日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第一章『脱出篇』

第十一話『約束』 急

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 何はともあれ、が「おうぎ」として介入したことで、わたるはどうにか一命を取り留めた。
 駆け付けた四人の仲間達も、目が覚めて状況を察した二人も、わたるの無事を喜んでいた。

 だがわたりはそんなあんの雰囲気が気に入らないのか、に下衆の勘繰りをぶつけはじめる。

「ククク、しかしあれだな、おうぎよ。そんなにこの情けない男を守りたかったのか? 随分とまあなかむつまじく、こうてんかんを切り盛りしていたそうじゃないか」

 の表情がこわった。
 不快感からか、普段よりも厳しさを増しているように見える。
 わたりの下卑た邪推は更に続く。

「お前の好みはこういう軟弱で頼りない優男だったか、成程なあ……」
わたり様、わたくしに対して何の侮辱ですか?」
「いやいや、そういう訳ではないぞ。むしろ、そんなお前に喜ばしい妙案を思い付いた」

 まぶたけいれんさせるに、わたりはゆっくりと歩み寄る。

さきもりのことは正式にお前の下へ付けてやろう。お前の小間使いとして精々使つかってやると良い。いとしい思いを込めて、手取り足取り仕事を教えてやっても良いと言うのだ」
「な、何を勘違いしているのですか?」
「勘違い? おれにはそうとも思えなかったがな? おれすがいて問うのはこいつらの処遇のことばかり。特に、さきもりの不出来に話が及ぶと目の色を変えて慈悲を懇願し、必死に奉仕してきたよなァ? 中々にいんで、興奮させてもらった、気持ち良かったぞ?」

 の表情が激しくった。
 わたりの言葉は、わたるにとってショックの大きいものだった。
 だが、よく思い出してみると、わたりは訓練中何度も抜け出している。

 その間、わたりこうてんかんへ行って、言葉通りの行ために及んでいたとしたら――わたるは口内に妙な酸味が広がるのを感じた。
 いや、の言葉から察するべきだったのかも知れない。
 少し考えれば分かることから、目を背け続けていたのか。

「で、返事は?」

 わたりわたるを横目にいちべつすると、醜悪な蛇の様な笑みを浮かべて「おうぎ」に答えを催促した。
 精神的になぶるような詰め方だが、指示の中身自体はわたるもく通りである。
 ならば、彼女にも断る理由は無い。

かしこまらせていただきました。謹んでうけたまわり……っ!?」

 の承諾の言葉が終わらないうちに、わたりは彼女の唇をふさいだ。
 その肢体の所有権を周囲に見せ付けるように舌を絡める、長く、ねちっこいせっぷんである。
 わたりの視線が蛇の様にぎょろりと動き、その瞳にわたるの顔を映す。
 唇を奪う相手の「おうぎ」よりも、わたるの方ばかりを横目に見ていた。

 この時、その場に居た全員が、わたりわたるに対する当たりの強さ、その感情を察した。
 わたるに対して「脱走をくわだてた」「訓練の成果が出ない」というだけでは説明が付かないくらいしつよういたり、処刑しようとすらしたその理由を理解した。

 嫉妬。

 自分の隣で寝る女が、他の男の身を案じている――それがうっくつした思いとなり蜷局とぐろを巻き、胸の中で絡み付くしゃくねつの闇となってわたるに激しく牙をいていたのだ。

 故に、彼女の表情が苦しそうにゆがんでいることなど、わたりは気にもめない。
 ふしくれった手が彼女の後頭部をわしづかみにし、長く美しい髪を乱している。
 この女は自分の手中にあるのだ――そのアピールの為だけの、長い長い接吻である。

「ぷはっ! げほっ、はぁ……はぁ……」

 解放されたは瞳を潤ませ、肩で息をしている。
 わたりは彼女と、それを見て表情を曇らせるわたるを見て満足げに歪んだ笑みを浮かべる。

もっとも、あまりに色けられて、革命の本分を忘れても困る。今日からはおれこうてんかんに寝泊まりするとしよう。もちろん、父親のおれは子供部屋には泊まらん。寝室はおうぎ、お前の部屋だ。ククク、毎晩お楽しみだなァ!」

