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序章
第一話『轟臨』 破
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騒ぎの起きている学校から少し離れた病院の一室で、ベッドに寝そべる老人と傍らの椅子に腰掛けた少女が面会していた。
「儂を訪ねて来たという事は、解っておるのだな、魅琴よ?」
「はい、御爺様……」
魅琴はどこか物憂げな眼差しで痩せた老人を見詰めていた。
晴れた日差しが二人を包み、浮世離れした光のヴェールを演出している。
「お前さんも察しの通り、明確な予兆が顕れた。だが残念ながら、儂はもう長くはあるまい。口惜しいが、最早この手で出来る事は残されておらん」
「御心配には及びません」
魅琴は膝の上で拳を握り締めた。
「私の思いは御爺様と概ね同じですから」
「そうか、すまんな……」
老人は眉間に皺を寄せた。
その表情には後ろめたさが滲んでいる。
二人の目元はどこか似ていた。
そこへ、一人の中年男が入って来た。
「総帥、魅琴御嬢様、どうやら『彼奴等』が妙な動きを……」
男の報告の全容に、魅琴と老人の表情が一気に険しくなった。
「御爺様」
「魅琴よ、先程も言うた通り、最早儂に出来る事は何も無い。後はお前さんの心持ち次第じゃ。しかし、もしお前さんが儂の願いを叶えてくれるというのなら……」
老人の、おそらく最期の頼みを聴き遂げた魅琴は彼の手を握って「はい」と答えた。
そして眦を決すると、立ち上がって足早に病室を発った。
⦿⦿⦿
学校を占拠しようとする謎の集団が押し寄せて来る様は、獲物を集団で狩る肉食獣の群れを思わせた。
下駄箱の陰に隠れているだけの航は、狼藉者が目の前を通れば忽ち見つかってしまうだろう。
航は校舎の中へと走った。
「誰か逃げたぞ!」
「捕まえろ!」
迷彩服を身に着け、軍刀の様な得物を携えた男が二人、航を追い掛けて来た。
「何だ!? 一体何なんだよあいつら!?」
訳も分からないまま、航は走る。
学校がテロリストに占拠されようとしている――そんな、ベタな非日常が危機を齎している。
校舎に踏み込んで来たのは他にも十数人。
即ち、航との追い掛けっこと同時進行で、他の教室にも敵の魔の手が伸び始めている。
「何の為に、こんなごく普通の学校を?」
航が疑問に思ったその時、再び拡声器の様な声が響いた。
『安心し給え、我々に諸君を傷付ける意図は無い。ただ、一人の生徒との交換材料になっていただきたい。彼女との交渉が滞り無く済めば、諸君の身柄は速やかに解放しよう。いらっしゃいますね、御嬢様。この国難、四方や解らぬ貴女ではありますまい』
航は我が耳を疑った。
たった一人の女子生徒を攫う為に、この軍隊コスプレ集団は学校に押し入ったのだという。
(警察に連絡しよう! スマホは机の中だ!)
航は教室へ向かう。
体操服に着替えた際、スマートフォンを制服ごと机の中に置いて来てしまっていた。
敵としても無人の教室に人を遣る理由は無いだろうから、取りに行ける可能性はある。
今、通報出来るのは航だけでもある。
見たところ敵の装備は軍刀くらいのもので、機動隊が動員されれば脅威になるものでもないだろう。
兎に角、スマートフォンを回収しなければ始まらない。
教室のある三階へ辿り着いた航だったが、追手の一人が前から迫っており、挟撃ちの形となってしまった。
気付かぬ内に、追手が二手に分かれていたようだ。
(一人倒さなきゃ教室に辿り着けない)
航は立ち止まる素振りを一切見せずに全力で加速し、正面の敵が迎撃に動く前に飛び蹴りを喰らわせた。
尻餅を搗いた相手は怒りの表情で腰を探るも、零れた刀は既に航が奪っていた。
状況に気付いて青くなった相手の顔面に全力の蹴りを一発。
更に、背中を打って僅かに浮いた頭を踏み付けて一発、駄目押しの止めを見舞う。
「なっ!? この餓鬼!!」
後から来たもう一人の追手が、仲間を伸した航を見て腰の刀に手を掛ける。
