日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第四十四話『愛と哀しみの夜想曲』 序

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 翌日、さきもりわたるは個室で目を覚ました。
 気が付くと傍らにはうることたつかみ、そしてかいいんありきよが控えており、聞けばずっとうなされていたという。

さきもり君、誠に申し訳なかった」

 たつかみわたるに頭を下げた。

ひどい目に遭わせてしまった。姉を止められなかったこと、ざんに堪えない」
「いえ、元はといえば自分のいた種ですから……」
「それでも、きみがあんな目に遭ういわれなんて何も無いんだよ」

 わたるの手を握るたつかみの仕草を横目に見たことが眉をしかめた。
 どうもことは、わたるたつかみの距離が縮まるのを快く思っていないらしい。
 一方で、わたるたつかみをまじまじと見詰め、あることを確かめようとしていた。

(うーん、やっぱり何かが違う。あのひとのようなおぞましい気配は感じない……)

 わたるは視線を下へと移していく。
 たつかみげんそうに首をかしげた。

何処どこを見ているんだい?」
「あ、いや……!」

 たつかみとがめられてわたるは焦った。
 昨晩、信じられないモノを備えた女に襲われたわたるは、ふとその妹であるたつかみも同じなのかと気になってしまったのだ。
 かげで、相当にしつけな視線をたつかみに送ってしまった。

わたる……。昔、言ったことがあるわよね? 自分の行いを省みなさいって……」

 ことわたるを批難した。
 二人の冷たい視線がわたるに突き刺さる。
 いな、もう一人分、かなり毛色の違う眼がわたるにらんでいた。

御士人ムッシュー、後でお話が御座います」

 たつかみの侍従・かいいんありきよたつかみの背後からわたるに怒りの眼を向けていた。
 指の関節を鳴らし、主への無礼を腹に据えかねている、といった様相だ。

「ごめんなさい……」

 謝ってももう遅かった。
 わたるはこの後、かいいんにたっぷりと説教をらった。
 ついでに、皇族で両性具有アンドロギュノスかみせいだけだとも教わった。

    ⦿

 午後にはたつかみていで昼食会が開かれた。
 客人としてわたる達の他に、彼らのく知る一人の女が招かれていた。

「皆様、お久し振りです。おうぎ改め、はたで御座います」

 待合室でわたる達に頭を下げたのは、こうてんかんわたる達の世話をし、脱出の手引きをした恩人・はただ。
 わたる以外の拉致被害者達は、こうてんかんでの印象と全く異なる朗らかな笑顔に少し面食らっていた。

さきもり様……」

 わたると眼が合った。
 昨晩のは心做しか、少しわたるに対して怒っている様に見えた。

「あの、さん……?」
「なんでしょう、さきもり様」
ぼく、何かしました?」
「いいえ、特には……。寧ろわたくしの方から貴方あなたには謝らなければなりませんね」

 わたるに頭を下げた。

「昨晩のこと、たつかみ殿下から遠回しにお伺いしました。てっきりかみ殿下に心移りなさったとばかり思い込み、いささか失礼な態度を取ってしまいましたね」
「は、はぁ……」

 気の抜けた返事が漏れたわたるだが、なんとなくが怒っていた理由を察した。
 心に決めた相手が居るからと自分のおもいに応えなかった男が、他の女に心移りしたと思えば、それは当然の感情だ。

「心移り?」

 一方、ことわたるを横目で睨んだ。

「何のことだかわからないけれど、まさかわたるごうとくの目に遭っただけ、わたし貴方あなたを助けたのは骨折り損の草臥れ儲け、なんてことはないわよね?」
「無い無い、無いって!」

 必死に否定するわたるだが、実のところかみに全くかれなかった訳ではない。
 好意をほのめかされたことも、想いを打ち明けられたことも、言い寄られたこともあるわたるだが、かみせいはそれ以上に、強引に我が物にしようという態度だった。
 思えばかみは、わたるが出会った中で最も支配的な女だった。

さきもり様は罪なかたですね」
「そうですか?」
わたくしが言うのですから間違いありません。皇族方を二人も惑わすだなんて……」
「惑わす、かあ……」

 わたるは溜息を吐いた。
 しかし、ふと一つ気になったことがある。
 小声で、周囲に聞こえない様にに尋ねる。

「ところでさん、昨夜のこと、どこまで聞いてるんですか?」
「どこまで? かみ殿下に半ば強引に邸宅へ連れ込まれ、とらわれの身となってしまったのでしょう?」
「あ、はい……」

 どうやら詳しいことはかなりかされているようだ。
 あまり人に知られたくないことなので、わたるにとっては寧ろ幸いだった。

「ところでさきもり様、たつかみ殿下からはまたこうこくへ遊びに来るようさそいを受けているとか」
「ああ、そんなことも言われましたね」
「成程、ようで御座いますか……」

 は含み笑いを浮かべると、わたるに顔を近付けて小声で伝える。

さきもり様、ではわたくし貴方あなたのことを変わらぬ心でお待ち申し上げておりますよ」

 いつになく積極的なアピールを見せたの言葉に、わたるは思わずたじろいだ。
 わたるにとっては好意を明確にされている唯一の女である。
 一度は身を引いたが、自分も再び参戦するという大胆な宣言を受けてしまっては、わたるも意識せずにはいられない。

 一方、の目はことの方を向いた。
 思い人が心に決めたと言っていた相手を、何か思うところありげにじっと見ている。

うる様、本日のばんさんかいのお話、お耳に入ってはおりますでしょうか」
「ええ……」

 の質問に、ことはややうつむき気味に答えた。
 彼女は既に、かいいんから皇族に招かれているという旨を伝えられている。
 つまりそこで、第一皇子・かみえいからの求婚に答えなければならない。

