日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第四十八話『夢から醒めた血塗れの天使』 序

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 るされたあかい月、熟れた果実は地に落ちる。
 にじられて悲痛に叫び、靴裏を鮮血に染める。

 たとえるなら、彼の恋はわくおどり
 月明かりの下、軽やかに舞う姿に青年はずっと魅せられていた。

 だが、その足腰を支える背景に積み重ねられたあまを彼は知らなかった。
 そしてその一投足が地を踏み締める度、まわむし達がつぶされる断末魔で描かれた地獄絵図も見えていなかった。

 今、彼はその報いを受ける。
 きつそれは残酷な仕打ちだろう。
 屹度それは甘美な一時だろう。
 その時、彼女は天使の様に笑っているだろうから。



    ⦿⦿⦿



 さきもりわたるうることの立つ滑走路は月明かりの舞台と化していた。
 不穏な熱と風が二人を包み込み逆巻いている。
 突如ことから告げられた言葉をわたるのみめないでいた。

「何を……言っているんだ?」

 わたるは困惑から同じ言葉を繰り返す。
 こともまた、いらち交じりに同じ言葉を返す。

貴方あなたとはもうでお別れだと言っているのよ。今まで楽しかったわ」

 わたるはしつこく問い返した。
 ことの言葉が冗談か何かの間違いだと思いたかったのかも知れない。
 だが返ってきた言葉はしつように変わらない。
 わたるには理解が出来なかった。

「お別れって何だよ……? 突然何を言い出すのか全然わからないよ! こうこく皇太子とは結婚しないんだろ? だったらどうしてこうこくに残るなんてことになるんだ!」

 つい先程までわたることと帰れるのだとかであんしていた。
 散々な目に遭い、最悪の悲劇に見舞われた中で、それだけは救いだった。
 だが今、それすらも否定されようとしている。
 到底納得出来るはずが無かった。

 そんなわたるに対し、ことなく答える。

「使命を果たすためよ。しかるべき時が来てしまったが故に」
「使命だって?」

 ことは深く溜息を吐いた。
 ひどく煩わしそうに、乱暴に息を吐き捨てた。

わたしには……うる家にはじいさまの代よりの宿命があるの。偽りのみかどべるこうこくから日本を守る使命が。わたしはその為に生まれ、二十二年間生きたと言っても過言ではないわ」

 ことの表情に暗い陰影が差した。
 それはさながら、闇の住人を思わせる様相だった。
 否、そんな筈は無い。
 わたるはずっとことと縁を持ち、小中高大と一緒に成長してきたのだ。

ことが……? そんな訳無いだろう。何年一緒だったと思ってるんだ?」
しても無駄よ。わたるだって気付いていたでしょう。うる家が普通じゃないってことに。この世界にあらわれた日からほのめかしてきたでしょう。わたしこうこくに、最初からつながりがあったことを……」

 ことに言われるがまま、わたるは思い返す。
 確かに得体の知れない違和感はあった。
 中学時代、ことの家で異様な写真を見たこと、葬式の日に出会った彼女の祖父が奇妙で嫌なをしていたこと。
 高校時代に起きた「じんかいかいてん」のテロやその大元の組織「じんかい本流」と彼女との関わりが仄めかされていたこと、そして拉致事件からわたる達を助けにこうこくへ乗り込んできた際、随分としんこうこくの事情に詳しいことも判明した。

「そう、わたしは最初から知っていた。いずれこの世界にしんせいだいにっぽんこうこくと呼ばれる超大国が顕現し、日本に戦争を仕掛けてくることを知っていたの」
「戦争を……日本に……」
「今日の出来事をきっかけに、もうこうこくが仕掛けてくるのは時間の問題となったと見て良いわ。そうなった時、わたしには速やかにやらなければならないことがあるのよ」

 ことの眼から光がせた。

わたしの使命、それはこうこくが日本に戦争を仕掛けてくる状況になったとき、敵の国力の要たる国家元首『じんのう』を暗殺すること。こうこくの力は大部分をじんのうの強大なしんに依存している。つまりじんのうが潰れれば、こうこくは日本と戦争をしている場合ではなくなる。そうやって日本をせんと破滅から守る為、うる家は御爺様の時代から力を蓄えてきたのよ」

 それは本来、荒唐無稽な内容だった。
 しかしそれを頭ごなしに否定するには、わたるこうこく顕現の日以来あまりにも多くの事態を経験しすぎた。
 その一つ一つに含まれたピースがことの言葉でジグソーパズルのように組み上がり、一つの像を結ぶ。
 しかし、それはれられない絵だった。

「急に……そんなこと言われても……」
「そ。でもじっくりと時間を掛けて相談していたら、貴方あなたは受け容れてくれたの? 快くわたしを万歳三唱で戦地に送り出してくれたの?」

 無理だろうな――わたるはそう認め、うつむく他無かった。

「確かに、わたしにも良くないところはあったわね。苟且かりそめの人生で築いた人間関係をり過ぎてしまった。特に貴方あなたとの腐れ縁はね」
こと……」
「別れを切り出したらさぞ貴方あなたは未練がましく、うつとうしく泣いてすがるだろうと考えたら、煩わしくて仕方が無かったわ。だからつい、ギリギリまで問題を先送りにしてしまった。本当に、面倒な男と関係を持ったものだわ……」
「そんな……」

