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第二章『神皇篇』
第四十話『天敵』 急
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甲邸の本館から、使用人達が列を成して出て行く。
早辺子からの報せを受け、執事の子爵・黒小路舟一が避難誘導を買って出ていた。
「皆さん、慌てないで、落ち着いて」
公爵家の使用人ともなると、流石に訓練が行き届いている。
とはいえ、事態は一刻の猶予も無い。
こうしているうちにも敷地内の打球場ではフェアウェイに大穴が開き、地下から何かの飛び出す準備が進んでいる。
このまま甲の超級が猛威を振るえば、最悪の場合は市街地の区画一帯が消し飛ぶ。
本当の意味で安全を確保するには鎮圧が大前提である。
「黒小路様」
「おお、水徒端君。よくぞこの事態を報せてくれましたぞ」
「こちらこそ、お聞き入れ頂きありがとうございます」
早辺子が避難の状況を報告しに来た。
使用人達の迅速な対応もあって、既に本館は蛻の殻となっていた。
だがその時、打球場に開いた穴から一機の超級為動機神体が飛び出した。
皇國の軍が採用している最新鋭の機体・ミロクサーヌ零式である。
「むぅ……! やはり水徒端君の言うとおり、公爵は御乱心なさったのか!」
「黒小路様、周辺住民への避難勧告を手配してください。私は逃げ遅れがないか、今一度本館を見て参ります」
「承知しました。しかし水徒端君、貴女も深入りせずに早く離れるのですよ」
早辺子は本館、黒小路は避難の列へと、それぞれの持ち場へ急いだ。
⦿⦿⦿
航は超級為動機神体の格納庫へと辿り着いた。
目の前には一機、烏都宮警察署で見た機体「超級為動機神体・ミロクサーヌ零式」が仁王立ちしている。
その向かいにはもう一機の機体が収められていた形跡があり、更には天井が開いて夜空の月が覗いている。
航は遥か上空に、目の前の機体と同じ超級が此方へ振り向こうとしているのを見た。
「急がないと……!」
航は神為で強化された身体能力に任せて機体を駆け上がった。
操縦室へ続くハッチにさえ辿り着けば、開け方は熟知している。
脱出に利用したミロクサーヌの後継機だけあって、粗方の機構は同じであったことが功を奏した。
「よし、これなら動かせるぞ!」
航は操縦室「直靈彌玉」内の操縦席「荒魂座」に着き、操縦桿となる両脇の璧を握り締めた。
そして神為を機体と接続し、実戦機動状態へと持って行く。
それだけで、航はこの機体の優れた性能を体の芯から感じ取る事が出来た。
「凄い機体だ。ミロクサーヌ改を明らかに上回っている。機動力だけじゃない。屹度、破壊力も脱出のときに戦った相手の機体より上だ!」
それは同時に、この機体と同型の超級を駆る甲が暴れた場合にはとんでもない事態になる事を意味していた。
今、航の両肩には周辺住民の命が伸し掛かっていた。
「必ず止める!」
航は機体を猛スピードで上昇させ、一気に地上へと飛び出した。
⦿⦿⦿
魅琴と獅乃神の食事も済み、料理長の挨拶も終わった。
流石は皇太子が御用達にするだけあって、料理の味は非の打ち所のない絶品であった。
しかし、ある一点に於いて魅琴を満足させるには程遠かった。
(量が少な過ぎる……)
魅琴の場合、寧ろ手頃なファストフードを山積みにした方が良かっただろう。
或いは、大好物のあんぱんを用意すれば何も問題無かった。
しかし、流石にそれは場違いな要求だろうし、獅乃神に分かる筈が無い。
そんなことは百も承知なので、魅琴は不満を態々表に出したりはしなかった。