 高笑いしながらワゴン車の助手席に乗り込むわたりの背中を、は激しいぞうに満ちたにらんでいた。
 わたるはいつだったか、に聞かされた身の上話を思い出す。

おおかみきばにとって、姉はさぞかし都合の良い女だったのでしょう。何と言っても、はた家の令嬢ですからね』
はた家……すみません、こうこくの家柄にはうとくて……。名家なんですか?』
『由緒ある貴族、とまでは胸を張って言えません。しかし、わたくしの高祖父が畏れ多くもじんのう陛下の復権と皇族の再興へ多大なる貢献があったと認められ、新たに華族の末席を汚すお許しを賜ったのです』

 ちなみに、このような華族をこうこくでは「新華族」、対して、革命以前から華族待遇だった貴族や元大名を「旧華族」と呼んでいる。
 こうこくいて「新華族」はそういう意味で「成り上がり者」なのだが、社会制度上も格が低いとはいえ貴族として扱われる。
 この様に、同じ日本の名を冠しても、社会制度は別の歴史に大きく影響されて異なる。

『成程。忠義の一族だからこそ、それを仲間にしたことは良い広告になると……』
『はい。ですから、何としても連れ戻さなければならないのです。はた家の誇りと名誉の為にも……』

 そんなことを話していたわたりに抱かれていた、その屈辱は察するに余りある。
 わたるたままれなくなって彼女に声を掛ける。

はたさん……」
「人前ではおうぎでお願いします。聞かれたらどうするのですか」

 気丈さを装うだったが、乱れた髪が隠しようのないほころびを示している様だった。

「約束を果たす為ですからね。さきもり様が気に病むことでは御座いません。今夜よりお休みの際はまたわたくしじゅつしきしんをお掛けしましょう。何に悩んでも煩わされず、深い眠りに浸れるように。何があってもうなされず、朝まで目を覚まさぬ様に……」

 自分の無力さに打ちのめされたわたるは運転席に乗り込むに対し何も言えなかった。
 彼女に続き、仲間達も暗い表情を浮かべてワゴン車に乗り込んでいく。

 まゆづきは涙を流し、おりに慰められていた。
 しんは怒りに満ちた眼で助手席のわたりを睨んでいた。
 ふたわたるを一瞥し、の方へ視線を移した。
 椿つばきはずっとを見ていた。

「早くお乗りください。置いて行きますよ」

 一人取り残されたわたるに、が乗車を催促する。
 闇に沈んだ丘陵を背に、わたる達はこうてんかんへ戻された。



    ⦿⦿⦿



 その夜、わたるは揺りこもの中で子守歌を聴かされる様に心地良い、しかし強制的な眠りの中にあった。
 その子守歌に注意深く聞き耳を立てると、何やら女の悲鳴と男の笑い声がノイズとなって混じっている。

(誰の声だ?)

わたくしは、さきもりわたる様をお慕い申し上げております』

(誰だっけ?)

 ふと、まぶたの裏に女の顔が浮かぶ。

『いつまで寝ているの?』

 ひどく責める様な、怒りと失望の混じったかなしげな表情でことが見下ろしていた。

(起きないと……。……くそ、起きられない……! 起きろ……!)

『あの男、彼女に酷い事をしているわ』

(何だか思い出してきたぞ。だけどこと、なんだか変なんだ)

 わたるとて、今すぐ起きたかった。
 だが、意識に分厚い膜が張っていて、体に力が入らない。

『関係無いわ、とっとと起きなさい』

 ことの手がわたるの髪を鷲掴みにし、頭を持ち上げる。

『ほら、聴きなさい。手遅れになるわよ』

 その時、叫び声がくらやみを切り裂いた。

『助けてェッ!!』

 わたるの意識は現実へと戻された。



    ⦿⦿⦿



 気が付くとわたるは、裸のわたりの後首をつかんでいた。
 今居る場所が自分の部屋であること、裸であざだらけのが尻を向けてつんいになっていたことから、全てを察した。
 わたるはらわたの底で激しい怒りがり、込み上げて来るのをはっきりと自覚した。

「あ?」

 その瞬間、わたりは完全に油断していた。
 別のことに夢中で、わたるがこの様な行動に出るなど夢にも思っていなかった、といった様子だ。
 そんなわたりが振り向いて下卑た笑みをさらした瞬間、わたるは怒りにまかせて顔面を殴り飛ばした。

