日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第一章『脱出篇』

第二十六話『再会』 急

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 庭園に置かれた長椅子に並んで腰掛けるわたることを、月明かりが優しく包み込む。
 見事にせんていされた草木が青く澄んだ光をまとい、実にみやびで幻想的な風情をたたえていた。
 流石さすが、皇族がひそかにようたしにするだけのことはある。

 そんな中で、ことは一際美しく、さながら天女といった姿で風に吹かれている。
 わたるはそのあまりにも秀麗なたたずまいに、思わず息をんだ。

 今、この美しい夜に二人切り。
 並び佇む沈黙の静寂しじますらもいとおしい。
 ここまでのみちのりを思うと、奇跡の様な一時だった。

 この景色に誘ったことも、わたると同じ気持ちなのだろうか。
 彼女もまた、こうして二人切りになりたかったのだろうか。
 場所を変えて話そうとは言われたが、彼女もまたこの沈黙を楽しんでいるのだろうか。

 そんなわたるの思いを知ってか知らずか、ことは小さくほほんだ。
 ままの、うすくれないの唇が開かれる。

「それにしても驚いたわ」

 静寂しじまみなに染み出した声は、ほんの少しだけ弾んでいた。

「まさか自分を誘拐した組織の兵器を奪って、操縦して脱走するなんて。貴方あなたがそんな大それたことをやってのけるなんてね。本当にすごい、吃驚びっくりしてしまったわ」

 ことはどこか自分事の様に、うれしそうに微笑んでいる。
 ここしばらしかった彼女だが、今でもわたるを他人ではないと思っているのか。

「危なっかしくて見ていられない人だと思っていたけれど、成長したのね。少し見ないうちにとても大きくなった気がするもの」

 ことは満天のきらぼしを潤んだあさねずいろで仰いでいる。
 長いまつの奥に光があふれ、柘榴石ガーネットの様に輝いている。

(そんな夢見る様な瞳をしないでくれ)

 しかしわたるは、そんなことの様子に後暗いおもいを抱かずにはいられなかった。
 手放しの、分不相応な賛辞を素直に受け取ることが出来なかった。

こと、違うんだよ。それはかぶりなんだ」
「え?」

 うつむわたるの姿に、ことは意外そうに目をみはる。

ぼくはそんな、きみが思っているほど凄いことをやったわけじゃない。全部他人にぜんてしてもらっただけなんだよ。多くの犠牲も払ったし、仲間に助けてもらった恩は計り知れない。おまけに、それすらも全部台無しにしてしまうところだったんだよ。きみにもわかるだろ? もしあの時、きみが駆け付けてくれなかったら、一体どうなっていたことか……」

 わたるは足下の土を、沈んだ眼で見下ろしている。
 弱気な表情に影が落ち、泥の様によどんでいる。

「凄いというならきみの方だ。国交も無い異国の地に自分から乗り込んで、ぼく達を助けてくれた。きみが圧倒したあの男に、ぼく達はどれだけ苦しめられたことか……。政府だって、きみが動かしてくれたんだろう? 全く、きみにはどこまでもかなわないな。つくづく思い知ったよ」

 そんなわたるの様子に、ことはややあきれた様に薄目で小さく息を吐いた。

「あのね、わたる

 ことは優しく微笑みながら切り出した。

「全部他人に御膳立てしてもらったのは、それこそわたしの方よ。わたしなんて、最後にしい所を持って行っただけに過ぎないわ」
きみのその最後の一押しが無ければぼく達は終わっていたじゃないか」
「いいえ、そうじゃないのよ。あの男、自覚は無かったみたいだけれど、もう限界だったわ。まとに戦えたのは精々五秒が良いところ。ここまでやって来た貴方あなたの意思力があれば、きっ何とかしのぎ切れたと思う」
「そう……なのかな……?」

 あまり根拠の無い言葉だった。
 しかし、仮にわたりりんろうの活動限界が五秒だけだったとしたら、わたるが体を張って他の仲間を逃がそうとしたことは全くの無駄なきではなかったのかも知れない。