ねんためにお伺いしておきますが、貴女あなたを引き留める殿方はいらっしゃいますか?」

 は言葉以上にその両眼でことただしていた。
 ことの方はわたるをどう思っているのか、彼の思いをどうするつもりなのかと、言外に問い詰めていた。

「食事のしょうたいなら、既に一度謹んで拝受しております。その時と何も変わりません」
「然様で御座いますか……」

 ことは眉根を寄せたままわたるを横目で見た。

こと……)

 その視線に、わたるは有無を言わさぬ冷たい圧を感じた。
 頼むから余計なことをするなと無言のうちに突き放す様な、そんな眼だった。

 わたるは予感した。
 仮令たとえ何を言っても、ことわたるの制止を振り切って晩餐会へ行ってしまうだろう。
 あの男――第一皇子・かみえいもとへ……。

嗚呼ああ、やっぱりもう駄目なんだな……)

 わたるもまたただ俯く他無かった。
 出会って十五年、長い初恋が黄昏たそがれの時を迎えている。
 それはこうこくへ拉致される前よりも、更に時計の針を進めていた。
 再会してから距離が縮まったのは、散り際に瞬いた線香花火の輝きだったのだろうか。

 一方で、もまたわたるの心境を察したのか目を伏せている。
 自らの恋が報われないと解ってしまったその気持ちが、彼女には痛い程解るのだろう。
 はなるべく感情を抑えた調子でことに告げる。

「では、昼食会が済みましたらわたくしが皇宮へと御案内いたします」
「ええ……宜しく御願いします……」

 その後、はたを迎えた昼食会はあいあいと催された。
 ただわたることは、その時間を明るい顔で過ごすことは無かった。



    ⦿⦿⦿



 とうきようのとある高層集合住宅タワーマンションの一室に、数人の男女が集まっていた。
 その一人、黒い祭服を着た筋肉質な初老の男がソファに腰掛けている。

しゆりようДデー、本当にあの男が我々を呼び出したのですか?」

 ソファの男・しゆりようДデーことどうじようふとしに問い掛けた、彼と同年代の男はなわげん
 そうせんたいおおかみきばの最高幹部「はつしゆう」の一人で、実質的にしゆりようДデーの次席にすわる参謀役である。
 彼の能力は、対象となった任意の相手を何の変哲も無い一般人として認識させるという、組織の構成員におんみつ行動を取らせる上で非常に都合の良いものだ。

「ああ。残りのはつしゆう全員でこの部屋に来るよう言われた。このわがはいを差し置いてはつしゆうに命令するとはな……」

 しゆりようДデーの言葉通り、この場には存命のはつしゆう――はなたまいつきそろっている。
 はなは窓辺の壁にもたかり、はフリルの付いたスカートをつかんで恥じらう様な表情を浮かべて震えている。
 更にはつしゆう以外にも、しゆりようДデーの子女である椿つばきようどうじようかげの姿もある。

わたりはまだですか?」

 はないらち交じりに尋ねた。

「あの男の死亡報告は無いですわよね? それに、しゆりようДデーからまだ降格の事例も出ていないはずですわ。この現状、あの男には説明責任がある」
「確かに新入りの脱走以後、組織は酷い状態にありますね」

 なわは溜息を吐いた。

ちょうきゅうどうしんたいを二機とも喪失、とうえいがんの生産設備も喪失、くも研究所は壊滅し、双子も逐電……。この有様では、再建にどれだけ掛かることやら。最悪、我々の世代での革命は諦めなくてはならない」

 昼間だというのに、彼らの居る空間を暗く重苦しい空気が包み込んだ。
 しかしそんな彼らに、この場に居ない筈の男の声が語り掛ける。

『そうとも限らないよ、なわ

 声は天井から聞こえた。
 しかし、彼らが見上げてもその場には誰も居ない。

「集まっているね、はつしゆうの諸君。わたりはまだだが、まあ良いだろう」

 今度は食卓の椅子から同じ声がした。
 その場には先程まで居なかった男――首領補佐・おとせいがいつの間にか腰掛けていた。

おと首領補佐、何の呼び出しですか?」

 なわおとに尋ねた。
 彼としゆりようДデー以外の者達は、一様に不信感に満ちた視線をおとに送っている。
 そんな針のむしろの様な状態を気にもとどめずに、おとは語り始めた。

「要件は今まさに言った通りさ。『我々の世代での革命は諦めなくてはならない』とは限らない……。まさにそのために、きみ達にはとうきようで待機しておいて欲しいのさ」
「どういうことだね?」

 今度はしゆりようДデーおとに真意を問うた。
 しかしそのこわいろは、先程までの雰囲気と違って何かの期待が多分に含まれている。

「今日、きみ達が拉致しためいひのもとの民が帰国する予定なのだが、その前にのうじょうづき首相と面会する」
「忌々しい……」

 はななおも悪態を吐く。

「じゃあお嬢ちゃんと坊やにとっては、今日が任務を果たす最後のチャンスじゃないか。のうじょうごとるか?」
「いいや、その必要は無いよ、はな

 おとは邪悪な笑みを浮かべた。

「その面会で面白いことが起こる。こうこくの情勢は一気に動き、時代がく流れればそのまま革命にとって絶好の状況が生じるだろう」
「ほう……!」

 しゆりようДデーは両眼を輝かせた。

「一体何が起きるというのかね?」
「それはお楽しみだ。しかし、きみ達にはその時に備えておいて欲しい」

 おとは窓際に寄り、外の街並を見詰める。

「この愚かないぬの民族に裁きの時が来ようとしている……」

 何やら帰国を間近に控えたわたる達に、恐ろしい陰謀が迫っているらしい。
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