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第二章『神皇篇』
第三十九話『華族』 序
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男爵家を侮ってはいけない。
何故ならば男爵とは五爵の最下位ではあるが、その分家格に依らず己の腕一つで「成り上がる」可能性が最も高い爵位だからだ。
日本国でいうと、例えば岩崎家・住友家・三井家など、錚々たる財閥家が男爵家に名を連ねており、国家への影響力でいうならば公爵家をも凌ぐことさえある。
皇國に於いて、華族とは大いなる暴力を与えられた名家でもある。
その「神為」という名の力は、己の存在への自負心と正の相関関係があると言われている。
男爵家には五爵最下位の引け目を感じている者達ばかりではなく、寧ろ自分達こそが真に優秀な国家への功労者であり、家柄の助力あって授爵された上位爵位に恥じ入る理由などないという自負心を持つ者も多い。
水徒端賽蔵もそんな気骨ある男爵の一人である。
七月七日の夕刻、彼は単身で甲公爵邸へと攻め込んだ。
愛娘である水徒端早辺子が無体な扱いを受けていると聞き及び、怒れる魂を猛らせたのだ。
水徒端男爵は正門から本館へ向け、広大な庭園に設けられた道を足早に歩いて行く。
「狼藉者め!」
「これ以上先へは行かせるな!」
黒いスーツを纏った甲家の私兵が水徒端男爵を取り囲む。
彼らは皆、元は軍人であり、尚且つ甲に東瀛丸を与えられ神為を得た者達である。
術識神為に覚醒している者は極僅かだが、それでも波の相手ならば多勢に無勢である。
しかし、水徒端男爵は動じない。
両手をそれぞれ、二つの円を描く様に動かした。
すると彼の掌から焔が縄状に形成され、私兵二人が絡め取られる。
男爵は管弦楽の指揮者が如く腕を振るった。
焔の縄に捉えられた私兵が振り回され、男爵を取り囲む集団を次々に薙ぎ倒していく。
一通り敵を倒すと、男爵は両手を勢い良く開いた。
振り回されて武器として利用された二人の私兵はそのまま焔に包まれて燃え尽きた。
「早辺子、待っていろ……」
水徒端男爵は娘の身を案じ、甲公爵邸本館へと歩を進める。
⦿⦿⦿
一方で、甲邸本館は書斎、主である甲夢黝の苛立ちは頂点に達していた。
「乃公が六摂家当主を明治日本の下郎共に差し向け、既に丸一日以上が経っている。何故誰一人として、連絡一つ寄越さんのだ……!」
六摂家当主といえば、皇國貴族でも最高の戦力である。
その者達を四人も要したのだから、拉致被害者など一日かそこらで片付くと目論むのは当然だった。
甲は激しく机を叩いた。
「推城ォ!」
「此処に」
甲夢黝の秘書・推城朔馬が、何処からともなく大柄な体を傅かせて顕れた。
「状況を説明しろ! 何がどうなっておる!」
「件の四公爵ですが、昨日から誰とも連絡が付きませぬ」
四人の六摂家当主の内、唯一人説得に応じた十桐綺葉を除く三人は皆打倒されたのだから、当然連絡が繋がる筈も無い。
一桐陶麿と公殿句子は死亡し、丹桐士糸は石化してしまっている。
そして唯一残っている十桐は、推城が武装戦隊・狼ノ牙の首領補佐・八社女征一千と繋がっている認識なので、連絡を無視し続けている。
「まさか揃いも揃って敗れたのか? 六摂家当主ともあろう者が……」
「私自身、独自に調査中で御座います。何卒、今暫くお待ちを」
「待てるかこの虚けめが!」
甲の激しい剣幕が書斎全体を震わせた。
「何としても、衆議院を主戦派で染めるのだ! 乃公が再び総理大臣に返り咲き、皇國の宰相を超えた終身の大君となる! その為には貴族閥だけでなく学閥も軍閥も手中に収め、大盤石の体制を築かねばならぬ!」
甲夢黝は権力の亡者である。
