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第二章『神皇篇』
第三十三話『十字架との戯れ』 破
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薄暗い闇の中、傷だらけの根尾が立ち上がった。
丁度、野球場の内野に相当する広さが辛うじて見える範囲だ。
投手と打者が問題無く勝負出来る程度の光度はあり、対面の会話や戦闘は問題無く行えるだろう。
しかし、それ以外は何も無い奇妙な空間だ。
根尾の口元から血が垂れ落ちる。
その一方で、彼が対峙している二人の相手は塵一つ被っていない。
余裕の笑み、蔑みの笑みを湛え、四つの糸目が根尾を弄んでいる。
「おやおや、大口を叩くものだからどれほどのものかと戦々恐々でしたが、この程度ですか。まるでお話になりませんな」
六摂家当主の一人、公爵・丹桐士糸は拍子抜けした様に両腕を拡げた。
根尾の相手を買って出た宣言通り、ここまで根尾を一方的に痛め付けたのは専ら丹桐である。
「折角二対一やのに、やはり此身の出番はありまへんなぁ……」
もう一人の六摂家当主、女公爵・公殿句子は手で口元を覆い、小さく欠伸をした。
彼女が同じ場に居るのは、この空間を作り出した術識神為の使い手であるもう一人の女公爵・十桐綺葉の采配である。
一人ずつ確実に葬る為に一対二の状況を作り出したのだろうが、公殿は何もやることが無くて退屈なのだろう。
「十桐卿は心配性に過ぎますなあ。抑も、吾人ら六摂家当主の能力を以てすれば、徒党を組む理由などありませんのにねえ……」
「まあそれを言うてしまうと、甲卿に態々四人で行こう言い出したのは丹桐卿やったと思いますけどなぁ……」
公殿の言葉に、丹桐は一瞬笑みを消した。
彼女の指摘に若干思うところがあったのかも知れない。
「あのですね公殿卿、吾人は『複数で掛かった方が良い』と言ったのです」
丹桐の双眸が妖しく光り、藤の紋様を宿した。
その瞬間、まだ体勢を立て直せていない根尾の背後に巨躯の男が姿を顕した。
丹桐と同じ服装だが、明らかに鍛え方が違う筋骨隆々とした男が根尾の首根を掴み、八十六瓩の体を片腕で軽々と持ち上げる。
それは展示人形の様に顔の無い男――どうやら丹桐の能力に因って創り出された分身らしい。
「吾人の能力で『複数で掛かる』には事足りるのですよ」
「ああ、そうでしたねぇ」
「このっ……!」
根尾は自身を持ち上げる分身の腕を掴んだ。
分身の体は掴まれた腕から一気に石化する。
神幹線で襲い掛かってきた大河當熙のときよりも遥かに速い進行度合だ。
「ほ、石化能力ですか。厄介ですな」
言葉とは裏腹に、丹桐は余裕の表情を崩さない。
石化した分身を蹴り砕いた根尾が本体たる自身に向かって来ようとも眉一つ動かさない。
「見事な体術。宙に持ち上げられた状態から岩をも砕く後ろ蹴りを繰り出すとは。中々鍛えておられるようだ」
「白々しい。この程度、神為の使い手なら特筆すべき身体能力ではないだろう」
根尾は僅かなステップで丹桐に肉薄し、踏み込みと共に拳を繰り出す。
しかし、丹桐はあっさりと片手で手首を掴んで根尾の拳を止めてしまった。
「謙虚なのは結構ですが、その平凡な力でこの丹桐士糸に敵うとでも?」
蹴り砕かれた分身の破片が光の粒となり、丹桐へと集まる。
その光が吸収されると共に、手首を掴む丹桐の握力が上昇していく。
「ほれ」
「ぐあっ!!」
根尾の右手首から嫌な粉砕音が鳴った。
堪らず蹲る根尾を、丹桐は掴んでいた手をさも汚らわしいとばかりに振って見下ろしていた。
そして、力任せのぶっきら棒な蹴りで、砕けた手首を押さえる根尾に追い打ちを掛ける。
「ぐうぅぅぅっっ!」
根尾は苦し紛れに床を転がり、丹桐の間合いから逃れようとする。
