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第二章『神皇篇』
第四十八話『夢から醒めた血塗れの天使』 破
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航は血の付いた口を拭いながら立ち上がった。
シャツを破いた上半身の肌に生温い風が吹き付けている。
恐怖があった。
あの魅琴が、自分に暴力を向けると宣言したのだ。
皇國へ来て、勝てる相手ではないと言うことを今までで一番深く理解していた。
(でも魅琴を止めるにはそれしかない……しかし……)
航が思い出すのは、決して幼き日に彼女から受けた暴力の記憶だけではない。
寧ろその後に築いた絆と掛け替えのない思い出の方が輝かしく蘇る。
(一撃でも入れられたら魅琴を取り戻せる。でも、だからって殴るのか? 蹴るのか? 僕が、あの魅琴を……)
自然と、航の眉間と奥歯に力が籠る。
魅琴が突き付けた条件は、航に何重ものジレンマを強いるものだった。
彼女に、何年も想い続けた相手に暴力を振るえる訳がない。
出会ったばかりの、幼く未熟だった頃とは何もかも違うのだ。
かといって、やらなければ死地へ向かうことを許容してしまう。
しかしそれ以前に、魅琴に一撃を入れるという条件自体のハードルが凄まじく高い。
(なるべく魅琴を傷付けず、一撃を入れたも同然の状態に持ち込む……。それくらいしか考え付かない。魅琴だって莫迦じゃない。後を取られて手を掴まれただとか、しがみ付かれただとか、そうなったら最早僕が勝ったようなものだって解る筈だ。やらなきゃ、ここでやらなきゃ駄目なんだ……!)
航は覚悟を決めた。
「思い出すわね、航」
そんな航に対し、魅琴は意外にも朗らかに笑い掛けた。
「私達の出会いもこうだった。鬱陶しく付き纏う貴方、暴力で捻じ伏せた私。あの時の航ったら本当に、惨めで、情けなくて、滑稽だったわ」
「……やっぱりそう見えていたのか。解っちゃいたけど、口に出されるとショックだな」
「あれ以来無闇に暴力を振るうのも躊躇われるようになったから、貴方の醜態なんて思い出す機会もそう無かったもの。自分でも丸くなっていたと思うわ。皇國が顕れないままなら、或いは大人しいままで居られたんでしょうけれど」
魅琴の表情にもまた、航との思い出を懐かしむ感傷が浮かび上がっている様に見えた。
彼女もまた、別れたくて別れる訳ではないのかも知れない。
もしかすると、魅琴自身も止まるだけの言い訳を欲しているのではないか――航の脳裡にふと、そんな都合の良い考えが過った。
それならば、航は魅琴の為に何としても期待に応えなくてはならない。
「なあ、魅琴」
「何?」
「未練があるならやめようとは思わないか?」
「まさか」
一縷の望みを懸けて駄目元で訊いてみた航だったが、魅琴はそれを一笑に付す。
「私は暴力で解決するのは嫌い。でも、必要とあらばやらなければならないということは解っているの。だからこそ、皇國に乗り込んだ訳だしね」
魅琴は軽やかにステップを踏む。
単純な動きながら、その姿は宛ら舞踊の様に美しかった。
そして……。
「それに、抑も……」
突如、魅琴の姿が消えた。
眼にも留まらぬ速さで、刹那のうちに航との間合いを詰めたのだ。
何の反応も出来ない航に、魅琴は左スマッシュ・右アッパー・左ボディブロー・右ストレート――計四発の拳を叩き込んだ。
「ごッッ……はああああッッッ!!」
航は堪らず膝を突いた。
一発一発が信じられない程に重く、まるで耐えられる気がしない。
早くも、こんな暴力と対峙してしまったことを後悔せずにはいられない、勝ち筋を僅かでも考えてしまった自分を呪わずにはいられない、そんな痛烈すぎる連撃だった。
魅琴はそんな航の髪を鷲掴みにした。
無理矢理絶たされた航は、満面の笑みを向けられて震えた。
「私、暴力自体は大好きなの」
「ヒッ……!!」
「覚悟なさい。じっくり丁寧に、壊してあげる」
