたきみ達の希望は、死の世界から返り咲く……」

 おとの手が開かれた。
 そこには網に包まれた二つの球が乗っている。
 どんぐり大のあめだま、それが虹色の光の正体だった。

「それは一体……何かね?」

 どうじょうかたんだ。
 そのは何か、邪悪なものに見せられているかの様にけいけいと光っている。
 そんな彼に、おとは不気味な笑みをたたえて答える。

そまつひを得る為の食べ物『もつくび』。丁度しんけるとうえいがんのようなものさ。但し、とうえいがんと違いこのもつくびには効力の期限が無い。一度らえば、以後死ぬまでそまつひきみ達に定着する。もっとも、必ずしも得られるとは限らないがね。そまつひを身に付ける為には条件があるんだよ」
「条件?」

 なわは恐る恐る尋ねた。
 今おとの甘言に乗ってしまえば、おそらく取り返しが付かない。
 だが一方で、他に道が無いことも確かだ。
 今、二人はわらにもすがらざるを得ない状況だった。

 そんな二人の手に、「もつくび」なる虹色の飴玉が置かれた。
 予想以上に軽い、まるで手に何も乗っていないかの様だ。
 この軽さが、この世のものではないというおとの言により説得力を持たせる。

「条件はね、ぞうだよ。この世界に対する憎悪! 生きとし生けるものを根絶やしにしてやるという憎悪だ!」

 どす黒い闇が部屋を覆い尽くした。
 はやこの空間には、三人の姿以外何も見えない。

こいねがうならば授けよう! 理外の力、そまつひを! さあ、憎め世界を! 呪え大地を! うらめ人々を! 殺せ神々を! 今こそ、もつくびを喰らうが良い!」

 どうじょうは迷わず虹色の飴玉「もつくび」を口に含んだ。

「首領!?」
「考えるまでも無いだろう、同志なわ? さあ、きみも……」

 なわは震える手を見詰めていた。
 どうじょうはこの毒を喰らった。
 ならば自分も、それに従うまでだ。
 今までずっとそうしてきたのだから。

「で、では……!」

 覚悟を決めたなわもまた、もつくびを口に放り込んだ。
 すると、二人の胸から紫の闇が拡がり、二人を包み込んだ。

「さあ! 今この時より、きみ達も神へのはんぎゃく者となる! ようこそ、穢れとじゅに満ちた魔の世界へ!!」

 闇が晴れ、部屋が元通りのアパートの景色へと戻っていく。
 どうやら力は受け渡されたようだ。

「ククク、これがそまつひか……!」

 どうじょうは歓喜に震えている。
 新たに身に付けた力を実感しているのだろう。

 しかしなわは突然血を吐いて倒れた。
 なわは何が起きたのかわからず喉を押さえて苦しむ。
 その様子を見て、おとは溜息を吐いた。

「あーあなわ、やはりきみは駄目だったか。きみはこの期に及んで人を救おうなどと思い上がっていたんだね」
「ぐはッ! ぐはぁッ!!」
「全く笑わせる。きみ達がいったいどれだけ人を殺したと思っているんだ。きみ達がしたことは、国を地獄に落とし、そして奪い返されてなおさつりくを繰り返した、それだけじゃないか。どうじょう君はその点素晴らしい。ちゃんと、いぬの民族たる日本人への憎悪を自覚しているのいるのだからね」

 なわは体の穴という穴から血を噴き出してもだえる。
 そしてその苦しみの中で、一つの結論を突き付けられてしまった。
 彼はどうじょうを見上げ、血に塗れてしまった魂を絞り出すように問い掛ける。

「どうっ……! どうじょう君!! きみは本当にもう理想は要らないのか!? 日本人への、狗の民族への憎しみだけになってしまったのかッ!? もう二度とあの日々に!! 理想の社会を語り合った若き日々には戻れないのか⁉ わたしはずっと信じて……! 今は憎しみにとらわれていても、革命をし再び国を手に入れさえすればきみは本懐を取り戻してくれるとずっと……! わたしが感銘を受け、憧れたきみはもういないのかッッ!!」

