日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第一章『脱出篇』

第二十一話『狼と鴉』 急

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 は難しい顔をして自席に戻ってきた。
 その様子から、びゃくだんおおむねの事情を察したようだ。

れん君、やはり駄目ですか?」
「残念ながらな。それとおれも先程、から託された画像を巡って殺されかけたよ」
「じゃあ……」
「確定だろう。だから離脱しろと言ったんだ。じゅつしきしんの縮地能力があるのだから、早々に帰還すれば殺されることは無かった」

 前部窓側座席でが深くためいきを吐き、後部通路側座席でびゃくだんうつむいて拳を握り締めた。
 に覚悟を決めていたとはいえ、ふるくから知る者の死である。
 何も思わない、何も感じない、全くの平気、というわけにはいかないだろう。

びゃくだんずはこの仕事だ。拉致された邦人の救出は確実に全うするぞ。おおかみきばの最高幹部まで入り込みながら、今回の暴挙を止められなかったと気に病んでいた。その負い目もあって、正体が露見する危険も顧みず邦人奪還に向けて積極的に動いてくれた。我々がに居るのはそのかげだ。その意思、決して無駄にする訳にはいかん」
「はい……」

 二人のかたわらでは、そんな陰の功労者の喪失を知らされぬままことが寝息を立てていた。
 流れく窓外の景色に、うれいを抱いた半透明な寝顔の像が重なっている。
 びゃくだんは隣の席から、は車窓の鏡像を通して眠る彼女を見ていた。

うる君の心労は我々の比ではないだろう。ここ一月ずっと、幼い時分よりの大切な人間を始めとした友人達の消息がつかめなかったんだ。気が気でなかっただろうな。それこそ、自らこうこくに乗り込む程に……」
「そうですねー。それがやっと救出のが立った訳ですから、ようやく一息といったところでしょうか」
「そうだな。しかし……」

 しんかんせんは対向車と擦れ違い、大きく警笛を鳴らした。
 わずかな空気圧がしゃりょうもたかる。
 は車輌が互いに通り過ぎるのを待って、話を続ける。

「彼女に本当の意味で心安らぐ時などあるのだろうか。今のように、単なる騒音や揺れには反応しない。だが、もしこの場で何者かの害意を察知すれば、彼女は即座に臨戦態勢に入るだろうな」
「こんなにすやすやと眠っているのに、ですか?」
「関係無い。彼女は天性の戰乙女ワルキューレで、物心付いた頃から戦士としての訓練を受けてきている。うる家の宿命のために……」

 ことから眼をらすように前方へ目をり、ひとりごとつぶやく。

うる家の宿命……。もし彼女がそれに従うとすれば……。しかし、今のところ彼女は拉致被害者の救出を優先している……」

 その時、車内放送が鳴った。

『次は、つのみや

 どうやらしんかんせんからの乗換駅が近かった。

びゃくだんうる君を起こしてくれ」
「はいはーい。うるさん、もうすぐ着きますよ」

 びゃくだんの呼び掛けに、ことは薄目を開いた。
 は電話端末を片手に一人考える。

(逆に、この情報の伝達はにとって自分の身の安全よりも優先度が高かったのか……?)

 しんかんせんつばめごうは減速し始め、駅へ停車する準備に入った。



    ⦿⦿⦿



 東北しんかんせんつのみや駅に到着した。
 三人はこの駅から局所線に乗り換え、こうこく宮内省より拉致被害者との合流地点として指定された宿へと向かう。
 縮尺が日本国の三倍以上あるこうこくでは電車の所要時間も相応に要する為、宿に到着するのは夜になるだろう。

「眠ってしまうとは、不覚だったわ」

 ことは大きく伸びをした。
 二時間半の乗車時間、疲れ切った人間が眠りに落ちるのも無理は無い。
 しかし、ことの場合は肉体的な面よりも精神的な面の方がはるかに大きいだろう。
 現に、既にその表情から疲労の色は見られない。

「それにしても、思っていた以上に心の緩みを感じるわ。これは良くないわね、本当に……」
「いや、寧ろきみは気を張り過ぎだ」

 何か思うところありげに胸へ手を当てることに、くぎを刺すように言った。

「ほんの一時、ほんの少しくらいは気を緩めても良いだろう。きみは少し、我々や周りの人間を当てにしろ」
「当てにはしていますよ。現に、同行してもらっているじゃないですか」
「どうだか……」

