日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第四章『朝敵篇』

第八十九話『暴走』 序

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 九月二六日土曜日の夕刻、きゅうは一人、街で車を走らせていた。
 先週は事態がまぐるしく動き、一時は王手まで掛けたものの、結局捜査に進展は得られていない。
 それどころかむしろ、特殊防衛課は逆に追い詰められていた。

ひとさきもりたちの契約は前倒しで延長したが、まさか週刊誌であんな記事が出てくるとはな……)

 木曜日、せいてんへきれきが彼らを襲った。
 週刊誌がすめらぎかなの行いについて、有ること無いこと並べ立てて報じたのだ。
 拉致被害者の軟禁、とうえいがんの利用、じんかいとの濃厚な関係――それらは事実に基づいていたものの、記事の書き方はかなり誇張されており、あたかもすめらぎこうこくとの戦争を利用して国家を私物化しようとしたかの如く報じられていた。

すめらぎ先生が特別警察特殊防衛課を始めとしたこうこくと戦うための諸制度を作り、運用する為に様々な違法・脱法的手段を用いたのは事実だ。しかし、自由民主主義と法治主義の破壊と独裁をもくんでいた事実は無い。寧ろこうこくからそれらを守るにはそうするしか無かったのが実情だ。しかし、そう言っても通用せんのだろうな……)

 は溜息を吐いた。
 国会召集と内閣総辞職を二日後に控え、いよいよ特殊防衛課は動きを止められてしまうかも知れない。
 そうなると、そうせんたいおおかみきばしんえいたいてんのうのことは私的に追うしかなくなってしまう。
 血液の提供など、警察からの捜査協力もこれまで通りには得られなくなるだろう。

(なのにあれからどうじょうの行方は全くつかめていない。やつの二人の子も、しんえいたいてんのうのことも……)

 は一度、どうじょうの潜伏先を掴み、人員をそこへと結集するところまでは行っている。
 しかし、彼はとらわれのびゅまんれいを救出することと、ずみふたの安否確認を優先してしまった。
 かげどうじょうは逃亡し、また潜伏先を変えてしまった。
 今のところ、その手掛かりは完全に消滅している。

の様には行かんということか。所詮、おれは素人だからな……)

 は今は亡き部下・れんのことを思い出していた。
 驚異的な調査能力を持つ、ちょうほうのプロフェッショナル――彼ならば、どうじょうしんえいたいてんのうの潜伏先もあっさりと掴んでしまったのだろうか。
 彼は実に優秀なふところがたなだった。

 車を走らせるは、気が付くと見覚えのある路地へと出ていた。
 すめらぎの議員秘書だった時代、何度か通った道だ。
 有力な支持者だった神社へ参っていた記憶が昨日の様に思い出される。

 ふと懐かしくなった彼は、車を近くの駐車場に置いて久々に参ってみたくなった。
 行き詰まった現状に、過ぎ去った時代の残り香に誘われて逃避してみたくなったのかも知れない。

 鳥居を前にした彼が最初に感じたのは、議員秘書時代には無かった寂しさだった。
 建物も敷地も、鳥居もこまいぬも、心なしかすべてが小さく見える。

(気の持ちようで景色の見え方はこうも変わるのか)

 彼は溜息を吐いた。
 現実が変わらず存在し続ける以上、気晴らしというものの何と無意味な事か。
 夕日が神域を朱色に照らし、過去をに付そうとしている。
 余り長居するものでもないし、は軽く参ってその場を立ち去り、ホテルに戻ろうと考えた。

「む……」

 その時、は一人の中年女性とが合った。
 痛々しい傷跡の残る犬を連れ、日課の散歩で通りかかったらしい。
 は彼女のことを知っている。

さん、お久し振りです」
はらさん……」

 はらもみじ――そうせんたいおおかみきばに拉致された被害者のうち、最初に殺されてしまった女子高生・はらひなの母親である。
 以前は娘の担当だった愛犬の散歩だが、今は彼女が請け負っているようだ。
 果たしてなる心持ちで毎日この道を、この神社を通っているのだろう。
 もみじは、互いに一礼した。

