日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第四十五話『救援辞退』 破

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 けんしんの両親はかなり確固としたリベラルの人間達だった。
 育児や教育には熱心で、親の責任を立派に果たそうとしていたが、過干渉なのがたまきずであった。
 その点、さきもりわたるうることの場合とは逆であったと言えるかも知れない。

 の両親は事あるごとに自分達の考えや教育方針を息子に押し付け続けた。
 思春期までの彼自身はその期待にく応え、正義感の強い真面目な青年に育っていった。
 しかしその心の奥底には人並みのもろさ・弱さ・汚さや、怠惰・エゴがいきいていた。
 ただ、それを身内になかなか見せられなかったのだ。

 そんなけんしんに影響を与えた人物が二人居る。
 一人は、兄である彼の父と不仲だった叔父である。
 不仲の理由には兄弟間の思想の相違があった。

 叔父と交流を持つようになったのは高校生の頃だった。
 その頃から、けんしんの思想は少しずつ培われた。

 そしてもう一人、影響を与えたのは中学時代に出会った一人の少女である。
 その少女の、りん大和やまとなでし然としたちに理由も無くかれた。
 残念ながら少女には既に気心知れる相手が居たが、それでも彼の中には淡い思いがくすぶり続けた。
 彼が祖国を愛したのは、そんな彼女の面影を無意識に重ねていたからかも知れない。

 けんしんは元来真面目な青年である。
 彼は叔父やその仲間達に強く影響を受け、心の底から共感していった。

 けんしんは正義感の強い青年である。
 彼はかつて亡き友のためにそうした様に、叔父達の力になりたいと切に願った。

 けんしんはそれなりにそうめいな青年である。
 彼は叔父から様々なことを学び、素直に吸収していった。

 しかしけんしんが己の中に確固たる芯を形成するには、あまりにも未熟で時間が足りなかった。
 けんしんは初恋をる普通の弱い青年に過ぎなかった。



    ⦿⦿⦿



 夜の暗闇の中、波の打ち付ける音が脇から繰り返し聞こえる。
 人生の岐路に立たされ、心が強いうれいに支配される中で海を見続けるのは毒だ。
 けんしんは独り、ポケットの中を探って重量のある小瓶の感触を確かめる。
 それはへ来る前、秘書を通してのうじようづきから渡されたものだ。

 震える手でその小瓶を取り出し、ふたを開ける。
 思う様に手が動かずとも、今の彼には封を切ることなどやすかった。
 そんな中、彼は自身が道を誤って袋小路に追い詰められてしまったのだと悟った。

 どうが激しくなる。
 汗がなくあふれてくる。
 目に汁が入り、滲んで見えなくなる前に、彼は小瓶の中身を手の中に握り締めた。
 胸の奥に去来する手遅れ染みた考えをにぎつぶす様に……。

(もう、どうにもならない……)

 愚かな男に、はや選択肢など残されてはいなかった。
 過ぎた時は戻らず、人生に引き返す道など無いのに、彼は明らかな行き止まりを選んでしまった。

 ふと、顔を上げて陸の方へと目を遣った。
 自分達の為に用意された飛行機が、随分と、いくら手を伸ばそうと届かずどれだけ歩き続けようと辿たどけない程はるか遠くに見える。
 全身が湿った。

嗚呼ああおれはこの国で死ぬしか無いんだ……)

 自分で選んだはずなのに、もう日本国に居場所が無いと思うと笑える程に悲しい。
 致命的に人生を脱線してしまった彼は込み上げて来る感情を抑えられなかった。

 彼はついに、泣きながら笑い出した。
 その時、一人の青年が彼に駆け寄ってきた。

!」

 呼び掛けに振り向いたが目にしたのは、つい今し方裏切ってしまった友・さきもりわたるだった。
 わたるを見るのがたまらなく辛かった。

「来るな!」

 は拒絶の言葉を叫ばずにはいられなかった。
 自分の愚かさを悔い、消えてしまいときに突き付けられる他者とのつながり程、胸を締め付け心をさいなむものは無い。
 わたるはそんな彼に、普段と変わらぬ様子で手を差し伸べてくる。

、大丈夫だ。一緒に日本へ帰ろう」
「帰れる訳が無いだろう! おれは日本を売ってこうこくはしった筋金入りの売国奴なんだぞ! ただ帰化しようって訳じゃない! 敵国と手を組んで自国を攻めさせた人間なんて、手を組んだ敵国からも軽蔑される! おれにはもう何処どこにも居場所なんて無いのだよ!」

 一歩、わたるとの距離を縮めてくる。
 一歩、わたると距離を離れる。
 ほんのわずかでも近寄られたくない。
 張り裂けそうな拒絶感が反磁性を生んでいた。

「あんなの信じるかよ。こうこく臣民になりたいと思ったのは確かかも知れないけれど、日本を攻撃させる必然性は無い。それに、日本をて切れなかったから逃げたんだろ? あんな出来できの悪いねつぞう、信じる方がどうかしているよ。みんなわかっているさ」