「美味かっただろう? 今宵の料理には農産・畜産・海産で最高の環境から食材を育み採取する過程から、料理として提供されるまでの全てが超一級にして超一流なのだ。その全てに、最終的に食す俺達を夢見心地に誘わんとする努力と心遣いが行き届いている。その恩恵に与れること、俺も汝も、誠に果報者だとは思わんか?」
魅琴を見詰める獅乃神の笑みは、相変わらず子供の様に屈託の無いものだった。
心底からの幸福に満ちた、消すに忍びない笑顔である。
「はい。とても素晴らしいことかと……」
魅琴の答えを聞き、獅乃神は満足気に益々笑みを輝かせた。
「俺はな、自分の幸福は既に味わい尽くしている。故に、今は他の者が俺と同じ幸福を味わっている時こそが至福なのだ。その時まさに俺は汝、汝は俺であると実感出来る。だから他に何か要望があれば遠慮無く言ってくれ」
「ありがとうございます。ですが、もう存分に楽しませていただきました」
魅琴は考える。
おそらく、普通の人間にとって彼に見初められたことはこの上無い僥倖であり、この一時は手放しに至福そのものなのだろう。
目の前の男の浮き世離れした巨しく逞しく見目麗しい姿と、究極ともいえる絶大な社会的地位、そしてあまりにも純粋で善良な人柄に、心惹かれる者は数多いだろう。
だが魅琴の心には、それを素直に受け止められない影があった。
そうとも知らず、獅乃神は話を切り出してくる。
「麗真魅琴よ、能く聴くが良い。俺は汝が望むなら毎日でもこの様な幸福を与えたい、共に分かち合いたいと思っている」
空気が張り詰めた。
獅乃神が何を言わんとしているか、解らない魅琴ではない。
「俺は汝を后として迎えたい」
その瞬間、魅琴は獅乃神の他に三人の視線を感じた。
敷島の眼は、頼むから断ってくれるなと切に訴えている。
貴龍院の眼は不快感に満ちている。
そして灰祇院の眼は、魅琴の出す答えに注視しているといったところか。
魅琴は目を閉じた。
ここで婚約を受けてしまうと、もう彼女は引き返せない。
それは岬守航との、他の汎ゆる日本国の人間関係との決別を意味する。
(けれども私には、ここで断るという選択肢は無い。私には使命がある。こんな絶好の申し出を受けないなど、絶対にあり得ない……)
魅琴は徐に口を開き、答えを返そうとした。
しかしその時、突然何処からともなく電話の鳴る音がした。
「おいおい、誰だこんな時に?」
「も、申し訳御座いません……」
懐から電話を取り出したのは貴龍院だった。
両脇から敷島と灰祇院の白い目が彼女に突き刺さる。
彼女は電話端末の画面を見ると、顔を青くして獅乃神を窺う。
「何だ、俺の電話ではないか。今取り込み中だ。後にするよう伝えておけ」
どうやら獅乃神は己の電話を近衛侍女である貴龍院に預けているようだ。
しかし、貴龍院は遠慮がちに電話を獅乃神へと差し出す。
「ですが殿下、御相手を御覧ください……」
「何?」
獅乃神は画面の表示を確認すると、溜息を吐いて貴龍院から電話を受け取った。
「麗真魅琴よ、席を外す。暫し待て」
獅乃神は席を立ち、壁際へ移動して電話を取った。
何やら小声で揉めている内容が魅琴の耳に聞こえてくる。
「姉上、いくら貴女でも無粋ではないか。今夜の俺の予定は伝えた筈だろう」
『その点は申し訳御座いません。しかし、それどころではないのです。皇室の一大事やも知れません。今すぐに私達と共にお集まりください』
「今すぐ? おいおい冗談だろう、今一番肝心なところなんだぞ」
『繰り返しになりますが、それでも連絡しなければならなかったのです。これは私の意向ではありません』
獅乃神の口が止まった。
同時に、魅琴もまた片眉を上げた。
話の内容から、皇太子である獅乃神が姉から無理を要求され、しかもそれは更に上の人物からの命令だということらしい。
(つまり、獅乃神叡智を呼び出している相手は……)
魅琴と同様、獅乃神もそれを察したらしい。
「あいわかった。そういうことならば是非も無しか……」