彼のそれを欲するところは、最早狂気といっても差し支えなかった。
「乃公こそは摂関家筆頭! 終生、皇國の政を恣にすべき者ぞ! 世界一の大国たる皇國を実質的に支配する、世界の王となるのだ!」
甲にとって、全ては順調な筈だった。
内閣総理大臣にまで上り詰め、皇國の支配者になれた筈だった。
しかし、過去の転移先で日本の吸収をする際に強硬策が過ぎ、三種の神器を手に入れ損ねるという大失態を犯し、失脚。
軍閥の女である能條緋月にその座を奪われたことは、彼にとってあってはならぬ屈辱だった。
「水徒端ァ!」
甲の怒声に、脇で控えていた早辺子はビクリと体を竦ませた。
ここ数日何度も折檻を受け、既に主に対する恐怖が体に刷り込まれている。
「貴様も情報を集めんか、戯けが!」
怒りに任せた甲の蹴りが早辺子の腹を激しく打った。
痛みに蹲り、悶絶する早辺子を、甲は何度も踏み付けにして更に痛め付ける。
「ああっ!! 御主人様! 御許しください! どうか御許しください!!」
「黙れ! 貴様の如き下賤の者が乃公に指図をするな!」
甲夢黝の性格は六摂家当主で最も苛烈である。
敬うのは皇族のみ。
甲家と、同じ皇別摂家の一桐家以外は対等だと思っておらず、六摂家当主ですら心の内では見下している。
それ以下の旧華族は蔑みすらし、新華族以下は人間とも思っていない。
そして、そんな愚劣な人間性に見合わぬ強大な力をも与えられてしまっているのだ。
「早辺子!!」
その時、書斎に一人の男が駆け込んで来た。
髭を蓄えたダンディなナイスミドルといった容姿だが、焦燥に駆られて余裕の無い様子である。
「御父……様……」
早辺子の父、男爵・水徒端賽蔵は推城を押し退けて甲に迫る。
甲は早辺子に蹴りを見舞うと、侵入者たる賽蔵に相対した。
両者は互いに、怒りに満ちた眼で睨み合っている。
「私の娘に何という仕打ちを……!」
「乃公が乃公の使用人を如何に扱おうと、乃公の勝手である」
男爵・水徒端賽蔵は大きな愛の持ち主である。
事業家の彼は従業員に博愛の精神を持って接し、その信頼を成功の礎とした。
また家族を疎かにすることも無く、妻と二人の娘にも惜しみなく時間を割いた。
妻を早くに喪ってからは、自らの手で二人を育て上げた。
「水徒端、寧ろ乃公には感謝すべきであるぞ。水徒端男爵家は叛逆者を出しておる。愚かな娘の咎で、本来ならば取り潰しになってもおかしくないところを、乃公がもう一人の娘を拾ってやったのだからな」
「くっ……!」
そんな賽蔵にとって、甲の言葉は火に油を注ぐものだった。
愛する娘の咎を責められ、忠君の男爵家としての自負心を揺るがされる。
賽蔵は非常に険しい、苦悶の表情を浮かべた。
「ならば……要りませぬ……!」
「何?」
賽蔵はその場で膝を屈し、手を突いた。
「水徒端家の男爵位が娘を傷付けるものであれば、私はそのようなもの最早要りませぬ。この水徒端賽蔵の首を差し出します代わりに、どうか早辺子を自由にしてくださいませ」
「御父様……」
額を床に擦り付ける父の姿を見て、早辺子の目に涙が浮かんだ。
水徒端賽蔵は水徒端家の男爵位に誇りを持っている。
しかし、それが誠の心に裏付けられてこそ価値があるということも重々承知しているのだ。
早辺子は知っていた。
父は人間を地位ではなく内面で見る男だ。
新旧問わず華族というものは挙って華族間で婚姻関係を結ぼうとするが、父はそうではなかった。
頓挫になったものの、再婚相手に子持ちの平民を見初めたこともあった。
そんな父が、最高の地位と最低の人間性を持った甲夢黝という男に土下座までしている。
父にとって、娘を犠牲にしてまで縋り付く爵位になど、最早意味は無いのだ。
しかし、そんな賽蔵の懇願を、甲は一笑に付した。
