日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第五十話『麗真魅琴』 急

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 高校に上がって秋になり、とうとうその時が来てしまった。
 あの日の朝、うその様な快晴の空に満ちていたしんに気付いていたのはわたしじいさまだけだっただろう。

 嗚呼ああ、来てしまうんだ。
 出来れば、全てが御爺様の妄想で済んでいればどれ程良かったことか。
 当日の朝は苦しかった。
 ただ、ムカつくくらいによく晴れた空から目を背けることは出来なかった。

 そんな中、わたるはいつも通りに声を掛けてきた。
 いつも通りにふざけ合うりが出来てしまった。
 この日常、失いたくない。
 でも今日、世界は変わり果ててしまうだろう。

 わたしは逃げるようにわたるの前から去った。
 学校にも行きたくなかった。
 元々、モノクロームの世界の邪悪なけだものだったときには縁が無かった場所だ。
 失うものが出来てしまうその前まで戻りたかったのかも知れない。

 わたしは御爺様の入院している病院へと向かった。
 ただ少し、わたるのことは心配だったので何かあったら連絡するようにとは伝えた。

 御爺様もまた全てを察したようで、黙ってわたしを迎え入れてくれた。
 わたしと御爺様は今一度、問答をすることになる。

わしを訪ねて来たという事は、わかっておるのだな、ことよ?』
『はい、じいさま……』

 失えない日常――それを意識したとき、答えが出てしまった。

『お前さんも察しの通り、明確な予兆があらわれた。だが残念ながら、わしはもう長くはあるまい。口惜しいが、はやこの手で出来る事は残されておらん』
『御心配には及びません。わたしの思いは御爺様とおおむね同じですから』
『そうか、すまんな……』

 そうだ、同じだ。
 国を守りたい御爺様の気持ち、今ならわかる。
 わたると出会い様々な経験を得て、わたしは自分を取り巻くものの大切さに気付いてしまった。
 わたしはもうあの頃の、ただ人間を壊せれば良かった邪悪な獣には戻れないのだ。

 その後、かいてんというじんかいの裏切り者共が妙な動きを見せているという情報が入った。
 幼少期、御爺様が時折連れてきた「悪い人達」の一派だ。
 わたしは彼らの掃討に向かおうとした。
 その時、御爺様から伝えられた。

ことよ、先程も言うた通り、はやわしに出来る事は何も無い。後はお前さんの心持ち次第じゃ。しかし、もしお前さんがわしの願いをかなえてくれるというのなら……ことよ、日本を守ってくれ。この美しきみずの国を、真なるすめらみくにを……。間も無くごうりんするであろう強大無比なる戦禍から我が祖国を守ってくれ……!』

 御爺様のに鋭い光りが宿った。
 度々見せていたすさまじき執念――両親いわく、おぞましき狂気の眼だ。
 多分、見るのはこれが最後になるだろう。

『その為にことよ、命に代えても必ずじんのうを、偽りのみかどを討て!!』

 わたしは御爺様の手を握り「はい」と答えた。
 わたしもまた、日本を、わたるわたると共に過ごしたこの世界を守りたい。
 わたしにしか出来ないことならば、是非わたしにやらせて欲しい。

 御爺様はその一月後にこの世を去った。
 しかしあの誓いにもかかわらず、わたしにはその後も六年間の日常が続いた。
 掛け替えのない日々が輝きを増し、わたしの迷いを大きくさせた。



    ⦿⦿⦿



 御爺様の死から年が明けて、学年が上がり、わたしに新しい仲間が出来た。
 ずみさんはわたしにとって初めての同性の友達だった。
 彼女を通してわたしはまた一つ世界をひろげた。
 彼女は本当に良い娘で、わたしのことをよく気に掛けてくれたと思う。

 思い出すのは十月半ばの、あの銀杏いちよう並木での出来事だ。
 あの日、さんがわたしじんかいかいてん壊滅をしらせてくれた。
 同時に、政界への誘いも持って来てくれたが、わたしの心はちらなびかなかった。

 わたしとうさまの死以来、かあさまと距離を置くようになった。
 元々家に居着かない人だったけれど、それ故に御父様が苦しい時にも自分のことばかりでわたしに全てを押し付けたのだという思いが強かった。
 御母様のことが好きかと問われると、喉につかえを感じるようになっていたのだ。
 御爺様の影響を受けてしまったのは、そういったことも遠因になっていたのかも知れない。

 そんなわたしにとって、ずみさんの言葉は救いだった。

うるさん、お母さんがどうとか関係無いからね。うるさんはうるさんなんだから』

 うれしかった。
 しかし同時に、わたしはその言葉の意味が少し怖かった。
 要するに、親の言うとおりにする必要は無いという、解放の温かい言葉だ。
 ならばそれは御母様だけでなく、御爺様の遺志に従う必要も無いということを意味する。

