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第一章『脱出篇』
第二十六話『再会』 破
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七月三日夜、日本国は国会議員会館。
皇奏手防衛大臣兼国家公安委員長は、自身の事務所で一本の電話を受けていた。
「根尾、御苦労様でした。本邦からの拉致被害者七名の内、生存者は五名。追加で二名の『失われた日本』からの拉致被害者も身柄を確保し、本人達は亡命の手続を望んでいると、そういうことで宜しいかしら?」
『はい。それと仁志旗がおそらく……』
「そう……。彼は本当によく働いてくれたわ。お陰で皇國の内情もよく解った」
『今は一先ず拉致被害者を帰国させようと思いますが、仁志旗の件については引き続き調査させてもらえないでしょうか。何やらきな臭い気配がするのです』
「分かりました。その件は貴方に任せましょう。ともあれ、邦人の帰国が最優先です。貴方は白檀を使い、皇國側の輸送機を出してもらいなさい。残念にも犠牲者が出てしまった以上、皇國政府にとってもそれが良いと解ってもらえるでしょう。私は此方側で、受け入れの為の態勢を整えます」
『承知しました。拉致被害者達は勿論、貴女の御嬢様も確実に送り届けます』
皇は机に置かれた資料を一枚手に取った。
「そうそう。仁志旗といえば、彼が報告した拉致被害者脱走の経緯については裏を取れたかしら?」
『はい。同乗した青年からそれとなく』
皇の口角が上がった。
「つまり、岬守航は操縦したのね? 皇國の超級為動機神体を」
『はい。……皇先生、何をお考えですか?』
「簡単なことよ。彼の得た技術、我が国の安全保障に役立てない手は無い、と思ってね」
根尾の返答が遅れる。
おそらく、周囲に人が居ないか念には念を入れて確かめたのだろう。
『つまり、進んでいるのですね?』
「ええ。四年前、米国は確かにあっという間の敗戦を喫した。しかし、その僅かな期間で得た皇國の兵器の情報は、断片的にだけれど同盟諸国に共有されもした。あの戦争の後、我が国が欧州や東南アジア、環太平洋諸国との安全保障に於ける連携を強化したのは、そうした国々と一つの兵器を共同開発する為よ」
『兵器、ですか……』
皇奏手は皇國の脅威を訴えることで権力の階段を上り詰めてきた政治家である。
閣僚就任に及んでは、国家の安全保障並びに危機管理体制の再構築を急速に進めてきた。
その手腕は国内の右派には稀代の有能改革者と喝采を浴びたが、左派には戦争の準備を進める危険人物と忌み嫌われていた。
「そして、今年の四月末に漸く完成したわ。国産超級為動機神体、その試作機が」
『……事務所で米国占領が終了した報を受けたあの日、我が国には既にあったわけですか。あの畏るべき巨人が……』
「搭乗試験が上手く行くようならば、第一の量産ロットに入ります。これは間もなくでしょうね……」
皇はほくそ笑む。
「早急に、確実に彼らを連れ帰りなさい。これから忙しくなるわ」
『畏まりました。では、失礼いたします』
電話が切れた。
皇は堪えきれないといった調子で、とうとう声に出して笑い始めた。
「はっは、これは時代が私を求めているわね! 問題は邦人拉致発覚の切掛となり、犠牲になった二井原家への頭の下げ方だけれど、事情が事情だけに切り抜けるのはそう難しくないでしょう」
皇はこう考えている。
時代に求められた政治家は無敵であり、権力から廃することなど出来ない。
仮令一時的に失脚させたとしても、必ず返り咲いてしまう。
そこで彼女は、そんな大政治家の寵愛を受けて権力の座を確保した。
そして今、自分がまさにそういう存在になろうとしている実感がある。