「何が貴様の首だ、水徒端家の男爵位だ。そのようなものに何の価値がある。貴様の如き下郎、偽りの華族が頭を下げて、真の華族たる乃公に何か一つでも物を頼めると思ったか」
甲の回答は拒否だった。
ならば、とでも言いたげに、賽蔵は頭を上げて眦を決した。
「早辺子、逃げなさい。皇族方の許へ駆け込むのだ。龍乃神殿下か蛟乃神殿下ならば屹度お前を無下にはなさらぬだろう」
「御父様、何を……?」
賽蔵はゆっくりと立ち上がった。
その眼は決意と覚悟に満ちている。
「行きなさい。どうあっても愛娘を解放せぬと、今後も好き勝手に嬲り物にし続けると宣言され、はいそうですかと引き下がれる訳が無い。斯くなる上は是非にも及ばず……!」
「いけません、御父様!」
「ほう……」
甲は賽蔵を嘲り笑う。
そんな相手を意に介さず、賽蔵は両手をそれぞれ円を描く様に動かす。
術識神為の能力を発動し、甲と戦うつもりだ。
しかしその瞬間、甲を除いた辺りの全てが色を反転させた。
甲以外の全てが一切の動きを止めている。
『能力の発動を予知しました。時間を停止し、解析を行います』
そう、甲夢黝が逆に術識神為の能力を発動したのだ。
いや、正確には賽蔵が能力を発動しようとした為、それを読み取って自動的に発動されたというべきか。
今この世界は、甲以外の全ての時間が停止している、甲のみの自由時間である。
そんな中、甲の能力は三つの効果を発揮する。
「ふむ、なるほどな。此奴の能力は、焔の縄を形成するのか。縄として敵を絡め取れば、持ち前の腕力で振り回して武器にすることが出来る。また当然、焔自体で敵を焼くことも可能。因みに焔の温度は……摂氏五一〇〇度か。日輪表層の黒点温度を上回っているとは、下賤な者にしては中々ではないか」
そう、甲は時間停止中、発動しようとした相手の能力を詳細まで知り尽くしてしまうのだ。
この時、甲は相手の潜在意識に刻み付けられた能力についての記述から読み取る為、一切の誤魔化しが利かない。
そして、甲の能力の恐ろしさはここからである。
「ではその生意気な能力を貴様に相応しい形へ正してやろう」
甲は制止した時の中で、目蓋一つ動かない賽蔵に手を翳した。
「今日この時より、貴様の焔は縄になどならぬ。手で発生した焔はただ貴様自身の体を焼き尽くすのみよ。更に、一度人体に燃えた焔は他の一切に燃え移りはしない。乃公の屋敷を焼かれては敵わんからな」
これこそ、甲の最も恐ろしい能力効果である。
彼は解析した相手の能力を自分に都合良く書き換えてしまえるのだ。
唯賽蔵が自滅する形に改変された能力だが、賽蔵はもう発動を止められない。
そして仕上げに、甲は最後の効果を発揮する。
「乃公自身には、摂氏三十度を超える外気温を受け付けない能力を付与しよう。水徒端を焼き尽くす焔の熱で乃公が不快な思いをしたくはないからな」
おまけに甲は、自らの能力さえも都合の良い様に付加価値を足せるのだ。
相手の能力発動に先回りし、自らを脅かそうとした能力を己にとって無害、寧ろ相手自身に対して有害なものに改変し、更に駄目押しで自分自身も好き勝手に能力を付け足せる。
凡そ能力を用いる戦いに於いて、限りなく禁じ手に近い恐るべき能力である。
「では、時を再び動かし給え!」
『処置完了。時を再始動します』
周囲の色彩反転が正常化すると同時に、水徒端賽蔵は自らの出した焔に包まれた。
「ぐ、ぐあああああっっ!?」
「愚か者め! 貴様の如き下賤の者が、乃公に対して一矢でも報いられると思ったか!」
「い、嫌ああああ! 御父様ァ!!」
手を延ばす早辺子の悲痛な絶叫の中、体を焼かれる賽蔵は膝を突いた。
だが、その眼は尚も甲に対する反抗の意思を宿している。
「まるで解らなかった……! 甲夢黝、貴様の能力が全く理解出来なかった! ただ、やられたということだけが解る! 何という能力だ。しかしっ……!」
既に賽蔵の姿は下の面影を失い、黒焦げになっている。
