日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第五十五話『帰還』 破

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 その簡単な言葉を口に出すまでに、どれ程のためいと、回り道と、言い訳と、諦めと、再起と、自己けんと、捕らぬたぬきの皮算用を繰り返してきただろうか。
 わたるついへと辿たどいた。
 ようやく、漸くわたることおもいを告げた。

「よくもまあ、分かりきったことを散々もつたい付けたものよね」

 ことあきてた様に笑った。

「分かりきったこと、か……」
「ええ、もうバレバレよ」

 わたることへの恋心を自覚したのは中学時代にまでさかのぼる。
 それだけ前から、長期間にわたって好意を完全に隠し通せるはずも無かった。
 わたるはこれまで、時折ことに対して露骨に色目を使ってきたし、言い寄る相手に嫉妬をしにしてきた。
 これで気付くなという方が無理だろう。

「ま、確かに今更だとは思うけどね。随分と待たせてしまったかな」
「本当にね。でも、わたるらしいわ」
「どういう意味だよ」
「だって貴方あなた、基本的にヘタレじゃない」

 二人はいつものように笑い合った。
 もうこんな会話などで着ないかと思われたが、無事に元のさやに戻ったようだ。

 しかし、わたるは既に旧来の関係から踏み出している。
 その答えの如何いかんによっては、やはり二人の関係は決定的に変わるだろう。
 わたるは恐る恐る、しかしある程度の確信を持ってことに尋ねる。

「そういうきみはどうなんだ? 返事を聞かせてほしいんだが……」
「そうね……」

 ことほほみを浮かべたまま考え込んだ。
 わたるだけでなく、ことの方も何かと匂わせてはいた。
 ただの幼馴染を相手にするには、彼女の態度はあまりにもしんだった。
 何より、わたるの行方を探し求めてこうこくまで乗り込むなど、よっぽどだろう。

 互いに見つめ合った視線が一つの線につながる。
 その表情は、まるで中高生の様にういういしい。

貴方あなたが勇気を出してくれたことは、とてもうれしいわ」
「それって……」
「ええ。使命が無ければわたしの方から告白したかったくらいよ。ただ、そうする訳には行かなかった。そういう意味では、貴方あなたがここまで時間を掛ける様なヘタレで良かったかも知れないわ」

 ことの答えは、わたるの考えは正しかったと事実上告げるものだった。
 しかし、それにしてはどこか釈然としない、回りくどい言い方である。
 まるで何かを避けるためかいしているかの様だ。
 そう、ことにはまだ一つ懸案を残している。

「けれども一つだけ、わたし貴方あなたの誤解を正しておかなくてはならないの」
「え?」

 ことは再びうれいを含んだ影のある微笑みを浮かべた。
 わたるには、ここへ来ての彼女の意図が今一つつかめない。
 胸に一抹の不安が去来する。

「昨日も謝ったけれど、わたしは空港で貴方あなたに随分とひどい事をしてしまったわ」
「なんだ、その事か。済んだことだし、きみの背負ってきたものはわかった。もう充分、何故なぜきみがあんなことをしたのか理解したよ。だからもう良いじゃないか」
「違うの」

 ことは首を振った。
 わたるが許している以上、このまま収めてしまうことは出来る筈である。
 しかし、ことはそうしないらしい。
 まだ彼女には、隠されたもう一つの心があるからだ。

「確かに、わたし貴方あなたを守りたかった。自分の使命に巻き込みたくなかった。だからああした。それは確かに一つの理由。でもね……」

 ことわたるから視線をらし、を伏せた。

「一方でわたしは、貴方あなたへの仕打ちを心の底からたのしんでいたわ」
「な、何を言って……?」
「信じられないでしょう? でも、それもまた本心よ。ずっとね、やってみたかったの。もう一度貴方あなたちやちやに壊したかった。しつように暴行を加えたのも、土下座させたのも、靴の裏をめさせたのも、唾を吐き付けたのも、ずっとずっとやってみたかった。夢がかなって、最高の気分だったわ……」

 予想外の告白に、わたるきようがくした。
 この期に及んで何を言っているのか。
 もうわざと露悪的に振る舞う必要など無いのに。

「どうして……そんなことを言うんだ?」
貴方あなたのことは好きよ。でも、だからこそいじめたくなってしまう。なぶりたくなってしまう。辛そうな表情にいとおしさを感じてしまう。苦しめることによろこびを覚えてしまう。……それがわたしまぎれも無い本性なの。自分が最低の人間で、あの時最悪のことを考えていたんだって、ひた隠しにしたままではわたるだましてしまうことになる。このまま貴方あなたの好意を受け取ってしまうのは誠意に欠けるわ。もう貴方あなたを裏切れない」

