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第一章『脱出篇』
第二十三話『その燐火に捧げる鎮魂歌』 急
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繭月百合菜は考える。
生まれてくる姿は誰にも選べない。
問題はそれを自分自身が受け容れられるかだ。
私は自分が醜悪だと認識するまで二十年も要してしまった。
心の海の底で見付けた貝殻の中にあったのは、無残な程に歪な珠だった。
もしも薬品を滴下してドロドロに溶かしてしまえば、心の珠は皆に愛されるような滑らかで美しい真珠に形を変えられるだろうか。
……仮に出来たとして、それは私ではないだろう。
この歪んだ珠こそが私。
私は死ぬまでこの醜さを抱いて生きる。
その宿命を受け容れられたのは、偏に彼の御陰だった。
紅夜君――本名は有明孝也といったけれど、バンドではそう名告っていた。
友達に連れられて行ったインディーズバンドのライブで、対バン相手のボーカルだった。
私は友人の本命だったバンドよりも、彼が歌う歪んだ愛の詩に惹かれた。
彼の事を調べ、追い掛けている内に向こうも私を認識した。
付き合うようになるまで、そう時間は掛からなかった。
ただ、言ってしまえば、彼は私の性癖ではなかった。
それは逆に、彼の方も同じだった。
二人は肉体的な愛欲よりも、精神的な共感で繋がっていた。
彼は私の歪な愛の形を「美しい」と云ってくれた。
彼が居れば私は私のままで、額縁に閉じ込めた醜さを愛おしみながら生きていけた。
鉄格子の中で眠り続けるこの怪物がいつか目覚めてしまうのではないかと、そんな恐怖に真直ぐ向き合っていけた。
でも、死んでしまった。
目の前の男、屋渡倫駆郎に殺された。
私は再び、許されない存在に戻ってしまった。
あの人は私自身をも差し置いて、私の歪さを許してくれるたった一人の存在だったのに……。
あの人が居なければ、もう私は生きていてはいけない。
生まれてきたことを懺悔して、誰も害さないうちに消えてしまわなければならない――そう思っていた。
折野菱――自分で言うように、確かに極悪人だったと思う。
けれども、教えてくれたのは彼だった。
別に紅夜君が居なくとも、私は何ら愧じるべき人間ではないと云ってくれた。
ただ真当に生きてきただけで、その一点だけで私は真面だと云ってくれた。
……本当だろうか?
だって私は、屹度傷付けてしまっている。
この悍ましい狂気に目覚めた時、弟の翅に口付けをしそうになった時、あの行為は仮令思い止まって未遂であろうとも、普通の姉弟関係だった彼を汚してしまっている。
私の最後の心残りは、弟に謝れなかったこと。
ふと思った。
この兄妹は、私の願いを叶えてくれるのではないか。
だから再出発した道中で、衝動を抑えながら恐る恐る訊いてみた。
『ねえ、兎黄泉ちゃん……?』
『はい、なんですか?』
『私にも会いたい人がいるの。もう何年も前に死んでしまった人なんだけど、会えるかな?』
『兎黄泉にはなんとも言えません。死んだ人はいつも傍に居ますが、顔を合わせるには相手が応えてくれなければならないんです。だからその人が応えてくれれば会えますです』
やはり、何もかも都合良くはいかないらしい。
『それに、兎黄泉はあまりお勧めしないです。死んだ人が望むなら兎も角、生きた人が死んだ人に態々会いに行っても、時が経って変わってしまっていたらお互い傷付くだけなのです』
分かっている。
ただそれでも、会いたいと思ってしまう私が居る。
『繭月百合菜さんの場合は、無理に会わなければ事情があるとも思えないです。特に恨んでいる魂は無さそうですし』
『え? 恨まれてない?』
『はい。誰かを恨んでいる魂はどす黒くなって、恨む相手に纏わり付いていることが多いです。御兄様も兎黄泉も、大抵それで悪い人が判るのです。あの研究所にはそんな人が沢山居ました。繭月百合菜さんは、そんなこと全然無いです』
翅は私を恨んでいない……?