「日本国初の女性総理! その椅子に座る上で必要なのは、男にも為せなかった力強い政治的成果! 皇國内の反政府組織に拉致された邦人を取り戻したという実績は最高のアピールになるわ! おまけに、今や世界一の大国たる皇國とパイプを持つ唯一の政治家! 完全に私の時代が来ている!」
皇は懐からロケットペンダントを取り出し、閉じたまま固く握り締めた。
「思えば魅弦さんと、麗真家と関わった時から私の運命が回り始めた。あの一族との繋がりが私に皇國の存在を逸早く教えてくれた。その目的を知り、対抗策を講じることも出来た」
そう、皇を此処まで押し上げたのは、偏に麗真家の宿命との関わりだった。
彼女は麗真家から皇國のことを顕現前に把握し、タカ派の議員として布石を打ってきた。
皇國顕現後、それが評価されて急速に力を付けた。
彼女の語る皇國の脅威は日に日に現実感を増し、彼女は支持を広め、重用される様になった。
「皇國の目的は、日本国の吸収! しかし私はそれを逆手に取り、逆に皇國を日本国に吸収するという結果へ持って行く! それを私の首相在任中に実現すれば、その時こそ私は世界最強の存在になれる!」
皇にとって、世界最強の存在とは最強覇権国家の最高指導者である。
つまり、六年前までは米国の大統領こそがそれだった。
しかし現行の制度では、米国に縁の無い皇は帰化したとしても大統領選の被選挙権が得られない。
これは彼女の夢にとって、巨大過ぎる壁だった。
では、米国の選挙制度改革を目指し、そこから大統領を目指すのか。
皇はそうしない。
何故なら、それではどう足掻いてもマイノリティ、即ち弱者故の同情的支持が集まってしまうからだ。
それではどこまで行っても「弱者の代表」でしかなく、「最高権力者」ではあっても「最強」ではない。
皇が「世界最強」となる為には、日本国こそが世界最強の覇権国家でなくてはならない。
それは到底実現不可能な夢だった。
……皇國が存在しなければ。
皇國の顕現によって、世界情勢は極めて不安定な状態にある。
この荒波に皇國を上手く巻き込み、なし崩し的に日本国に同化してしまう。
その途方も無い計画こそが、皇奏手の狙いだった。
単に、皇奏手の「世界最強」という夢は、それほどに莫迦げたものなのだ。
⦿⦿⦿
どこまでも安堵の渦に沈んでいくような疲労感に包まれて眠りに落ちていた航は、深夜に目を覚ました。
神為も回復したようで、大傷もすっかり癒えている。
周囲を見渡すと、どうやら例の旅館に辿り着き、一部屋に男達が雑魚寝しているようだ。
ということは、女達もまた別室で休んでいるのだろう。
「どうした、目が覚めたのか?」
部屋の隅で胡座を組んでいた根尾が声を潜めて航に囁きかけた。
察するに、航達の身に何かあった時に備えて寝ずの番をしていたのだろう。
「すみません」
「謝ることはない。国民を守るのが政治の責務だ」
五年振りに会った根尾は、当時と随分印象が違う。
あの時はもっといけ好かないと思っていた。
ただそれは、魅琴を勧誘していたが故の悪印象もあったかも知れない。
「トイレはそっちの、部屋の左の扉。風呂に入りたいなら部屋を出て右の突き当たりに大浴場がある。有難いことに、二十四時間入れるらしい。喉が渇いたなら奢ってやるからこれを持って行け。浴場の前に自販機があり、こいつを翳せば買える」
根尾は航にカードを差し出した。
(妙に至れり尽くせりだな。政界進出に向けた囲い込みか? まあ、助けてもらったんだし、あんまり邪推するのも失礼か……)
航は取り敢えず、素直にそれを受け取ることにした。
「ありがとうございます。御厚意に甘えさせていただきます」
航は根尾に軽く一礼し、大浴場へと向かった。
⦿⦿⦿
