日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第一章『脱出篇』

第二十二話『襲来』 序

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 再び、日付は七月三日。
 くも研究所の所長室で、脱走者の始末に失敗してまんまと取り逃がしてしまったじがむらもりは、建物が崩れるような音にって目を覚ました。

「なん……だ……?」

 じがの目に映ったのは、見るも無残に荒れ果てた所長室のれ果てだった。
 照明は切れ、床は壁にはしこひびや傷、そして血痕が付着している。
 備品もちゃちゃで、折畳式個人計算機ノートパソコンは破壊され、資料は床に散らばりにじられ、おまけに机は間二つに割られていた。
 ついでに、食べかけの咖哩カレーも床にこぼれている。

 依然、じがの傷はかいふくしていない。
 散々殴り付けられてしんが尽きてしまった為、彼は全身を激痛にさいなまれて指一本動かせない。
 辛うじて、しゃべることが出来る程度だ。

「一体……何がどうなっているんだ……?」

 どうやら、じがは殴られたショックで記憶が飛んでしまったらしい。
 何故なぜ自分がこんなことになっているのかわからず、困惑している。

 再び、大きな崩落音とともに所長室が揺れた。
 何が起きたか知る術の無いじがは恐怖におびえている。

「何が起きたっていうんだよ?」
「何が起きたか、だと? それはちらきたいくらいだ」

 じがが聞き覚えのある声にギョッとした瞬間、所長室の壁をぶち破ってわたりりんろうが入ってきた。
 その両腕にやりを形成し、先端からは血が滴り落ちている。

……わたり……」

 じがの頭に掛かった霧が少しずつ晴れていく。
 おぼろに何かを思い出しかけていた。

じが、脱走者共を迎え撃つんじゃなかったのか?」

 わたりは冷徹な視線でじがを見下ろしている。
 その口から出た言葉で、じがははっきりと思い出した。

「そ、そうだ! ぼくは脱走者共を研究所におびせて、それで……」
「間抜けにも敗北し、伸びていたという訳だな」

 じがくも研究所」へずみふたさらい、さきもりわたるあぶしんを誘い込んで迎え撃った。
 だが、結果は無残にも敗北。
 気が付けば、もう三人ともくも研究所から帰った後だった。

わたりきみは……」

 自らの失態におののじがは、目の前の男に対する怒りを沸き起こす。

きみはなんだ、今頃になって! 本来の計画では三人でやつらをたたく予定だったのに、きみが遅れるから台無しになったんだぞ! それに、既に滅茶苦茶だからって所長室を破壊するな!」

 じがの批難の声に、わたりは面倒臭そうに頭をいた。

「陰気な癖して、人を責める時だけはやかましい男だ。おれは何も、自分の怠慢で遅れた訳ではない。上からの指令に従ったまでだ」
「指令だと?」
「なんのことは無い、裏切り者の粛正だ。それにしても、突発で入った一仕事を終わらせて来てみれば、まさかこんな惨状になっているとはな」
「くっ……!」

 閉口してうつむじがだが、わたりは詰問を緩めない。

「おまけに、ちょうきゅうどうしんたい以上に革命の要である双子の検体まで逃がしてしまうとは……。貴様、この失態をどう首領に弁明するつもりなんだ?」
「な、なんだと!? 双子が!?」

 じがあおめた。
 彼が中心となって、くも研究所で作り上げた双子、くもたか兄妹は、体制との力の差を少しでも埋める為に必須の存在であった。
 その脱走はおおかみきばにとって、ちょうきゅうどうしんたいの喪失以上に致命的である。

「も、元はといえば、わたりきみの失敗の尻拭いじゃないか……!」
「だが、くも研究所に敵を招き入れる危険性が解らぬ貴様ではないだろう。にもかかわらず、貴様は迎撃に手を抜いた」
「て、手を抜いただと?」

 じがには、わたりが何を言っているのか解らない。
 彼は彼なりに、万全の準備をしてわたるたちを研究所へ誘い込んだ。
 非戦闘員の研究員はあらかじめ近付けないようにしたし、きゅうどうしんたいを十一機用意しておいた。
 最も重要な双子の見張りは、万一に備えて人員を絶やさなかった。

 だが、じがわたりには決定的な考え方の違いがあった。

「あれだけ居た研究員を動員しなかったのは何故だ。使い道はいくらでもあるだろう。例えば、研究員の数に物を言わせて奴らを取り押さえ、きゅうもろとも蜂の巣にしてやるとかな。頭脳派気取りの貴様が、まさかこの程度の策を思い付かなかったのか?」
「な、何を言っているんだきみは! 研究員を、同志を一体何だと……!」
「家族だ」

