日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第五十一話『神皇』 破

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 じんのうことほとりのみやひろともは皇紀二五六六年、すなわち西暦一九〇六年一月二十九日に降誕した。

 宮は生まれ付き不思議な力を持った少年であったが、露西亜ロシア帝国との戦争から続く挙国体勢の戦時下で皇統の神格化にる国威の発揚に利用されたため、このような背景を持った人物の生い立ちに想起される蔑視や迫害などを受けることは表向き無く、おおむね幸福な少年時代を送った。
 皇族として華族に囲まれて育った宮は、この時期に後の人格を形成する多くの文化的素養を身に付けた。
 国情は先行き不透明であったが、それでも宮は自らに大きな不幸が降り掛かるとは考えていなかった。

 今や百年以上前の、遠い昔の話である。
 はや当時の記憶はぬくもりと共にいろせてしまった……。

 宮の運命が変わったのは十四歳の時である。
 しん維新政府は露西亜との戦争を終わらせることが出来ぬままに激動の世界情勢にまれ、世界大戦を同盟国陣営で戦い、敗戦に見舞われた。
 更に、そこから露西亜と連動する様に八月革命が勃発し、しん維新政府は完全にたおれてしまった。
 
 当時の共産主義革命による旧体制否定の度合いはすさまじく、国家の伝統の全てを破壊し尽くさん勢いがあった。
 革命政府はしん維新によって築き上げられたこくたい――日本という民族観・国家観をも完全に否定し、ヤシマ人民民主主義共和国の建国を宣言。
 皇族・貴族・資本家・財閥企業――旧体制の権威も、資産も、全ては新政府の裁断に委ねられ、ろうにやくなんによを問わず徹底的に断罪された。

 宮が世話になったあらゆる人物は、宮が心を通わせた汎ゆる相手は、宮がいつくしんだ汎ゆる世界は、えきは破壊とさつりくによってつぶされていった。

 宮もまた国威発揚に利用された背景を危険視され、幽閉されてしまった。
 とらわれの宮は語るもおぞましい拷問を心身両面に受け、何度も生死の境をさまった。
 ヤシマ政府の中枢に居たる男は、このときの宮の生命力を「まるで神に守られているかの様だった」と述懐している。
 当時から成長の止まってしまった玉体にはいまなお、拷問によって刻まれたあまの傷が残されている。

 とはいえ、宮は日を追うごとに確実に衰弱していき、遅かれ早かれそんげんりようじよくの末に惨めな死を迎えることは確実かに思われた。
 宮自身もそう考えていたという。
 そんな宮の運命を変えたのは、一人の男に残されたひとかけの良心だった。

『殿下、一緒に逃げやしょう!』

 宮を始めとした旧体制の政治犯を収容していたがも監獄、から出るごみの集荷を担っていた男・はたたいぞうが、宮の脱走を手引きしたのだ。
 後に彼の子孫であるはたが、同じヤシマ政府の後継組織であるそうせんたいおおかみきばからさきもりわたる達を脱走させたというのは、果たして何の因果だろうか。

 はたたいぞうは監獄からごみを運び出す振りをして、じんかいしゃの助手席へと宮を押し込み、埋め立て地へ向かう振りをして空港へ向かった。
 途中で一般の自動車へと乗り換える際、宮はこの恩人に尋ねた。

何故なぜ……余を助けた?』
『だって、貴方アンタは何も悪くねえもの。たまたまあの家に生まれたってだけの、おれの子と同じ年頃の餓鬼じゃねえか。そんな貴方アンタが罪人としてひどい目に遭わされてると聞いて、居ても立ってもいられなくなったんだ』

 はたは港を指差した。

『あと少しだ。あと少しで、あそこから米国行きの船が出る。そいつに忍び込んで、海を渡っちまうんだ。米国は今、ソヴィエトやヤシマみてえな連中への警戒を強めてる。敵国の皇子様でも、ヤシマの連中よりはずっとまとな扱いを受けられると思う』
『……有難い。なんと有難い話か……』

 宮はこのとき、生まれて初めて人の優しさに涙を流す程心を揺さぶられたという。

『この恩は生涯忘れぬ。どうもありがとう』

 その後、はたたいぞうはヤシマ政府に捕えられたが、宮は一人米国への密航と亡命を成功させた。



    ⦿⦿⦿



 その後、ひろとも独逸ドイツ系米国人の家で住み込みで働きながら、二十年以上もの時を過ごした。
 最早一国の皇族であったという出自など誰も気にもとどめず、本人も無かったことにして生きていくのだと、そう思っていた。

 しかし、そんな彼のもとへ一人の男が訪ねて来たのだ。

『殿下、御帰還の準備を』
『誰だ?』

 背の高い軍服の中年男と一人の少年――おそらくは父子だろう。
 男はやや不遜な笑みを浮かべてった。

『小生はごくさぶろうと申す者。ちらは息子のいるで御座います。殿下、機は熟しました。今こそこうこくを取り戻す時ですぞ』
『取り戻す……?』
『はい。今、ヤシマ政府の統治体制は崩壊寸前の状態に御座います。かつてのしん政府の様に、まつりごとの大権を帝の手に再び収めるのです』
『その為に、故国へ帰れと……』