どうしてだろう。
恨んでいないというだけで、傷付いていないとは云われていないのに。
私の前に私の弱さが、宿痾が抉り出された気がする。
あの頃、醜さを額縁に納めて見詰めていた様に……。
そうだ、私はずっと誰かに依存してきたのだ。
自分を愛する為に、許す為に、背負っていく為に、誰かを必要としていた。
紅夜君が「美しい」と云ってくれたから自分を愛せる。
折野さんが「真面だ」と云ってくれたから自分を許せる。
そして翅は屹度傷付いただろうから、背負っていかなければならない。
けれどもそうじゃない。
私は私一人で、私の意思で、私の責任でこの歪な珠を輝かせるべきなのだ。
その為に、此処から生きて帰らなければ。
みんな生きる為に戦っている。
そこに私だけが居ない、そんなわけにはいかない。
だったら……!
――赤い翼で宙に舞い上がった繭月は、決意の焔を双眸に宿し、屋渡を見下ろす。
⦿⦿⦿
神為とは己の中に潜む内なる神の探求によってより深い段階に達する。
その際、強い自己嫌悪は探求の阻害になり、神為の発達を遅らせる。
繭月が術識神為に中々覚醒出来なかった理由にはこれが大きかった。
今、彼女は長い葛藤の末に答えを出した。
戦いの中で覚悟も決まった。
ここからは最早、今までの繭月百合菜ではない。
焔の翼が羽撃き、黒い菱形の結晶を燃やして飛ばす。
宛ら、鏃大の弾丸が連射されるが如しである。
「舐めるな雌豚ァッ!」
屋渡も肉の槍を目にも留まらぬ速さで刺突させ、結晶弾と激しく打ち合う。
燃える黒い破片が辺りに飛び散り、沈み掛かった夕日に代わって戦いの場を赤く照らす。
「狙いが甘いなァ! これでは他の連中が俺に近寄れんぞォ?」
屋渡の指摘通り、繭月の結晶弾は大半が屋渡から狙いを外し、土瀝青に着弾している。
外れた結晶弾が火種となって、屋渡の周囲に焔が上がった。
「どうやらこの攻撃、普通に当たれば貫通力で物理的破壊を行うが、外れた場合や貫通出来なかった場合は次なる攻め手として着弾箇所を燃やすらしいな。二段構えで中々面白い能力だが、この場では仇となったと見える」
屋渡は槍の速度を上げた。
狙いの精度が悪いということは、逆に言うと相手の攻撃にピンポイントで合わせて衝突させることは出来ない。
急所は外したものの、繭月は腕と腿を貫かれてしまった。
「このまま叩き落としてやる!」
「やってみなさいよ!」
屋渡に結晶弾が飛んで行く。
槍で貫いたまま繭月の体を地面に叩き付けようとした屋渡だったが、慌てて引っ込めざるを得ない。
今度は屋渡の胸に結晶弾が炸裂した。
「ぐっ……!」
頑丈な蛇腹の装甲に守られた胴部に傷は付かない。
だが、衝撃は屋渡を怯ませるのに充分だった。
どうやら二人は今のところ互角。
一対一ならば勝負の行方は判らない。
そう、一対一ならば。
屋渡の周囲にはうかつに近付けないこの状況で、たった一人だけ参戦出来る男が居る。
「喰らえッ!!」
屋渡の頭に折れた日本刀が飛んできた。
航が屋渡目掛けて投擲したのだ。
肉の槍がこれを弾いたが、余計な相手に防御のリソースを割いたが為に、結晶弾が屋渡の蟀谷を掠めた。
「鬱陶しい……!」
屋渡は苛立つも、結晶弾を防御するのに手一杯で航にまで槍を差し向けられない。
だが、航もまた顔を顰めている。
これじゃ駄目だ――航は考える。
刀を投擲したところで、繭月の結晶弾とは威力も速度も比較にならない。
こんな攻撃では大した隙は生まれない。
ならば攻撃よりも、繭月の攻撃をアシスト出来るような武器が良い。
何か手に持って操れて、間合いが広く、それでいて相手の動きを封じられる様な武器が欲しい。
(釣り竿はどうだ? いや、久住さんの蔓ですら簡単に破られるんだ。釣り糸なんてまるで問題にならないだろう)
悩む航に、繭月が叫ぶ。
「岬守君、何でも良い! 難しく考えなくてもいいから、兎に角屋渡の注意を引いて! 武器じゃなくても、何なら虫取り網やモップでも良いから!」
そうか、それがあった!――繭月の言葉に、航は閃いた。
航の右手に、橿の葉の紋様が光り、長い柄を模る。
その先端には房糸が垂れ下がっている。
航が選んだのはモップだった。