彼がまだ生きて喋れるのは、単にその執念が生んだ奇跡かも知れない。
「しかし甲よ、これだけは覚えておけ! 絶対に破れない能力など、この世には無い! 他者に破られぬよう理不尽に構築した能力程、思わぬ落とし穴があるものだ! そしてっ! 理不尽な術理を組めば組む程、破られた時の敗北はより一方的で悲惨なものとなる! 貴様の命運は、その時尽きる!」
甲は眉一つ動かさず、燃え尽きて崩れ落ちていく才蔵の姿を見下ろしていた。
消し炭に変わった賽蔵の体を、無造作に蹴り砕く。
「ふん、下らん負け惜しみだ。水徒端、これでもう貴様に帰る場所は無くなったという訳だ。今後も誠心誠意、乃公に仕えるが良い」
早辺子は顔を伏せ、答えない。
甲はそんな彼女の髪を掴み、無理矢理体を起こす。
「そうだ、良い事を思い付いたぞ! 確か貴様は明治日本の者共と顔見知りだったな! これより貴様が龍乃神邸へ赴き、奴らの首を取って参れ! 無論、逃げ込まぬ様に推城を監視に付ける! それが良い! 六摂家当主に頼らずとも、最初からこうしておけば良かったのだ!」
甲は早辺子の涙など意に介さない。
どのように扱おうが、早辺子が甲に従うのは当然だと思っている。
そんな最悪の主に、早辺子は震える声を絞り出した。
「貴方などが……私の仕えるべき者であるものか……」
「何ィ?」
甲は早辺子の頭を机に激しく打ち付けた。
「うぐぅっ!!」
「どうやらまだまだ躾が足りん様だなァ! 来い! たっぷりと仕置きをくれてやる!」
甲は早辺子を引き摺り、書斎を出て行った。
推城はただ黙ってこれを見送り、何か企みを含む不穏な笑みを浮かべていた。
何故ならば男爵とは五爵の最下位ではあるが、その分家格に依らず己の腕一つで「成り上がる」可能性が最も高い爵位だからだ。
日本国でいうと、例えば岩崎家・住友家・三井家など、錚々たる財閥家が男爵家に名を連ねており、国家への影響力でいうならば公爵家をも凌ぐことさえある。
皇國に於いて、華族とは大いなる暴力を与えられた名家でもある。
その「神為」という名の力は、己の存在への自負心と正の相関関係があると言われている。
男爵家には五爵最下位の引け目を感じている者達ばかりではなく、寧ろ自分達こそが真に優秀な国家への功労者であり、家柄の助力あって授爵された上位爵位に恥じ入る理由などないという自負心を持つ者も多い。
水徒端賽蔵もそんな気骨ある男爵の一人である。
七月七日の夕刻、彼は単身で甲公爵邸へと攻め込んだ。
愛娘である水徒端早辺子が無体な扱いを受けていると聞き及び、怒れる魂を猛らせたのだ。
水徒端男爵は正門から本館へ向け、広大な庭園に設けられた道を足早に歩いて行く。
「狼藉者め!」
「これ以上先へは行かせるな!」
黒いスーツを纏った甲家の私兵が水徒端男爵を取り囲む。
彼らは皆、元は軍人であり、尚且つ甲に東瀛丸を与えられ神為を得た者達である。
術識神為に覚醒している者は極僅かだが、それでも波の相手ならば多勢に無勢である。
しかし、水徒端男爵は動じない。
両手をそれぞれ、二つの円を描く様に動かした。
すると彼の掌から焔が縄状に形成され、私兵二人が絡め取られる。
男爵は管弦楽の指揮者が如く腕を振るった。
焔の縄に捉えられた私兵が振り回され、男爵を取り囲む集団を次々に薙ぎ倒していく。
一通り敵を倒すと、男爵は両手を勢い良く開いた。
振り回されて武器として利用された二人の私兵はそのまま焔に包まれて燃え尽きた。
「早辺子、待っていろ……」
水徒端男爵は娘の身を案じ、甲公爵邸本館へと歩を進める。
⦿⦿⦿
一方で、甲邸本館は書斎、主である甲夢黝の苛立ちは頂点に達していた。
「乃公が六摂家当主を明治日本の下郎共に差し向け、既に丸一日以上が経っている。何故誰一人として、連絡一つ寄越さんのだ……!」