振り向き様に、航は奪った刀を鞘ごと追手の顔に投げ付け、怯んだ隙に股間へ蹴りを叩き込んだ。
「はぅあッ!? 貴様、日本男児がこんな小娘の様な……」
「知るか。こっちは小娘にボロ負けした茶髪の軟弱者なんでな」
航は悶絶する敵の顔面を殴った。
後頭部を打った相手は気を失い、一先ず航はこの場の危機を脱した。
⦿
校庭では体育の授業中だった男子・女子・体育教師二人が固まって坐らされていた。
彼等を取り囲むのは五人の男――何れも背が高く、校舎へ入って来たテロリスト同様に迷彩服と軍刀を身に着けているが、加えてそれぞれ異なる仮面も装着している。
どうやら、この五名がテロリストの中心的なメンバーらしい。
「リーダー、少し」
狐面の男がお多福面の男に近付いた。
「どうした?」
「自分の『能力』で校舎の様子を確認したところ、あちらへ向かった同志達に問題が起きた模様で……」
話を聞き付けたのか、天狗面の男も二人の傍へ寄って来た。
「お見せしますか?」
「頼む」
天狗面が両掌を空に翳すと、三人の目の前に黒い三つ巴の紋様が浮かび上がった。
それぞれの巴からお多福面、狐面、天狗面に黒い筋が伸び、臍の辺りから体内に入り込む。
「……あんな餓鬼を相手に何をやっているんだ」
お多福面は溜息を漏らした。
どうやら、校舎の中で航が仲間を二人倒したと知られたらしい。
「何が起きたのですかな?」
猫面の男が、仮面の下から覗く白髭を撫でながら三人に尋ねる。
この男に限っては軍帽を被っている。
「教室の占拠へ向かった同志の内二名が体操服の男子生徒にやられたらしい。面倒な事になった」
お多福面の言葉に、生徒達――航の級友達にどよめきが起こった。
「静まれ! 静まらんと唯ではおかんぞ!」
抜刀して叫ぶひょっとこ面の男の態度が恐怖を呼んだのか、生徒達は怯えた表情で黙りこくった。
その声は航が聞いた拡声器様のものと同じだった。
ひょっとこ面もリーダーと思しきお多福面に伺いを立てる。
「自分が呼び掛けましょうか?」
「いや、いい。俺が直々に乗り込んで始末を着ける」
再び生徒達の間に動揺の声が上がるも、ひょっとこ面の一喝で静まり返った。
「己の所属する集団の危機に臆することなく立ち向かう勇気、中々見どころがある。事と次第によっては仲間に勧誘するのも良いかも知れん」
お多福面の体が白い光に包まれた。
彼は少し膝を曲げて溜めを作ると、まるでロケットの様に勢い良く、信じられない跳躍を見せた。
跳び上がったその軌道は校舎の窓へ向かい、硝子を蹴破って中へと侵入した。
⦿
その時、航はスマートフォンのカメラを校庭に向けて動画を撮っていた。
怪しげな武装集団が生徒達を取り囲んでいる様子を撮影し、外部の人間に警察へ報せてもらう為だ。
(魅琴、君の厚意に甘えさせてもらうぞ。こんな面倒な困り事だで悪いけどな)
航は動画を撮り終えると、急いで要件を打ち込んだ。
〈助けてくれ〉
〈警察へ〉
後は動画を送信し、終わったらこちらからも警察へ通報する。
そうすれば助かる目途は立つだろう――そう思っていた。
だが動画の送信完了を今か今かと待ち侘びていた時、すぐ隣の窓硝子が割れ、お多福面の男が飛び込んで来た。
「なっ!?」
突然の事に、航は顔を上げて瞠目した。
つい先程まで校庭に居た筈の男がいきなり三階の窓を突き破って侵入して来たのだ。
全く以て信じられない出来事である。
「中々の活躍振りだったようだな、小僧」
男の体は薄っすらと光っている。
航は、目の前の相手が常識外れの存在であることを否が応にも理解した。
しかし、絶望はしていない。
即座に切り替え、頭の中ですべきことを整理する。
目の前に直接来たという事は、人質を使う気は無いのだろう。
だったら逃げ切ってやる。
警察に通報は出来なかったが、魅琴に連絡することは出来た、既読も付いていた。
なら、助けが来るまで時間を稼げば僕の勝ちだ――目的が明確になり、航の眼に鋭い光が宿った。
「良い眼をするじゃないか、小僧! 先ずは小手調べと行こうか!!」
お多福面の男が片腕を上げると、掌の上に光る三つ巴の紋様が顕れ、フラフープの様に指先から足先まで体を潜らせた。