 わたりは狂気に目を輝かせて答えた。

「家族、すなわち親であるおれはっしゅうの命令は絶対。子は親に、弟は兄に従うという絶対的な序列に基づき、同じ夢を見て命をささげるべき者達だ」

 じがは非道の男だが、研究員の価値を重要視しているが故に、部下のことは大切にする考えを持っている。
 権利を最大限に尊重し、より良い労働環境を提供しようというホワイト指向の上司がじがだ。

 だが、わたりは真逆である。
 部下を弟や息子と見なし、自分やその目的に最大限の忠誠を尽くすものだと考えている。
 その為には、例えば回転翼機ヘリコプターを極超音速のちょうきゅうどうしんたいに突っ込ませることもいとわない。
 わば、わたりはブラック指向の上司である。

「そう、命を捧げるべし。組織にとって何よりも重要な双子の検体は、命を捨ててでも守るべきなのだ。だが、貴様の部下はそれを怠った。だから、既に粛正しておいた」
「なっ!?」

 じがわたりの槍から零れる血の正体を知って戦慄した。

「殺したのか? ぼくの部下を!」
「首領補佐から『始末すべき者をきっちり始末しろ』とのお達しでな。双子を逐電させるというごんどうだんの失態を犯した連中もそこに含まれると判断した」

 じがの顔がった。
 わたりの血塗られた槍が心臓に向けられたからだ。

「当然、この責任は貴様にあるよな、じが?」

 わたりの表情は、詰問の内容とは裏腹にとしていた。
 生じさせた損害の大きさでいえば、わたりもまたてつもないものがある。
 ちょうきゅうどうしんたい・ミロクサーヌ改はもちろんのこと、わたるとうえいがんの生産設備を破壊された被害も甚大だ。
 更に、ちょうきゅうどうしんたい・ガルバケーヌ改も、くも兄妹も、言ってしまえばわたりの失態に付随して喪失したのだ。

 にも拘わらず、わたりはすっかり断罪する側に回っていた。
 首領補佐・おとせいの甘言により、彼はもう自身の地位を安泰だと思い込んでいるのだろう。

 対して、じがのうにはかつての記憶がそうとうの様に巡る。

『なんだ、この画像は! 想定していた実験結果と全然違う! 期限が迫っているこの状況で、こんなもの出せるか!』
『し、しかしもう再実験の時間はありませんよ、先輩』
ぼくには結果が必要なんだ。いつまでも無能教授の下でやってられるか! この実験は成功じゃなきゃいけないんだ!』
『だからって、どうしようも出来ないですよ』
『出来ないはうそつきの言葉なんだよ!』

 じがは嘗て、後輩研究員に暗黙の指示を出して研究結果をかいざんした。
 そして、そのでつぞうした結果を元に自身の元へ国から研究費を引っ張ったのだ。
 これが、研究結果のかいざんだけでなく詐欺として追及され、じがは警察の厄介となり職を失った。

ぼくじゃない! ぼくは何も知らない! あいつが、あいつが勝手にやったんだ!』

 言い訳は研究機関や警察に通用しなかった。

『あの無能教授のせいだ。あいつの下で追い詰められなければ、ぼくはもっと伸び伸び研究出来たんだ』

 留置所の中で、じがの憎しみは募った。

『無能が上層にびこる社会構造が悪い。それを維持する警察はそもそも悪だ。ぼくは悪い社会で悪い奴らからひどい目に遭わされているんだ』

 じがおおかみきばに参加したのは、そうやって自分が研究者として犯した罪の責任を他者に押し付け続け、押し付ける相手が後輩から教授に、教授から社会にエスカレートした結果である。
 その精神が、自身の悪をきゅうだんする社会組織である警察へ向かったのだ。

 責任転嫁、それがじがむらもりの本質である。
 現に、彼は最後まで失態の責任をわたりに押し付けようとした。
 だが、わたりもまた自身の失態の責任をじがに押し付けた。
 こうなってしまえば、暴力で勝るわたりが押し勝ってしまう。

「あっ、あああああああッッ!!」

 じがは狂乱の叫びを上げながら、わたりの槍に刺し貫かれた。
 しんが尽きてしまった為、触れたわたりじゅつしきしんは発動しない。
 じがはそのまま何度も刺し貫かれて蜂の巣にされ、ボロ雑巾の様に投げ捨てられた。

「忘れられて久しいな、おれ達の標語……。『使命は地球より重い』のだ」

 わたりは右腕のやりがしらを上方へ向け、今度は天井を刺し貫いた。
 そのまま何度も穴を開け、所長室の天から夕日を招き入れる。

てと、後は愚かな子供達だけだ……」

 わたりは狂気の笑みに顔をゆがめた。
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