 正味のところ、彼は乗り気でなかった。
 今更帰ったところで、彼が愛した汎ゆるものはもう二度と戻らない。
 今や故国はそれらをせんめつする選択をした者達の国である。

『殿下、嘗て御父上が己のせきとして安寧を祈った臣民達が貧困と飢餓、そして圧政に苦しんでおります。臣民を救えるのは殿下の持たれたまちからのみに御座います』

 ひろともは目を閉じ、考えた。
 生まれ持っていた不思議な力が、嘗てとは比べものにならない程巨大に膨れ上がっているのは自覚している。
 この力が多くの民を救い、国家に絶対的繁栄をもたらす展望も見える。

 彼は本来、がもの監獄で虐待死していたはずだった。
 しかし、神のおぼしの如き生命力でながらえ、神の加護の如き運命力で生き延びて、神のし事の如き超能力を身に付けている。
 まるで何かに導かれる様に……。

『我は日ノ本を治めるべき系譜のまつえい、ということか……』

 ひろともは決意を固めた。
 くして彼は「おおとりかみだい」の名で帰国し、人心を一身に集めてヤシマ人民民主主義共和国の転覆としんせいだいにっぽんこうこくの建国を為した。
 そして彼は「じんのう」を名乗り、神聖不可侵の帝として君臨。
 数奇な運命により、一人の男は再び人間から神となったのだ。



    ⦿⦿⦿



 じんのうこうこくの誇る巨大穀物企業「ていじょう」の会長でもある。
 その本社は皇宮の敷地内に建っており、中腹の階層の屋根には庭園が設けられている。
 研究開発設備も兼ねている庭園にはようの木が植えられており、日が沈んだ後だというのに花が咲き誇っている。
 しかしながら、この広々とした空間は社員が昼休みに少し運動をするにも打って付けかも知れない。

 じんのうはそのような場所にことを案内した。
 二人は柵越しにとうきようの輝く夜景を見詰めている。
 眠りに就かない地上の銀河が果てしなく続く光景は、まさにこうこくの栄華を映しているようであった。

「それにしても、残念ですわ陛下」

 ことは柵に肘を掛け、小さく笑みをこぼした。

「部屋でお休みいただいていらっしゃれば、夢見心地のまますんなりと殺して差し上げましたのに……」
「はっはっは、ちんに亡国と零落から返り咲いた訳ではないぞ。その辺りの感覚は極めて鋭いのだ」

 夜の街を見下ろしながら、相変わらず二人は刺客と暗殺対象と思えぬ和やかな会話を紡いでいた。

「しかし、ちんを暗殺する上でこの時間帯は極めて理性的な選択といえるだろう」
「理性的?」
ちんこうこく全土にしんを送り、そのエネルギーが重要な電力源となっていることは知っていよう。しかしちんも絶えず送り続ける訳にはいかん。故に、夜間にいては昼間の蓄電と代替発電に依って電力を賄っているのだ」
「つまりこの瞬間なら、仮令たとえ陛下がまかられてもこうこく臣民の生活基盤が突然絶たれる訳では無い、と……」

 こうこくに限らず、先進国に於いて電力は健康で文化的な生活の必需品である。
 特に、病床に伏している者達にとって、突然の停電は命に関わる。
 仮にことが昼間、じんのうしんを直接こうこく全土へ送っている時間帯に行動し、暗殺を成功させてしまったら、こうこく全土で罪も無い弱者の命が脅かされる大惨事となっていただろう。
 もちろん、それでもじんのうが消える影響が小さい訳はないのだが、やるならばこの時間帯が最も少ない被害で済むのも事実である。

「そう……でしたか……」
「謙遜かな?」
「いいえ、自分でも驚いています」

 ことは単に、わたると過ごした日々を思い返し、浸り込んでいただけである。
 しかし、じんのうの言葉に思い当たる節が皆無でもない。
 彼女は空港へ向かう途中、無関係のこうこく臣民をさんきゆうどうしんたいの大群から守り、足止めされている。
 つまり、今のうることの民が無為に死んでいくことを良しとしない程度の利他的精神を持ち合わせているということだ。

 やはり彼女は最早嘗ての邪悪なけだものではない。
 知らず知らずのうちに、ことは根底から人間になってしまっていた。
 誰かを愛することを覚えたが故だろうか。

「精神面でも立派な戦士に育ったようだな。なんじの祖父は実にあつれだ」
「彼を褒められると、少し奇妙な感じがしますね。親族にはののしられてばかりの人でしたし、そのような評価に納得もしていますから」
「変なことを言ったかね?」
「そうですね。例えばわたしが祖父一人に預けられていたとしたら、もっと粗雑に陛下のお首を狙ったでしょう。あの人はくにのことしか考えていませんでしたから……」

