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第一章『脱出篇』
第二十二話『襲来』 急
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雲野研究所の屋上に夕日が差している。
屋渡はそこから、近隣に流れる川の下流へと眼を凝らしていた。
「フン、土生の間抜けも死んだか。情けない奴だ。だが、最も厄介な折野を始末したのは一応役に立ったと褒めてやっても良いがな」
神為の使い手は常人離れした視力を持つ。
屋渡の水準になると、遥か遠方、蟻の眉間程の大きさしかない人間の集団をも見分けられる。
川岸で死んだ二人の遺体を見付けたからには、後は近くの道を下流へ辿れば良い。
「鍛冶谷、貴様の目論見も的外れではなかったようで安心したぞ」
どうやら、目当ての脱走者達を見付けたらしい。
蛇の様な眼が獲物に狙いを定めている。
「クク、居たァ……」
屋渡は愉悦に満ちた笑みを浮かべ、目星を付けた場所目掛けて屋上の床を蹴った。
そして肉の槍を伸ばし、適度な距離に突き刺しては収縮。
航達に向かって猛スピードで突っ込んで行く。
⦿⦿⦿
日が沈み掛かっている。
梅雨明けの日差しを山々がほんの少しだけ遮り、陰が土瀝青の熱を奪い始めていた。
但し、航達が歩き易くなったのは、どうやらそれだけの理由ではない。
「みんな、気付いてるか? 道路の整備が行き届いてきている」
先頭を行く航は、仲間達を勇気付けようと声を掛けた。
航のすぐ後を虎駕が続き、更に繭月、後方で幽鷹を背負う新兒と兎黄泉の手を引く双葉が付いて来ている。
途中で戦いがあったとはいえ、今日はもう八時間くらい歩きっぱなしである。
だが、誰一人として疲れを訴えない。
それは神為による体力強化もあるだろうが、暑さから来る精神的負荷にも皆能く耐えていた。
皮肉にも、飢餓訓練と称して屋渡に連れ回された経験が航達をタフにしていた。
日本と比べて皇國の地方は遥かに未開拓であり、これまで航達が歩いてきた道の状態は酷いものだった。
出発した頃は単なる砂利道で、土瀝青の道路になってもあちこちに罅割れや剥がれが見られ、草木が顔を出している状態だった。
今、それが漸く真面な道路になってきている。
つまり、ゴールへ近付いているのだ。
「あっ! 街だ! 街が見えるぞ!」
遠くに住宅街の明かりがちらついていた。
日が落ちてきた為、民家や商店が夜の装いに衣替えを始めていて幸いした。
『此処から川沿いに三十粁ほど下って行くと、少し大きな道に出る。更に途次二十粁歩くと、大きな街に出る。後は、此処の角を曲がって西に五粁、この宿を目指すと良い』
龍乃神の言葉の信憑性が高まってきた。
まだ街まで距離はあるが、それでも目的地が見えてくるとモチベーションは大幅に高まるというものだ。
後もう少しだ――そう思うと、体に力が湧いてくる。
だがその時、航の脳裡に嫌な感覚が過った。
背中に得体の知れない害意が突き刺さり、ヒリつくような感覚だ。
どこか覚えのある脅威が迫り、重く伸し掛かってきているような……。
気が付くと、全身の細胞が反応していた。
航は虎駕に飛び掛かり、突き飛ばして押し退けていた。
瞬間、鋭利な長物が航の肩を掠める。
間一髪、あと刹那でもタイミングが遅ければ、虎駕の心臓が貫かれていた。
「みんな伏せろ!!」
航は痛みに目を眇めて叫んだ。
自身の肩を傷付けて地面に突き刺さったそれを目にして、航は事態を察知したのだ。
苦い記憶を呼び起こす肉の槍が最悪の敵の襲来を告げていた。
案の定、筋骨隆々とした男の肉体が砲弾の様に追撃してきて、土瀝青を砕き土埃を上げた。
「なんてこった……! もう少しだったのに!」
突撃してきた敵の正体を悟って青褪めたのは航だけではない。