 わたしの決意が揺らいでしまう。
 事実、揺らいでしまったのだろう。
 わたしはその後もこうこくへは飛ばなかった。
 こうこくに日本を攻める様子が無いからと、ずっと手をこまねいてしまった。

 ずみさん、貴女あなたは本当に優しい
 貴女あなたは多分わたるのことを友達以上に感じていたのでしょう。
 でも、わたしが居るからと遠慮した。
 それどころか、それとなくわたしわたるを近付けようとしてくれていた。

 ごめんなさい、わたしには出来ないの。
 わたしだって本当は……本当はわたるのことが……。
 でもわたしには使命がある。
 いつかは果たさなければならない、果てなければならない時が来てしまう。

 だからずみさんと疎遠になって、わたしわたるとも距離を置こうとした。
 関係が自然に消滅して、一人になれば、心置き無くこうこくへ旅立てる――そう思っていた。

 でもわたるは放してくれなかった。
 わたしだって好きで貴方あなたを突き放す訳じゃないのに、どうして解ってくれないの?
 ……何も言わないのに解る訳がないだろう。
 かといって、伝えたところでわたるは納得してくれないだろう。

 わたるの気持ちに応えられないことに、わたしは罪悪感を覚え、苦しくなった。
 だからますます溝が出来、益々苦しくなる。
 そんな大学生活の中で、わたしの世界は次第に色を変えていった。
 こうこくの存在がわたしの世界をいろせさせ、かといって元のモノクロームに戻しはせず、中途半端で一番切ないセピア色にしていった。

 わたしの背中を最後に押したのがわたるだったのはこれ以上無い皮肉だろう。
 わたるこうこくへ拉致され、わたしは自分の使命と向き合わざるを得なくなった。



  ⦿⦿⦿



 わたる、最後にもう一度貴方あなたと交われて良かった。
 君やずみさんとも久々に会えた。
 もしかしたらこのまま、何事もない日常が戻って来るのではないか――そう期待しなかったと言えば嘘になる。

 けれども、運命はわたしに甘えを許さなかった。
 皇太子からの誘い、そして求婚はわたしに本心を問う警告だったのかも知れない。
「結局お前は、使命を全うするつもりがあるのか」と問い詰められていたのかも知れない。
「このままズルズルと日常に浸り込んだまま使命を放棄するつもりなのではないか」と。

 でもわたしはちゃんと選べた。
 使命を選び、行くべき道を取ることが出来た。
 しかし運命は、それでもわたしためいを許してはくれなかったらしい。

 君が死んでしまった。
 わたしがもう少し早く動けていたら、あるいはこんなことにはならなかったのではないか。
 後悔してももう遅いのかも知れない。
 でも、それでも、わたしの決意は絶対に嘘なんかじゃあない。

 解った。
 だったら見せてやろう。
 そこまでして、わたしに容赦無く「その時」を突き付けてまで覚悟を問うのなら、それに応えてやろう。

 わたしは今日この時をもつて、昔の邪悪な獣に戻る。
 それは最早不可能だと、かつては思った。
 でもわたしこうこくへ来てから気付いてしまった。
 昔のわたしは、人間を壊すことを至上の喜びとする残虐非道なわたしは今も眠っていて、目を覚ます時を待っているのだと。

 全てをてれば、あの頃のわたしが顔を出す。
 そうすればもう迷わないだろう。
 わたしいろどる全ての為に、わたしわたしの決意を嘘だとはわせない。
 そこだけは決して譲れない。



    ⦿⦿⦿



 わたる……。

 わたる……。

 わたる……。

 わたしは今、異国の空を見詰めて貴方あなたとの思い出を抱き締めています。
 この光景をくれてありがとう。
 こんなにも鮮やかで、豊かな色彩で、モノクロームだったわたしの人生を染め上げてくれてどうもありがとう。
 貴方あなたが居たから、貴方あなたと出会えたから、わたしはとても幸せだった。

 今この夜空に仰ぎ見ている、夜空を埋め尽くしている、貴方あなたと共に過ごした数々の思い出こそ、わたしが自分の運命に立ち向かえる理由。
 時間さえ許せば無限に、記憶の中で輝く貴方あなたとの美しい日々をはんすう出来る。

 ごめんなさいね。

 わたしだけが一方的に、二人過ごした日々をたまらなくいとおしく思い返している。
 貴方あなたにはとてもとてもひどい事をしておいて、わたしだけが自分一人で……。

 あれがわたしの本性なの。

 元々わたしは、貴方あなたのことをずっと壊そうとしていた。
 元はといえば、ただただその遊戯が楽しかった。
 貴方あなたのことをじわじわとボロボロにして、最後に廃人になった貴方あなたに止めを刺すつもりだったの。
 何をどう間違えたのか、貴方あなたわたしのことを好きになってしまったみたいだけれど、それは本当に何かの間違いなの。