久々に、心まで洗われるような風呂だった。
全身の垢、脂と共に疲労まで泡となって流れていくようだった。
未だ異国の地とはいえ、反政府組織からの逃走と闘争の果てに祖国政府の保護下に入った今、航は得も知れぬ解放感に包まれていた。
(やっと自由になれた……)
ふと、航は自分の体を眺める。
以前よりも筋肉が付き、大きくなったような気がする。
この一月、必死に抗い続ける中で望まずして鍛えられてしまったのだろう。
反面、公転館では水徒端早辺子の世話になった為、意外にも真面な食事と休息が得られたのも良く作用したのかも知れない。
だがそれでも、魅琴には全然勝てる気がしない。
あの嫋やかな細腕のどこにあんな理外の力が宿っているのか。
航は再び湯船に浸かった。
ここへ来て、決意が揺らいでいるのを感じる。
帰国したら魅琴に想いを伝え、彼女の思いを確かめようと思っていた。
しかしその意志は、決して拭えない劣等感にガツンと殴られて膝に来てしまったように、頼りなく揺蕩っている。
(とっとと上がって明日に備えよう)
このままだとどんどん思考がネガティブな方へ転がる――そんな気がして、航は風呂から出ることにした。
⦿⦿⦿
浴衣の隙間から流れ込む扇風機の風が冷たく心地良い。
皇國でも夏は蒸し暑い為か、薄手の生地がよく風を通す。
自販機で売られている飲料は、当たり前だが、知らないものばかりだった。
ただなんとなく、等張液飲料らしきものはわかったので、根尾から借りたカードで一本買って取り出した。
蓋を開け、よく冷えた飲料を喉へと流し込む。
(美味いな。飲んだら戻ろう)
水分だけでなく、気力まで充填されていく気がした。
エネルギーが戻ってきた航は、ふと思い出す。
「しかしあれだな……。魅琴のあの格好……」
颯爽と現れ、圧倒的な力を見せ付けた魅琴の立ち振る舞いを、改めて思い出した。
引き締められた、蠱惑的な美しい体のラインをこれでもかと見せ付ける様な、ホルターネックのレオタード――その露出多き扇情的な装いが鮮やかに蘇る。
「眼福だったなあ……。でもあれじゃ、一歩間違えば痴女だよなあ……」
思わず、鼻の下が伸びて口元が緩んでしまう。
久々に魅琴の暴れ振りを目にして、劣等感に結びついた邪念が湧き上がってきた。
「誰が痴女よ、誰が」
しかしそんな折、女湯から出て来た魅琴とバッタリと会ってしまった。
深夜にまさか出くわすとは思っておらず、航はだらしのない表情のまま固まった。
「や、やあ奇遇だね。というか、隣で入ってたんだね。気付かなかったよ」
「そう? 私は気付いたわよ。で、逆に気付かれるとこの助平犬は何をしでかすか分からないと思ったから、なるべく気配を消していたの」
「あ、さいですか……」
「ま、よく考えるとヘタレの航に覗くような度胸は無かったわね。精々不埒な妄想をするくらいでしょう。今みたいにね」
「ははは……」
魅琴に揶揄われ、航は苦笑いを浮かべるしか無かった。
しかし、その感じがまた心地良い。
それにしても、浴衣姿の魅琴もこれはこれで大変艶やかだ。
生地の隙間から鍛え抜かれて引き締まった肢体とたわわに実った肉の隆線が垣間見える。
更には二十歳を過ぎて大人の魅力まで備え始めていて、最早向かうところ敵無しといった様相だった。
「ふふ……」
魅琴は穏やかな表情で口元から可笑しみを零した。
航は彼女が何を思ったのか、概ね察した。
それは屹度同じ思いだろうから。
「何だか久し振りね。貴方とこういう風にお話しするの」
「そうだね……」
懐かしい会話だった。
思えば攫われる以前から、魅琴とは距離が生じていた。
もしかしたら二人の関係はこのままフェードアウトするのかと、それに任せるべきなのかと、そう思い悩んだ末に航は海を観に行ったのだ。