 は乗り換え改札へとことびゃくだんを先導する。

「腹が減ったな。少し早いが夕食にかの店へ入ろう。今日はおれおごりだ」
「あら、良いんですか? わたし、ここ数日は胃を休ませていましたけれど、覚悟は出来ているんでしょうね?」
「うっ……!」

 ことの不気味な忠告に、は少しためいを見せた。
 そんな彼が見せた弱みに、今度はびゃくだんが付け込んでくる。

「あれえ、さん。普段は気前の良い男を気取っている癖に、吐いた唾を飲もうとしてるんですかあ?」
びゃくだん、実は最近予定外の出費があったもので、少し予算が心配になったんだよ」
「をやぁ、珍しいですねえ。さんが無駄遣いなんて」
「どこかのが料亭で財布を忘れて、その会計を立て替えたからな!」

 やぶを突いて蛇を出したびゃくだんらかうのをやめた。
 いずれにせよ、の懐具合はかなり厳しくなるだろう。

 と、駅内で食事処を選ぶ中では大事なことを思い出した。

「おっと、侯爵に掛けたじゅつしきしんを解除してやらねばな」
「何かあったんですか?」

 ことまとう空気が変わった。
 が襲われたと知らないことは、言われたそばからまた気を張っていた。
 そんな彼女を、たしなめる。

「大したことじゃない。もう済んだことだから、一々気にするな」

 はそう言うと指を鳴らした。
 これでたいに掛けられた石化は解かれ、彼はの命令に従うだろう。
 しんかんせんの車内でとの間に起きたことは忘れ、きのえ公爵とその秘書のつきしろから距離を取る。
 しばらくの間、たいが消されることは無いはずだ――はそう思っていた。

 食事を終えた三人は宿へと移動し、わたる達の到着を待つ。
 事前の連絡で、わたる達が動くのは翌日になるだろうと伝えられていたので、この夜は三人とも眠りに就く。

 何はともあれ、この時点で宿はわたる達の明確なゴール地点として完成した。
 何事も無ければ、七月三日の夕刻に両者は合流するだろう。



    ⦿⦿⦿



 しんかんせんの車内、電話室で一人の壮年男が倒れていた所を客室乗務員が発見した。
 侯爵の家格を持つ貴族院議員・たいまさひろであった。

 彼は決して長時間放置されたわけではなく、応急処置も迅速だった。
 しかし、彼の症状の増悪は異常に速かった。
 その場に居合わせた救助者にはすべ無く、救急隊員が到着した頃には死亡していた。

 司法解剖の結果、死因は小細胞はいがんの進行に伴う呼吸困難による窒息死だった。
 それはまるで、生死の流転を早送りにしたかのような急激な増悪だった。
 のみならず、死体の腐敗までもが急激に進行し、解剖を終えた死体は間も無くグズグズに腐敗して崩れ落ちてしまった。

 そんな腐乱死体の様子と、困惑する法医学者達の姿を、何処かの闇の中にたたずむ一人の女が瞳に映していた。

ひめさまの力、何とも恐ろしいものですな……」

 彼女の背後には三人の男が控えている。
 少年、偉丈夫、老翁。
 四人が見詰めるのは、一人の政治家の死か。

「生きとし生ける者は、等しく『死』という絶対の王の支配下にある。時が満ちれば彼は全ての者をめとり、永遠の花嫁とするでしょう。もつくびかぐわしきいざないにりて。それはとてもとても、夢より素敵なことだとは思わないかしら?」

 何処かの闇の中で、女が笑っている。
 しゅうえんへ向かう三千世界の命運をあざわらうかの様に。
 その狂奔を、自分だけがの外から見下ろしているかの様に。

「さあ皆様、案内して差し上げましょう。皆様にさわしきついらくえんかたくにへと……」

 何処かの闇の中で、女が笑っている。
 笑いながら夢を見ている。
 とてもとてもおぞましい夢を。
 まだ誰も知らない夢を。

 三千世界をおわらせる夢を……。
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