 極めて強烈な拳だった。
 あまりのすさまじさに筋骨隆々としたわたりの体は宙に浮き、派手な音を立てながら壁に打ち付けられて尻餅をいた。

「出て行け」

 わたるぞうろっに今にも爆発しそうな怒りがたぎらせ、きょうがくわたりを見下ろす。
 異様な雰囲気に、実力でははるかに上を行く筈のわたりされていた。
 しかし、彼にも意地がある。
 何より、彼にとっては子が親に手を上げて行為の邪魔をし、あまつさえ見下して命令するなどあってはならない事だ。

「やっぱり死ぬか、さきもりィ?」

 が、立ち上がろうとしたわたりに、今度はサッカーボールを蹴る様な金的が炸裂した。

「んおおおおッッ!?」

 しの急所を力一杯蹴られた衝撃に、流石さすがわたりもんぜつするより他は無かった。
 そんな彼を、わたるこうてんかんごとビリビリと震わせるほどのけんまくで怒鳴り付ける。

「今すぐおれの前から消えろ!! さっさと出て行け!!」

 しんに守られていようと、金的のダメージは流石に深いらしい。
 わたりは分が悪いと踏んだのか、恨めしそうに顔を歪ませてりふを吐きながらほうほうていで部屋から出て行った。
 その後で聞こえた機関エンジン音から察するに、どうやらこうてんかんからも立ち去ったようだ。

 わたるは肩で息をしていた。
 なおも収まらない怒りを必死に落ち着かせていた。
 何度も、何度も深呼吸を繰り返す。

 そんな彼の背中に、枕が弱々しく投げ付けられた。
 振り向くと、そこにはがベッドのシーツにくるまっていた。
 それは彼女自身が繕い、そして崩してしまったものだ。

「何なんですか貴方あなたは! なんで目を覚ますんですか!!」

 涙声でわめを見詰める内に、わたるの怒りは収まってきた。
 彼女の姿を見ていると、怒りよりも別の感情が芽生えたからだ。
 それは、あわれみとも罪悪感ともまた違った。

わたくしのことなど放っておけば良いでしょう! 心に決めたひとが居る癖に……!」

 両手で顔を覆って泣くは、その胸の内を明かし始める。

「今、わたくしがどれ程に惨めなおもいをしているか、お分かりですか? こんな姿、貴方あなたに見られたくなどなかった……。あんな想い、貴方あなたに聞かれたくなどなかった……。貴方あなたを愛したくなどなかった……」

 思わず、わたるひざまずいての肩に手を置いた。
 は涙にれた顔でほほみ返す。

はたは、さきもりわたる様のことを、心よりお慕い申し上げております」

 改めて思いを打ち明けたに対し、わたるはもう一方の手で彼女の手をそっと握った。

「ごめんなさい。ぼく貴女あなたの思いには応えられない」
「はい、承知しております」
「でも一つ、貴女あなたの為にこれだけは約束します」

 は赤く腫れた目を見開いた。

「脱出の時、貴女あなたが教えてくれた全てを駆使して、ここにあるあいつらの設備施設を、貴女あなたを苦しめてきたものをちゃちゃにしてやります。だから知っている限りの標的をぼくに教えて欲しい。全部壊しますから。最後にわたりが何の言い訳も出来ない程の大暴れを、貴女あなたささげますから」

 わたるに芽生えた想いとは、強い感謝と決意だった。
 は自分が決して持たない強さを秘めている。
 関係が壊れるのを恐れ、ずっとこととの距離を詰められなかった自分には無い強さを。
 そう思うと、彼女への尊敬を禁じ得ない。

ぼくが、わたりに引導を渡します」

 わたるの眼を、はじっと見詰め返している。
 彼女は小さく微笑むと、わたるの胸に寄り掛かり、強く抱き締めた。

「突然の無礼をお許しください。そしてかなうならば一度だけでも、たった一度だけでもわたくしを『』とお呼びください。それだけで、わたくしは生きていける」

 わたるを抱き返した。

「どうもありがとう、さん」

 どうにか静寂を取り戻した夜は、月明かりでそっと二人を包み込み、更けていった。
 脱出決行日まで、残すところは後四日である。
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