そんな航の思いを知ってか知らずか、魅琴は角の向こうの階段を指差す。
「少し、場所を変えて話さない? 中庭へ行きましょう」
魅琴に誘われるままに、二人は階段を降りて中庭へ向かった。
皇奏手防衛大臣兼国家公安委員長は、自身の事務所で一本の電話を受けていた。
「根尾、御苦労様でした。本邦からの拉致被害者七名の内、生存者は五名。追加で二名の『失われた日本』からの拉致被害者も身柄を確保し、本人達は亡命の手続を望んでいると、そういうことで宜しいかしら?」
『はい。それと仁志旗がおそらく……』
「そう……。彼は本当によく働いてくれたわ。お陰で皇國の内情もよく解った」
『今は一先ず拉致被害者を帰国させようと思いますが、仁志旗の件については引き続き調査させてもらえないでしょうか。何やらきな臭い気配がするのです』
「分かりました。その件は貴方に任せましょう。ともあれ、邦人の帰国が最優先です。貴方は白檀を使い、皇國側の輸送機を出してもらいなさい。残念にも犠牲者が出てしまった以上、皇國政府にとってもそれが良いと解ってもらえるでしょう。私は此方側で、受け入れの為の態勢を整えます」
『承知しました。拉致被害者達は勿論、貴女の御嬢様も確実に送り届けます』
皇は机に置かれた資料を一枚手に取った。
「そうそう。仁志旗といえば、彼が報告した拉致被害者脱走の経緯については裏を取れたかしら?」
『はい。同乗した青年からそれとなく』
皇の口角が上がった。
「つまり、岬守航は操縦したのね? 皇國の超級為動機神体を」
『はい。……皇先生、何をお考えですか?』
「簡単なことよ。彼の得た技術、我が国の安全保障に役立てない手は無い、と思ってね」
根尾の返答が遅れる。
おそらく、周囲に人が居ないか念には念を入れて確かめたのだろう。
『つまり、進んでいるのですね?』
「ええ。四年前、米国は確かにあっという間の敗戦を喫した。しかし、その僅かな期間で得た皇國の兵器の情報は、断片的にだけれど同盟諸国に共有されもした。あの戦争の後、我が国が欧州や東南アジア、環太平洋諸国との安全保障に於ける連携を強化したのは、そうした国々と一つの兵器を共同開発する為よ」
『兵器、ですか……』
皇奏手は皇國の脅威を訴えることで権力の階段を上り詰めてきた政治家である。
閣僚就任に及んでは、国家の安全保障並びに危機管理体制の再構築を急速に進めてきた。
その手腕は国内の右派には稀代の有能改革者と喝采を浴びたが、左派には戦争の準備を進める危険人物と忌み嫌われていた。
「そして、今年の四月末に漸く完成したわ。国産超級為動機神体、その試作機が」
『……事務所で米国占領が終了した報を受けたあの日、我が国には既にあったわけですか。あの畏るべき巨人が……』
「搭乗試験が上手く行くようならば、第一の量産ロットに入ります。これは間もなくでしょうね……」
皇はほくそ笑む。
「早急に、確実に彼らを連れ帰りなさい。これから忙しくなるわ」
『畏まりました。では、失礼いたします』
電話が切れた。
皇は堪えきれないといった調子で、とうとう声に出して笑い始めた。
「はっは、これは時代が私を求めているわね! 問題は邦人拉致発覚の切掛となり、犠牲になった二井原家への頭の下げ方だけれど、事情が事情だけに切り抜けるのはそう難しくないでしょう」
皇はこう考えている。
時代に求められた政治家は無敵であり、権力から廃することなど出来ない。
仮令一時的に失脚させたとしても、必ず返り咲いてしまう。
そこで彼女は、そんな大政治家の寵愛を受けて権力の座を確保した。
そして今、自分がまさにそういう存在になろうとしている実感がある。
