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第四章『朝敵篇』
幕間十四『破邪顕正の華傑刀(血ノ巻)』 下
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麒乃神は周囲を見渡す。
自身を取り囲む賊の中に文也を見付けた彼女は、眼を合わせて蠱惑的な笑みを強めた。
「懐かしい顔ですね……。御前は私が贔屓にした宝石商の息子でしょう? 相変わらず……」
文也は警戒を強めた、強めた筈だった。
だが麒乃神はあっさりと、軽やかに、縮地的に、充分離れていた筈の文也の頬に手を触れたのだ。
「見目麗しくて何よりですよ……」
その瞬間、文也の全身を例えようのない恐ろしい悪寒が奔った。
体の芯から刹那にして凍り付いてしまうかの様な感覚に、彼は全てを悟ってしまった。
嗚呼、我々は今からこの女に蹂躙される。
「リーダーから離れろ!!」
誰かが叫んだ。
しかし、その瞬間に麒乃神は叫んだ男の目の前に移動していた。
その動きを、この場の誰も捉えることが出来ない。
「無礼者」
麒乃神は男の頬を平手打ちした。
同時に、男の頭部から燃える球体が飛び出した。
男は一撃で頭を失い、千切れた首から鮮血を噴き出させていた。
「莫迦な、こんなにあっさり!」
「焔の能力か!」
部隊に動揺が奔った。
「狼狽えるな! 基より手強いのは承知の上!」
「少数精鋭の我々がこれだけの数を揃えたんだ! 一人二人斃れようと必ず命を殺る!」
別の二人が麒乃神の背後を取った。
そして、術識神為の能力を行使する。
『術識神為・美徳の盾』
『術識神為・悪徳の矛』
彼らが作ったのは、その名の通り矛と盾だ。
誰もが知る有名な故事「矛盾」――まさにその通りの、説に違わぬ全てを貫く矛と全てを弾き返す盾である。
術識神為――即ち、術の形で発揮される神為。
萬物に秘められし神性、神の為し事、或いは神に為る事。
それは通常、まずは超常的な生命力、回復力、修復力、復元力という形で現れる。
次に、超常的な身体能力、気力の放出。
最後に、数々の特殊な能力を以て完成へと至る、とされている。
彼らの能力は二つで一つ。
それは故事の通り、矛で盾を突くことによって完成する。
その結果は、この世の摂理に於いて起きてはならないことである。
突いた瞬間の接点は、この世に在ってはならない空間である。
故に生じる、完全な「虚無」。
二人の能力はこの「虚無」をほんの一瞬作り出し、付近の物体を全て虚無に巻き込んで消滅させるというものだ。
しかし二人が各々の装備を構えた瞬間、麒乃神は不敵に笑った。
「下らない……」
「何だと!?」
「構うな! 良いからやるぞ!」
矛の一撃が盾に向かって放たれる。
しかし、禁断の衝突は起こらなかった。
麒乃神がいつの間にか二人の間に割って入っていた。
矛は麒乃神の指先で、あっさりとその刺突を止められてしまったのだ。
「え……? なっ……⁉」
男は驚愕していた、当然だろう。
麒乃神の指先は、出血はおろか鬱血すらしていなかったのだ。
「全てを貫ける矛……そう思うならば抑もその矛で攻撃すれば宜しい。尤も、そんな身分賤しき者の下賤な『言い分に従って』、『貫かれてやる義務』など私にはありませんがね」
「何だとォッ……!?」
矛の男は恐れ戦いて後退る。
そんな彼を鼻で笑い、麒乃神は言葉を続けた。
「大体、御前達の戦い方は小狡いのですよ。やれ、『相手に彼其をさせる能力』だの、『自分は何是をされない能力』だの、挙げ句の果てには『相手を必ず斃す無敵の能力』だのと……。喩えるならば素手の決闘に自分だけ拳銃を持ち出す、或いは相手を縄で縛って思う存分殴る蹴るを行う様なもの……。如何にも身分卑しき者の下賤な戦い方と言うより他ありませんね……」
この第一皇女は、矛の男だけでなくこの場にいる全員、否、もっと多くの戦士たちを嘲笑っていた。
「へええ……。じゃあ見せてくださいよ。第一皇女殿下の高貴なる戦い方というやつを……!」