 絶句するわたるに、ことは再び眼を合わせた。
 その微笑みにはどこかかなしげな諦観が混じっていた。

「だから、告白を撤回したって責めはしないわ。元々幻滅される為にあんなことをしたんだし、散々愉しんでおいて傷付けられた貴方あなたの心変わりを認めないなんて、虫が良すぎると思うから……」

 わたるは頭をいた。
 ここへ来て彼は奇妙なことを考えていた。

「いや、なんかそんな気は薄々してたよ」
「え?」
「ぶっちゃけきみってドSだよね? ぼくも今まで散々そう言ってきたじゃん」
「あ……」
「そういうところも含めて、ぼくきみが好きだって言ってるんだよ」

 意外な反応だったのか、ことは目を丸くしていた。

「い、いや……。それはそうだとしてもあれはすがに度を超しているでしょう?」
「まあ、そうは思うよ。でもま、そうか……。ことがそれを言っちゃうなら、ぼくも墓場まで持って行こうとしていた秘密を言わない訳にはいかないよな……」
「ひ、秘密……?」

 ことは首をかしげた。
 そんな彼女から、今度はわたるが視線を外している。

「どういうこと?」
「いや、どこからどう切り出したものか……。平たく言うと、ぼくもずっと隠していたことがあって、きみぼくを誤解しているってことだよ」
「誤解?」

 わたるが身体をそわそわし始めたのを見て、ことは更にげんそうに眉をしかめて首をひねる。

「実は、その……あの時一寸ちよつとだけ愉しんでいたのはぼくも同じなんだよね……」
「は? え?」

 恥じらいから消え入りそうな小声でつぶやいたわたる、目を丸くして口を開けていること

「え、あの……く解らないのだけれど、あの時っていつのこと?」
「昨日の……空港の……あの時です……」

 わたるは顔を伏せて縮こまって答えた。
 ことはまだ信じられない様子で、更なる羞恥の追撃を無自覚に加える。

「えっと……ごめんなさいね。貴方あなた、今『ぼくも』ってったわよね? 『も』ってことは、わたしも愉しんでいた時ということだけれど、昨日わたしが愉しんでいたのってわたるに滅茶苦茶な暴行を加えていた時だって話だったわよね? どういうこと? あの時、わたるも愉しんでいた、と? そんなことってある?」
「も、もちろん一寸だけだよ? 感情の大部分では『酷い』と思ったし、傷付いたよ。痛かったし、怖かったし、辛かったし、悲しかった。挫折感と、敗北感と、屈辱感と、喪失感で一杯だった。夢なら覚めて欲しかったし、結果的にうその様なものだったから助かったよ」
「え……ええ、でしょうね。そう云われると、解ってはいるけれども胸に来るわね」
「でもさ、夢は夢でも百パーセント悪夢だとは言い切れないんだ……よね……」
「いや、それがなんでなのよ」
「解らないかなあ?」

 わたるは羞恥心が限界を突破して思わず声を荒らげた。

ぼくはMなの! だからきみのドSなところも好きなんだって! きみの中に怪物が居るように、ぼくの中にも畜生がんでいるんだよ! きみが最低なら、ぼくだって最低だ!」
「え、ええ……?」

 一気に捲し立てたわたるだったが、ことった笑みを浮かべているのを見て我に返り、両手で顔を覆ってうずくまった。

「ごめん、滅茶苦茶恥ずかしい。消えたい……」

 そんなわたるの様子に、ことは心底あきれた様に溜息を吐いた。

「ああ、貴方あなたってそういう人だったのね。ふーん……」
「はい……」
「まさか、執拗に暴行を加えたのも、土下座させたのも、靴の裏を舐めさせたのも、唾を吐き付けたのも、ずっとずっとされてみたかった?」
「暴行以外は……」
「あ、それは駄目なのね」
「唯痛い目に遭えば良いってわけじゃないから……」
「もしかして、知らない間に調教しちゃってたってこと?」
「多分……」

 ことからの質問はある意味で言葉責めだった。
 質疑応答の後、しばし奇妙な沈黙が流れる。
 重い空気が壊れた、なんとも軽妙な沈黙である。

「ぷっ、あはははははは!」

 ことは噴き出して笑い始めた。
 それまでの愁いがすっかり消えた様な、腹の底から込み上げた様な笑いだった。

「おいおい、他人ひとの性癖を笑うなよ。大体、こんな風にゆがめたのはきみなんだからな」
「あはは、ごめんなさい。だって、流石に笑っちゃうでしょう、こんなの。何だか自己嫌悪していた自分がみたい」
「そうか、それは良かった」