 わたるは再び手を差し伸べてきた。
 だが、にはとても取れない。

「駄目なのだよ。その出来の悪い捏造を疑いもしない人間はお前が思っている以上に多い。そしてそれは時と共に一人歩きし、悪意を持って広められ、気が付いた時には誰にも覆せなくなっている……」
すがにそんなことは無いだろう」
「無くないさ。おれには分かるのだよ」

 の絶望はわたるには想像も出来まい。
 だから、わたるに歩み寄ることが出来るのだ。
 手を取ることが出来るのだ。
 つかまれた手のぬくもりを火傷やけどする程に痛く感じた。

「放してくれよ」
ぼくは絶対にお前をてたりなんかしない。居場所ならぼくが取り戻してやる。死ぬしか無い未来なんて、ぼくが覆してやる」
「無理なことを簡単に言うなよ!」

 わたるの手をほどいた。
 この期に及んでは友の厚意などむなしいだけだ。



 そんなに向けられたわたるの眼には、責める様な色は微塵も見られない。
 その澄んだ瞳は、戻れない日常への憧憬を再び呼び起こしてしまう。

ぼくは諦めが悪いんだってこと、この一箇月で思い知っただろう?」
「やめてくれよ!」
「お前の言う様にいばらの道でも、ぼくは傷付きながら進み続ける。不可能に思える程に困難な道でも、残りの人生全て懸けてでもやり通してみせる。絶対にお前を助けるから」
「やめてくれよ!!」

 は耐えられなかった。
 こんな愚かな人間の為に、一人の友が人生を犠牲にするなど耐えられる筈が無い。
 は独りになりたかった。
 だが、どうやらわたるは許してくれそうにない。

「そんなことやめてくれよ……」

 の目から涙がこぼれた。

「お前ならやりかねないと思うと、自分の愚行を悔やんでも悔やみ切れなくなる。頭が割れそうになる。なんでお前がこんなの為にそんなことをしなければならないんだ。なんでこんな莫迦がお前にそんなことをさせられるんだ」

 悲痛な思いで言葉を絞り出したに、わたるなおほほみかけている。
 そしてそのまま、わたるは平然と答えた。

「友達だろ」

 何も不思議なことは無い、とわたるは言っていた。
 はその言葉に、全身から悪いしびれが抜けていく様な感覚に包まれた。

(嗚呼、そうか。それで良いのか……)

 短い言葉の意味がには実に豊潤に感じられた。
 一人の愚か者を、人生を懸けて救おうとする理由がそれか。
 まつぐに、どんな受難が降り掛かろうとも、えんざいを晴らす為に己の全てをささげる。
 それに足る理由は、こんなにも単純なものなのか。

 ただ、友達だから。
 それだけで、たったそれだけでこの莫迦な男のことを信じて良いというのか。

(そうか……。人間、それで良いのか……)

 の心に光が差し込んだ。
 頭上を流星群が駆け抜けた様に思えた。

さきもりすごい奴なのだよお前は……」

 不思議な程にの頭は晴れていた。
 あんうつとした雲がうその様に消え去り、果てしなく澄み渡っていた。
 たった一言では人生の全てが救われた気がした。

「ありがとう。おれ、お前が居てくれて良かったのだよ……」
「ああ、帰ろう」

 わたるは安心した様に笑い、改めて手を差し伸べてきた。
 しかしは依然としてその手を取らない。

「だけど、やっぱりお前にそんなことはさせられないのだよ。どれだけ不毛なことか知っているからな。そんなことより、お前はうるのことを幸せにしてやってくれ」

 わたるは不穏な困惑に戸惑いを見せている。
 だがつきものが落ちたに迷いは無かった。

?」

 わたるを突き飛ばした。
 距離を取る必要があった。

!?」

 わたるは尻餅をいた。
 これならば止められまい。
 かさず手に握っていた二粒の錠剤を、とうえいがんを口の中に放り込んだ。

 手から地面に落ちた小瓶から少し中身が零れる。
 その中身を見てわたるあおめた。

せ! 、やめろ!!」

 はそれが服毒自殺を意味すると知っていた。
 目の前でいちどうすえ麿まろの自害を見ていたから。
 わたるはそれが服毒自殺を意味すると知っていた。
 目の前できのえくろの自害を見ていたから。

 だがもう遅かった。
 は二粒のとうえいがんんだ。
 それらは胃の中に沈み、吸収されて一気に全身へと駆け巡る。
 巨大化したしんが暴れ、弾ける様に全身から鮮血を噴き出させる。

 赤く、あかく染まる死……。

 僅かに残された意識と時間で、さいの言葉を声にならない声に乗せた。
 仮令たとえ伝わらずとも、改めてこれだけは言っておきたかった。

「ありが……と……」

 の体は動かなくなった。
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