「日本国初の女性総理! その椅子に座る上で必要なのは、男にも為せなかった力強い政治的成果! 皇國内の反政府組織に拉致された邦人を取り戻したという実績は最高のアピールになるわ! おまけに、今や世界一の大国たる皇國とパイプを持つ唯一の政治家! 完全に私の時代が来ている!」
皇は懐からロケットペンダントを取り出し、閉じたまま固く握り締めた。
「思えば魅弦さんと、麗真家と関わった時から私の運命が回り始めた。あの一族との繋がりが私に皇國の存在を逸早く教えてくれた。その目的を知り、対抗策を講じることも出来た」
そう、皇を此処まで押し上げたのは、偏に麗真家の宿命との関わりだった。
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彼女の語る皇國の脅威は日に日に現実感を増し、彼女は支持を広め、重用される様になった。
「皇國の目的は、日本国の吸収! しかし私はそれを逆手に取り、逆に皇國を日本国に吸収するという結果へ持って行く! それを私の首相在任中に実現すれば、その時こそ私は世界最強の存在になれる!」
皇にとって、世界最強の存在とは最強覇権国家の最高指導者である。
つまり、六年前までは米国の大統領こそがそれだった。
しかし現行の制度では、米国に縁の無い皇は帰化したとしても大統領選の被選挙権が得られない。
これは彼女の夢にとって、巨大過ぎる壁だった。
では、米国の選挙制度改革を目指し、そこから大統領を目指すのか。
皇はそうしない。
何故なら、それではどう足掻いてもマイノリティ、即ち弱者故の同情的支持が集まってしまうからだ。
それではどこまで行っても「弱者の代表」でしかなく、「最高権力者」ではあっても「最強」ではない。
皇が「世界最強」となる為には、日本国こそが世界最強の覇権国家でなくてはならない。
それは到底実現不可能な夢だった。
……皇國が存在しなければ。
皇國の顕現によって、世界情勢は極めて不安定な状態にある。
この荒波に皇國を上手く巻き込み、なし崩し的に日本国に同化してしまう。
その途方も無い計画こそが、皇奏手の狙いだった。
単に、皇奏手の「世界最強」という夢は、それほどに莫迦げたものなのだ。
⦿⦿⦿
どこまでも安堵の渦に沈んでいくような疲労感に包まれて眠りに落ちていた航は、深夜に目を覚ました。
神為も回復したようで、大傷もすっかり癒えている。
周囲を見渡すと、どうやら例の旅館に辿り着き、一部屋に男達が雑魚寝しているようだ。
ということは、女達もまた別室で休んでいるのだろう。
「どうした、目が覚めたのか?」
部屋の隅で胡座を組んでいた根尾が声を潜めて航に囁きかけた。
察するに、航達の身に何かあった時に備えて寝ずの番をしていたのだろう。
「すみません」
「謝ることはない。国民を守るのが政治の責務だ」
五年振りに会った根尾は、当時と随分印象が違う。
あの時はもっといけ好かないと思っていた。
ただそれは、魅琴を勧誘していたが故の悪印象もあったかも知れない。
「トイレはそっちの、部屋の左の扉。風呂に入りたいなら部屋を出て右の突き当たりに大浴場がある。有難いことに、二十四時間入れるらしい。喉が渇いたなら奢ってやるからこれを持って行け。浴場の前に自販機があり、こいつを翳せば買える」
根尾は航にカードを差し出した。
(妙に至れり尽くせりだな。政界進出に向けた囲い込みか? まあ、助けてもらったんだし、あんまり邪推するのも失礼か……)
航は取り敢えず、素直にそれを受け取ることにした。
「ありがとうございます。御厚意に甘えさせていただきます」
航は根尾に軽く一礼し、大浴場へと向かった。
⦿⦿⦿
久々に、心まで洗われるような風呂だった。
全身の垢、脂と共に疲労まで泡となって流れていくようだった。
未だ異国の地とはいえ、反政府組織からの逃走と闘争の果てに祖国政府の保護下に入った今、航は得も知れぬ解放感に包まれていた。