だが、その逃避はその場凌ぎの無駄骨だった。
「逃げられませんよ。残念ながら吾人の分身は何度でも作り出せるのです」
再び丹桐の眼が光り、巨躯の分身が根尾目掛けて落下し、激しく踏み付けにした。
更に、強烈な脚力で根尾の体を何度も踏み躙る。
「ぐあああああっっ!!」
薄闇の中、根尾の悲鳴が谺する。
分身は足を上げ、再び根尾を踏み付けた。
繰り返し、繰り返し、唯々根尾を痛め付ける。
「うぐっ……!」
根尾は身を捩って分身の軸足に手を触れた。
石化した分身は再び光の粒となって丹桐の本体に吸収される。
息も絶え絶えの根尾は震える足に鞭打って立ち上がった。
「はぁ……はぁ……。何ということだ……。丹桐一人相手にもまるで勝ち筋が見えない。皇國最高の貴族、六摂家当主の力、これほどとは……」
神為に因る力の強弱がその者の持つ神性に依存し、家柄という要素が大きなアドバンテージとなる――その、皇族貴族に圧倒的有利な構造は根尾も承知していた。
だが、実際に体感してみた絶望感は想定以上だった。
自分達に立ちはだかる敵の大きさを実感せざるを得ない。
既に足下も覚束無い根尾の様子に、丹桐は公殿と顔を見合わせて露骨な嘲笑を浮かべた。
「これはこれは、最早戦いというよりは弱い者虐めになってしまいますな」
「せやねぇ。推城殿が態々名指ししはったから十桐卿も気ぃ使ったんでしょうけど、この為体やと、ねぇ……」
推城朔馬――公殿の口を突いて出たその名前が、根尾の瞳に灯を点した。
先程から、丹桐と公殿はまるで自分を警戒して狙い撃ちにしたという旨の発言を繰り返している。
やはり、この襲撃はただ拉致被害者を無事返したいという皇國政府の思惑を挫こうとする甲夢黝の政治的立場だけで行われたものではない。
推城が関わり、何か別の陰謀による意図が隠されているのだ。
(仁志旗のあの写真か……!)
思い当たるのはやはり、大河侯爵に襲われた理由だった。
推城朔馬という甲の秘書が、八社女征一千という叛逆組織「武装戦隊・狼ノ牙」の重要人物と密会しているというスキャンダル。
それは情報を掴んだ根尾の部下・仁志旗蓮が消され、託された根尾もまた命を狙われる程の一大事らしい。
(俺は……敗けられん……! 助けた拉致被害者を無事に帰す為にも、仁志旗の無念を晴らす為にも……!)
根尾の闘志が燃え上がる。
「だがどうやって勝つ? 突破口が見えない」
「ほっほ、大変そうですな」
相も変わらず、丹桐は根尾を完全に見下して笑っていた。
その表情は慢心に緩み切っている。
「その薄ら笑い、今すぐ消してくれる!」
根尾は再び丹桐本体との間合いを詰めようとした。
しかし、今度は三度作られた分身が根尾に応戦し、本体に近付かせない。
根尾の拳は、蹴りは、分身に難なく受け流されてしまい、逆に強烈な打撃を叩き込まれてしまう。
「ぐはっ! こいつ……!」
欠伸を浮かべる丹桐が根尾の眼に映ったが、それよりも気になることがある。
もし彼の考えが正しければ、根尾の雲行きは更に怪しくなってしまう。
「こいつは……この分身は……! 斃して再生成される度に強くなっている……!」
「ほっほっほ、まあ概ね正解です。正確には、斃された分身を吸収することで戦いの経験が吾人に取り込まれ、それを元にしてより強くなった分身を作り出すのが吾人の能力なのですよ。因みに、本体である吾人自身も当然取り込んだ分だけ強化されます」
丹桐の話が本当だとすると、いくら分身を斃しても全く意味が無いどころか、状況は寧ろ悪化する。
通常であれば分身を作り出せば出す程に神為を消費するだろうが、丹桐の余裕の表情からは全くそんな様子が見えない。
六摂家当主の神為は、他の者からすれば無尽蔵に等しい程に膨大なのだ。
(分身の相手をしても埒が明かない。本体を仕留めなければ!)