 わたしの中にはずっと、昔の邪悪な獣だったわたしが居たの。
 貴方あなたを壊したくて壊したくて仕方が無いわたしが居たの。

 もしもう一度、貴方あなたに思う存分暴力を振るえたら、その時はきつ至福に違いないと、かで予感していたかも知れない。

 思った通り、最高だった!
 あまりの多幸感に、つい調子に乗ってしまった!
 血が噴き出し、肉が裂け、骨が折れ、ぞうつぶれる感触が今も残っている!
 何より貴方あなたの苦痛と悲哀と絶望とざまさと滑稽さと惨めさと情けなさが今も鮮明に視界にへばり付いている!

 ……時間が経てば修復される「しん」があって本当に良かった。

 解る?
 わたしはそういう、最低最悪の女なの。
 だからこんなわたしのことを、ちゃんと嫌いになってね?
 ちゃんとわたしに幻滅してね?

 あれだけ酷い目に遭わせれば、あれだけ貴方あなたが大切に温め続けたおもいをにじれば、もうわたしに愛想を尽かせてくれるでしょう?
 十五年の日々が虚無になってしまうの心配はあるけれど、でも屹度大丈夫。
 貴方あなたは素敵な人だから、久々に会って更に成長して大きな人間になっていたから。
 わたしのことなんか忘れられるくらい、本当に素敵な理想のひととの出会いが屹度訪れるはず

 わたしのことは忘れなさい。
 わたしのことは過去に封印して、置き去りにして、やがては人生の記憶から消してしまいなさいね。
 わたしったりなんかしちゃ、嫌よ?

 この想いはかたおもいで構わない。
 片想いでも、わたしは殉じることが出来る。

 ならわたる貴方あなたわたしにとって、世界で一番大切な人。
 のみならず、わたしの世界を拡げてもっと大きなものを教えてくれた人。

 この世界には、貴方あなたの他にも善良な好ましい人達が大勢居る。
 そしてその人達にも、わたしにとっての貴方あなたと同じように大切な人が居る。
 ならばわたしが戦う理由とは、その大勢の人達とその大切な人達を守ること。
 家族・恋人・友人・隣人……他にも様々な関係性があるだろうけれど、それらを全て足し合わせれば、日本を守ることは誰かにとって大切な人を累積何億人も守るに等しい。

 わたしね、何億人もの貴方あなたを守る為に戦うの!
 だったら、命を棄てる理由としては充分過ぎるでしょう!

 ……ねえ、わたる

 貴方あなたが色付けてくれたわたしの短い人生は、こんなにも美しい。
 青い、赤い、黄色い、みどり色の、すみれ色の、だいだい色の、藍色の、くれない色の、柳色の、朱色の、金色の、銀色の、余りにもあまの、色取り取りの鮮やかな光が、さいの夜空を流れてく。

 今夜、わたしは死ぬ。
 くにの為に命を棄てる。

 ……ねえ、わたる

 道が分かたれた今なら言える。
 声を大にしている。

 愛してる……。

 愛してるわ……!

 わたるわたし貴方あなたを、この世界の誰よりも愛しているわ!!

 けれども、この想いは決して届かない。
 届いてはいけない。
 してやじようじゆするなんてとんでもない。

 わたしの人生はそれで構わない。
 今生はそれでも一向に構わない。

 それでもやっぱり、どうしても夢を見てしまうから。
 あのまま共に歩む人生もあったんじゃないかと、どうしても考えてしまうから。
 だからわたしは、こう思うことにするの。

 りんの先で、またいましょうね。

 ただ、わたしはこれから罪を犯すし、貴方あなたにも酷い事をしてしまったから、多分来世は地獄行きでしょう。
 じんのうを暗殺したら、地獄の刑期はどれくらいになるだろう。
 正確には覚えていないけれど、じんのうが聖人扱いになるなら、数百京年とかだったかも知れない。

 ただ、それでも……。
 それでもこのみそぎを終えて、これまでに背負った業もこれから被るけがれも全てそそいで、そしてその先で貴方あなたが許してくれるなら……。
 貴方あなたが待っていてくれるなら、どんなに輪廻を重ねても、せつせつてんの時を超えることになっても、必ず貴方あなたを捜し出すから。
 必ず見つけ出して再び会いに行くから。

 今度運命が邪魔をして、えいごうかいこう出来ないように仕組むような悪さをするなら、この拳で嫌という程に殴り付けてぶちのめしてやる。

 だからその時は……。

 ……。

 その時こそは、屹度二人添い遂げましょう。
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