男の身体は光の紋様が通り過ぎた部位から順に、緋色の毛皮で覆われた狒々の如き姿へと変貌していった。
脅し掛けるように、二メートルを優に超える巨躯が足を踏み鳴らす。
「な、何だよこれ……。僕、悪い夢でも見ているのか……?」
「疑うならば死を以て確かめてみるが良い。もし夢ならば目覚める事が出来るかも知れんぞ? 現実であっても、少なくとも恐怖から逃れることは出来るだろう」
緋色の狒々が牙を剥き出しにして笑い、今にも航に襲い掛からんと腰を屈める。
航は焦燥を全身で感じ、総毛立った。
この狒々の振るう暴力にどう対応するか、それが航の命運の全てを分ける――この時はそれを疑う余地など無かった。
だが突然、窓の外から野太い悲鳴が上がった。
これには航よりも寧ろ狒々の方が驚き、校庭の方へ視線を遣った。
「莫迦な!! どういう事だ!! あいつめ、一体何のつもりだ!?」
狒々の反応を怪訝に思った航だったが、事態は更に急展開を迎える。
破られた窓ごと教室の壁を壊して、新たな侵入者が現れたのだ。
それは狒々よりも一回りも二回りも大きな、蟷螂に似た二足歩行のロボットだった。
「おいおい、今度は何だよ! もう訳が分からな過ぎて頭が追い付かないんだが!?」
ロボットは四本の腕を持っていた。
肩から生えた一対には大鎌の様な刃物が、胸から生えた一対にはドリルの様な突起が備わっており、血を滴らせている。
更にその陰にはそれぞれ銃口の様な筒が覗いている。
また、背中から生えた四本の突起は翅にも見える。
「ひゃっはっはっはっは」
ロボットの後に続く様に、崩れた壁から猫面の男が教室へ悠々と入って来た。
「貴様、一体何のつもりだ! 何故仲間を殺した!!」
校庭を見下ろすと、狒々が問い質す様に、そこには三人の迷彩服の男が倒れていた。
どうやら狐面はドリルで貫かれ、天狗面は銃で蜂の巣に、そしてひょっとこ面は背中から斬り付けられたらしい。
(仲間割れか?)
幸いなことに、校庭の級友・教師は無事だった。
だが、相手が揉めているという状況を吉報と看做すには、新たな敵の様態があまりにも脅威的だった。
「やれやれ、当てが外れたわ」
猫面の男が仮面の裏、口髭を歪ませて嘲笑う。
「儂の目的はあの男が作った『麗真家』の成果を確かめること。その為に貴様らを嗾けてみたものの、肝心の娘が居ないではないか。とんだ無駄足じゃった。斯くなる上は、せめて実践投入予定だった儂の玩具の遊び相手になってもらおうか喃!」
ロボットの一つ目が光り、血塗られた四本の腕が振り上げられた。
どうやらこの場で一暴れさせるつもりらしい。
狒々も航の事は捨て置き、ロボットに相対するように向き直った。
「この俺を見縊るなよ! 其方がその気なら俺も奥の手を見せてやろう!!」
狒々の体毛が抜け、無数の緋色の巴となって自身の巨体を取り囲む。
それらは高速で回転しながら光となって狒々の体を包み込んでいく。
「我が身を護れ! ヒヒイロカネ装甲、顕現せよ!!」
だがその変身を待たずして、ロボットの胸から発射された白色光の筋が狒々の胸を貫いた。
「ぐはっ!?」
「莫迦か貴様は? 貴様程の男の『奥の手』とやらを態々待ってやる筈が無かろうて!」
「ぐ、糞っ……無念……!」
毛の抜けた狒々だけがその場に倒れ伏し、その姿は元の迷彩服を着た人間に戻った。
明らかに不意打ちを受けて戦闘不能になったと見て取れる。
緋色の巴は装甲を纏ったパワードスーツの様な形を成して胸部を開いたが、既に装着者を喪ったとあってはその威容も虚しかった。
猫面の男は笑いながら教室から空へと軽やかに舞い上がる。
「扨て、厄介な中心メンバーは片付けたし、後は人工知能の赴くままに暴れさせてやるかの。何分で鏖になるか賭けてみるのも面白そうじゃ」
猫面の言葉に航は背筋が凍り付いた。
この現代に於けるオーパーツたるロボット兵器は、命を狩り尽くすまで猛威を振るい続けるのだという。
おまけに、次の標的となるのは明らかに航である。
猫面の男を黒い靄が包み込んでいく。