戦慄を覚えたのも束の間、すぐさま魅琴の追撃が航を襲った。
頬を打った一発目の左フックで航は一瞬意識を失ったが、脳天に叩き込まれた肘打ちで強制的に意識を戻された。
「簡単に寝ちゃうなんて勿体無いわよ。十五年も交流したんだから、どうせなら最後のお別れ、たっぷりと愉しみましょう?」
魅琴の声が弾んでいる。
まるで、幼馴染に対して振るう出会った時以来の暴力を心底愉しんでいるかの様だ。
攻撃は常に偶数発、無理矢理身体を起こし、気絶させられては叩き起こされる。
「ぐああああああッッ!!」
魅琴は航を弄んでいた。
さっさと終わりにしたければそのまま寝かせておけば良いものを、わざわざ叩き起こして暴行を続ける。
航を振り切る、手切れを目的とした行為ではない。
明らかに暴行そのものを愉しんでいる、そんな仕草だった。
踊っている。
蝶の様に軽やかに舞っている。
月明かりに照らされ、全身に艶態の美を存分に湛えて華麗に舞踏を演じている。
叩いている。
蜂の様に激しく刺している。
鮮血に塗れ、全身に暴力の脅威を存分に纏って苛烈に武闘を演じている。
痛い。
傷い。
イタイ……。
航は苛まれていた。
恋い焦がれる心に痛みを刻まれ、重ねた日々を傷物にされ、共に居たいという願いを全否定されていく。
「はぁ……はぁ……」
航はそれでも立ち上がる。
立ち上がってどうにか希望を紡ごうとする。
そんな航に、魅琴の重すぎる拳が突き刺さる、蹴りが浴びせられる。
「うげエッッ!! ぐええっっ!!」
骨が折れ、臓腑が潰れる。
苦痛が歪んだ旋律を体中に響かせる。
恐ろしいことに、航が負った数々の損傷は驚異的な速度で修復されてしまう。
つまり、何度も何度も同じ骨が折られ、同じ臓腑が潰される。
「がふっ……ゴホッ……!」
血を吐く航のぼやけた視界の中、魅琴が幽鬼の様に不気味な笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
そして、繰り返し暴力を振るう。
その拳は、蹴りは、航の意識と恢復力と痛覚を絶妙に操り、可能な限り最大限の苦痛が絶え間なく繰り返される様に弄び続けていた。
航が考える限界すらも超え、航以上に航の肉体の機微を能く解して凄まじい拷問を刻み続けていた。
対する航は既に抵抗する術を失っていた。
どうにも手が出せず、受けることも出来なかった。
想い人を殴る・蹴るなどという行為はやはり出来ないが、それ以前に恐怖とトラウマで真面に身体が動かない。
心に鞭打ち、前へ出ようとしても、魅琴が攻撃の素振りを見せるだけで身体が強張ってしまう。
こんな状態で真面に戦える訳が無い、勝てる訳が無い。
それを自覚したとき、航の心はミシミシと音を立てて罅割れ始めた。
諦め切れないという未練だけが、彼の震える両脚を木偶の様に立たせている、そんな状態だった。
「フフ……」
ふと、航は気付いてしまった。
笑う魅琴の頬が僅かに紅潮し、息が荒くなっている。
魅琴は今、心底愉しんでいるのだ。
航の苦痛に、損傷に、絶望に、心底悦びを感じているのだ。
思い出の中、様々な場面で航に見せた彼女の優しい像が音を立てて崩れていく。
それを悟ってしまったとき、奇妙なことに、航もまた力無く笑ってしまっていた。
「あら航、何その顔?」
魅琴は邪悪で嗜虐的な嬌笑を零し、航を嘲りながら問い掛ける。
「それは媚かしら? 本当、気持ちの悪い男!」
凄惨な暴行は続く。
悍ましい光景であった。
異常な打音と悲鳴、そして哄笑が奏でる歪んだ交響曲が夜空に響き、月が震える。
「愉しいわねえ、航! 今の貴方、どんなに酷く傷付けても、綺麗に治ってくれるんだもの! だからホラ、何度でもその可愛いお顔を台無しにしてあげる! 何回でも眼球を、内臓を、睾丸を潰してあげる! 何本でも肋骨を、鎖骨を、上腕骨を、大腿骨を、脛骨を折ってあげる! そういえばあの時、歯は何本折ったんだっけ? 乳歯で良かったじゃない! 今回は永久歯だけれど、また後で綺麗に治るなんて、本当に運が良いわ! つまり、何回でも生えてきた歯を折ってあげるってことだけどね! 良かったわねえ、航! 今回は、あの時みたいに止めてくれる人は誰も居ないわよ! 航! ねえ航! ほら航! ほぉらもっと! もっと! もっとぉぉっ!! あはっ! あははは! アッハハハハハハ!!」