「だから、そこまで自分を卑下することはないわ。貴方あなたは立派なのよ」

 気休めかも知れないが、少しだけ楽になった。

「夢の中でもきみに似たようなことを言われたよ」
「夢?」
「あ、いや、何でもない。気にしないでくれ」

 うっかりと余計なことをしゃべってしまった。
 自分が願望で作り出した虚像を知られるのは流石に恥ずかしい。

「ふ、まあわたしに敵わない点は確かにいくつかあるかも知れないわね。腕っ節でしょう、運動神経でしょう、学力でしょう、経済力でしょう……」
「ほぼ全部って言いたいだろ」
「事実じゃない」
「本当に、良い性格しているよ……」
「そうかもね、ふふ。でも、貴方あなたのしたことはおいそれとの出来ることじゃない。充分とんでもないことをやり遂げたのよ、貴方あなたは。それもまた、揺るぎの無い事実」

 わたるは思い出していた。
 ことのこういうところもまた、自分は嫌いではない。
 ここへきて、胸の鼓動が高鳴ってきている。

(今だ。今言うんだ)

 わたるかたを呑み、打ち明けると決心を固めようとする。
 こんな絶好の機会は、多分一生無いだろう。

きみいたかった』
『そのためまで来た』

 その言葉さえ出れば、後は自分の想いをぶつけられる。

こと

 わたるは震える声で、おびえながら言葉を紡ぐ。
 痛いくらいの鼓動が早鐘を打ち、かす心ととどまる心が引き合っている。
 開いた口から、何とか次の言葉を絞り出す。

きみに逢いたかった」

 く、よどく言えただろうか。
 自分でも分からない。
 更に続く言葉を伝えようとするも、段々と心にめられたかせが強くなっていく。
 引き合う心が硬直状態に陥り、身動きが取りづらくなっていく。

 そのまま、時間だけが流れて行ってしまう。
 ほんの数秒だが、大きな空白の時。

(早く次を言わないと)

 焦れば焦るほど、わたるは大きな勇気を要求される。

「そ。わたしもよ」

 静寂の中待ち切れなかったのか、ことは言葉を返してきた。
 その微笑みは月明かりにほのかに照らされ、何処どこまでもたかく遠い存在であるかのように、只管ひたすらに美麗だった。
 だが何故なぜか、その眼にはほんの少しかなしみが忍ばされているようにも思えた。

「そして、貴方あなたは此処まで来られた。貴方あなたは確実に、わたしの想像を超えて大きくなっている。だからもう、屹度大丈夫なのよね……」
「え?」

 どういう意味だろうか。
 わたるは言うはずだった言葉を取られ、そしてその後に続いたことの言葉に戸惑い、ますます続きが出なくなった。

(言わないと、言わないと!)

 わたるの心は次第に、焦燥から失意に変わっていく。
 そんな中、ことは腰を上げた。

「思ったより長くなってしまったわ。明日も早いから、もう戻りましょう」

 わたるの顔から血の気が引いていく。
 絶好の機会が、線香花火の様に落ちて消えようとしている。
 わたる心を動かす必要に迫られた。

(待て、待ってくれ! まだきみに伝えたいことがあるんだ!)

こと!」

 何とか呼び止める。
 制止を振り切ろうとする心がきしみを上げている。

(言え! 言うんだ!)

 辛うじて、ことは待ってくれていた。
 まだ機会を不意にしたわけではない。

「何?」

 わたるは、新品の雑巾を絞る様に勇気を一滴でも出そうとする。

(もう良い! 流れなんかどうでも良い! ただ「好きだ」と伝えるんだ!)

 わたるの口が開き、激しいどうと共に息が漏れる。
 だが、一滴とて声を絞り出せない。

 そんなわたるを見ることの眼は、相変わらずどこか哀しそうな色艶を湛えていた。
 その視線に見詰められると、伝えるべき言葉が益々喉につかえてしまう。

 どうしてそんな風にもろく壊れてしまいそうな眼をするのだろう。
 まるで、触れただけで二人の関係が粉々に砕けてしまいそうだ。

(駄目だ……言えない……)

 わたるは、自身を急かす何かが潮の様に引いていくのを感じていた。
 月明かりすらもまれたあんこくみなが、身を投げることすら出来ないわたるから遠ざかっていく。
 もうわたるには、ことを引き留めることが出来なくなっていた。

「……おやすみ」

 結局、わたるはヘタレから脱却出来なかった。
 そんな彼に返すことの表情は、呆れた様な、それでいてどこかほっとした様な、なんとも捉えどころの無い微笑みだった。

「ええ、おやすみなさい」

 ことは建屋の廊下へと消えていった。

嗚呼ああ、言えなかった。また踏ん切りが付かなかった……)

 わたるは独り、後悔と共に中庭に取り残された。
 ただ夜空の月と星だけが、情けないわたるをどこまでも冷ややかに照らし包み込んでいた。
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