六摂家当主といえば、皇國貴族でも最高の戦力である。
その者達を四人も要したのだから、拉致被害者など一日かそこらで片付くと目論むのは当然だった。
甲は激しく机を叩いた。
「推城ォ!」
「此処に」
甲夢黝の秘書・推城朔馬が、何処からともなく大柄な体を傅かせて顕れた。
「状況を説明しろ! 何がどうなっておる!」
「件の四公爵ですが、昨日から誰とも連絡が付きませぬ」
四人の六摂家当主の内、唯一人説得に応じた十桐綺葉を除く三人は皆打倒されたのだから、当然連絡が繋がる筈も無い。
一桐陶麿と公殿句子は死亡し、丹桐士糸は石化してしまっている。
そして唯一残っている十桐は、推城が武装戦隊・狼ノ牙の首領補佐・八社女征一千と繋がっている認識なので、連絡を無視し続けている。
「まさか揃いも揃って敗れたのか? 六摂家当主ともあろう者が……」
「私自身、独自に調査中で御座います。何卒、今暫くお待ちを」
「待てるかこの虚けめが!」
甲の激しい剣幕が書斎全体を震わせた。
「何としても、衆議院を主戦派で染めるのだ! 乃公が再び総理大臣に返り咲き、皇國の宰相を超えた終身の大君となる! その為には貴族閥だけでなく学閥も軍閥も手中に収め、大盤石の体制を築かねばならぬ!」
甲夢黝は権力の亡者である。
彼のそれを欲するところは、最早狂気といっても差し支えなかった。
「乃公こそは摂関家筆頭! 終生、皇國の政を恣にすべき者ぞ! 世界一の大国たる皇國を実質的に支配する、世界の王となるのだ!」
甲にとって、全ては順調な筈だった。
内閣総理大臣にまで上り詰め、皇國の支配者になれた筈だった。
しかし、過去の転移先で日本の吸収をする際に強硬策が過ぎ、三種の神器を手に入れ損ねるという大失態を犯し、失脚。
軍閥の女である能條緋月にその座を奪われたことは、彼にとってあってはならぬ屈辱だった。
「水徒端ァ!」
甲の怒声に、脇で控えていた早辺子はビクリと体を竦ませた。
ここ数日何度も折檻を受け、既に主に対する恐怖が体に刷り込まれている。
「貴様も情報を集めんか、戯けが!」
怒りに任せた甲の蹴りが早辺子の腹を激しく打った。
痛みに蹲り、悶絶する早辺子を、甲は何度も踏み付けにして更に痛め付ける。
「ああっ!! 御主人様! 御許しください! どうか御許しください!!」
「黙れ! 貴様の如き下賤の者が乃公に指図をするな!」
甲夢黝の性格は六摂家当主で最も苛烈である。
敬うのは皇族のみ。
甲家と、同じ皇別摂家の一桐家以外は対等だと思っておらず、六摂家当主ですら心の内では見下している。
それ以下の旧華族は蔑みすらし、新華族以下は人間とも思っていない。
そして、そんな愚劣な人間性に見合わぬ強大な力をも与えられてしまっているのだ。
「早辺子!!」
その時、書斎に一人の男が駆け込んで来た。
髭を蓄えたダンディなナイスミドルといった容姿だが、焦燥に駆られて余裕の無い様子である。
「御父……様……」
早辺子の父、男爵・水徒端賽蔵は推城を押し退けて甲に迫る。
甲は早辺子に蹴りを見舞うと、侵入者たる賽蔵に相対した。
両者は互いに、怒りに満ちた眼で睨み合っている。
「私の娘に何という仕打ちを……!」
「乃公が乃公の使用人を如何に扱おうと、乃公の勝手である」
男爵・水徒端賽蔵は大きな愛の持ち主である。
事業家の彼は従業員に博愛の精神を持って接し、その信頼を成功の礎とした。
また家族を疎かにすることも無く、妻と二人の娘にも惜しみなく時間を割いた。
妻を早くに喪ってからは、自らの手で二人を育て上げた。
「水徒端、寧ろ乃公には感謝すべきであるぞ。水徒端男爵家は叛逆者を出しておる。愚かな娘の咎で、本来ならば取り潰しになってもおかしくないところを、乃公がもう一人の娘を拾ってやったのだからな」
「くっ……!」