地獄絵図、阿鼻叫喚、そう形容すれば良いだろうか。
ふと、航は良からぬ事を考える。
今、魅琴は自分を使って心底から愉悦を得ている。
その姿の、なんと扇情的で、美しいことだろうか。
航は今、ある意味で報われているような気がした。
これは寧ろ、極楽浄土か、桃源郷か。
全身を駆け巡る激痛を愛撫と錯覚してしまう様な、全身から噴き出る血潮を射精と倒錯してしまう様な、永続的な絶頂感が航を包み込んでいる。
ある意味で悲願の成就の様な、積年の想いを遂げる目合いの様な、破滅的な悦楽に溺れていく。
激痛が奔る度に脳内麻薬が虹色の火花を散らす。
悪夢であっても夢心地。
そんな陶酔感の中、ボロボロになった航はゆっくりと崩れ落ち、両肘と両膝を突いてがっくりと項垂れた。
「ごひゅ……。ぜえ……、ぜえ……」
攻撃が途切れた。
その束の間が、航の脳を異常な世界から現実へと急激に戻し、普段以上に冷静に覚まし、明瞭に冴えさせる。
「ふん、不甲斐無い……」
魅琴は酷く冷たく、突き放す様に吐き捨てた。
背中越しに、蔑みに満ちた視線を突き刺されているのだと分かる。
「はぁーっ……はぁーっ……」
「ヘタレの航にとってはさぞ辛いでしょうね。延々と頑張らされ続けるのは……」
「うぅ……!」
航は自分の顔から血ばかりでなく涙が零れ落ちるのを感じた。
自分の中で何かが決壊したのだろう。
事此処に至り、航の心は完全に折れていた。
「魅琴……酷いよ……」
「そ」
「なんでこんな……こんなこと……。こんなの嫌だ……あんまりだよ……」
「じゃ、もう終わりにする?」
魅琴の問い掛けが航に重く伸し掛かる。
終わり――既に限界を迎えた航にとって、それは潰れる程の重圧だった。
航は最早自力で起き上がれず、立とうとした瞬間に崩れ落ちて額を地に着けてしまう。
こんな有様では、魅琴を止めることも魅琴に寄り添うことも望めない。
(ここまでか……! ここまでなのか……!!)
航は苦渋の選択を迫られていた。
自分でその選択をさせられる――そう思っていた。
だが、魅琴は航の想像を遥かに超えて残酷な女だった。
彼女の手は再び航の髪を鷲掴みにし、彼を無理矢理立たせる。
航は目を皿の様に見開いた。
その瞳に、魅琴の信じ難いほどに悍ましくも美しい微笑みが映された。
「終わりに……させてもらえると思った?」
航は身震いを禁じ得なかった。
シャツを破いた上半身の肌に生温い風が吹き付けている。
恐怖があった。
あの魅琴が、自分に暴力を向けると宣言したのだ。
皇國へ来て、勝てる相手ではないと言うことを今までで一番深く理解していた。
(でも魅琴を止めるにはそれしかない……しかし……)
航が思い出すのは、決して幼き日に彼女から受けた暴力の記憶だけではない。
寧ろその後に築いた絆と掛け替えのない思い出の方が輝かしく蘇る。
(一撃でも入れられたら魅琴を取り戻せる。でも、だからって殴るのか? 蹴るのか? 僕が、あの魅琴を……)
自然と、航の眉間と奥歯に力が籠る。
魅琴が突き付けた条件は、航に何重ものジレンマを強いるものだった。
彼女に、何年も想い続けた相手に暴力を振るえる訳がない。
出会ったばかりの、幼く未熟だった頃とは何もかも違うのだ。
かといって、やらなければ死地へ向かうことを許容してしまう。
しかしそれ以前に、魅琴に一撃を入れるという条件自体のハードルが凄まじく高い。
(なるべく魅琴を傷付けず、一撃を入れたも同然の状態に持ち込む……。それくらいしか考え付かない。魅琴だって莫迦じゃない。後を取られて手を掴まれただとか、しがみ付かれただとか、そうなったら最早僕が勝ったようなものだって解る筈だ。やらなきゃ、ここでやらなきゃ駄目なんだ……!)
