日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第一章『脱出篇』

第十八話『粗大塵』 序

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 くも研究所の所長室は、二人の人間が暴れ回るにはいささか狭い部屋である。
 そんな場所で戦うあぶしんじがむらもりだが、状況は一方にすこぶる有利なものだった。
 それを象徴するかの様に、じがゆうしゃくしゃくと言った表情でまみれのしんを冷笑していた。

 血は主にしんの右腕から滴り落ちている。
 じがも決して無傷ではないが、ダメージ量は比較にならない。
 この状態を作ったのは、ひとえじがじゅつしきしんである。

「ッらァッッ!!」

 しんは果敢にじがへと向かって行き、けんで幾度と無く強豪不良を沈めてきた左拳を振るう。
 対するじがは、戦いの経験自体にいてはしんの足下にも及ばないと見て取れる。

「ギャバッ!!」

 しんに顔面を殴り飛ばされ、じがは打ち倒されて床を滑った。
 この様に、しんの攻撃自体はじがれいにヒットする。
 だが、である。

『熱源を感知しました』

 じがの声がしんのうに響き、同時に左拳から赤黒い血が噴き出した。
 しんは苦痛に顔をゆがめ、これ以上追撃出来ない。
 じがは悠々と立ち上がる。

きみはまだしんの第二段階で止まっているようだねえ。じゅつしきしんが使えないのは辛いなあ」

 薄笑いを浮かべるじがの折れた歯が再生する。
 しんと違い、じがのダメージはすぐにかいふくしてしまう。
 これはしんの覚醒段階、その深さの差異に原因がある。

へらぶないくほうはよく読んだかい? じゅつしきしんに覚醒した者は、非覚醒の盆暗とはそもそしんの質自体が違うんだ。より深みに達したしんは、修復力や耐久力、身体能力の強化水準も高くなる。ぼくきみとでは、最初から格が違うってことさ」

 勝ち誇るじがだが、実際しんは圧倒的に不利である。
 単にじがの方が格上であるならば、戦い方の如何いかんによってしんにもまだ目がある。
 だが、それ以上に高い壁となってふさがるのがじがじゅつしきしんである。

「触ったら傷だらけになっちまうってのは厄介だなあ……」

 じがじゅつしきしんは、る一定以上の熱量を持った生命体に触れられると自動的に発動し、触れた部位をズタズタに切り刻んでしまう。
 しんによる耐久力と回復力を備えたしんの手は原形を保っているが、しんを持たない一般人であるならば全指を失うばかりか動脈を切断されて失血死してしまうだろう。

て、今度はちらから行こうか!」

 じがは腕で頭を守り、体を丸めてまっぐ突進してきた。
 彼の能力を加味すれば、下手に殴る蹴るといった攻撃に出るよりも余程合理的である。

「くっ!」

 しんとっに背中を向けて急所への衝突を避けた。
 更に、衝突の瞬間に後ろへ跳び退いて距離を取る。

『熱源を感知しました』
「ぐがぁッ!!」

 しんは背中から激しく出血して倒れた。

「なかなか良い勘してるじゃないか。体当たりから抱き付けばぼくの勝利は確定だった」
「陰キャで発想が只管ひたすら気持悪キモい上に犯罪者とか、マジで終わってるなお前……」

 どうにか起き上がったしんだったが、着実に追い詰められていた。

「攻撃しても防御してもダメージらうのはこっちだけだもんなあ……」

 血を流し過ぎてあおめたしんの額に嫌な汗がにじむ。
 損傷は明らかにしんによる修復力を超過していた。
 このままではいずしんは失血死してしまう。

「一方、じゅつしきが使えないきみしんではぼくに有効打を与えられない。これははっきり言って勝負あったねえ」
「お前、喧嘩でこんな勝ち方してうれしいのかよ。気持ち良くねえやつだなあ」
「負けた方が一々相手にを付ける方が気持ち良くないと思うがねえ」
「それは……まあそうだな」

 しんは納得する他無かった。
 単純に腕節の強い者が常に喧嘩で勝つとは限らない――しんにとって、そんなことは今更言われるまでもない。
 むしろ、金属バットやナイフを持ちだしてきた相手よりははるかにまっとうな戦い方である。
 今までは、それでもしんの方が圧倒的に強かったから問題無かった。

 しんはつい二・三年前まで、喧嘩に明け暮れる危険な日々を送っていた。
 妹・あぶぐさに止められなければ、破滅的な厄災に見舞われて死んでいたか、犯罪者として取り返しの付かないことをやらかしていただろう。