しかし、ただのモップではない。
「うおおおおっっ!!」
航は房糸を屋渡へと突き出した。
「何!?」
「これでも喰らえ!」
房糸を屋渡に押し付けつつ、航は柄のスイッチを入れた。
すると、房糸から風音が鳴り、屋渡を吸い付ける。
このモップは公転館で使用していたものであり、皇國の技術によって並の掃除機以上の吸引力を備えている。
しかも、それは航の神為によって実物とは比較にならないレベルにまで上昇していた。
「ぐうううっ! こんな……こんなもので! ガアアアアッッ!!」
動きを封じられた屋渡に繭月の結晶弾が炸裂した。
辛うじて頭の急所は外したものの、大きなダメージを受けて呻き声を上げる。
「ク……ソ……がああああっっ!!」
屋渡は防御に宛てていた長槍でモップを切断し、吸引を無理矢理停止させて難を逃れた。
だが勿論、航の武器は破壊されようとも何度でも生成出来る。
「屋渡イイッ!!」
「こんな玩具で……! ふざけるのも大概にしろぉっ!!」
屋渡の長槍が再び旋風を巻き起こす。
彼は完全にブチキレていた。
虎駕が焦って屋渡を鏡の障壁で覆うが、これが却って繭月の攻撃を遮ってしまう。
逆に言えば、繭月の攻撃が誤って障壁を破壊してしまう。
その瞬間、航の方へ八本の槍が一斉に伸びてきた。
「岬守、危ない!!」
虎駕は必死で手を伸ばし、何とか航の胸の前に鏡を生成して槍を防ごうとする。
どうにか半分は防ぐことが出来た。
二本は航自身が躱し、狙いを外した。
だが残る二本は、航の左脇と右腹部を貫いてしまった。
「がはっ……!」
重傷を負った航は槍が抜けると共にその場へ倒れた。
「岬守!!」
「岬守君!!」
虎駕と双葉が悲痛な叫びを上げる。
「久住さん! 植物で止血して!」
繭月が咄嗟の指示を出す。
双葉は細い絹糸を発生させ、航の傷を抑える。
だが、所詮はその場凌ぎの稚拙な止血に過ぎない。
「岬守!! 死ぬんじゃねえ!!」
新兒の叫び声が響く中、航は意識を失い、深い深い闇へと沈んでいった。
生まれてくる姿は誰にも選べない。
問題はそれを自分自身が受け容れられるかだ。
私は自分が醜悪だと認識するまで二十年も要してしまった。
心の海の底で見付けた貝殻の中にあったのは、無残な程に歪な珠だった。
もしも薬品を滴下してドロドロに溶かしてしまえば、心の珠は皆に愛されるような滑らかで美しい真珠に形を変えられるだろうか。
……仮に出来たとして、それは私ではないだろう。
この歪んだ珠こそが私。
私は死ぬまでこの醜さを抱いて生きる。
その宿命を受け容れられたのは、偏に彼の御陰だった。
紅夜君――本名は有明孝也といったけれど、バンドではそう名告っていた。
友達に連れられて行ったインディーズバンドのライブで、対バン相手のボーカルだった。
私は友人の本命だったバンドよりも、彼が歌う歪んだ愛の詩に惹かれた。
彼の事を調べ、追い掛けている内に向こうも私を認識した。
付き合うようになるまで、そう時間は掛からなかった。
ただ、言ってしまえば、彼は私の性癖ではなかった。
それは逆に、彼の方も同じだった。
二人は肉体的な愛欲よりも、精神的な共感で繋がっていた。
彼は私の歪な愛の形を「美しい」と云ってくれた。
彼が居れば私は私のままで、額縁に閉じ込めた醜さを愛おしみながら生きていけた。
鉄格子の中で眠り続けるこの怪物がいつか目覚めてしまうのではないかと、そんな恐怖に真直ぐ向き合っていけた。
でも、死んでしまった。
目の前の男、屋渡倫駆郎に殺された。
私は再び、許されない存在に戻ってしまった。
あの人は私自身をも差し置いて、私の歪さを許してくれるたった一人の存在だったのに……。
あの人が居なければ、もう私は生きていてはいけない。
生まれてきたことを懺悔して、誰も害さないうちに消えてしまわなければならない――そう思っていた。
折野菱――自分で言うように、確かに極悪人だったと思う。
けれども、教えてくれたのは彼だった。
別に紅夜君が居なくとも、私は何ら愧じるべき人間ではないと云ってくれた。
ただ真当に生きてきただけで、その一点だけで私は真面だと云ってくれた。
……本当だろうか?