「では、さらばじゃ。恨むなら麗真家の小娘を恨むんじゃな。なぁに、そう遠くないうちに同じ場所へ送られるじゃろうから、その時思う存分罵声を浴びせたらええわい。ウヒヒヒヒッ!」
黒い靄と共に、猫面の姿は空中から忽然と消えた。
後には航と殺戮ロボットだけが取り残されていた。
「マジかよ、糞っ! 何処まで事態が悪化するんだよ! 想像の斜め上によ!」
金属が血の滑りで軋む嫌な音を鳴らしながら、ロボットの体が航の方へ向いた。
案の定、次の獲物を航に定めたらしい。
絶体絶命、万事休す。
しかしそんな中で、ふと航はテロリストのリーダーが置き土産に遺した緋色のパワードスーツを目に留めた。
(待てよ……。これ、ひょっとして僕にも使えないかな……?)
それは藁にも縋る思いで見付けた一縷の望みだった。
この状況で生き残る手段があるとすれば、仲間割れした敵が自信満々に披露しようとし、発動を止められた「奥の手」しかあるまい。
「一か八かだ! やってみるしかない!!」
航がパワードスーツに飛び付いた瞬間、殺戮ロボットの銃口が火を噴いた。
決断が一瞬でも遅れたら、脳天を撃ち抜かれて即死は免れなかっただろう。
開けた装甲の胸に飛び込んだ航に、緋色の光が纏わり付く。
どうやらパワードスーツの機能は生きており、航にも使用する資格はあるようだ。
「やった! 動くのか!?」
スーツの胸が閉じられ、航は体に緋色の装甲を纏わせていた。
「どうにかこいつでロボットをぶっ壊すぞ! やってやるさ、こうなったら!!」
無残な有様となった教室で、航は侵略者たる殺戮ロボットを撃退すべく対峙した。
「儂を訪ねて来たという事は、解っておるのだな、魅琴よ?」
「はい、御爺様……」
魅琴はどこか物憂げな眼差しで痩せた老人を見詰めていた。
晴れた日差しが二人を包み、浮世離れした光のヴェールを演出している。
「お前さんも察しの通り、明確な予兆が顕れた。だが残念ながら、儂はもう長くはあるまい。口惜しいが、最早この手で出来る事は残されておらん」
「御心配には及びません」
魅琴は膝の上で拳を握り締めた。
「私の思いは御爺様と概ね同じですから」
「そうか、すまんな……」
老人は眉間に皺を寄せた。
その表情には後ろめたさが滲んでいる。
二人の目元はどこか似ていた。
そこへ、一人の中年男が入って来た。
「総帥、魅琴御嬢様、どうやら『彼奴等』が妙な動きを……」
男の報告の全容に、魅琴と老人の表情が一気に険しくなった。
「御爺様」
「魅琴よ、先程も言うた通り、最早儂に出来る事は何も無い。後はお前さんの心持ち次第じゃ。しかし、もしお前さんが儂の願いを叶えてくれるというのなら……」
老人の、おそらく最期の頼みを聴き遂げた魅琴は彼の手を握って「はい」と答えた。
そして眦を決すると、立ち上がって足早に病室を発った。
⦿⦿⦿
学校を占拠しようとする謎の集団が押し寄せて来る様は、獲物を集団で狩る肉食獣の群れを思わせた。
下駄箱の陰に隠れているだけの航は、狼藉者が目の前を通れば忽ち見つかってしまうだろう。
航は校舎の中へと走った。
「誰か逃げたぞ!」
「捕まえろ!」
迷彩服を身に着け、軍刀の様な得物を携えた男が二人、航を追い掛けて来た。
「何だ!? 一体何なんだよあいつら!?」
訳も分からないまま、航は走る。
学校がテロリストに占拠されようとしている――そんな、ベタな非日常が危機を齎している。
校舎に踏み込んで来たのは他にも十数人。
即ち、航との追い掛けっこと同時進行で、他の教室にも敵の魔の手が伸び始めている。
「何の為に、こんなごく普通の学校を?」
航が疑問に思ったその時、再び拡声器の様な声が響いた。
『安心し給え、我々に諸君を傷付ける意図は無い。ただ、一人の生徒との交換材料になっていただきたい。彼女との交渉が滞り無く済めば、諸君の身柄は速やかに解放しよう。いらっしゃいますね、御嬢様。この国難、四方や解らぬ貴女ではありますまい』
航は我が耳を疑った。
たった一人の女子生徒を攫う為に、この軍隊コスプレ集団は学校に押し入ったのだという。
(警察に連絡しよう! スマホは机の中だ!)