航は覚悟を決めた。
「思い出すわね、航」
そんな航に対し、魅琴は意外にも朗らかに笑い掛けた。
「私達の出会いもこうだった。鬱陶しく付き纏う貴方、暴力で捻じ伏せた私。あの時の航ったら本当に、惨めで、情けなくて、滑稽だったわ」
「……やっぱりそう見えていたのか。解っちゃいたけど、口に出されるとショックだな」
「あれ以来無闇に暴力を振るうのも躊躇われるようになったから、貴方の醜態なんて思い出す機会もそう無かったもの。自分でも丸くなっていたと思うわ。皇國が顕れないままなら、或いは大人しいままで居られたんでしょうけれど」
魅琴の表情にもまた、航との思い出を懐かしむ感傷が浮かび上がっている様に見えた。
彼女もまた、別れたくて別れる訳ではないのかも知れない。
もしかすると、魅琴自身も止まるだけの言い訳を欲しているのではないか――航の脳裡にふと、そんな都合の良い考えが過った。
それならば、航は魅琴の為に何としても期待に応えなくてはならない。
「なあ、魅琴」
「何?」
「未練があるならやめようとは思わないか?」
「まさか」
一縷の望みを懸けて駄目元で訊いてみた航だったが、魅琴はそれを一笑に付す。
「私は暴力で解決するのは嫌い。でも、必要とあらばやらなければならないということは解っているの。だからこそ、皇國に乗り込んだ訳だしね」
魅琴は軽やかにステップを踏む。
単純な動きながら、その姿は宛ら舞踊の様に美しかった。
そして……。
「それに、抑も……」
突如、魅琴の姿が消えた。
眼にも留まらぬ速さで、刹那のうちに航との間合いを詰めたのだ。
何の反応も出来ない航に、魅琴は左スマッシュ・右アッパー・左ボディブロー・右ストレート――計四発の拳を叩き込んだ。
「ごッッ……はああああッッッ!!」
航は堪らず膝を突いた。
一発一発が信じられない程に重く、まるで耐えられる気がしない。
早くも、こんな暴力と対峙してしまったことを後悔せずにはいられない、勝ち筋を僅かでも考えてしまった自分を呪わずにはいられない、そんな痛烈すぎる連撃だった。
魅琴はそんな航の髪を鷲掴みにした。
無理矢理絶たされた航は、満面の笑みを向けられて震えた。
「私、暴力自体は大好きなの」
「ヒッ……!!」
「覚悟なさい。じっくり丁寧に、壊してあげる」
戦慄を覚えたのも束の間、すぐさま魅琴の追撃が航を襲った。
頬を打った一発目の左フックで航は一瞬意識を失ったが、脳天に叩き込まれた肘打ちで強制的に意識を戻された。
「簡単に寝ちゃうなんて勿体無いわよ。十五年も交流したんだから、どうせなら最後のお別れ、たっぷりと愉しみましょう?」
魅琴の声が弾んでいる。
まるで、幼馴染に対して振るう出会った時以来の暴力を心底愉しんでいるかの様だ。
攻撃は常に偶数発、無理矢理身体を起こし、気絶させられては叩き起こされる。
「ぐああああああッッ!!」
魅琴は航を弄んでいた。
さっさと終わりにしたければそのまま寝かせておけば良いものを、わざわざ叩き起こして暴行を続ける。
航を振り切る、手切れを目的とした行為ではない。
明らかに暴行そのものを愉しんでいる、そんな仕草だった。
踊っている。
蝶の様に軽やかに舞っている。
月明かりに照らされ、全身に艶態の美を存分に湛えて華麗に舞踏を演じている。
叩いている。
蜂の様に激しく刺している。
鮮血に塗れ、全身に暴力の脅威を存分に纏って苛烈に武闘を演じている。
痛い。
傷い。
イタイ……。
航は苛まれていた。
恋い焦がれる心に痛みを刻まれ、重ねた日々を傷物にされ、共に居たいという願いを全否定されていく。
「はぁ……はぁ……」
航はそれでも立ち上がる。
立ち上がってどうにか希望を紡ごうとする。
そんな航に、魅琴の重すぎる拳が突き刺さる、蹴りが浴びせられる。
「うげエッッ!! ぐええっっ!!」
骨が折れ、臓腑が潰れる。
苦痛が歪んだ旋律を体中に響かせる。
恐ろしいことに、航が負った数々の損傷は驚異的な速度で修復されてしまう。
つまり、何度も何度も同じ骨が折られ、同じ臓腑が潰される。
「がふっ……ゴホッ……!」
血を吐く航のぼやけた視界の中、魅琴が幽鬼の様に不気味な笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
そして、繰り返し暴力を振るう。
その拳は、蹴りは、航の意識と恢復力と痛覚を絶妙に操り、可能な限り最大限の苦痛が絶え間なく繰り返される様に弄び続けていた。
