日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第四十二話『夜行歌劇』 破

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 妖艶な黒髪の美女、第一皇女・かみせいが再びわたるの眼前に迫った。
 ただ、今のわたるは彼女の妹であるたつかみに横抱きにされ、なんとも滑稽な姿をさらしている。
 そんな様子を見て、かみはさもしそうに言った。

「面白い格好ですね」
「いや全然面白くないですよ」

 わたるは正直、この扱いに少し腹を立てていた。
 たつかみの言付けを破ったのは悪かったし、きのえ公爵邸に乗り込んだのはけいそつだったが、この様な辱めを受けるのは不満だった。

ねえさまからも様に何とか言ってもらえませんかね?」

 わたるたつかみの行いを彼女の姉・かみに抗議した。
 その瞬間、かみの眉が動いた。
 何か、わたるが言った言葉の一つが彼女のきんせんに触れたらしい。
 かみは白い歯を出して口角を上げたが、わたるは少しその笑顔に寒気を感じた。

「今、御姉様といましたか、まえは?」
「はい?」

 かみいろの眼がわたるめる様に見詰めている。
 その視線を受け、わたるは全身に鳥肌が立つ様な思いがした。
 さながら、何かてつもなくおぞましい怪物に狙いを定められたかの様な、見初められた様な、そんな感覚だった。

 たつかみも姉の異変を感じたのか、半歩あと退ずさってつぶやく。

まずい……」

 わたるの胸中に一層不安感が募った。
 一方、かみは我に返ったのか、一つせきばらいをして話を戻す。

さきもりまえ達拉致被害者の帰国ですが、間も無く両国の政府間で調整も付くでしょう。今のところ、明日の夜を見込んでいます」
「夜まで掛かってしまいますか?」
「最後の詰めが残っていますからね。それから、まえ達一人一人に対してのうじょう首相から直々の謝罪と、補償の交渉を行いたいとの意向を奏上されています。そこまで含めた目算です。わかりましたか?」

 何はともあれ、いよいよ帰国が実現しそうになっていることは確からしい。
 数々の困難はあったものの、ようやくその運びとなったことにわたるあんしていた。
 不本意なこともあったが、全てのしようがいは取り除かれた。
 今度こそ帰れる――そんなばんかんの思いが込み上げてくる。

 しかし、わたるには一つだけ気掛かりなことがあった。
 へ来る前、最後の最後に一つ生まれた大きな懸念である。
 それは帰国の障碍ではないものの、帰国の目的には大きく関わる、わたるにとって人生の一大事だ。

「あの、本国からぼく達を迎えに来た人達の中で、うることという女性が居ることはぞんでしょうか」
「ええ、承知しておりますよ。まえきたいことも分かっています。これは御本人の言葉を仰ぐべきでしょう」

 かみはそう言うと、後ろへ振り向いてくだんの人物に呼び掛ける。

「皇太子殿下、今夜さそいの女性はいかなさいますか?」
「ふむ……」

 第一皇子・かみえいがその場で答える。

「明日帰国となれば、その前に改めて話さねばなるまい。父上を含め、皇族総出のばんさんかいに招いて紹介したいと考えている」
「だ、そうです。ですので、彼女に関してはその席で帰国するか、こうこくとどまるか決めることになるでしょう」

 わたるの心をせきばくの闇が包み込んでいく。
 家族に紹介する、ということは、たった一回の食事でもうそこまで関係が進展しているのか。
 れきと化したきのえ邸本館の有様は、まさに荒廃したわたるの心象風景そのものだった。

「ん? なんだ? おれに何ぞ用か?」
「あ、いえ……」

 わたるは不意に、かみと眼が合ってしまった。
 しんりゅうりょくの澄んだそうぼうわたるの弱った心をすがすがしく突き刺す。
 どこまでも純粋な、敗北や挫折を知らぬ真の強者の眼だった。
 そんな視線にわたるたまらず目を背けた。

 かみげんそうに首をかしげた。
 わたるの胸中など、まるで想像が及ばないのだろう。
 うることを巡って争っている――わたるがその相手だとは夢にも思っていまい。
 更に、姉のかみわたるに追い打ちを掛ける。

さきもりまえうることの将来をどうこう言えるような関係なのですか?」

 言われてしまった。
 わたることは、別に将来を約束し合った仲でも恋人同士でもない。
 単なる幼馴染である。
 ただ、誰よりも付き合いが長く、誰よりも最初にかたおもいしただけである。

 もつとも、かみの言葉は別に責める様な調子ではなかった。
 ただ確認しようとしただけだろう。
 しかし、その事実を確かめるという行為そのものがわたるを強くたしなめる。
 ことに誰が言い寄ろうと、ことが誰を選ぼうと、積極的に関係を結ばなかったわたるはそれをとがめる立場にないのだ。

「いいえ」

 わたるはそう答えるしか無かった。
 それはためい続けたわたるの臆病さに対する、容赦の無い審判であった。
 思えばこうこくで再会して少なくとも三度の機会があったにもかかわらず、わたるはその全てを逸した。

 ことが遠くへ行こうとしている。
 つい先程まではすぐ近くに居たのに、手の届かない深窓の存在になろうとしている。
 日をまたぎ、不可能という名の至上のたんを獲得しようとしている。

「ふふ……」

 そんな中、質問したかみは小さく笑った。
 瞬間、わたるの背筋に再びすさまじいおじが襲ってきた。

「そうですか。わいそうに。しかしそれならば、一緒に居る手段が無くもないですよ」

 かみの手が、抱えられているわたるの肩をつかんだ。
 まるで妹・たつかみからわたるを奪い取ろうとしているかの様だ。

「姉様! おやめください!」

 たつかみは姉を止めようとする。
 しかし、かみに意に介する様子は無い。

嗚呼ああ、嗚呼。もう堪りませんね。そんなにうるわしいかおで、そんなにあわれな様子を見せられると、わたくしはどうにもそそられてしまいます。ねえ、やはりこの男、わたくしのものにしてしまいたいわ。彼のこと、もらっていきますね」
「なっ!? 姉様! そんな、話が違う!」