しかし、この分身は既に充分強くなっており、そう簡単には突破出来ない。
それどころか、少しでも気を抜くと簡単に痛恨の一撃を浴びせられてしまう。
今も、強烈な拳が根尾の顔面を殴り飛ばした。
「糞!!」
根尾は反動で勢い良く起き上がった。
しかし、今度は分身の方から根尾に肉薄し、応戦を余儀無くされる。
そんな戦いの様子を窺い、公殿はさも飽き飽きしたと言った様子で溜息を吐いた。
そして痺れを切らした様に上空を仰いで声を張り上げる。
「ねーえ、十桐卿ぉ! こっちはもう丹桐卿だけで充分ですよぉ! これやと此身が退屈過ぎて眠ってしまいますぅ! 別の方の所へ送って下さいませんかぁ!」
分身相手に悪戦苦闘する根尾を尻目に、公殿は十桐への不平を口にし、返答を待っている。
暫くすると、公殿の姿はその場から忽然と消えてしまった。
どうやら、この空間の創造主である十桐が公殿の要望に応えたらしい。
「おやおや、女性陣に見限られてしまいましたねえ」
丹桐は根尾を嘲笑しながらゆっくりと歩み寄って来る。
分身の拳を腕で受けた根尾は、力に押されてジリジリと後退していた。
「最早俺に勝ち目は無いと……そう判断したのか……。貴様一人で充分だと……」
「そういうことですね」
「そうか……」
根尾の纏う空気が変わった。
血に汚れた顔に不敵な笑みを浮かべている。
丹桐が怪訝そうに目を眇めた、その時だった。
「有難い!」
突然、根尾は分身の圧力を受け流し、腹部に右手で掌底を叩き込んだ。
分身はあっという間に石化した。
更に、不用意に接近していた丹桐本体にも刹那のうちに肉薄し、左手で拳を繰り出す。
「うおっ!?」
丹桐は拳を回避したが、根尾は空かさず蹴りの追撃を見舞う。
初めて丹桐の表情が歪み、堪らずその場から逃れる。
「莫迦な! さっきまでと全然違うではないか!」
焦りと困惑の中、丹桐は二体の分身を同時に根尾へ差し向けた。
「吾人の作り出す分身は一体だけではない! 複数同時に! 同じ強さの分身を生成出来るのです!」
「だろうな。想定の範囲内だ!」
迫り来る二体の分身に対し、根尾は両腕で同時に掌底を喰らわせた。
またしても、分身は忽ちのうちに石化する。
「な、何故急に強くなった……?」
「さっきまでのは演技だ。流石に六摂家当主を二人同時に相手取るのは厳し過ぎると思ったんでな。一人で充分に始末出来る弱体だと思わせ、もう一人には他へ回って貰うことにしたのさ」
「な、なんですと……?」
丹桐は目を瞠って後退る。
「で、では貴方は守るべき者達へ吾人ら六摂家当主の脅威を進んで向かわせたというのですか?」
「そういうことになるな」
「何を開き直っているのですか! 我が身可愛さに護衛対象を危険に曝すとは! 己の職責を何と心得ますか! は、恥を知りなさい!」
丹桐は根尾を指差し、口角泡を飛ばして詰った。
そんな相手の批難を真直ぐ受け止める様に、根尾は構えを取った。
「貴様の言うとおりだ。俺も此処へ閉じ込められる前まではそう気負っていた。だが彼らは、伊達にこの一箇月間を地獄の様な環境に耐え抜き、自ら脱出してきた訳ではないらしい。俺などより、余程肝が据わって逞しい者達だ。だから賭けてみることにしたのさ」
根尾はステップを軽く踏み、反撃の足音を鳴らす。
「薄ら笑いが消えたな。今度は貴様が絶望を味わう番だ。演技ではなく、本心からな」
本当の勝負は当にこれからである。
丁度、野球場の内野に相当する広さが辛うじて見える範囲だ。
投手と打者が問題無く勝負出来る程度の光度はあり、対面の会話や戦闘は問題無く行えるだろう。