この一箇月、散々辛酸を舐めさせられた、最も出会いたくない相手だ。
「久し振りだなァ。会えて嬉しいぞ」
土埃の中から聞き慣れた狂気と嗜虐心に満ちた声が顔を覗かせた。
徐に歩み出て来た屋渡倫駆郎の姿に、航達は皆後退る。
その歪んだ笑みは、いつも高圧的に航達を捻じ伏せてきた。
その邪悪な、蛇の様な目付きに幾度と無く嬲られ、煮え湯を飲まされてきた。
「屋……渡……!」
やっとの思いで逃げ出せた恐ろしい支配者の登場に、航は冷や汗を禁じ得なかった。
加えて、今までと全く違う殺意を纏っている。
現に、今の航達で最も厄介な虎駕を不意打ちで真っ先に潰そうとした辺りにそれは裏付けられていた。
「此処まで長旅御苦労だったな。数々の困難をヒヨッコなりに頑張って乗り越えてきたこと、一応は褒めてやろう。だが、それもこの場所で終着だ。貴様らはこの俺が鏖にする。この屋渡倫駆郎が直々に血祭りに上げてやる」
屋渡は航達を一人一人見渡す。
そして、その蛇の様な眼に新兒と双葉――彼らが連れている雲野兄妹を映すと、更なる狂気に口角を歪め上げた。
「やはりそうか。雲野研究所の検体、例の双子も貴様らが連れ出したのだな。そんなことだろうと思った。丁度良い、そいつらもこの場で頂いておこう。これで俺の地位は更に安泰、盤石になるというわけだ」
「安泰、盤石だと……?」
航は屋渡の言葉を怪訝に思って眉を顰めた。
この男は何を言っているのだろう。
既にミロクサーヌ改の核部・操縦室こと直靈彌玉は折野が破壊している。
脱出の際に徹底的に設備施設を破壊した件も加えて、屋渡はもうお終いの筈だ。
あまりの現実におかしくなってしまったのか――航にとって、この訳の分からなさは不気味極まるものだった。
屋渡もそれを解っているのか、首領補佐・八社女征一千から挽回の機会をもらい、その達成に王手を掛けているという事実は告げない。
不可解さを残した方が有利になると思ってのことだろう。
「勿論、あの時と違って今回は手を抜いたりなどしない。最初から『形態惨』で相手をしてやろう。だから心置き無く絶望しろ」
バキバキと音を立てて屋渡の体が変形していく。
異様な光景に、兎黄泉は怯えて双葉の陰に隠れた。
既に双子の神為貸与は回数を使い切っており、航達は自力でこの場を乗り切らなければならない。
屋渡は嘗て航を追い詰めた姿、蛇の様に蜿る伸縮自在の槍を八本携えた異形に変形した。
「さあ、愚かな子供達よ、夭逝の時だァ……!」
「冗談じゃない。こんなところで終わって堪るかよ。此処を突破しさえすれば、日本に帰れるんだ!」
航は折れない。
尚も前に進む意思を燃やし続ける。
そしてその焔は仲間達にも波及し、一人一人の闘志に火を点ける。
「岬守」
虎駕が前へ出て航を庇う。
「お前は繭月さんと一緒に幽鷹君と兎黄泉ちゃんを守るのだ。ここは術識神為を使える三人で対処すべきなのだよ」
虎駕の意見に双葉と新兒も同意する。
「虎駕君にばっかり良い格好はさせないよ。私にだって敵は見えている。昔と違って、戦えるんだ!」
「岬守、幽鷹君は預けるぜ。下がってろ。俺の新しい力を見せてやるよ」
幽鷹と兎黄泉を押し付けられた航を蚊帳の外へ押し退け、虎駕・双葉・新兒の三人が屋渡を取り囲んだ。
「卑怯とは言わせないのだよ」
「戦える、やってやるんだから!」
「俺達は生きて帰らなきゃならねえんだ。個人的に好きなやり方じゃねえが、袋にさせてもらうぜ」
三人は覚悟の決まった眼で屋渡を睨み、それぞれの体を光らせる。
術識神為を発動し、臨戦態勢となったのだ。
そんな三人を、屋渡は嘲笑する。
「ははははは! 三人掛かりなら勝てるとでも思っているのか! この屋渡倫駆郎も舐められたものだな! ヒヨッコ共の分際で片腹痛いわ!」
屋渡の圧が上がった。