(やっと自由になれた……)
ふと、航は自分の体を眺める。
以前よりも筋肉が付き、大きくなったような気がする。
この一月、必死に抗い続ける中で望まずして鍛えられてしまったのだろう。
反面、公転館では水徒端早辺子の世話になった為、意外にも真面な食事と休息が得られたのも良く作用したのかも知れない。
だがそれでも、魅琴には全然勝てる気がしない。
あの嫋やかな細腕のどこにあんな理外の力が宿っているのか。
航は再び湯船に浸かった。
ここへ来て、決意が揺らいでいるのを感じる。
帰国したら魅琴に想いを伝え、彼女の思いを確かめようと思っていた。
しかしその意志は、決して拭えない劣等感にガツンと殴られて膝に来てしまったように、頼りなく揺蕩っている。
(とっとと上がって明日に備えよう)
このままだとどんどん思考がネガティブな方へ転がる――そんな気がして、航は風呂から出ることにした。
⦿⦿⦿
浴衣の隙間から流れ込む扇風機の風が冷たく心地良い。
皇國でも夏は蒸し暑い為か、薄手の生地がよく風を通す。
自販機で売られている飲料は、当たり前だが、知らないものばかりだった。
ただなんとなく、等張液飲料らしきものはわかったので、根尾から借りたカードで一本買って取り出した。
蓋を開け、よく冷えた飲料を喉へと流し込む。
(美味いな。飲んだら戻ろう)
水分だけでなく、気力まで充填されていく気がした。
エネルギーが戻ってきた航は、ふと思い出す。
「しかしあれだな……。魅琴のあの格好……」
颯爽と現れ、圧倒的な力を見せ付けた魅琴の立ち振る舞いを、改めて思い出した。
引き締められた、蠱惑的な美しい体のラインをこれでもかと見せ付ける様な、ホルターネックのレオタード――その露出多き扇情的な装いが鮮やかに蘇る。
「眼福だったなあ……。でもあれじゃ、一歩間違えば痴女だよなあ……」
思わず、鼻の下が伸びて口元が緩んでしまう。
久々に魅琴の暴れ振りを目にして、劣等感に結びついた邪念が湧き上がってきた。
「誰が痴女よ、誰が」
しかしそんな折、女湯から出て来た魅琴とバッタリと会ってしまった。
深夜にまさか出くわすとは思っておらず、航はだらしのない表情のまま固まった。
「や、やあ奇遇だね。というか、隣で入ってたんだね。気付かなかったよ」
「そう? 私は気付いたわよ。で、逆に気付かれるとこの助平犬は何をしでかすか分からないと思ったから、なるべく気配を消していたの」
「あ、さいですか……」
「ま、よく考えるとヘタレの航に覗くような度胸は無かったわね。精々不埒な妄想をするくらいでしょう。今みたいにね」
「ははは……」
魅琴に揶揄われ、航は苦笑いを浮かべるしか無かった。
しかし、その感じがまた心地良い。
それにしても、浴衣姿の魅琴もこれはこれで大変艶やかだ。
生地の隙間から鍛え抜かれて引き締まった肢体とたわわに実った肉の隆線が垣間見える。
更には二十歳を過ぎて大人の魅力まで備え始めていて、最早向かうところ敵無しといった様相だった。
「ふふ……」
魅琴は穏やかな表情で口元から可笑しみを零した。
航は彼女が何を思ったのか、概ね察した。
それは屹度同じ思いだろうから。
「何だか久し振りね。貴方とこういう風にお話しするの」
「そうだね……」
懐かしい会話だった。
思えば攫われる以前から、魅琴とは距離が生じていた。
もしかしたら二人の関係はこのままフェードアウトするのかと、それに任せるべきなのかと、そう思い悩んだ末に航は海を観に行ったのだ。
そんな航の思いを知ってか知らずか、魅琴は角の向こうの階段を指差す。
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