しかし、それ以外は何も無い奇妙な空間だ。
根尾の口元から血が垂れ落ちる。
その一方で、彼が対峙している二人の相手は塵一つ被っていない。
余裕の笑み、蔑みの笑みを湛え、四つの糸目が根尾を弄んでいる。
「おやおや、大口を叩くものだからどれほどのものかと戦々恐々でしたが、この程度ですか。まるでお話になりませんな」
六摂家当主の一人、公爵・丹桐士糸は拍子抜けした様に両腕を拡げた。
根尾の相手を買って出た宣言通り、ここまで根尾を一方的に痛め付けたのは専ら丹桐である。
「折角二対一やのに、やはり此身の出番はありまへんなぁ……」
もう一人の六摂家当主、女公爵・公殿句子は手で口元を覆い、小さく欠伸をした。
彼女が同じ場に居るのは、この空間を作り出した術識神為の使い手であるもう一人の女公爵・十桐綺葉の采配である。
一人ずつ確実に葬る為に一対二の状況を作り出したのだろうが、公殿は何もやることが無くて退屈なのだろう。
「十桐卿は心配性に過ぎますなあ。抑も、吾人ら六摂家当主の能力を以てすれば、徒党を組む理由などありませんのにねえ……」
「まあそれを言うてしまうと、甲卿に態々四人で行こう言い出したのは丹桐卿やったと思いますけどなぁ……」
公殿の言葉に、丹桐は一瞬笑みを消した。
彼女の指摘に若干思うところがあったのかも知れない。
「あのですね公殿卿、吾人は『複数で掛かった方が良い』と言ったのです」
丹桐の双眸が妖しく光り、藤の紋様を宿した。
その瞬間、まだ体勢を立て直せていない根尾の背後に巨躯の男が姿を顕した。
丹桐と同じ服装だが、明らかに鍛え方が違う筋骨隆々とした男が根尾の首根を掴み、八十六瓩の体を片腕で軽々と持ち上げる。
それは展示人形の様に顔の無い男――どうやら丹桐の能力に因って創り出された分身らしい。
「吾人の能力で『複数で掛かる』には事足りるのですよ」
「ああ、そうでしたねぇ」
「このっ……!」
根尾は自身を持ち上げる分身の腕を掴んだ。
分身の体は掴まれた腕から一気に石化する。
神幹線で襲い掛かってきた大河當熙のときよりも遥かに速い進行度合だ。
「ほ、石化能力ですか。厄介ですな」
言葉とは裏腹に、丹桐は余裕の表情を崩さない。
石化した分身を蹴り砕いた根尾が本体たる自身に向かって来ようとも眉一つ動かさない。
「見事な体術。宙に持ち上げられた状態から岩をも砕く後ろ蹴りを繰り出すとは。中々鍛えておられるようだ」
「白々しい。この程度、神為の使い手なら特筆すべき身体能力ではないだろう」
根尾は僅かなステップで丹桐に肉薄し、踏み込みと共に拳を繰り出す。
しかし、丹桐はあっさりと片手で手首を掴んで根尾の拳を止めてしまった。
「謙虚なのは結構ですが、その平凡な力でこの丹桐士糸に敵うとでも?」
蹴り砕かれた分身の破片が光の粒となり、丹桐へと集まる。
その光が吸収されると共に、手首を掴む丹桐の握力が上昇していく。
「ほれ」
「ぐあっ!!」
根尾の右手首から嫌な粉砕音が鳴った。
堪らず蹲る根尾を、丹桐は掴んでいた手をさも汚らわしいとばかりに振って見下ろしていた。
そして、力任せのぶっきら棒な蹴りで、砕けた手首を押さえる根尾に追い打ちを掛ける。
「ぐうぅぅぅっっ!」
根尾は苦し紛れに床を転がり、丹桐の間合いから逃れようとする。
だが、その逃避はその場凌ぎの無駄骨だった。
「逃げられませんよ。残念ながら吾人の分身は何度でも作り出せるのです」
再び丹桐の眼が光り、巨躯の分身が根尾目掛けて落下し、激しく踏み付けにした。