今や状況は一触即発、臨界点を迎えようとしている。
「莫迦共が! 纏めて瞬殺してくれるわ!!」
八本の槍が舞い踊る。
今、狼ノ牙からの逃避行に於ける最後の戦いが幕を開けようとしていた。
屋渡はそこから、近隣に流れる川の下流へと眼を凝らしていた。
「フン、土生の間抜けも死んだか。情けない奴だ。だが、最も厄介な折野を始末したのは一応役に立ったと褒めてやっても良いがな」
神為の使い手は常人離れした視力を持つ。
屋渡の水準になると、遥か遠方、蟻の眉間程の大きさしかない人間の集団をも見分けられる。
川岸で死んだ二人の遺体を見付けたからには、後は近くの道を下流へ辿れば良い。
「鍛冶谷、貴様の目論見も的外れではなかったようで安心したぞ」
どうやら、目当ての脱走者達を見付けたらしい。
蛇の様な眼が獲物に狙いを定めている。
「クク、居たァ……」
屋渡は愉悦に満ちた笑みを浮かべ、目星を付けた場所目掛けて屋上の床を蹴った。
そして肉の槍を伸ばし、適度な距離に突き刺しては収縮。
航達に向かって猛スピードで突っ込んで行く。
⦿⦿⦿
日が沈み掛かっている。
梅雨明けの日差しを山々がほんの少しだけ遮り、陰が土瀝青の熱を奪い始めていた。
但し、航達が歩き易くなったのは、どうやらそれだけの理由ではない。
「みんな、気付いてるか? 道路の整備が行き届いてきている」
先頭を行く航は、仲間達を勇気付けようと声を掛けた。
航のすぐ後を虎駕が続き、更に繭月、後方で幽鷹を背負う新兒と兎黄泉の手を引く双葉が付いて来ている。
途中で戦いがあったとはいえ、今日はもう八時間くらい歩きっぱなしである。
だが、誰一人として疲れを訴えない。
それは神為による体力強化もあるだろうが、暑さから来る精神的負荷にも皆能く耐えていた。
皮肉にも、飢餓訓練と称して屋渡に連れ回された経験が航達をタフにしていた。
日本と比べて皇國の地方は遥かに未開拓であり、これまで航達が歩いてきた道の状態は酷いものだった。
出発した頃は単なる砂利道で、土瀝青の道路になってもあちこちに罅割れや剥がれが見られ、草木が顔を出している状態だった。
今、それが漸く真面な道路になってきている。
つまり、ゴールへ近付いているのだ。
「あっ! 街だ! 街が見えるぞ!」
遠くに住宅街の明かりがちらついていた。
日が落ちてきた為、民家や商店が夜の装いに衣替えを始めていて幸いした。
『此処から川沿いに三十粁ほど下って行くと、少し大きな道に出る。更に途次二十粁歩くと、大きな街に出る。後は、此処の角を曲がって西に五粁、この宿を目指すと良い』
龍乃神の言葉の信憑性が高まってきた。
まだ街まで距離はあるが、それでも目的地が見えてくるとモチベーションは大幅に高まるというものだ。
後もう少しだ――そう思うと、体に力が湧いてくる。
だがその時、航の脳裡に嫌な感覚が過った。
背中に得体の知れない害意が突き刺さり、ヒリつくような感覚だ。
どこか覚えのある脅威が迫り、重く伸し掛かってきているような……。
気が付くと、全身の細胞が反応していた。
航は虎駕に飛び掛かり、突き飛ばして押し退けていた。
瞬間、鋭利な長物が航の肩を掠める。
間一髪、あと刹那でもタイミングが遅ければ、虎駕の心臓が貫かれていた。
「みんな伏せろ!!」
航は痛みに目を眇めて叫んだ。
自身の肩を傷付けて地面に突き刺さったそれを目にして、航は事態を察知したのだ。
苦い記憶を呼び起こす肉の槍が最悪の敵の襲来を告げていた。
案の定、筋骨隆々とした男の肉体が砲弾の様に追撃してきて、土瀝青を砕き土埃を上げた。
「なんてこった……! もう少しだったのに!」
突撃してきた敵の正体を悟って青褪めたのは航だけではない。
この一箇月、散々辛酸を舐めさせられた、最も出会いたくない相手だ。
「久し振りだなァ。会えて嬉しいぞ」