盾の男はそんな彼女に苛立ったのか、あろうことか挑発を返してしまった。
そんな彼に顔を向けた彼女は、天使の様な悪魔の様な晴れやかな笑みを見せた。
「良いでしょう」
それだけ言うと、麒乃神聖花は笑顔のままで全ての攻撃を弾き返す筈の盾を殴った。
殴った瞬間、その盾は粉々に砕け散ってしまった。
「なッ!?」
麒乃神は燃える手を振り、炎を消し去った。
「あり得ない……。全てを貫く筈の矛で傷一つ付かず、全てを防ぐ筈の縦を砕くなんて……。その焔の能力に一体どんな秘密があるというのだ……?」
「全く、無礼なのか物分かりが悪いのか……。この焔は能力などではありませんよ。ただ打撃の時、空気の摩擦で火が点いてしまうだけです。もう少し洗練された拳なら、火が点かないように空気の隙間を縫えるらしいのですがね」
麒乃神は腕を振り上げた。
いつの間にかその手には、閉じた黄金の扇が握られていた。
そして、燃え盛る黄金の殴打。
盾の男の頭はそれだけで腐ったトマトの様に潰れ、燃え始めた。
彼ばかりではない。
矛の男も、それから次から次へとこの只の黄金の扇子による殴打が地上ノ蠍座の精鋭達を虐殺していく。
彼女は力が強いばかりではなく、舞う様なその動きも掴み所が無い。
文也には一層優雅にすら見えた。
焔を纏う殺戮の舞いは、神々しさすら帯びていた。
術識神為は人間の奥底に眠る力の極致――ただそう思っているのはどうやら皇族の言う「身分卑しき者」だけらしい。
抑も神との繋がりという意味では、天神の血筋である皇族に勝る者など現在の皇國には存在しない。
居たとしてもそれは前時代の弾圧によって絶えてしまった。
皇國の皇族にとって神為とは「単なる力」であり、またその総量自体が桁違いなのだ。
また、能力が通用しない理屈も単純である。
皇族にとってそれは、喩えるならば「バリアを張った」と言って遊ぶ子供の戯言――正しく児戯なのである。
「う、うわあああっ!!」
流石に力の差を悟ったのか、文也の部下達は血相を変えて逃亡し始めた。
それを見て麒乃神は残酷な、しかし美しい笑みを浮かべ、掌から神為の光を放出する。
力の奔流は逃げ惑う賊を跡形も無く消し飛ばしてしまった。
それはまるで彼女の意に添う様に、消すべき者だけを消し残すべき物には傷一つ付けていなかった。
残されたのは文也一人だけだ。
「扨て、御前の処遇ですね……」
麒乃神はわざとらしく、ゆっくりと恐怖に固まる文也に歩み寄って来る。
恐怖――果たしてそうだろうか?
「麒乃神……聖花……」
憎き仇敵を前に思い出す。
父が嘗て彼女を見たあの目――あれは確かに、中年の男が我が子よりも幼い少女に向ける視線ではなかった。
あれは確かに、宝石よりも美しい愛すべきものを見つけてしまったという眼差しだった。
「違いますよ」
そんな追憶を見透かしたように、第一皇女は笑った。
「彼は宝石になりたいと願ったのですよ。そしてこの私に愛でられたいと……。あの時の眼はそう訴えていました」
「何……だと……?」
文也は腰を抜かし、迫り来る彼女から逃げることも出来ず、唯々己の運命を待っていた。
ふと、彼はある事に気が付く。
目の前で、彼女の有り得ない一部が主張していた。
「あらあら、嫌だわ私ったら」
麒乃神聖花、両性具有の第一皇女。
噂には聞いていたが、目の前に突き付けられたそれは想像を遙かに上回っている。
文也は別の意味でも、彼女に到底敵わないと認めざるを得なかった。
そしてその時、彼は漸く父の眼の意味を悟った。
「あれは……あれは乙女の眼だ! 父さんはあろうことか年端も行かぬ少女を前に、乙女にされたっ! 眼差しを、接吻を、抱擁を、そして目合いを乙女として求めたのだッ!!」
「御名答! 漸く真実に辿り着けましたね。ですが、本当はそれだけではないのでしょう?」
麒乃神を中心に視界が、世界が歪んでいく。
駄目だ、この人は女神だ。
刃向かえない、逆らえない。
「さあ、正直に仰い! 私に心の内を全て曝け出すのです!」