航が考える限界すらも超え、航以上に航の肉体の機微を能く解して凄まじい拷問を刻み続けていた。
対する航は既に抵抗する術を失っていた。
どうにも手が出せず、受けることも出来なかった。
想い人を殴る・蹴るなどという行為はやはり出来ないが、それ以前に恐怖とトラウマで真面に身体が動かない。
心に鞭打ち、前へ出ようとしても、魅琴が攻撃の素振りを見せるだけで身体が強張ってしまう。
こんな状態で真面に戦える訳が無い、勝てる訳が無い。
それを自覚したとき、航の心はミシミシと音を立てて罅割れ始めた。
諦め切れないという未練だけが、彼の震える両脚を木偶の様に立たせている、そんな状態だった。
「フフ……」
ふと、航は気付いてしまった。
笑う魅琴の頬が僅かに紅潮し、息が荒くなっている。
魅琴は今、心底愉しんでいるのだ。
航の苦痛に、損傷に、絶望に、心底悦びを感じているのだ。
思い出の中、様々な場面で航に見せた彼女の優しい像が音を立てて崩れていく。
それを悟ってしまったとき、奇妙なことに、航もまた力無く笑ってしまっていた。
「あら航、何その顔?」
魅琴は邪悪で嗜虐的な嬌笑を零し、航を嘲りながら問い掛ける。
「それは媚かしら? 本当、気持ちの悪い男!」
凄惨な暴行は続く。
悍ましい光景であった。
異常な打音と悲鳴、そして哄笑が奏でる歪んだ交響曲が夜空に響き、月が震える。
「愉しいわねえ、航! 今の貴方、どんなに酷く傷付けても、綺麗に治ってくれるんだもの! だからホラ、何度でもその可愛いお顔を台無しにしてあげる! 何回でも眼球を、内臓を、睾丸を潰してあげる! 何本でも肋骨を、鎖骨を、上腕骨を、大腿骨を、脛骨を折ってあげる! そういえばあの時、歯は何本折ったんだっけ? 乳歯で良かったじゃない! 今回は永久歯だけれど、また後で綺麗に治るなんて、本当に運が良いわ! つまり、何回でも生えてきた歯を折ってあげるってことだけどね! 良かったわねえ、航! 今回は、あの時みたいに止めてくれる人は誰も居ないわよ! 航! ねえ航! ほら航! ほぉらもっと! もっと! もっとぉぉっ!! あはっ! あははは! アッハハハハハハ!!」
地獄絵図、阿鼻叫喚、そう形容すれば良いだろうか。
ふと、航は良からぬ事を考える。
今、魅琴は自分を使って心底から愉悦を得ている。
その姿の、なんと扇情的で、美しいことだろうか。
航は今、ある意味で報われているような気がした。
これは寧ろ、極楽浄土か、桃源郷か。
全身を駆け巡る激痛を愛撫と錯覚してしまう様な、全身から噴き出る血潮を射精と倒錯してしまう様な、永続的な絶頂感が航を包み込んでいる。
ある意味で悲願の成就の様な、積年の想いを遂げる目合いの様な、破滅的な悦楽に溺れていく。
激痛が奔る度に脳内麻薬が虹色の火花を散らす。
悪夢であっても夢心地。
そんな陶酔感の中、ボロボロになった航はゆっくりと崩れ落ち、両肘と両膝を突いてがっくりと項垂れた。
「ごひゅ……。ぜえ……、ぜえ……」
攻撃が途切れた。
その束の間が、航の脳を異常な世界から現実へと急激に戻し、普段以上に冷静に覚まし、明瞭に冴えさせる。
「ふん、不甲斐無い……」
魅琴は酷く冷たく、突き放す様に吐き捨てた。
背中越しに、蔑みに満ちた視線を突き刺されているのだと分かる。
「はぁーっ……はぁーっ……」
「ヘタレの航にとってはさぞ辛いでしょうね。延々と頑張らされ続けるのは……」
「うぅ……!」
航は自分の顔から血ばかりでなく涙が零れ落ちるのを感じた。
自分の中で何かが決壊したのだろう。
事此処に至り、航の心は完全に折れていた。
「魅琴……酷いよ……」
「そ」
「なんでこんな……こんなこと……。こんなの嫌だ……あんまりだよ……」
「じゃ、もう終わりにする?」
魅琴の問い掛けが航に重く伸し掛かる。
終わり――既に限界を迎えた航にとって、それは潰れる程の重圧だった。
航は最早自力で起き上がれず、立とうとした瞬間に崩れ落ちて額を地に着けてしまう。
こんな有様では、魅琴を止めることも魅琴に寄り添うことも望めない。
(ここまでか……! ここまでなのか……!!)
航は苦渋の選択を迫られていた。
自分でその選択をさせられる――そう思っていた。
だが、魅琴は航の想像を遥かに超えて残酷な女だった。
彼女の手は再び航の髪を鷲掴みにし、彼を無理矢理立たせる。
航は目を皿の様に見開いた。
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