 わたるにとって、ショックな言葉だった。
 こととの関係を永遠にしたいと願いながら、一歩を踏み出せなかったわたる
 わたるとの関係を絶ちたいと願いながら、一歩を踏み出さなかったこと
 勝手知ったる仲だと思っていた二人が互いに向けていた感情は、実はあまりにも残酷な対立関係だったのだ。

「案の定、貴方あなたの反応は本当にうざったいわ。この際だから言っておくけれど、自分の残り香を嗅いだり身体をジロジロ見てたりしてくるような男、迷惑じゃないと思う? 今まで我慢してあげたのは、どうせいつかは終わりにするとわかりきっていたからよ。だからこれからは本当に気を付けなさいね。もう優しくゆるしてくれる寛大な幼馴染は居ないのだから」

 わたるは何も言い返せなかった。
 思い返してみれば、ことの態度はずっと素気なかった。
 こうこくで再会する前は、本当に冷淡な態度になっていた。

 ここ数日の良好な関係は何かのまぐれだったのだろうか。
 けんしんの見立ては的外れだったのだろうか。

 そんなわたるの思いをに、ことは続ける。

「ま、それを差し引いて総合しても、居心地の良さはギリギリでプラスだったわね。だから感謝も伝えたし、わたしの使命も説明した。それに、貴方あなたの帰るべき日常はちゃんと守ってあげるわ。だからさっさと飛行機に乗りなさい」
「待てよ!」

 わたるは大声を張り上げた。
 一方的な物言いに、感情をぶつけずにはいられなかった。

じんのうって、皇族の親玉だろ! あんなとんでもないやつらの! いくらきみでも無事に済む相手なのか!」
わたるにしては鋭いわね。その通り、おそらくこれはわたしにとって玉砕前提、文字通り決死の戦いになるわ」
「そんなの認められる訳無いだろ!」

 わたるたまらずことの手首をつかんだ。

きみと離れ離れになるなんて、して死にに行かせるなんて絶対に嫌だ! 一緒に帰ろう! きみが嫌がることはもう二度としないから! だから行かないでくれよ!」
「甘ったれるな。もう貴方あなたとは終わりなのよ」

 ことわたるの手を振り払った。
 泣き出しそうな顔の男と、能面の様な顔の女が向き合っている。
 わたることの、かつて無い程に冷たい表情がショックだった。
 しかし、そんなことよりも永久とわの別れを迎える方が耐えられない。

きみの……すべきことは解った……」
「そ、聞き分けてくれて助かるわ」
「ああ、だったら……」

 わたるかたみ、震えながら声を絞り出した。

「だったらぼくも、こうこくに残る。ぼくきみと一緒に戦う」

 その言葉を発した瞬間、わたるは全身にすさまじいかんが走り抜けるのを感じた。
 ことの表情が一瞬にして悪鬼羅刹の様相を呈したのだ。
 それは初めて会った、あの幼き日のそれを思わせた。
 あまりの変貌、圧力の変化に、周囲の空気が凍り付き、夜の風がどうこくの様に震えだした。

わたる……げんにしろよ、お前。重ねた年月の長さに免じて、最後まで努めておん便びんに接してやっていれば、付け上がりやがって……」

 刹那、ことわたるの足を掛けて転がした。
 月明かりで影を帯びた彼女の表情が針のむしろの様な殺気をまとっている。

こうこくに残る? 一緒に戦う? それで、わたしの足を引っ張るの? 借り物の力に頼ってなお、第三皇女ごときに勝ちきれない様な雑魚ざこが、わずかにでもわたしの役に立てると? 思い上がるのも大概にしろよ」

 わたることを見上げ、その立ち姿に心の底から震え上がった。
 ことは今一度、わたるに勧告を繰り返す。

「もう一度言う。わたしのことは置いて日本に帰れ」
「嫌だ……!」

 それでも、わたるは屈せず即答した。
 どれだけすごまれようが、決して譲る訳には行かなかった。

 一方で、ことの表情は再び能面の様な冷たい無表情に戻っていく。
 夏の夜さえく様な冷気を全身にたたえ、わたるを見下ろしている。

「もう良い……」

 ことわたるの胸倉を掴み、身体を起こした。
 そしてかさず、もう一方の手でわたるの顔面を激しく殴り付けた。
 凄まじい威力にわたるは横転し、後頭部を強打して混凝土コンクリートを跳ねた。
 あまりの衝撃に、わたるは一瞬意識が飛び、気が付けばうつぶせで地面を見ていた。

わいそうに、半端にしんが鍛えられたから気絶出来なかったのね。良いわ、かえって好都合」

 ことは拳を握り、指の関節を鳴らした。
 わたるはその姿を見上げ、心の底からの畏怖を感じていた。

わたる、そこまで言うならチャンスをあげるわ」
「ち、チャンス?」
「今からわたし貴方あなたを痛め付ける。沢山沢山、嫌という程じっくりたっぷりとボコボコにする。貴方あなたに与えるチャンスは二つ。一つは、わたしに一撃でも入れること。貴方あなたごときに攻撃をもらうようではノーチャンスだと認め、失意のもと一緒に日本へ帰ってあげる。もう一つは、耐え抜いてわたしを根負けさせること。その根性があればおとりや肉盾としてくらいは使えるだろうから、のぞみ通り貴方あなたのことも戦いに連れて行ってあげる」

 一陣の冷風が、長い黒髪をなびかせる。
 月明かりが、レオタードに強調されたしなやかな肉体の隆線をいろどる。
 連理の枝は今、腐って落ちようとしていた。
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