 さいの声を振り絞り、その悲痛な胸の内を吐露するなわだが、どうじょうは最早そんな彼に眼もくれていなかった。
 ただただゆがんだ狂気の笑みを湛えて歓喜の声を上げている。

「ふっ……ふはははは!! 素晴らしい! 素晴らしいぞこの力は!! これがそまつひ、神の理の外側の力というやつなのか!! これならば勝てる!! 今度こそこうこくを落とし、日本人を地獄に落としてやれるぞォッ!!」
「ああ、出来るとも。何せそまつひしんを増幅させることすら可能だからね。かつぼくきみ達の力を引き出した様に、今度はきみ自身がきみの可能性を増幅させるんだ」

 自らの新しい力にれるどうじょう太の姿を、死になわは失望と共に見続けていた。
 どうじょうは遠くへ、取り返しの付かない場所へと行ってしまった。
 おとという得体の知れない男に連れ去られてしまった。
 最早嘗ての友はおらず、いまの視界にへばり付いているのは憎悪に塗れた悪魔のみである。

 今、嘗て一国を統治したヤシマ人民民主主義共和国の政府だった組織は、完全に闇にちた。
 その猛威はまずこの日本国で振るわれることになるだろう。
 そして彼の傍らにはなわの死体が、忘れ去られた理想の残骸の様に打ち捨てられていた。



    ⦿⦿⦿



 こうこく皇宮は食堂に続く扉の前、二人の美女が主の言付けで控えていた。
 じんのうが皇太子時代から召し抱えている近衛侍女、しきしまりゅういんしらゆきである。
 それぞれ長身にクラシックなメイド服とゴシックロリータ服をまとっており、帯刀した姿は主君の威信を感じさせる。

あらめ、余程あのかたに取り入りたいようだな……」

 しきしまけんしわを寄せ、主の客人に対するけん感をしにしていた。
 ここ数日、二人の主君であるかみえいは、こうどうしゅとう総裁・あらまさと何度も引見していた。
 選挙と政権運営に対する協力体制について話し合っているようで、近衛侍女たる二人すら話し合いの場からは外されていた。

「でもしきしまちゃん、あらの考えは正しいわぁ」

 りゅういんは含み笑いを浮かべ、あらの思惑を評する。

「どういうことだ、りゅういん殿」
「あの御方は、かみ様は極めて純粋な御方よぉ。いとしい者を愛し、守りたい者を守る。その範囲を拡げようとする寛大さを備える一方で、時には果断な処置も辞さない。ならば、周囲の人間はどうするべきなのか。かみ様にとって愛すべき、守るべき者となれば良い。そういう意味で、あの御方を自らの思想の擁護者にしようとしているあらは正しい」
「それを取り入ると言うのだがな……」
「だから、取り入って正解なのよぉ」

 しきしまは溜息を吐いた。
 かみじんのうとなった今、こうこくは急激によみがえろうとしている。
 むしろ、勢い余ってより強くなろうとしている空気すらある。
 本来は政治的実権を持たないじんのうだが、かみえいは内閣総理大臣のづきれんろうをも通り越して復興に影響を与えていた。

 一見すると、みかどの人徳によってこうこくをより良い未来へと導いている様に見えるだろう。
 だが、これが危うい傾向であるということもしきしまには解っていた。
 かみは帝でありながら首班指名を目指し、じんのう親政の復古をもくあらに担ぎ出されようとしている。
 それはこうこくにとって、きんの扉を開けることに他ならなかった。

「考え無しにかみ様をその気にさせて……。これでは誰にも止められなくなるぞ……」
「あら、そもそもあの御方を止めることなど出来るとでも?」

 りゅういんが笑みに不穏な闇を宿らせる。

「でも心配することは無いわ。あの御方がこうこくを、日本人を心から愛している限り、全ての世界に於ける日本人にとって、あの御方の治世はこの上無いふくいんとなるわぁ……」

 しきしまりゅういんの言葉に何処どことなくすさまじい不穏さを覚えた。
 りゅういんは白い歯を見せて笑っている。

「ふふふ、日本人を愛している限り、ね……」

 りゅういんの背後に不気味な影が拡がっている。
 それはさながら、巨大な八本足の節足動物――恐るべき蜘蛛の怪物の形に似ていた。
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