そんな賽蔵にとって、甲の言葉は火に油を注ぐものだった。
愛する娘の咎を責められ、忠君の男爵家としての自負心を揺るがされる。
賽蔵は非常に険しい、苦悶の表情を浮かべた。
「ならば……要りませぬ……!」
「何?」
賽蔵はその場で膝を屈し、手を突いた。
「水徒端家の男爵位が娘を傷付けるものであれば、私はそのようなもの最早要りませぬ。この水徒端賽蔵の首を差し出します代わりに、どうか早辺子を自由にしてくださいませ」
「御父様……」
額を床に擦り付ける父の姿を見て、早辺子の目に涙が浮かんだ。
水徒端賽蔵は水徒端家の男爵位に誇りを持っている。
しかし、それが誠の心に裏付けられてこそ価値があるということも重々承知しているのだ。
早辺子は知っていた。
父は人間を地位ではなく内面で見る男だ。
新旧問わず華族というものは挙って華族間で婚姻関係を結ぼうとするが、父はそうではなかった。
頓挫になったものの、再婚相手に子持ちの平民を見初めたこともあった。
そんな父が、最高の地位と最低の人間性を持った甲夢黝という男に土下座までしている。
父にとって、娘を犠牲にしてまで縋り付く爵位になど、最早意味は無いのだ。
しかし、そんな賽蔵の懇願を、甲は一笑に付した。
「何が貴様の首だ、水徒端家の男爵位だ。そのようなものに何の価値がある。貴様の如き下郎、偽りの華族が頭を下げて、真の華族たる乃公に何か一つでも物を頼めると思ったか」
甲の回答は拒否だった。
ならば、とでも言いたげに、賽蔵は頭を上げて眦を決した。
「早辺子、逃げなさい。皇族方の許へ駆け込むのだ。龍乃神殿下か蛟乃神殿下ならば屹度お前を無下にはなさらぬだろう」
「御父様、何を……?」
賽蔵はゆっくりと立ち上がった。
その眼は決意と覚悟に満ちている。
「行きなさい。どうあっても愛娘を解放せぬと、今後も好き勝手に嬲り物にし続けると宣言され、はいそうですかと引き下がれる訳が無い。斯くなる上は是非にも及ばず……!」
「いけません、御父様!」
「ほう……」
甲は賽蔵を嘲り笑う。
そんな相手を意に介さず、賽蔵は両手をそれぞれ円を描く様に動かす。
術識神為の能力を発動し、甲と戦うつもりだ。
しかしその瞬間、甲を除いた辺りの全てが色を反転させた。
甲以外の全てが一切の動きを止めている。
『能力の発動を予知しました。時間を停止し、解析を行います』
そう、甲夢黝が逆に術識神為の能力を発動したのだ。
いや、正確には賽蔵が能力を発動しようとした為、それを読み取って自動的に発動されたというべきか。
今この世界は、甲以外の全ての時間が停止している、甲のみの自由時間である。
そんな中、甲の能力は三つの効果を発揮する。
「ふむ、なるほどな。此奴の能力は、焔の縄を形成するのか。縄として敵を絡め取れば、持ち前の腕力で振り回して武器にすることが出来る。また当然、焔自体で敵を焼くことも可能。因みに焔の温度は……摂氏五一〇〇度か。日輪表層の黒点温度を上回っているとは、下賤な者にしては中々ではないか」
そう、甲は時間停止中、発動しようとした相手の能力を詳細まで知り尽くしてしまうのだ。
この時、甲は相手の潜在意識に刻み付けられた能力についての記述から読み取る為、一切の誤魔化しが利かない。
そして、甲の能力の恐ろしさはここからである。
「ではその生意気な能力を貴様に相応しい形へ正してやろう」
甲は制止した時の中で、目蓋一つ動かない賽蔵に手を翳した。
「今日この時より、貴様の焔は縄になどならぬ。手で発生した焔はただ貴様自身の体を焼き尽くすのみよ。更に、一度人体に燃えた焔は他の一切に燃え移りはしない。乃公の屋敷を焼かれては敵わんからな」
これこそ、甲の最も恐ろしい能力効果である。
彼は解析した相手の能力を自分に都合良く書き換えてしまえるのだ。