 たつかみは姉にあらがおうと背を向け、わたるを守ろうとしたようだが、その瞬間に彼女はわたるから手を放し、気を失ってその場に崩れ落ちてしまった。
 横抱きにされていたわたるの体はそのままの姿勢で宙に浮き、今度はかみの腕の中へと抱え込まれた。

けんまえが送り届けなさい」
「……はい」

 細身の青年――第三皇子・みずちかみけんが姉・たつかみの体を抱き上げた。

「相変わらず勝手なひとだ……」

 みずちかみかみに聞かれないように小さく呟いていた。
 かみは意に介さず、わたるを抱えて上機嫌である。

「さあさきもり。あいや、名前で呼んであげた方が良いかしら。わたるわたくしの邸宅にれしましょう。わたくしからの施し、まえならきつよく似合うと思いますよ」

 一人で話を進めるかみに、わたるは付いて行けない。

「あの、ものすごく嫌な予感がするんですが、『似合う』って一体何のことをおつしやっているのですか?」
「それは着いてからのお楽しみです」

 わたるかみの言葉に不安しか感じなかった。
 そんな中、第二皇女・たつかみが気を失ったことで、この場の空気は急速に終演の香りを漂わせてきていた。
 まっさきにそんな気配に動かされたのは、第一皇子・かみえいだった。
 彼は面倒臭そうに溜息を吐いた。

「姉上、もうお開きで良いだろう。おれは父上に晩餐会と婚約の勅許を願わねばならんからな、いとまさせてもらうぞ」
「ああ、そうですね。お休みなさい、皇太子殿下」
「うむ、お休み」

 かみは挨拶を返すと、その場からこつぜんと姿を消した。
 一方で、今度は第二皇子・しやちかみが動く。
 二人は色々と話し込んでおり、わたるの方へは眼を向けていない。
 彼はに言った。

はた、早速仕事だ。二人でわたしの邸宅に戻る車を手配しろ。運転手の番号を伝える」
かしこまりました、しやちかみ殿下」

 は新たな主の命ずるままに番号を獲得し、そのまま電話を掛けた。
 更に、末娘の第三皇女・こまかみらんも動いた。
 彼女はこの場でほとんど何もせず、退屈だったのかおおくびをした。

「んー、ししにいさまも帰っちゃったし、わたしさまも明日の学校に備えてねむねむしちゃいますねー」
「そうですか。お休みなさい、らん
「お休みなさーい」

 こまかみもこの場から姿を消した。
 次に、第三皇子・みずちかみけんが姉のたつかみを抱えてかみに声を掛ける。

きりんねえさまぼくたつねえさまを送り届けて帰ります。お休みなさい」
「お休みなさい、けん

 みずちかみたつかみもこの場から姿を消した。
 そして、しやちかみを伴ってかみに声を掛ける。

「姉様、今し方、はたが車の手配を終えました。運転手によると、正門に車を寄せるそうなので、そこで待ちます。お休みなさい」
「そうですか」
かみ殿下、色々とづかいありがとうございます。それから、さきもり様……」

 は一度かみに頭を下げ、そして顔を上げるとわたるの方に視線を遣った。

さきもり様、どういった状況ですか?」
「これからわたくしの邸宅に招待するのです」

 わたるの反応を待たず、かみが即答した。

「まあ、それはそれは……」

 は一瞬だけ眉を顰め、わたるに冷ややかな視線を送った。
 こころしか、怒っている様に見える。

さきもり様、貴方あなたには心に決めた御方がいらっしゃるのでは?」
「いや、それは……その……」
うることのことでしたら、恋人でも何でもないそうですよ」
「そうですか、そうなのですね……」

 は頭を抱えて首を振り、聞こえない程度の小声で何やらブツブツと呟いている。

 彼女にとって、かみから説明された今の状況を見ると、心中穏やかではあるまい。
 わたるへの想いを秘めながら身を引いた理由は、彼がこうこくに連れ去られたという経緯いきさつも勿論あるが、それに加えて心に決めた相手の存在も大きかった。
 しかしその相手が恋人でも何でもないという上に、他の女――それもこうこくの貴人の誘いを受けているというのだ。

 は心を落ち着かせる様に深呼吸すると、明らかに取り繕った笑顔を航に向けた。

さきもり様、貴方あなたと再び巡り会えて、わたくしは幸せでした。どうかたつしやで。わたくし貴方あなたの行く末に幸多からんことを、心より願っておりますわ」
「あ、はい。さんもお元気で……」

 わたるは少しの雰囲気にされながら挨拶を返した。
 そんな二人の険悪な雰囲気を気にも留めず、かみは早辺子に念を押す。

はたく仕えるのですよ」
「はい。では、お休みなさいませ、かみ殿下。さきもり様、失礼いたします」
「お休みなさい、はた

 しやちかみは、正門の方へと歩いて行った。
 これで、残されたのは亀甲縛りにされたわたると、彼の体を横抱きにする第一皇女・かみせいだけである。

わたるわたくし達も帰りましょうか」
「いやいや、なんだか当然の様に一つ屋根の下へ連れ込まれる流れになってますけど、何なんですかこれ?」

 納得の行かないわたるだったが、彼の意思は一切尊重されなかった。
 二人は同時にその場から忽然と姿を消し、きのえ公爵邸にはむなしい残骸と死骸が打ち捨てられるのみとなった。
 舞台の幕切れは実に奇妙なものになった。
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