航は教室へ向かう。
体操服に着替えた際、スマートフォンを制服ごと机の中に置いて来てしまっていた。
敵としても無人の教室に人を遣る理由は無いだろうから、取りに行ける可能性はある。
今、通報出来るのは航だけでもある。
見たところ敵の装備は軍刀くらいのもので、機動隊が動員されれば脅威になるものでもないだろう。
兎に角、スマートフォンを回収しなければ始まらない。
教室のある三階へ辿り着いた航だったが、追手の一人が前から迫っており、挟撃ちの形となってしまった。
気付かぬ内に、追手が二手に分かれていたようだ。
(一人倒さなきゃ教室に辿り着けない)
航は立ち止まる素振りを一切見せずに全力で加速し、正面の敵が迎撃に動く前に飛び蹴りを喰らわせた。
尻餅を搗いた相手は怒りの表情で腰を探るも、零れた刀は既に航が奪っていた。
状況に気付いて青くなった相手の顔面に全力の蹴りを一発。
更に、背中を打って僅かに浮いた頭を踏み付けて一発、駄目押しの止めを見舞う。
「なっ!? この餓鬼!!」
後から来たもう一人の追手が、仲間を伸した航を見て腰の刀に手を掛ける。
振り向き様に、航は奪った刀を鞘ごと追手の顔に投げ付け、怯んだ隙に股間へ蹴りを叩き込んだ。
「はぅあッ!? 貴様、日本男児がこんな小娘の様な……」
「知るか。こっちは小娘にボロ負けした茶髪の軟弱者なんでな」
航は悶絶する敵の顔面を殴った。
後頭部を打った相手は気を失い、一先ず航はこの場の危機を脱した。
⦿
校庭では体育の授業中だった男子・女子・体育教師二人が固まって坐らされていた。
彼等を取り囲むのは五人の男――何れも背が高く、校舎へ入って来たテロリスト同様に迷彩服と軍刀を身に着けているが、加えてそれぞれ異なる仮面も装着している。
どうやら、この五名がテロリストの中心的なメンバーらしい。
「リーダー、少し」
狐面の男がお多福面の男に近付いた。
「どうした?」
「自分の『能力』で校舎の様子を確認したところ、あちらへ向かった同志達に問題が起きた模様で……」
話を聞き付けたのか、天狗面の男も二人の傍へ寄って来た。
「お見せしますか?」
「頼む」
天狗面が両掌を空に翳すと、三人の目の前に黒い三つ巴の紋様が浮かび上がった。
それぞれの巴からお多福面、狐面、天狗面に黒い筋が伸び、臍の辺りから体内に入り込む。
「……あんな餓鬼を相手に何をやっているんだ」
お多福面は溜息を漏らした。
どうやら、校舎の中で航が仲間を二人倒したと知られたらしい。
「何が起きたのですかな?」
猫面の男が、仮面の下から覗く白髭を撫でながら三人に尋ねる。
この男に限っては軍帽を被っている。
「教室の占拠へ向かった同志の内二名が体操服の男子生徒にやられたらしい。面倒な事になった」
お多福面の言葉に、生徒達――航の級友達にどよめきが起こった。
「静まれ! 静まらんと唯ではおかんぞ!」
抜刀して叫ぶひょっとこ面の男の態度が恐怖を呼んだのか、生徒達は怯えた表情で黙りこくった。
その声は航が聞いた拡声器様のものと同じだった。
ひょっとこ面もリーダーと思しきお多福面に伺いを立てる。
「自分が呼び掛けましょうか?」
「いや、いい。俺が直々に乗り込んで始末を着ける」
再び生徒達の間に動揺の声が上がるも、ひょっとこ面の一喝で静まり返った。
「己の所属する集団の危機に臆することなく立ち向かう勇気、中々見どころがある。事と次第によっては仲間に勧誘するのも良いかも知れん」
お多福面の体が白い光に包まれた。
彼は少し膝を曲げて溜めを作ると、まるでロケットの様に勢い良く、信じられない跳躍を見せた。