 わたるもまた、すっかりわだかまりが解けた様子のことを見て嬉しさから笑みをこぼした。
 それは季節外れの雪解け、といったところだろうか。

「良かった、わたるが変態で」
「お互い様だよ」
「正直、こんな莫迦莫迦しい救われ方があるだなんて夢にも思わなかったわ」

 わたるは一息吐くと、改めてことと向き合った。

「ま、だからあの時のきみの気持ちは結構解るんだよね。愉しいけど悲しい、悲しいけど愉しい、一言では説明出来ない複雑な感情があったんだ」
「ええ、そうね」
「それにね、きみきつ『美辞麗句を並べ立てて理由を付けても、本質は暴行を愉しんだだけ』と思っているんだろう。でも、ぼくはもう一つの考え方があると思う」

 考えがまとまってきた。
 わたるの中で出た一つの答えが今、ことに告げられる。

きみは心の中でどんなに汚いことを思っていたとしても、結局はぼくや日本を守る為に己をてて戦ったんだ。自分を殺してまで。同じく『御託よりも、内心よりも、実際の行動』であるなら、ぼくむしろそっちを選びたい。このぼくがそう思っているんだよ」
「そうかしら……」
「第一、ぼく達の関係は最初からお互いの罪をんで、歩み寄って、理解し合って、許し合うところから始まっているじゃないか。あの時はぼくが先にしつけなことをした、きみぼくをボコボコにした。今回はぼくきみに全てを背負わせた、きみぼくをボコボコにした」
わたし貴方あなたをボコボコにしてばかりね……」
「う、うん。まあそれはかく、また同じようにきずなを繋げば良いじゃないか」

 今、わたることは病室で互いに微笑み合っている。
 その姿は丁度、出会った頃とかが見合わせだ。
 あの時はわたるが入院し、ことが見舞いに来ていたが、今はことが入院し、わたるが見舞いに来ている。
 二人の関係はもう一度此処から始まるのだ。

 ことは静かに息を吐き、大事な問いを投げ掛けてくる。

「それで? 貴方あなたの気持ちは聞かせてもらったけれど、だから貴方あなたわたしにどうして欲しいの? どうせなら、そこまで聞かせてくれないかしら」
「ああ、そうだね」

 わたるもまた、改めて深呼吸した。
 しかし今度はそこまでの覚悟は要らない。
 あとはもう、気持ちを素直にぶつけるだけだ。

ぼくと付き合ってくれないか? きみと、唯の幼馴染から恋人同士の関係に進みたい」

 わたることに手を差し出した。
 後はことがこの手を取ってくれれば、わたるの悲願は叶う。

「ふふ、そうね……」

 こと悪戯いたずらっぽく、意地悪に微笑むと、わたるの手を取った。
 のみならず、ぐいと引っ張ってわたるの耳に唇を近付けた。
 突然の、予想外の行動に戸惑うわたるに対し、ことわくてきな眼をしてささやく。

「『ぼくを奴隷にしてください』じゃなくて良いの?」
「そ、それは……」
「ふふ、冗談よ。でも、貴方あなたが望むなら構わないわよ」

 わたるかつて無いほどドギマギしていた。
 あまりの高揚感に心臓の鼓動を感じる。
 そんなわたることは更に身体を寄せ、ほとんど密着させる。
 心地良い感触がわたるを包み込んだ。

「あの、そんなに身体を押し当てて、傷は痛まないの?」
「大丈夫よ。ちゃんのしん貴方あなたとの会話で随分元気になったから。多少は痛むけど、貴方あなたを感じられるならどうってことないわ」
「そ、そう。何よりだね」
ちなみにわたし、生まれ付き人体のことは知り尽くしているから、どこをどうすればどう感じるかが手に取る様に解るのよ」
「つ、つまり……」
「ま、楽しみにしておきなさい」

 固まるわたるに、ことは身体を離した。
 そして再び涼やかに微笑むと、真面目な答えを返す。

「恋人同士ね、願ってもないわ。是非、よろしくお願いします」
「おお、やった!」
「退院が楽しみね。デートしたり、共同作業したり、沢山二人の思い出を作りましょう」
「ああ。ま、しばらくお預けなのは残念だけど、今はのんびりと身体を休めてくれ」

 こうして、遂にわたることと交際することになった。
 彼の、二人の念願叶って、し、といったところだろうか。

 いな、一つだけわたるにはやり残したことがあった。
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