だって私は、屹度傷付けてしまっている。
この悍ましい狂気に目覚めた時、弟の翅に口付けをしそうになった時、あの行為は仮令思い止まって未遂であろうとも、普通の姉弟関係だった彼を汚してしまっている。
私の最後の心残りは、弟に謝れなかったこと。
ふと思った。
この兄妹は、私の願いを叶えてくれるのではないか。
だから再出発した道中で、衝動を抑えながら恐る恐る訊いてみた。
『ねえ、兎黄泉ちゃん……?』
『はい、なんですか?』
『私にも会いたい人がいるの。もう何年も前に死んでしまった人なんだけど、会えるかな?』
『兎黄泉にはなんとも言えません。死んだ人はいつも傍に居ますが、顔を合わせるには相手が応えてくれなければならないんです。だからその人が応えてくれれば会えますです』
やはり、何もかも都合良くはいかないらしい。
『それに、兎黄泉はあまりお勧めしないです。死んだ人が望むなら兎も角、生きた人が死んだ人に態々会いに行っても、時が経って変わってしまっていたらお互い傷付くだけなのです』
分かっている。
ただそれでも、会いたいと思ってしまう私が居る。
『繭月百合菜さんの場合は、無理に会わなければ事情があるとも思えないです。特に恨んでいる魂は無さそうですし』
『え? 恨まれてない?』
『はい。誰かを恨んでいる魂はどす黒くなって、恨む相手に纏わり付いていることが多いです。御兄様も兎黄泉も、大抵それで悪い人が判るのです。あの研究所にはそんな人が沢山居ました。繭月百合菜さんは、そんなこと全然無いです』
翅は私を恨んでいない……?
どうしてだろう。
恨んでいないというだけで、傷付いていないとは云われていないのに。
私の前に私の弱さが、宿痾が抉り出された気がする。
あの頃、醜さを額縁に納めて見詰めていた様に……。
そうだ、私はずっと誰かに依存してきたのだ。
自分を愛する為に、許す為に、背負っていく為に、誰かを必要としていた。
紅夜君が「美しい」と云ってくれたから自分を愛せる。
折野さんが「真面だ」と云ってくれたから自分を許せる。
そして翅は屹度傷付いただろうから、背負っていかなければならない。
けれどもそうじゃない。
私は私一人で、私の意思で、私の責任でこの歪な珠を輝かせるべきなのだ。
その為に、此処から生きて帰らなければ。
みんな生きる為に戦っている。
そこに私だけが居ない、そんなわけにはいかない。
だったら……!
――赤い翼で宙に舞い上がった繭月は、決意の焔を双眸に宿し、屋渡を見下ろす。
⦿⦿⦿
神為とは己の中に潜む内なる神の探求によってより深い段階に達する。
その際、強い自己嫌悪は探求の阻害になり、神為の発達を遅らせる。
繭月が術識神為に中々覚醒出来なかった理由にはこれが大きかった。
今、彼女は長い葛藤の末に答えを出した。
戦いの中で覚悟も決まった。
ここからは最早、今までの繭月百合菜ではない。
焔の翼が羽撃き、黒い菱形の結晶を燃やして飛ばす。
宛ら、鏃大の弾丸が連射されるが如しである。
「舐めるな雌豚ァッ!」
屋渡も肉の槍を目にも留まらぬ速さで刺突させ、結晶弾と激しく打ち合う。
燃える黒い破片が辺りに飛び散り、沈み掛かった夕日に代わって戦いの場を赤く照らす。
「狙いが甘いなァ! これでは他の連中が俺に近寄れんぞォ?」
屋渡の指摘通り、繭月の結晶弾は大半が屋渡から狙いを外し、土瀝青に着弾している。
外れた結晶弾が火種となって、屋渡の周囲に焔が上がった。
「どうやらこの攻撃、普通に当たれば貫通力で物理的破壊を行うが、外れた場合や貫通出来なかった場合は次なる攻め手として着弾箇所を燃やすらしいな。二段構えで中々面白い能力だが、この場では仇となったと見える」
屋渡は槍の速度を上げた。
狙いの精度が悪いということは、逆に言うと相手の攻撃にピンポイントで合わせて衝突させることは出来ない。
急所は外したものの、繭月は腕と腿を貫かれてしまった。