電話を終えた獅乃神は神妙な面持ちで席に戻って来ると、貴龍院に電話を返した。
「良いところだったが父上から緊急招集を受けた。答えはまたの機会に聞くとしよう。敷島・貴龍院、会計は済ませておけ。灰祇院、深花の邸宅に彼女を送り届けよ」
獅乃神はそう言い残すと、足早に食卓を後にした。
取り残された魅琴は、言い様の無い安堵感に包まれていた。
⦿⦿⦿
超級為動機神体・ミロクサーヌ零式の操縦室「直靈彌玉」から下方に自らの邸宅を見下ろし、甲夢黝は嘗て無い怒りに震えていた。
「おのれぇぇっ……! 乃公は甲夢黝だぞ。世が世なら帝になっていてもおかしくない、皇別摂家の当主! 皇國貴族の頂点! 議会と軍を牛耳り政治権力の長に返り咲く男! 世界の支配者、王になるべき男だ! あんな餓鬼に舐められて良い筈が無い。あんな餓鬼一人、捻り潰せん訳が無い!」
ミロクサーヌ零式の右腕、光線砲ユニットの砲口が真下、拷問部屋のある地下室の方へと向けられた。
「思い知れ! 甲公爵家の権力、乃公の絶大なる力をぉぉっっ!!」
砲口の奥が光り、強大なる破壊の暴が解き放たれようとしていた。
しかしその時、同じ地下格納庫から飛び出してきたもう一機のミロクサーヌ零式が、日本刀をもした切断ユニットで光線砲発射寸前の右腕を斬り落としてしまった。
「なぁあっっ!?」
甲は狼狽したが、すぐに状況を察した。
怒りは更に高まり、怒髪天を衝く勢いだ。
「おのれ糞餓鬼! 乃公の超級を勝手に動かすとは良い度胸だ! ならばそのミロクサーヌ零式を貴様の棺桶にしてくれるわ!」
甲は軍隊の中で勢力を伸ばす極右政治団体・皇道保守黨と関わりを持っている。
その中で、彼は超級為動機神体の基本的な操縦を身に着けているのだ。
職業軍人ではないとはいえ、同じ機体同士での対決ならば自分に一日の長がある――甲がそう考えるのも無理は無いだろう。
しかし、甲の機体が相手を追うべく振り返ったその瞬間、縦横無尽に飛び回る航の機体が目にも留まらぬ速さで甲の機体の左腕、下半身を斬り落とす。
それは甲の思惑とは真逆の光景だった。
「ひ、ヒイイイイッ!? 莫迦な! まるで動きに付いて行けない!」
航の機体は、当に鬼神の如き強さだった。
あまりにも一方的な展開に、甲は何も出来ないまま機体の致命的な部位までも失う。
背中に備わった、雷鼓の様な飛行具までもが斬り落とされてしまったのだ。
「だ、駄目だ制御出来ない! お、落ちる!!」
甲の機体は真逆様に墜落していく。
「は、早く脱出を! だ、脱出は確かこうして……ま、間に合わない! うわああああああッッ!!」
甲は素人、慣れていない脱出操作に手間取っている間に機体が甲公爵邸の本館に激突し、本館はバラバラに砕け散ってしまった。
瓦礫の山の中、ミロクサーヌ零式の胸から操縦室「直靈彌玉」が零れ落ちる。
その中から、甲夢黝はボロボロになった体を這い出させた。
「あ、悪夢だ……。これは悪夢である……」
這々の体で命辛々逃げようとする甲を巨大な人影が覆った。
彼が見上げた先には、自らを撃墜したもう一機のミロクサーヌ零式が降り立っていた。
「ヒイィッ、ヒイイイイイッッ!!」
最早甲の命運は尽きた。
しかし、現実を認められない甲は尚も悪足掻きをしようとする。
「つ、推城! 推城は何処に居る!」
「は、此処に」
折れた槍の柄を携え、推城朔馬が甲の背後へ馳せ参じた。
「推城、何をしておる乃公を守れ! あの不届き者を成敗せよ!」
「然様なことを仰いましても、超級為動機神体が相手となりますと、身一つで相手をするのは些か以上に役者不足ですな」
「何!? 肝心な時に使えぬ奴め! ええいならば水徒端! 水徒端ァ!!」
「此処におりますよ、御主人様」