「父さんッッ!! そんなこと出来るわけ無いだろう!! 歳を考えろよッッ!! 僕ならいざ知らずううぅぅッッッ!!」
余りにも恥を知らぬ絶叫。
だが、それが麒乃神には心地良かったらしい。
うっとりとした眼で天を仰いでいる。
「糞っ!! 糞ぉっ!! 殺してくれ!! 僕もみんなみたいに殺してくれ!!」
文也の感じた惨めさは想像に余りある。
だがそんな彼に、麒乃神は更に悪魔の様に囁いた。
「文也、御前ね、父親似ですよ」
「え?」
「親子の夢を叶えましょう? さあ、生まれ変わるのです。黄柳野文也という名は棄てなさい。今この時より御前の名前は宍妻娼也。私のもう一人の夜伽役となりなさい」
斯くして、黄柳野文也という男は宍妻娼也という名の存在に変えられ、麒乃神聖花の愛玩人形に堕ちた。
⦿⦿⦿
再び皇紀二六八六年――西暦にして二〇二六年の、八月十五日に時を戻す。
今、娼也は鏡に映った自分の身体を見詰める。
そこには嘗て願った様な、雌に堕ちた雄失格の男の姿があった。
『御前もこんな風になれますよ』
今は亡き麒乃神の言った通りだった。
それは逃れられない、拭えない屈服の烙印。
それを魂にまで刻まれたのだと悟った彼は、笑い叫ぶより他に無かった。
「アハハハッ……アァーッハッハッハッハッハァーッッッ!」
今、繭売娼也は周囲を見渡す。
父が主に売った宝石が散らばっている。
今の彼に出来ることは、最早この空間を滅茶苦茶にすることだけだった。
狂った様に喚き散らしながら部屋で暴れ回った彼は、髪を切る為の鋏を自らの喉に突き刺して死んだ。
革命動乱で神皇は崩御し、皇位は麒乃神聖花の弟である第一皇子・獅乃神叡智が継承した。
新たな神皇となった彼は姉の思い出として麒乃神邸を残すことを望んだが、この部屋だけは完全に封鎖されることとなった。
自身を取り囲む賊の中に文也を見付けた彼女は、眼を合わせて蠱惑的な笑みを強めた。
「懐かしい顔ですね……。御前は私が贔屓にした宝石商の息子でしょう? 相変わらず……」
文也は警戒を強めた、強めた筈だった。
だが麒乃神はあっさりと、軽やかに、縮地的に、充分離れていた筈の文也の頬に手を触れたのだ。
「見目麗しくて何よりですよ……」
その瞬間、文也の全身を例えようのない恐ろしい悪寒が奔った。
体の芯から刹那にして凍り付いてしまうかの様な感覚に、彼は全てを悟ってしまった。
嗚呼、我々は今からこの女に蹂躙される。
「リーダーから離れろ!!」
誰かが叫んだ。
しかし、その瞬間に麒乃神は叫んだ男の目の前に移動していた。
その動きを、この場の誰も捉えることが出来ない。
「無礼者」
麒乃神は男の頬を平手打ちした。
同時に、男の頭部から燃える球体が飛び出した。
男は一撃で頭を失い、千切れた首から鮮血を噴き出させていた。
「莫迦な、こんなにあっさり!」
「焔の能力か!」
部隊に動揺が奔った。
「狼狽えるな! 基より手強いのは承知の上!」
「少数精鋭の我々がこれだけの数を揃えたんだ! 一人二人斃れようと必ず命を殺る!」
別の二人が麒乃神の背後を取った。
そして、術識神為の能力を行使する。
『術識神為・美徳の盾』
『術識神為・悪徳の矛』
彼らが作ったのは、その名の通り矛と盾だ。
誰もが知る有名な故事「矛盾」――まさにその通りの、説に違わぬ全てを貫く矛と全てを弾き返す盾である。
術識神為――即ち、術の形で発揮される神為。
萬物に秘められし神性、神の為し事、或いは神に為る事。
それは通常、まずは超常的な生命力、回復力、修復力、復元力という形で現れる。
次に、超常的な身体能力、気力の放出。
最後に、数々の特殊な能力を以て完成へと至る、とされている。
彼らの能力は二つで一つ。
それは故事の通り、矛で盾を突くことによって完成する。
その結果は、この世の摂理に於いて起きてはならないことである。
突いた瞬間の接点は、この世に在ってはならない空間である。
故に生じる、完全な「虚無」。