更に、強烈な脚力で根尾の体を何度も踏み躙る。
「ぐあああああっっ!!」
薄闇の中、根尾の悲鳴が谺する。
分身は足を上げ、再び根尾を踏み付けた。
繰り返し、繰り返し、唯々根尾を痛め付ける。
「うぐっ……!」
根尾は身を捩って分身の軸足に手を触れた。
石化した分身は再び光の粒となって丹桐の本体に吸収される。
息も絶え絶えの根尾は震える足に鞭打って立ち上がった。
「はぁ……はぁ……。何ということだ……。丹桐一人相手にもまるで勝ち筋が見えない。皇國最高の貴族、六摂家当主の力、これほどとは……」
神為に因る力の強弱がその者の持つ神性に依存し、家柄という要素が大きなアドバンテージとなる――その、皇族貴族に圧倒的有利な構造は根尾も承知していた。
だが、実際に体感してみた絶望感は想定以上だった。
自分達に立ちはだかる敵の大きさを実感せざるを得ない。
既に足下も覚束無い根尾の様子に、丹桐は公殿と顔を見合わせて露骨な嘲笑を浮かべた。
「これはこれは、最早戦いというよりは弱い者虐めになってしまいますな」
「せやねぇ。推城殿が態々名指ししはったから十桐卿も気ぃ使ったんでしょうけど、この為体やと、ねぇ……」
推城朔馬――公殿の口を突いて出たその名前が、根尾の瞳に灯を点した。
先程から、丹桐と公殿はまるで自分を警戒して狙い撃ちにしたという旨の発言を繰り返している。
やはり、この襲撃はただ拉致被害者を無事返したいという皇國政府の思惑を挫こうとする甲夢黝の政治的立場だけで行われたものではない。
推城が関わり、何か別の陰謀による意図が隠されているのだ。
(仁志旗のあの写真か……!)
思い当たるのはやはり、大河侯爵に襲われた理由だった。
推城朔馬という甲の秘書が、八社女征一千という叛逆組織「武装戦隊・狼ノ牙」の重要人物と密会しているというスキャンダル。
それは情報を掴んだ根尾の部下・仁志旗蓮が消され、託された根尾もまた命を狙われる程の一大事らしい。
(俺は……敗けられん……! 助けた拉致被害者を無事に帰す為にも、仁志旗の無念を晴らす為にも……!)
根尾の闘志が燃え上がる。
「だがどうやって勝つ? 突破口が見えない」
「ほっほ、大変そうですな」
相も変わらず、丹桐は根尾を完全に見下して笑っていた。
その表情は慢心に緩み切っている。
「その薄ら笑い、今すぐ消してくれる!」
根尾は再び丹桐本体との間合いを詰めようとした。
しかし、今度は三度作られた分身が根尾に応戦し、本体に近付かせない。
根尾の拳は、蹴りは、分身に難なく受け流されてしまい、逆に強烈な打撃を叩き込まれてしまう。
「ぐはっ! こいつ……!」
欠伸を浮かべる丹桐が根尾の眼に映ったが、それよりも気になることがある。
もし彼の考えが正しければ、根尾の雲行きは更に怪しくなってしまう。
「こいつは……この分身は……! 斃して再生成される度に強くなっている……!」
「ほっほっほ、まあ概ね正解です。正確には、斃された分身を吸収することで戦いの経験が吾人に取り込まれ、それを元にしてより強くなった分身を作り出すのが吾人の能力なのですよ。因みに、本体である吾人自身も当然取り込んだ分だけ強化されます」
丹桐の話が本当だとすると、いくら分身を斃しても全く意味が無いどころか、状況は寧ろ悪化する。
通常であれば分身を作り出せば出す程に神為を消費するだろうが、丹桐の余裕の表情からは全くそんな様子が見えない。
六摂家当主の神為は、他の者からすれば無尽蔵に等しい程に膨大なのだ。
(分身の相手をしても埒が明かない。本体を仕留めなければ!)