跳び上がったその軌道は校舎の窓へ向かい、硝子を蹴破って中へと侵入した。
⦿
その時、航はスマートフォンのカメラを校庭に向けて動画を撮っていた。
怪しげな武装集団が生徒達を取り囲んでいる様子を撮影し、外部の人間に警察へ報せてもらう為だ。
(魅琴、君の厚意に甘えさせてもらうぞ。こんな面倒な困り事だで悪いけどな)
航は動画を撮り終えると、急いで要件を打ち込んだ。
〈助けてくれ〉
〈警察へ〉
後は動画を送信し、終わったらこちらからも警察へ通報する。
そうすれば助かる目途は立つだろう――そう思っていた。
だが動画の送信完了を今か今かと待ち侘びていた時、すぐ隣の窓硝子が割れ、お多福面の男が飛び込んで来た。
「なっ!?」
突然の事に、航は顔を上げて瞠目した。
つい先程まで校庭に居た筈の男がいきなり三階の窓を突き破って侵入して来たのだ。
全く以て信じられない出来事である。
「中々の活躍振りだったようだな、小僧」
男の体は薄っすらと光っている。
航は、目の前の相手が常識外れの存在であることを否が応にも理解した。
しかし、絶望はしていない。
即座に切り替え、頭の中ですべきことを整理する。
目の前に直接来たという事は、人質を使う気は無いのだろう。
だったら逃げ切ってやる。
警察に通報は出来なかったが、魅琴に連絡することは出来た、既読も付いていた。
なら、助けが来るまで時間を稼げば僕の勝ちだ――目的が明確になり、航の眼に鋭い光が宿った。
「良い眼をするじゃないか、小僧! 先ずは小手調べと行こうか!!」
お多福面の男が片腕を上げると、掌の上に光る三つ巴の紋様が顕れ、フラフープの様に指先から足先まで体を潜らせた。
男の身体は光の紋様が通り過ぎた部位から順に、緋色の毛皮で覆われた狒々の如き姿へと変貌していった。
脅し掛けるように、二メートルを優に超える巨躯が足を踏み鳴らす。
「な、何だよこれ……。僕、悪い夢でも見ているのか……?」
「疑うならば死を以て確かめてみるが良い。もし夢ならば目覚める事が出来るかも知れんぞ? 現実であっても、少なくとも恐怖から逃れることは出来るだろう」
緋色の狒々が牙を剥き出しにして笑い、今にも航に襲い掛からんと腰を屈める。
航は焦燥を全身で感じ、総毛立った。
この狒々の振るう暴力にどう対応するか、それが航の命運の全てを分ける――この時はそれを疑う余地など無かった。
だが突然、窓の外から野太い悲鳴が上がった。
これには航よりも寧ろ狒々の方が驚き、校庭の方へ視線を遣った。
「莫迦な!! どういう事だ!! あいつめ、一体何のつもりだ!?」
狒々の反応を怪訝に思った航だったが、事態は更に急展開を迎える。
破られた窓ごと教室の壁を壊して、新たな侵入者が現れたのだ。
それは狒々よりも一回りも二回りも大きな、蟷螂に似た二足歩行のロボットだった。
「おいおい、今度は何だよ! もう訳が分からな過ぎて頭が追い付かないんだが!?」
ロボットは四本の腕を持っていた。
肩から生えた一対には大鎌の様な刃物が、胸から生えた一対にはドリルの様な突起が備わっており、血を滴らせている。
更にその陰にはそれぞれ銃口の様な筒が覗いている。
また、背中から生えた四本の突起は翅にも見える。
「ひゃっはっはっはっは」
ロボットの後に続く様に、崩れた壁から猫面の男が教室へ悠々と入って来た。
「貴様、一体何のつもりだ! 何故仲間を殺した!!」
校庭を見下ろすと、狒々が問い質す様に、そこには三人の迷彩服の男が倒れていた。
どうやら狐面はドリルで貫かれ、天狗面は銃で蜂の巣に、そしてひょっとこ面は背中から斬り付けられたらしい。
(仲間割れか?)