二人の能力はこの「虚無」をほんの一瞬作り出し、付近の物体を全て虚無に巻き込んで消滅させるというものだ。
しかし二人が各々の装備を構えた瞬間、麒乃神は不敵に笑った。
「下らない……」
「何だと!?」
「構うな! 良いからやるぞ!」
矛の一撃が盾に向かって放たれる。
しかし、禁断の衝突は起こらなかった。
麒乃神がいつの間にか二人の間に割って入っていた。
矛は麒乃神の指先で、あっさりとその刺突を止められてしまったのだ。
「え……? なっ……⁉」
男は驚愕していた、当然だろう。
麒乃神の指先は、出血はおろか鬱血すらしていなかったのだ。
「全てを貫ける矛……そう思うならば抑もその矛で攻撃すれば宜しい。尤も、そんな身分賤しき者の下賤な『言い分に従って』、『貫かれてやる義務』など私にはありませんがね」
「何だとォッ……!?」
矛の男は恐れ戦いて後退る。
そんな彼を鼻で笑い、麒乃神は言葉を続けた。
「大体、御前達の戦い方は小狡いのですよ。やれ、『相手に彼其をさせる能力』だの、『自分は何是をされない能力』だの、挙げ句の果てには『相手を必ず斃す無敵の能力』だのと……。喩えるならば素手の決闘に自分だけ拳銃を持ち出す、或いは相手を縄で縛って思う存分殴る蹴るを行う様なもの……。如何にも身分卑しき者の下賤な戦い方と言うより他ありませんね……」
この第一皇女は、矛の男だけでなくこの場にいる全員、否、もっと多くの戦士たちを嘲笑っていた。
「へええ……。じゃあ見せてくださいよ。第一皇女殿下の高貴なる戦い方というやつを……!」
盾の男はそんな彼女に苛立ったのか、あろうことか挑発を返してしまった。
そんな彼に顔を向けた彼女は、天使の様な悪魔の様な晴れやかな笑みを見せた。
「良いでしょう」
それだけ言うと、麒乃神聖花は笑顔のままで全ての攻撃を弾き返す筈の盾を殴った。
殴った瞬間、その盾は粉々に砕け散ってしまった。
「なッ!?」
麒乃神は燃える手を振り、炎を消し去った。
「あり得ない……。全てを貫く筈の矛で傷一つ付かず、全てを防ぐ筈の縦を砕くなんて……。その焔の能力に一体どんな秘密があるというのだ……?」
「全く、無礼なのか物分かりが悪いのか……。この焔は能力などではありませんよ。ただ打撃の時、空気の摩擦で火が点いてしまうだけです。もう少し洗練された拳なら、火が点かないように空気の隙間を縫えるらしいのですがね」
麒乃神は腕を振り上げた。
いつの間にかその手には、閉じた黄金の扇が握られていた。
そして、燃え盛る黄金の殴打。
盾の男の頭はそれだけで腐ったトマトの様に潰れ、燃え始めた。
彼ばかりではない。
矛の男も、それから次から次へとこの只の黄金の扇子による殴打が地上ノ蠍座の精鋭達を虐殺していく。
彼女は力が強いばかりではなく、舞う様なその動きも掴み所が無い。
文也には一層優雅にすら見えた。
焔を纏う殺戮の舞いは、神々しさすら帯びていた。
術識神為は人間の奥底に眠る力の極致――ただそう思っているのはどうやら皇族の言う「身分卑しき者」だけらしい。
抑も神との繋がりという意味では、天神の血筋である皇族に勝る者など現在の皇國には存在しない。
居たとしてもそれは前時代の弾圧によって絶えてしまった。
皇國の皇族にとって神為とは「単なる力」であり、またその総量自体が桁違いなのだ。
また、能力が通用しない理屈も単純である。
皇族にとってそれは、喩えるならば「バリアを張った」と言って遊ぶ子供の戯言――正しく児戯なのである。
「う、うわあああっ!!」
流石に力の差を悟ったのか、文也の部下達は血相を変えて逃亡し始めた。
それを見て麒乃神は残酷な、しかし美しい笑みを浮かべ、掌から神為の光を放出する。
力の奔流は逃げ惑う賊を跡形も無く消し飛ばしてしまった。
それはまるで彼女の意に添う様に、消すべき者だけを消し残すべき物には傷一つ付けていなかった。
残されたのは文也一人だけだ。
「扨て、御前の処遇ですね……」
麒乃神はわざとらしく、ゆっくりと恐怖に固まる文也に歩み寄って来る。
恐怖――果たしてそうだろうか?