まっとうに生きようと思ってるんだがな。まだ運命はおれを許しちゃくれないらしい……」
「じゃあ、ここで終わりにしてあげよう。もう一発喰らっときな」

 再びじがが突進してきた。
 しんは身をかわすものの、じがは只管追い掛けてくる。

気持悪キモっ! ダサッ! 酷え戦い方!」
とおえの種類が多彩な負け犬だねえ!」

 しんは逃げ回った果てに所長席の机の上に登った。
 折畳式個人計算機ノートパソコンや紙の資料が土足で踏み荒らされる。

「あ、コラ! ぼく計算機PCから足を退けろ! 資料も! ふざけるなよ!」

 じがの手がしんの脚に伸びる。

「おわっ!」

 しんは咄嗟に片足を退けたが、残った軸足にじがの手が抜け目なく伸びてきた。
 片足跳びで躱したしんだったが、じがは手当たり次第にしんの脚をつかもうとする。
 しんさながら熱砂の上をだしで踊る様に机の上を踏み荒らした。

「いい加減にしろこの!!」

 じがは両手でしんの膝を狙ってきた。
 
「やべっ!!」

 しんは机から跳び退いて躱そうとしたが、片足首を掴まれてしまった。

『熱源を感知しました』

 しんは足首からずねに掛けて激しく出血した。
 跳び降りる勢いと血の滑りでじがの手は離れたものの、しんは立っていられなくなって床を転げる。

「畜っ生……」
「さァて、これでもうちょこまかと逃げ回れないねえ……」

 じがは下卑た笑みを浮かべてしんを見下ろす。
 油濃い長髪と黄ばんだ博衣の不潔さが余計に不快さを引き立てる。

「そろそろ止めを刺してやろうか」

 絶体絶命のピンチを迎え、しんはこれまでの人生を走馬灯の様に思い起こす。

 幼い頃は警察官の父に憧れていたこと。

 いつも自分に懐いてくる妹がわいくて仕方が無かったこと。

 中学生の頃、上級生が妹にちょっかいを掛けてきたのでキレてボコボコにしてしまったこと。

 それをきっかけにズルズルと不良の道へ堕落していったこと。

 三度目の留置所から戻ってきた時、妹に涙ながら平手打ちされ、説得されて我に返ったこと。

 高校に行き直し、真当に生きようと決意した自分を家族みんなが応援してくれてたまらなく有難かったこと。

嗚呼ああ、出来ればぐさがどんな大人になるか、まとな兄貴になって見守りたかったな)

 しんは自分の末路を自嘲した。

「畜生……出来ればもう一度おやとお袋、ぐさに会いたかったぜ……」

 と、その時である。
 しんつぶやきを聞いたじがは、むしが走る様なおぞましい声で大笑いし始めた。

「ははははは! きみは故郷に帰れば家族にまた会えると思っていたんだねえ!」
「は?」

 しんどうもくした。
 頭の中に最悪の想像がよぎる。

「おい、どういう意味だ? どういう意味なんだよ!」
「頭悪いなあ。きみの家族はぼくがきっちりあの世に送ったから、故郷に帰っても会えないよって言ってるんだよ!」

 しんの頭から血の気が引いたのは出血だけが原因ではないだろう。
 言葉を失ったしんに対し、じがは更に追い打ちを掛ける。

ぼくは他の奴らみたいに甘くないからねえ。その場に居た奴は一人残らず消しているんだよ。でもま、これが例えば同志土生はぶじゃなくて良かったと思うよ? きみの妹、あんなに可愛い女子高生、間違い無く殺すだけじゃ飽き足りなかっただろうしね」

 意識を失った訳でもないのに、しんは目の前が真っ暗になる思いがした。
 これまで感じたことの無い、どす黒い感情が心の奥の奥から湧き上がってくる。

「ま、だから感謝すると良い。お望み通り、あの世で家族と再会させてやるんだから」
「黙れ」

 しんは傍らにあった机の脚を持ち、じがに向けて勢い良く投げ付けた。

「ぐえええエッッ!?」

 突然のことに全く反応出来なかったじがは、机の下敷きになって血を吐いた。

「ゴッフ、なんてことをしてくれるんだ。ぼくの机を、計算機を、資料をぉ……」
「そんなもん後でどうにでもなるだろ。だが、命は戻らねえ」

 しんものすごい形相でじがを見下ろしている。
 傷の痛みも忘れ、血塗れの脚で歩を進め、血塗れの拳を握り締める。
 鬼と形容するのもなまぬるい凶悪極まる形相は、かつて暴れ回った彼に完全に後戻りしていた。

 嘗て、関東三大だいごみと呼ばれた、どうしようもない三人の不良が居た。
 一人は暴力団幹部の父親を持つ背景から、一人は関東最大の暴走族を束ねる数の力から手を出してはいけないとされていたが、そんな二人と個人の腕節だけで並び称された男がいた。

 他の二人と違い、やみたらと暴力を振るうことは無かったが、キレると何をするか分からないので、三人の中でも特にアンタッチャブルな存在として恐れられていた。
 そんな彼に対して、妹のことだけは最大の禁忌タブーだと知られていた。

手前テメエだけは絶対に許さねえ!! ぶっ殺してやる!!」

 今その男・あぶしんは、あろうことか妹を殺害された怒りと憎しみをしにしていた。
 ことに至っては、彼がに暴れるか、誰にも想像だに出来ないだろう。
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