唯賽蔵が自滅する形に改変された能力だが、賽蔵はもう発動を止められない。
そして仕上げに、甲は最後の効果を発揮する。
「乃公自身には、摂氏三十度を超える外気温を受け付けない能力を付与しよう。水徒端を焼き尽くす焔の熱で乃公が不快な思いをしたくはないからな」
おまけに甲は、自らの能力さえも都合の良い様に付加価値を足せるのだ。
相手の能力発動に先回りし、自らを脅かそうとした能力を己にとって無害、寧ろ相手自身に対して有害なものに改変し、更に駄目押しで自分自身も好き勝手に能力を付け足せる。
凡そ能力を用いる戦いに於いて、限りなく禁じ手に近い恐るべき能力である。
「では、時を再び動かし給え!」
『処置完了。時を再始動します』
周囲の色彩反転が正常化すると同時に、水徒端賽蔵は自らの出した焔に包まれた。
「ぐ、ぐあああああっっ!?」
「愚か者め! 貴様の如き下賤の者が、乃公に対して一矢でも報いられると思ったか!」
「い、嫌ああああ! 御父様ァ!!」
手を延ばす早辺子の悲痛な絶叫の中、体を焼かれる賽蔵は膝を突いた。
だが、その眼は尚も甲に対する反抗の意思を宿している。
「まるで解らなかった……! 甲夢黝、貴様の能力が全く理解出来なかった! ただ、やられたということだけが解る! 何という能力だ。しかしっ……!」
既に賽蔵の姿は下の面影を失い、黒焦げになっている。
彼がまだ生きて喋れるのは、単にその執念が生んだ奇跡かも知れない。
「しかし甲よ、これだけは覚えておけ! 絶対に破れない能力など、この世には無い! 他者に破られぬよう理不尽に構築した能力程、思わぬ落とし穴があるものだ! そしてっ! 理不尽な術理を組めば組む程、破られた時の敗北はより一方的で悲惨なものとなる! 貴様の命運は、その時尽きる!」
甲は眉一つ動かさず、燃え尽きて崩れ落ちていく才蔵の姿を見下ろしていた。
消し炭に変わった賽蔵の体を、無造作に蹴り砕く。
「ふん、下らん負け惜しみだ。水徒端、これでもう貴様に帰る場所は無くなったという訳だ。今後も誠心誠意、乃公に仕えるが良い」
早辺子は顔を伏せ、答えない。
甲はそんな彼女の髪を掴み、無理矢理体を起こす。
「そうだ、良い事を思い付いたぞ! 確か貴様は明治日本の者共と顔見知りだったな! これより貴様が龍乃神邸へ赴き、奴らの首を取って参れ! 無論、逃げ込まぬ様に推城を監視に付ける! それが良い! 六摂家当主に頼らずとも、最初からこうしておけば良かったのだ!」
甲は早辺子の涙など意に介さない。
どのように扱おうが、早辺子が甲に従うのは当然だと思っている。
そんな最悪の主に、早辺子は震える声を絞り出した。
「貴方などが……私の仕えるべき者であるものか……」
「何ィ?」
甲は早辺子の頭を机に激しく打ち付けた。
「うぐぅっ!!」
「どうやらまだまだ躾が足りん様だなァ! 来い! たっぷりと仕置きをくれてやる!」
甲は早辺子を引き摺り、書斎を出て行った。
推城はただ黙ってこれを見送り、何か企みを含む不穏な笑みを浮かべていた。
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15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
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魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。
*表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*
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