 ことの幼少期、彼女の祖父・うるいるは孫が生まれながらに備えた戦闘能力に歓喜し、凶暴性も問題としていなかった。
 彼の名誉の為に擁護しておくと、一応はことが一般人のわたるに凄惨な暴力を振るった際、戦いしか見ていなかったこれまでの接し方を後悔してはいる。
 だがそれでも、いることの戦闘能力を護国に利用することをおもとどまりはしなかった。
 言葉の上で「やめても良い」と言いはしたが、それは結局のところ、逆に決意させる為の方便に過ぎなかった。

 しかし現に、ことは人間になった。
 そんな彼女の中に何かをみいしたらしく、じんのうは小さく笑みを零した。

「ならば他の肉親か、周囲の大人か、あるいは友に恵まれたのだろうな。人間として、実に良い影響を受けたと見える」
「ええ、そうですね……」

 ことは目を閉じた。
 やはり自分の中には彼が、さきもりわたるが深くいきいているのだ。
 それを思い起こすだけで、込み上げて来るものがある。

わたしなどにはもつたいない程……」
「親しき者を遠くにおもえるというのはうらやましいな……」

 じんのうは溜息を吐いた。

ちんなどはとうの昔に、一人残らず殺されてしまったのでな」

 じんのうもまた郷愁の念を呼び起こしているのだろうか。
 しかしことと違い、彼の思い出はあまりにも遠い。
 百二十年を生きたじんのうが全ての肉親やほうゆううしなったのは十四歳の時である。

「聞き及んでおります。らんばんじようの人生でしたね」
「うむ、誠に多くを見てきた。この地に営む臣民の光も、闇も……」

 ことは横目にじんのうの身体に視線をわせた。
 彼女には相手の状態をいちべつで気取る洞察力と習慣がある。
 それもまた、彼女の才能の一つだ。
 ことはこれから殺そうという相手の衣服の下、小さな身体に刻まれた無数の傷跡を読み取り、じんのうかんなんしんへ思いをせた。

「今でも……臣民をどこか許せずにいるのですか?」
「いいや、許してはいる。嘗て憎んだことは否定出来ん。しかし、もうのみめておるよ。ちんが生まれたのは戦時中、それも結果として敗戦へ向かう、国家の総力戦の最中だ。臣民達は皆きつ、誰かのせいにせずにはいられぬ程に苦しかったのだろうし、その責は間違い無く統治者にあったと言えよう。それに、革命の後を思えば強く責めることも出来ん。故に、過去のことはもう割り切れておる」

 言葉とは裏腹に、じんのうの横顔には隠し切れないうれいがにじんでいた。

「だが、手放しに臣民を愛していると言えばうそになろう。しん政府に革命される理由があったということは、裏を返せば臣民とは理由さえあれば何処どこまでも残酷に体制を破壊し得るということだ。身をもつて思い知ってなお臣民を信じられる程にちんはおひとしでは無いし、無償の愛を注げる程に聖人君子ではない」

 じんのうの身体がゆっくりと宙へ浮かび、ことはるか上方、柵上へと足を着けた。
 そして、彼は両腕を広げた。
 それはまるでとうきようの夜景を、こうこくの国土を抱擁する様に。

かなうならば、一片の曇りも無く愛したかった。あまねく我が赤子の傍らに真に寄り添い、共に栄光あるこうこくの未来を見続けていたかった……」
「しかし、陛下のこころはそれを望むべくもない、と……」
「誠に、誠に遺憾で、ざんに堪えぬがな」

 振り向いたじんのうに、今度はことから手を差し伸べた。
 じんのうはその手を取ると、羽毛が舞い上がる様な軽やかさで再び宙へ浮かび、ことと同じ地平へゆっくりと降り立った。

「陛下、個人としては貴方あなた様に心よりの敬意を表しますわ。陛下の偉大なる人生にここで終止符を打つのは、少し心苦しくありますね。しかし、同時に祖父が常々申していた言葉の意味も理解できたような気がします。祖父にとって、日本人の君主として仰ぐべき帝は天皇陛下のみでした。わたしもまた、同じ気持ちです」
「うむ、否定はせん。だからこそ、近いうちにえいへ皇位を譲り、自らは隠れるつもりであった。ちんの見果てぬ夢は次代に託す他あるまい」

 二人の手が離れた。
 必然、両者は互いの腕を足した長さに間合いを取っている。
 互いに見詰め合う視線は尚も穏やかであるが、やがて静かにほのおを燃やし始める。

「では陛下、そろそろお命を頂戴いたしましょうか」
で果てる覚悟のようだな。言っておくが、臣民と真のきずなを結べず、近く全てを授け継ぎ去るべき命なれど、此処でなんじにくれてやる程ちんはお人好しではないぞよ」

 ことじんのう、二人の周囲に風が荒ぶり逆巻く。
 芙蓉の花弁が天に向かって舞い上がり、両者が互いに臨戦態勢となった情景変化を演出している。

「では、御相手いたそう。なんじに下賜されるは、決して亡国の運命を覆せぬという挫折と絶望に塗れた死のみであると知るが良い」

 幻想的だった星空はいつの間にかむらくもに覆われ、全てが過去へと変わっていく。
 超常の領域の戦いが今始まろうとしていた。
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