「麒乃神……聖花……」
憎き仇敵を前に思い出す。
父が嘗て彼女を見たあの目――あれは確かに、中年の男が我が子よりも幼い少女に向ける視線ではなかった。
あれは確かに、宝石よりも美しい愛すべきものを見つけてしまったという眼差しだった。
「違いますよ」
そんな追憶を見透かしたように、第一皇女は笑った。
「彼は宝石になりたいと願ったのですよ。そしてこの私に愛でられたいと……。あの時の眼はそう訴えていました」
「何……だと……?」
文也は腰を抜かし、迫り来る彼女から逃げることも出来ず、唯々己の運命を待っていた。
ふと、彼はある事に気が付く。
目の前で、彼女の有り得ない一部が主張していた。
「あらあら、嫌だわ私ったら」
麒乃神聖花、両性具有の第一皇女。
噂には聞いていたが、目の前に突き付けられたそれは想像を遙かに上回っている。
文也は別の意味でも、彼女に到底敵わないと認めざるを得なかった。
そしてその時、彼は漸く父の眼の意味を悟った。
「あれは……あれは乙女の眼だ! 父さんはあろうことか年端も行かぬ少女を前に、乙女にされたっ! 眼差しを、接吻を、抱擁を、そして目合いを乙女として求めたのだッ!!」
「御名答! 漸く真実に辿り着けましたね。ですが、本当はそれだけではないのでしょう?」
麒乃神を中心に視界が、世界が歪んでいく。
駄目だ、この人は女神だ。
刃向かえない、逆らえない。
「さあ、正直に仰い! 私に心の内を全て曝け出すのです!」
「父さんッッ!! そんなこと出来るわけ無いだろう!! 歳を考えろよッッ!! 僕ならいざ知らずううぅぅッッッ!!」
余りにも恥を知らぬ絶叫。
だが、それが麒乃神には心地良かったらしい。
うっとりとした眼で天を仰いでいる。
「糞っ!! 糞ぉっ!! 殺してくれ!! 僕もみんなみたいに殺してくれ!!」
文也の感じた惨めさは想像に余りある。
だがそんな彼に、麒乃神は更に悪魔の様に囁いた。
「文也、御前ね、父親似ですよ」
「え?」
「親子の夢を叶えましょう? さあ、生まれ変わるのです。黄柳野文也という名は棄てなさい。今この時より御前の名前は宍妻娼也。私のもう一人の夜伽役となりなさい」
斯くして、黄柳野文也という男は宍妻娼也という名の存在に変えられ、麒乃神聖花の愛玩人形に堕ちた。
⦿⦿⦿
再び皇紀二六八六年――西暦にして二〇二六年の、八月十五日に時を戻す。
今、娼也は鏡に映った自分の身体を見詰める。
そこには嘗て願った様な、雌に堕ちた雄失格の男の姿があった。
『御前もこんな風になれますよ』
今は亡き麒乃神の言った通りだった。
それは逃れられない、拭えない屈服の烙印。
それを魂にまで刻まれたのだと悟った彼は、笑い叫ぶより他に無かった。
「アハハハッ……アァーッハッハッハッハッハァーッッッ!」
今、繭売娼也は周囲を見渡す。
父が主に売った宝石が散らばっている。
今の彼に出来ることは、最早この空間を滅茶苦茶にすることだけだった。
狂った様に喚き散らしながら部屋で暴れ回った彼は、髪を切る為の鋏を自らの喉に突き刺して死んだ。
革命動乱で神皇は崩御し、皇位は麒乃神聖花の弟である第一皇子・獅乃神叡智が継承した。
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