丁度、本館に誰も取り残されていないと確認して出て行っていた早辺子もまた甲の許へやって来た。
「貴様は超級の操縦が出来る筈だな! 主の命令である! あれを叩きのめせ!」
「御言葉ですが、御主人様。既に当邸宅に安置されておりました三機の超級為動機神体は全て出払っております。一機は烏都宮警察署にて、一機は只今の被撃墜を以て破壊され、最後の一機は今まさに我々が対峙しております」
早辺子は甲に冷たく言い放つ。
どの道、今の早辺子が甲の命令を聞く筈が無い。
「莫迦な、莫迦な! あり得ない! こんなことがあってはならぬ!」
甲は苦し紛れに強大な神為の光を両掌に形成すると、ミロクサーヌ零式に向けて解き放った。
光の柱はミロクサーヌ零式をすっぽりと包み込んで夜空へと走り抜けて行ったが、機体には傷一つ付かない。
「お忘れですか、御主人様? 超級為動機神体は強力な神為に因る悪影響を受け付けません」
「な、ならば生身だ! そうだ一桐卿! 一桐卿ならば超級とも渡り合える筈! 推城、今すぐ一桐卿に連絡せよ!」
「事前にお伝えしておりましたが、他の六摂家当主とは現在一切連絡が付きませぬ」
推城の宣告もまた冷たかった。
この男は既に甲を完全に見放しているらしい。
「愚図が! どいつもこいつも肝心な時に何故役に立たん!」
「御主人様、六摂家当主方を一気に差し向けられたのは些か戦力の過集中で御座いましたね。仮に三名に個別に連絡し、一桐卿は温存しておけば話は変わったでしょうが……」
早辺子の声は弾んですらいた。
甲の醜態にさぞ胸が空く思いなのだろう。
「み、水徒端! それが解っていて何故乃公に意見具申の一つも無かった!」
「新華族という偽物の貴族出身の男爵令嬢という下賤の身ですので。皇別摂家の当主、旧華族の頂点たる甲公爵閣下に意見するなど烏滸がましくてとてもとても」
「キ、キイイイイイイイ!!」
追い詰められて為す術のなくなった甲は頭を掻き毟って絶叫する他無かった。
どこまでも愚かな男の金切り声が虚しく夜空に響いていた。
早辺子からの報せを受け、執事の子爵・黒小路舟一が避難誘導を買って出ていた。
「皆さん、慌てないで、落ち着いて」
公爵家の使用人ともなると、流石に訓練が行き届いている。
とはいえ、事態は一刻の猶予も無い。
こうしているうちにも敷地内の打球場ではフェアウェイに大穴が開き、地下から何かの飛び出す準備が進んでいる。
このまま甲の超級が猛威を振るえば、最悪の場合は市街地の区画一帯が消し飛ぶ。
本当の意味で安全を確保するには鎮圧が大前提である。
「黒小路様」
「おお、水徒端君。よくぞこの事態を報せてくれましたぞ」
「こちらこそ、お聞き入れ頂きありがとうございます」
早辺子が避難の状況を報告しに来た。
使用人達の迅速な対応もあって、既に本館は蛻の殻となっていた。
だがその時、打球場に開いた穴から一機の超級為動機神体が飛び出した。
皇國の軍が採用している最新鋭の機体・ミロクサーヌ零式である。
「むぅ……! やはり水徒端君の言うとおり、公爵は御乱心なさったのか!」
「黒小路様、周辺住民への避難勧告を手配してください。私は逃げ遅れがないか、今一度本館を見て参ります」
「承知しました。しかし水徒端君、貴女も深入りせずに早く離れるのですよ」
早辺子は本館、黒小路は避難の列へと、それぞれの持ち場へ急いだ。
⦿⦿⦿
航は超級為動機神体の格納庫へと辿り着いた。
目の前には一機、烏都宮警察署で見た機体「超級為動機神体・ミロクサーヌ零式」が仁王立ちしている。
その向かいにはもう一機の機体が収められていた形跡があり、更には天井が開いて夜空の月が覗いている。
航は遥か上空に、目の前の機体と同じ超級が此方へ振り向こうとしているのを見た。
「急がないと……!」
航は神為で強化された身体能力に任せて機体を駆け上がった。