土埃の中から聞き慣れた狂気と嗜虐心に満ちた声が顔を覗かせた。
徐に歩み出て来た屋渡倫駆郎の姿に、航達は皆後退る。
その歪んだ笑みは、いつも高圧的に航達を捻じ伏せてきた。
その邪悪な、蛇の様な目付きに幾度と無く嬲られ、煮え湯を飲まされてきた。
「屋……渡……!」
やっとの思いで逃げ出せた恐ろしい支配者の登場に、航は冷や汗を禁じ得なかった。
加えて、今までと全く違う殺意を纏っている。
現に、今の航達で最も厄介な虎駕を不意打ちで真っ先に潰そうとした辺りにそれは裏付けられていた。
「此処まで長旅御苦労だったな。数々の困難をヒヨッコなりに頑張って乗り越えてきたこと、一応は褒めてやろう。だが、それもこの場所で終着だ。貴様らはこの俺が鏖にする。この屋渡倫駆郎が直々に血祭りに上げてやる」
屋渡は航達を一人一人見渡す。
そして、その蛇の様な眼に新兒と双葉――彼らが連れている雲野兄妹を映すと、更なる狂気に口角を歪め上げた。
「やはりそうか。雲野研究所の検体、例の双子も貴様らが連れ出したのだな。そんなことだろうと思った。丁度良い、そいつらもこの場で頂いておこう。これで俺の地位は更に安泰、盤石になるというわけだ」
「安泰、盤石だと……?」
航は屋渡の言葉を怪訝に思って眉を顰めた。
この男は何を言っているのだろう。
既にミロクサーヌ改の核部・操縦室こと直靈彌玉は折野が破壊している。
脱出の際に徹底的に設備施設を破壊した件も加えて、屋渡はもうお終いの筈だ。
あまりの現実におかしくなってしまったのか――航にとって、この訳の分からなさは不気味極まるものだった。
屋渡もそれを解っているのか、首領補佐・八社女征一千から挽回の機会をもらい、その達成に王手を掛けているという事実は告げない。
不可解さを残した方が有利になると思ってのことだろう。
「勿論、あの時と違って今回は手を抜いたりなどしない。最初から『形態惨』で相手をしてやろう。だから心置き無く絶望しろ」
バキバキと音を立てて屋渡の体が変形していく。
異様な光景に、兎黄泉は怯えて双葉の陰に隠れた。
既に双子の神為貸与は回数を使い切っており、航達は自力でこの場を乗り切らなければならない。
屋渡は嘗て航を追い詰めた姿、蛇の様に蜿る伸縮自在の槍を八本携えた異形に変形した。
「さあ、愚かな子供達よ、夭逝の時だァ……!」
「冗談じゃない。こんなところで終わって堪るかよ。此処を突破しさえすれば、日本に帰れるんだ!」
航は折れない。
尚も前に進む意思を燃やし続ける。
そしてその焔は仲間達にも波及し、一人一人の闘志に火を点ける。
「岬守」
虎駕が前へ出て航を庇う。
「お前は繭月さんと一緒に幽鷹君と兎黄泉ちゃんを守るのだ。ここは術識神為を使える三人で対処すべきなのだよ」
虎駕の意見に双葉と新兒も同意する。
「虎駕君にばっかり良い格好はさせないよ。私にだって敵は見えている。昔と違って、戦えるんだ!」
「岬守、幽鷹君は預けるぜ。下がってろ。俺の新しい力を見せてやるよ」
幽鷹と兎黄泉を押し付けられた航を蚊帳の外へ押し退け、虎駕・双葉・新兒の三人が屋渡を取り囲んだ。
「卑怯とは言わせないのだよ」
「戦える、やってやるんだから!」
「俺達は生きて帰らなきゃならねえんだ。個人的に好きなやり方じゃねえが、袋にさせてもらうぜ」
三人は覚悟の決まった眼で屋渡を睨み、それぞれの体を光らせる。
術識神為を発動し、臨戦態勢となったのだ。
そんな三人を、屋渡は嘲笑する。
「ははははは! 三人掛かりなら勝てるとでも思っているのか! この屋渡倫駆郎も舐められたものだな! ヒヨッコ共の分際で片腹痛いわ!」
屋渡の圧が上がった。
今や状況は一触即発、臨界点を迎えようとしている。
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