しかし、この分身は既に充分強くなっており、そう簡単には突破出来ない。
それどころか、少しでも気を抜くと簡単に痛恨の一撃を浴びせられてしまう。
今も、強烈な拳が根尾の顔面を殴り飛ばした。
「糞!!」
根尾は反動で勢い良く起き上がった。
しかし、今度は分身の方から根尾に肉薄し、応戦を余儀無くされる。
そんな戦いの様子を窺い、公殿はさも飽き飽きしたと言った様子で溜息を吐いた。
そして痺れを切らした様に上空を仰いで声を張り上げる。
「ねーえ、十桐卿ぉ! こっちはもう丹桐卿だけで充分ですよぉ! これやと此身が退屈過ぎて眠ってしまいますぅ! 別の方の所へ送って下さいませんかぁ!」
分身相手に悪戦苦闘する根尾を尻目に、公殿は十桐への不平を口にし、返答を待っている。
暫くすると、公殿の姿はその場から忽然と消えてしまった。
どうやら、この空間の創造主である十桐が公殿の要望に応えたらしい。
「おやおや、女性陣に見限られてしまいましたねえ」
丹桐は根尾を嘲笑しながらゆっくりと歩み寄って来る。
分身の拳を腕で受けた根尾は、力に押されてジリジリと後退していた。
「最早俺に勝ち目は無いと……そう判断したのか……。貴様一人で充分だと……」
「そういうことですね」
「そうか……」
根尾の纏う空気が変わった。
血に汚れた顔に不敵な笑みを浮かべている。
丹桐が怪訝そうに目を眇めた、その時だった。
「有難い!」
突然、根尾は分身の圧力を受け流し、腹部に右手で掌底を叩き込んだ。
分身はあっという間に石化した。
更に、不用意に接近していた丹桐本体にも刹那のうちに肉薄し、左手で拳を繰り出す。
「うおっ!?」
丹桐は拳を回避したが、根尾は空かさず蹴りの追撃を見舞う。
初めて丹桐の表情が歪み、堪らずその場から逃れる。
「莫迦な! さっきまでと全然違うではないか!」
焦りと困惑の中、丹桐は二体の分身を同時に根尾へ差し向けた。
「吾人の作り出す分身は一体だけではない! 複数同時に! 同じ強さの分身を生成出来るのです!」
「だろうな。想定の範囲内だ!」
迫り来る二体の分身に対し、根尾は両腕で同時に掌底を喰らわせた。
またしても、分身は忽ちのうちに石化する。
「な、何故急に強くなった……?」
「さっきまでのは演技だ。流石に六摂家当主を二人同時に相手取るのは厳し過ぎると思ったんでな。一人で充分に始末出来る弱体だと思わせ、もう一人には他へ回って貰うことにしたのさ」
「な、なんですと……?」
丹桐は目を瞠って後退る。
「で、では貴方は守るべき者達へ吾人ら六摂家当主の脅威を進んで向かわせたというのですか?」
「そういうことになるな」
「何を開き直っているのですか! 我が身可愛さに護衛対象を危険に曝すとは! 己の職責を何と心得ますか! は、恥を知りなさい!」
丹桐は根尾を指差し、口角泡を飛ばして詰った。
そんな相手の批難を真直ぐ受け止める様に、根尾は構えを取った。
「貴様の言うとおりだ。俺も此処へ閉じ込められる前まではそう気負っていた。だが彼らは、伊達にこの一箇月間を地獄の様な環境に耐え抜き、自ら脱出してきた訳ではないらしい。俺などより、余程肝が据わって逞しい者達だ。だから賭けてみることにしたのさ」
根尾はステップを軽く踏み、反撃の足音を鳴らす。
「薄ら笑いが消えたな。今度は貴様が絶望を味わう番だ。演技ではなく、本心からな」
本当の勝負は当にこれからである。
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