操縦室へ続くハッチにさえ辿り着けば、開け方は熟知している。
脱出に利用したミロクサーヌの後継機だけあって、粗方の機構は同じであったことが功を奏した。
「よし、これなら動かせるぞ!」
航は操縦室「直靈彌玉」内の操縦席「荒魂座」に着き、操縦桿となる両脇の璧を握り締めた。
そして神為を機体と接続し、実戦機動状態へと持って行く。
それだけで、航はこの機体の優れた性能を体の芯から感じ取る事が出来た。
「凄い機体だ。ミロクサーヌ改を明らかに上回っている。機動力だけじゃない。屹度、破壊力も脱出のときに戦った相手の機体より上だ!」
それは同時に、この機体と同型の超級を駆る甲が暴れた場合にはとんでもない事態になる事を意味していた。
今、航の両肩には周辺住民の命が伸し掛かっていた。
「必ず止める!」
航は機体を猛スピードで上昇させ、一気に地上へと飛び出した。
⦿⦿⦿
魅琴と獅乃神の食事も済み、料理長の挨拶も終わった。
流石は皇太子が御用達にするだけあって、料理の味は非の打ち所のない絶品であった。
しかし、ある一点に於いて魅琴を満足させるには程遠かった。
(量が少な過ぎる……)
魅琴の場合、寧ろ手頃なファストフードを山積みにした方が良かっただろう。
或いは、大好物のあんぱんを用意すれば何も問題無かった。
しかし、流石にそれは場違いな要求だろうし、獅乃神に分かる筈が無い。
そんなことは百も承知なので、魅琴は不満を態々表に出したりはしなかった。
「美味かっただろう? 今宵の料理には農産・畜産・海産で最高の環境から食材を育み採取する過程から、料理として提供されるまでの全てが超一級にして超一流なのだ。その全てに、最終的に食す俺達を夢見心地に誘わんとする努力と心遣いが行き届いている。その恩恵に与れること、俺も汝も、誠に果報者だとは思わんか?」
魅琴を見詰める獅乃神の笑みは、相変わらず子供の様に屈託の無いものだった。
心底からの幸福に満ちた、消すに忍びない笑顔である。
「はい。とても素晴らしいことかと……」
魅琴の答えを聞き、獅乃神は満足気に益々笑みを輝かせた。
「俺はな、自分の幸福は既に味わい尽くしている。故に、今は他の者が俺と同じ幸福を味わっている時こそが至福なのだ。その時まさに俺は汝、汝は俺であると実感出来る。だから他に何か要望があれば遠慮無く言ってくれ」
「ありがとうございます。ですが、もう存分に楽しませていただきました」
魅琴は考える。
おそらく、普通の人間にとって彼に見初められたことはこの上無い僥倖であり、この一時は手放しに至福そのものなのだろう。
目の前の男の浮き世離れした巨しく逞しく見目麗しい姿と、究極ともいえる絶大な社会的地位、そしてあまりにも純粋で善良な人柄に、心惹かれる者は数多いだろう。
だが魅琴の心には、それを素直に受け止められない影があった。
そうとも知らず、獅乃神は話を切り出してくる。
「麗真魅琴よ、能く聴くが良い。俺は汝が望むなら毎日でもこの様な幸福を与えたい、共に分かち合いたいと思っている」
空気が張り詰めた。
獅乃神が何を言わんとしているか、解らない魅琴ではない。
「俺は汝を后として迎えたい」
その瞬間、魅琴は獅乃神の他に三人の視線を感じた。
敷島の眼は、頼むから断ってくれるなと切に訴えている。
貴龍院の眼は不快感に満ちている。
そして灰祇院の眼は、魅琴の出す答えに注視しているといったところか。
魅琴は目を閉じた。
ここで婚約を受けてしまうと、もう彼女は引き返せない。
それは岬守航との、他の汎ゆる日本国の人間関係との決別を意味する。
(けれども私には、ここで断るという選択肢は無い。私には使命がある。こんな絶好の申し出を受けないなど、絶対にあり得ない……)
魅琴は徐に口を開き、答えを返そうとした。