幸いなことに、校庭の級友・教師は無事だった。
だが、相手が揉めているという状況を吉報と看做すには、新たな敵の様態があまりにも脅威的だった。
「やれやれ、当てが外れたわ」
猫面の男が仮面の裏、口髭を歪ませて嘲笑う。
「儂の目的はあの男が作った『麗真家』の成果を確かめること。その為に貴様らを嗾けてみたものの、肝心の娘が居ないではないか。とんだ無駄足じゃった。斯くなる上は、せめて実践投入予定だった儂の玩具の遊び相手になってもらおうか喃!」
ロボットの一つ目が光り、血塗られた四本の腕が振り上げられた。
どうやらこの場で一暴れさせるつもりらしい。
狒々も航の事は捨て置き、ロボットに相対するように向き直った。
「この俺を見縊るなよ! 其方がその気なら俺も奥の手を見せてやろう!!」
狒々の体毛が抜け、無数の緋色の巴となって自身の巨体を取り囲む。
それらは高速で回転しながら光となって狒々の体を包み込んでいく。
「我が身を護れ! ヒヒイロカネ装甲、顕現せよ!!」
だがその変身を待たずして、ロボットの胸から発射された白色光の筋が狒々の胸を貫いた。
「ぐはっ!?」
「莫迦か貴様は? 貴様程の男の『奥の手』とやらを態々待ってやる筈が無かろうて!」
「ぐ、糞っ……無念……!」
毛の抜けた狒々だけがその場に倒れ伏し、その姿は元の迷彩服を着た人間に戻った。
明らかに不意打ちを受けて戦闘不能になったと見て取れる。
緋色の巴は装甲を纏ったパワードスーツの様な形を成して胸部を開いたが、既に装着者を喪ったとあってはその威容も虚しかった。
猫面の男は笑いながら教室から空へと軽やかに舞い上がる。
「扨て、厄介な中心メンバーは片付けたし、後は人工知能の赴くままに暴れさせてやるかの。何分で鏖になるか賭けてみるのも面白そうじゃ」
猫面の言葉に航は背筋が凍り付いた。
この現代に於けるオーパーツたるロボット兵器は、命を狩り尽くすまで猛威を振るい続けるのだという。
おまけに、次の標的となるのは明らかに航である。
猫面の男を黒い靄が包み込んでいく。
「では、さらばじゃ。恨むなら麗真家の小娘を恨むんじゃな。なぁに、そう遠くないうちに同じ場所へ送られるじゃろうから、その時思う存分罵声を浴びせたらええわい。ウヒヒヒヒッ!」
黒い靄と共に、猫面の姿は空中から忽然と消えた。
後には航と殺戮ロボットだけが取り残されていた。
「マジかよ、糞っ! 何処まで事態が悪化するんだよ! 想像の斜め上によ!」
金属が血の滑りで軋む嫌な音を鳴らしながら、ロボットの体が航の方へ向いた。
案の定、次の獲物を航に定めたらしい。
絶体絶命、万事休す。
しかしそんな中で、ふと航はテロリストのリーダーが置き土産に遺した緋色のパワードスーツを目に留めた。
(待てよ……。これ、ひょっとして僕にも使えないかな……?)
それは藁にも縋る思いで見付けた一縷の望みだった。
この状況で生き残る手段があるとすれば、仲間割れした敵が自信満々に披露しようとし、発動を止められた「奥の手」しかあるまい。
「一か八かだ! やってみるしかない!!」
航がパワードスーツに飛び付いた瞬間、殺戮ロボットの銃口が火を噴いた。
決断が一瞬でも遅れたら、脳天を撃ち抜かれて即死は免れなかっただろう。
開けた装甲の胸に飛び込んだ航に、緋色の光が纏わり付く。
どうやらパワードスーツの機能は生きており、航にも使用する資格はあるようだ。
「やった! 動くのか!?」
スーツの胸が閉じられ、航は体に緋色の装甲を纏わせていた。
「どうにかこいつでロボットをぶっ壊すぞ! やってやるさ、こうなったら!!」
無残な有様となった教室で、航は侵略者たる殺戮ロボットを撃退すべく対峙した。
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