はらさん、娘さんの件は力になれず、おびする言葉も見付かりません……」

 にとって、もみじは合わせる顔の無い人物だ。
 彼らはおおかみきばに拉致された国民全員を帰国させられた訳では無かった。
 救出する前に死亡してしまった者も居れば、不手際で死なせてしまった者も居る。
 そしてもみじは、拉致事件発覚のきっかけであり、すめらぎかなわらにもすがる思いで調査を頼んできた人物であり、最も若くしてかえらぬ人となった被害者の遺族である。

 もみじからの汎ゆる罵声を覚悟していた。
 しかし、もみじの表情は思いの外穏やかなものだった。
 大いなる悲しみが宿った眼をしてはいた。
 しかし、に対する批難はほとんど感じられない。

「他の方が帰国されたということは、すめらぎ先生は間違いなく娘の為に力を尽くしてくれたということですよね。それにさんもまた自らこうこくへ乗り込み、命辛々戻られたと聞いています。わたし達家族としては感謝こそすれ、うらつらみを申し上げるつもりなど毛頭御座いません」

 もみじの言葉を意外におもったどうもくし、一瞬言葉に詰まった。

「……もったいことです」
「それに、今は娘を拉致した犯人の一味を追い掛けてくれているんでしょう? 駅前に指名手配のポスターが貼られていますし、何人かはもう捕まったんですよね」

 そうせんたいおおかみきばが日本国へ逃亡してすぐ、彼らは警察にはっしゅうの指名手配を要請した。
 幸いなことに彼らの姿は世界中の空に映し出されていて、顔写真には困らない。
 その内、情報提供を今も受け付けているのは首領のどうじょうふとしとその血縁だけだ。

「国家の安全保障の為ですから……」

 は答えを濁した。
 正確には、捜査を終えた三人に関しては容疑者死亡という結末になっている。
 決して胸を張れる成果ではない。

 だがはどこか心に西日が差した様な気がした。
 自分達がやってきたことで、ほんの少しでも報われたと感じている人は確かに居るのだ。

 もみじの表情は決して明るくない。
 作り笑いには一言で表せない複雑な心情を隠しているのだろう。
 に対する感情も、言葉通りではあるまい。
 しかし、全てがうそという訳でもないだろう。

(彼女はおれに対して、努めて穏当に接してくれている。少なくとも、彼女の中ではまだおれ達はそうすべき相手なのだろう……)

 は考える。
 彼女は今、すめらぎのことをどうにか許せているのだ。
 それは彼女の心が完全な闇に染まっていないということである。
 自分達の戦いが、彼女の中で小さな光を保っている。

はらさん」
「はい」
「仕事が一段落したら、一度娘さんに手を合わさせていただけませんか?」
「それはつまり……」

 もみじは軽く目を開いた。
 そして一瞬だけ眉を下げると、再び小さくほほみを見せる。
 夕日が影を差した、物悲しげな笑顔だった。

「お気持ちだけ頂いておきます。どうか御無理はなさらないでください。すめらぎ先生のように倒れてしまっては元も子もありませんよ」
「出過ぎた言葉でした。づかい、感謝いたします」

 何処どこまでも穏当なもみじの気遣いがの身に染みた。
 決して晴れやかな気分ではないが、視界が開けていく気がする。

「ではさん、わたしはこれで。すめらぎ先生にもよろしくお伝えください」
「はい。御時間をいただき、ありがとうございました」

 もみじは愛犬「ミッキー」を連れて神社を後にした。
 はその背中を見送りつつ、考える。

(出来れば帰してやりたかったよ。娘のひなさんをな……)

 はらひなを拉致したのはどうじょうふとし本人である。
 この情報もまた、からもたらされたものだ。
 つまり、もみじの娘の敵はいまだ取れていない。
 は奥歯をめた。

(こんなことをしている場合ではない。まだ日数は残されている)

 そう、まだ終わった訳ではない。
 政権が変われば、特別警察特殊防衛課は廃止され、現行の組織も凍結されるだろう。
 だが、まだその日程までは決まっていない。
 まだ諦めるには全然早過ぎるのだ。

(なんとしても、どうじょうふとししかるべき報いを受けさせなくては!)

 は決意を新たに歩き出した。
 その足取りは、来た時とは打った変わって力強いものだった。
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