しかしその時、突然何処からともなく電話の鳴る音がした。
「おいおい、誰だこんな時に?」
「も、申し訳御座いません……」
懐から電話を取り出したのは貴龍院だった。
両脇から敷島と灰祇院の白い目が彼女に突き刺さる。
彼女は電話端末の画面を見ると、顔を青くして獅乃神を窺う。
「何だ、俺の電話ではないか。今取り込み中だ。後にするよう伝えておけ」
どうやら獅乃神は己の電話を近衛侍女である貴龍院に預けているようだ。
しかし、貴龍院は遠慮がちに電話を獅乃神へと差し出す。
「ですが殿下、御相手を御覧ください……」
「何?」
獅乃神は画面の表示を確認すると、溜息を吐いて貴龍院から電話を受け取った。
「麗真魅琴よ、席を外す。暫し待て」
獅乃神は席を立ち、壁際へ移動して電話を取った。
何やら小声で揉めている内容が魅琴の耳に聞こえてくる。
「姉上、いくら貴女でも無粋ではないか。今夜の俺の予定は伝えた筈だろう」
『その点は申し訳御座いません。しかし、それどころではないのです。皇室の一大事やも知れません。今すぐに私達と共にお集まりください』
「今すぐ? おいおい冗談だろう、今一番肝心なところなんだぞ」
『繰り返しになりますが、それでも連絡しなければならなかったのです。これは私の意向ではありません』
獅乃神の口が止まった。
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話の内容から、皇太子である獅乃神が姉から無理を要求され、しかもそれは更に上の人物からの命令だということらしい。
(つまり、獅乃神叡智を呼び出している相手は……)
魅琴と同様、獅乃神もそれを察したらしい。
「あいわかった。そういうことならば是非も無しか……」
電話を終えた獅乃神は神妙な面持ちで席に戻って来ると、貴龍院に電話を返した。
「良いところだったが父上から緊急招集を受けた。答えはまたの機会に聞くとしよう。敷島・貴龍院、会計は済ませておけ。灰祇院、深花の邸宅に彼女を送り届けよ」
獅乃神はそう言い残すと、足早に食卓を後にした。
取り残された魅琴は、言い様の無い安堵感に包まれていた。
⦿⦿⦿
超級為動機神体・ミロクサーヌ零式の操縦室「直靈彌玉」から下方に自らの邸宅を見下ろし、甲夢黝は嘗て無い怒りに震えていた。
「おのれぇぇっ……! 乃公は甲夢黝だぞ。世が世なら帝になっていてもおかしくない、皇別摂家の当主! 皇國貴族の頂点! 議会と軍を牛耳り政治権力の長に返り咲く男! 世界の支配者、王になるべき男だ! あんな餓鬼に舐められて良い筈が無い。あんな餓鬼一人、捻り潰せん訳が無い!」
ミロクサーヌ零式の右腕、光線砲ユニットの砲口が真下、拷問部屋のある地下室の方へと向けられた。
「思い知れ! 甲公爵家の権力、乃公の絶大なる力をぉぉっっ!!」
砲口の奥が光り、強大なる破壊の暴が解き放たれようとしていた。
しかしその時、同じ地下格納庫から飛び出してきたもう一機のミロクサーヌ零式が、日本刀をもした切断ユニットで光線砲発射寸前の右腕を斬り落としてしまった。
「なぁあっっ!?」
甲は狼狽したが、すぐに状況を察した。
怒りは更に高まり、怒髪天を衝く勢いだ。
「おのれ糞餓鬼! 乃公の超級を勝手に動かすとは良い度胸だ! ならばそのミロクサーヌ零式を貴様の棺桶にしてくれるわ!」
甲は軍隊の中で勢力を伸ばす極右政治団体・皇道保守黨と関わりを持っている。
その中で、彼は超級為動機神体の基本的な操縦を身に着けているのだ。
職業軍人ではないとはいえ、同じ機体同士での対決ならば自分に一日の長がある――甲がそう考えるのも無理は無いだろう。
しかし、甲の機体が相手を追うべく振り返ったその瞬間、縦横無尽に飛び回る航の機体が目にも留まらぬ速さで甲の機体の左腕、下半身を斬り落とす。