「このまま叩き落としてやる!」
「やってみなさいよ!」
屋渡に結晶弾が飛んで行く。
槍で貫いたまま繭月の体を地面に叩き付けようとした屋渡だったが、慌てて引っ込めざるを得ない。
今度は屋渡の胸に結晶弾が炸裂した。
「ぐっ……!」
頑丈な蛇腹の装甲に守られた胴部に傷は付かない。
だが、衝撃は屋渡を怯ませるのに充分だった。
どうやら二人は今のところ互角。
一対一ならば勝負の行方は判らない。
そう、一対一ならば。
屋渡の周囲にはうかつに近付けないこの状況で、たった一人だけ参戦出来る男が居る。
「喰らえッ!!」
屋渡の頭に折れた日本刀が飛んできた。
航が屋渡目掛けて投擲したのだ。
肉の槍がこれを弾いたが、余計な相手に防御のリソースを割いたが為に、結晶弾が屋渡の蟀谷を掠めた。
「鬱陶しい……!」
屋渡は苛立つも、結晶弾を防御するのに手一杯で航にまで槍を差し向けられない。
だが、航もまた顔を顰めている。
これじゃ駄目だ――航は考える。
刀を投擲したところで、繭月の結晶弾とは威力も速度も比較にならない。
こんな攻撃では大した隙は生まれない。
ならば攻撃よりも、繭月の攻撃をアシスト出来るような武器が良い。
何か手に持って操れて、間合いが広く、それでいて相手の動きを封じられる様な武器が欲しい。
(釣り竿はどうだ? いや、久住さんの蔓ですら簡単に破られるんだ。釣り糸なんてまるで問題にならないだろう)
悩む航に、繭月が叫ぶ。
「岬守君、何でも良い! 難しく考えなくてもいいから、兎に角屋渡の注意を引いて! 武器じゃなくても、何なら虫取り網やモップでも良いから!」
そうか、それがあった!――繭月の言葉に、航は閃いた。
航の右手に、橿の葉の紋様が光り、長い柄を模る。
その先端には房糸が垂れ下がっている。
航が選んだのはモップだった。
しかし、ただのモップではない。
「うおおおおっっ!!」
航は房糸を屋渡へと突き出した。
「何!?」
「これでも喰らえ!」
房糸を屋渡に押し付けつつ、航は柄のスイッチを入れた。
すると、房糸から風音が鳴り、屋渡を吸い付ける。
このモップは公転館で使用していたものであり、皇國の技術によって並の掃除機以上の吸引力を備えている。
しかも、それは航の神為によって実物とは比較にならないレベルにまで上昇していた。
「ぐうううっ! こんな……こんなもので! ガアアアアッッ!!」
動きを封じられた屋渡に繭月の結晶弾が炸裂した。
辛うじて頭の急所は外したものの、大きなダメージを受けて呻き声を上げる。
「ク……ソ……がああああっっ!!」
屋渡は防御に宛てていた長槍でモップを切断し、吸引を無理矢理停止させて難を逃れた。
だが勿論、航の武器は破壊されようとも何度でも生成出来る。
「屋渡イイッ!!」
「こんな玩具で……! ふざけるのも大概にしろぉっ!!」
屋渡の長槍が再び旋風を巻き起こす。
彼は完全にブチキレていた。
虎駕が焦って屋渡を鏡の障壁で覆うが、これが却って繭月の攻撃を遮ってしまう。
逆に言えば、繭月の攻撃が誤って障壁を破壊してしまう。
その瞬間、航の方へ八本の槍が一斉に伸びてきた。
「岬守、危ない!!」
虎駕は必死で手を伸ばし、何とか航の胸の前に鏡を生成して槍を防ごうとする。
どうにか半分は防ぐことが出来た。
二本は航自身が躱し、狙いを外した。
だが残る二本は、航の左脇と右腹部を貫いてしまった。
「がはっ……!」
重傷を負った航は槍が抜けると共にその場へ倒れた。
「岬守!!」
「岬守君!!」
虎駕と双葉が悲痛な叫びを上げる。
「久住さん! 植物で止血して!」
繭月が咄嗟の指示を出す。
双葉は細い絹糸を発生させ、航の傷を抑える。
だが、所詮はその場凌ぎの稚拙な止血に過ぎない。
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