それは甲の思惑とは真逆の光景だった。
「ひ、ヒイイイイッ!? 莫迦な! まるで動きに付いて行けない!」
航の機体は、当に鬼神の如き強さだった。
あまりにも一方的な展開に、甲は何も出来ないまま機体の致命的な部位までも失う。
背中に備わった、雷鼓の様な飛行具までもが斬り落とされてしまったのだ。
「だ、駄目だ制御出来ない! お、落ちる!!」
甲の機体は真逆様に墜落していく。
「は、早く脱出を! だ、脱出は確かこうして……ま、間に合わない! うわああああああッッ!!」
甲は素人、慣れていない脱出操作に手間取っている間に機体が甲公爵邸の本館に激突し、本館はバラバラに砕け散ってしまった。
瓦礫の山の中、ミロクサーヌ零式の胸から操縦室「直靈彌玉」が零れ落ちる。
その中から、甲夢黝はボロボロになった体を這い出させた。
「あ、悪夢だ……。これは悪夢である……」
這々の体で命辛々逃げようとする甲を巨大な人影が覆った。
彼が見上げた先には、自らを撃墜したもう一機のミロクサーヌ零式が降り立っていた。
「ヒイィッ、ヒイイイイイッッ!!」
最早甲の命運は尽きた。
しかし、現実を認められない甲は尚も悪足掻きをしようとする。
「つ、推城! 推城は何処に居る!」
「は、此処に」
折れた槍の柄を携え、推城朔馬が甲の背後へ馳せ参じた。
「推城、何をしておる乃公を守れ! あの不届き者を成敗せよ!」
「然様なことを仰いましても、超級為動機神体が相手となりますと、身一つで相手をするのは些か以上に役者不足ですな」
「何!? 肝心な時に使えぬ奴め! ええいならば水徒端! 水徒端ァ!!」
「此処におりますよ、御主人様」
丁度、本館に誰も取り残されていないと確認して出て行っていた早辺子もまた甲の許へやって来た。
「貴様は超級の操縦が出来る筈だな! 主の命令である! あれを叩きのめせ!」
「御言葉ですが、御主人様。既に当邸宅に安置されておりました三機の超級為動機神体は全て出払っております。一機は烏都宮警察署にて、一機は只今の被撃墜を以て破壊され、最後の一機は今まさに我々が対峙しております」
早辺子は甲に冷たく言い放つ。
どの道、今の早辺子が甲の命令を聞く筈が無い。
「莫迦な、莫迦な! あり得ない! こんなことがあってはならぬ!」
甲は苦し紛れに強大な神為の光を両掌に形成すると、ミロクサーヌ零式に向けて解き放った。
光の柱はミロクサーヌ零式をすっぽりと包み込んで夜空へと走り抜けて行ったが、機体には傷一つ付かない。
「お忘れですか、御主人様? 超級為動機神体は強力な神為に因る悪影響を受け付けません」
「な、ならば生身だ! そうだ一桐卿! 一桐卿ならば超級とも渡り合える筈! 推城、今すぐ一桐卿に連絡せよ!」
「事前にお伝えしておりましたが、他の六摂家当主とは現在一切連絡が付きませぬ」
推城の宣告もまた冷たかった。
この男は既に甲を完全に見放しているらしい。
「愚図が! どいつもこいつも肝心な時に何故役に立たん!」
「御主人様、六摂家当主方を一気に差し向けられたのは些か戦力の過集中で御座いましたね。仮に三名に個別に連絡し、一桐卿は温存しておけば話は変わったでしょうが……」
早辺子の声は弾んですらいた。
甲の醜態にさぞ胸が空く思いなのだろう。
「み、水徒端! それが解っていて何故乃公に意見具申の一つも無かった!」
「新華族という偽物の貴族出身の男爵令嬢という下賤の身ですので。皇別摂家の当主、旧華族の頂点たる甲公爵閣下に意見するなど烏滸がましくてとてもとても」
「キ、キイイイイイイイ!!」
追い詰められて為す術のなくなった甲は頭を掻き毟って絶叫する他無かった。
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