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第三章『争乱篇』
第六十一話『心労』 急
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航も双葉も、つい三日前までは一箇月以上も外国へ不本意に留まらせられていた。
本来、彼らはそのストレスから漸く解放された筈だった。
双葉の表情からは、唯でさえ限界だった心労を更に押し付けられた憔悴が滲み出ている。
謂わば「無理が漏れている顔」だろうか。
そんな彼女が再び「逃げ出したい」と零し、拉致の際に脱出を主導した航に縋っても無理からぬことであった。
「久住さん……」
「だって、あの時も今も同じじゃない。私達、何も悪いことなんかしてないのに、無理矢理閉じ込められて、戦わされてるんだよ? ただ狼ノ牙が政府に変わっただけじゃない」
しかし、前回と今回では状況が全く違う。
武装戦隊・狼ノ牙に拉致された時は、不法な集団の管理下から平和な祖国に帰ろうとしていた。
だが今は、最早平和とは言えない自国の、その政府の管理下に置かれているのだ。
帰ったとして追われる身になるだけであるし、帰った先に平穏があるとも限らない。
「私達ね、一昨日の戦いで死ぬところだったんだよ。ううん、私達が戦う前にもう何人も殺されてた。私が気を失った後だって、根尾さんや虻球磨君だけじゃ倒しきれなくて、何人か応援に来たけど、沢山死んじゃった。まるで流れ作業みたいに戦って、消耗品みたいに人が死んじゃうんだよ? どうしてみんなおかしいって思わないの?」
双葉は拳を固く握り締めた。
「岬守君だってこのまま当然の様に戦わされて、当たり前みたいに死んじゃうかも知れないんだよ?」
航は考える。
双葉は先程「自分は役に立たない」と己を卑下していた。
そう悩んで自信を喪失している――そう思っていた。
だが本当はそうではない。
戦いで役立つか、そうでないか、という論点自体が的外れなのだ。
双葉が苦しんでいたこと、訴えたかったこととは、当たり前の様に戦闘要員として見られ、戦闘要員としての価値で判断されることそのものだった。
「ごめん、僕が悪かったよ……」
航は痛感した。
自分は既に戦う覚悟が出来ている。
魅琴が守ろうとした日本を、彼女の意思を無駄にしない為にも、今度は自分が守り抜く――そう強く決意している。
しかし、それを仲間にまで無意識に押し付けていたのかも知れない。
自分と同じ思いで当然だと何処かで思っていたのかも知れない。
「久住さん、大切なことを思い出させてくれてありがとう」
「岬守君……!」
「君には辛い思いをさせた。反省しなくっちゃな……」
航は双葉に微笑みかけた。
双葉は顔を上げ、航をまじまじと見詰めている。
「東瀛丸の効果が切れて視力が元に戻ったらさ、新しい眼鏡が必要になるよね。今度、魅琴と三人で買いに行こうよ」
「買いに……行けるのかな……?」
「行けるさ、行こう。この戦い、僕が必ず終わらせる。眼鏡を買いに行けるような、平穏な日常を必ず取り戻してみせる」
「そう……」
双葉は小さく笑い、再び視線を落とした。
航は椅子から立ち上がった。
「今すぐに根尾さんと相談してくるよ。久住さんがこれ以上苦しまないで済むように、何か良い方法を考えてくれると思う」
「うん、ありがとう……」
窓に映る双葉の表情は暗い。
もう航には自分の中の心労を隠さなくても良くなった、ということだろうか。
双葉の瞳は外の風景を呆然と眺めている。
どこを見ているかわからない眼が景色を移ろっていた。
航はルームキーを取り出し、客室へと向かった。
その足で根尾の許へ向かい、双葉のことを話さなければ。
彼女はもう限界だ。
⦿⦿⦿
同じ頃、皇國ではとうに日が落ちていた。
統京湊区・紅坂御用地は鯱乃神邸。
訓練を終えて帰宅した第二皇子・鯱乃神那智を侍女・水徒端早辺子が出迎えた。
「お帰りなさいませ、鯱乃神殿下」
「ああ」
早辺子は邸宅へと足を踏み入れた鯱乃神に付き従う。
「水徒端、あれの調子はどうなっている?」
自室へ辿り着いた鯱乃神は軍服を脱ぎながら早辺子に尋ねた。
鍛え抜かれた瑞々しい肉体が露わになる。
「まだ最終確認が済んでおりませんが、ほぼ完了しております」
早辺子は鯱乃神の専用機を調整するように言い付けられている。
彼女が鯱乃神の侍女として迎えられたのは総合的に高い能力を持っているが故だが、一番の理由は為動機神体の整備能力を買われてのことである。
「明日には万全の態勢が整えられるかと。お待たせして申し訳御座いません」
「いや、充分だ。聞きしに勝る優秀さだな」
早辺子はほっと胸を撫で下ろした。
以前仕えていた主と比べ、鯱乃神は常識的で穏当なようだ。
尤も、以前の主が余りにも酷かっただけだろうが。
「輪田が敗れた話は?」
「聞き及んでおります。残念で御座いました」
「うむ。それで、今度は私が遠征軍の指揮下で金色の機体を攻略することになりそうだ。近い内に出撃命令があるだろう」
鯱乃神は拳を握り締めて口角を上げた。
「整備が間に合いそうで何よりだ。敵は甲夢黝の謀叛を沈めし男の駆る『金色の機体』。輪田をも退けたとなると実力は本物、相手にとって不足はない。今から武者震いが止まらん……!」
「え……?」
早辺子は鯱乃神の言った或る一説に引っ掛かりを覚え、目を見開いた。
聞き逃してしまっていたらまだ幸せだったかも知れないが、哀しいことに彼女はそれが出来ない程に従者として優秀であった。
「申し訳御座いません殿下、今『敵は甲夢黝の謀叛を沈めた』と仰りましたか?」
「……言ったな」
「まさか、岬守様が敵なのですか……?」
鯱乃神は小さく息を吐くと、ソファの元へ歩いた。
「そういえば君は知らなかったのだな。まあ、陛下を襲った下手人とその逃亡を手引きした操縦士のことは政府高官にすら伝わっていないのだから仕方の無いことだ。しかし、考えてもみろ。一連の大層な活躍を為し得る操縦士が、明治日本に何人も居ると思うか?」
「私はてっきり……敵に恐るべき操縦士が現れたのだとばかり……」
鯱乃神はソファに腰掛けると、早辺子の方に鋭い視線を向けた。
「今の内に言っておこう。優しく飛行具だけを破壊して生け捕りに出来る相手だとは思えん。君の知己とは百も承知だが、敵味方に分かれてしまった以上は覚悟しておけ」
早辺子は両目を閉じた。
そして、公転館で航と過ごした一月ばかりの日々を思い出す。
叛逆組織に心を殺して忍び込んだ生活の中で、航と過ごした時々だけは素の自分を出せる憩いだった。
その中で、出会ってはならなかった航に対し、早辺子は報われぬ恋をした。
また、航は地獄を抜けた後に待っていた地獄からも救い出してくれた。
自らの身を顧みず、強大な相手を物ともせず……。
今、岬守航は皇國の敵となった。
そして自らの授けた技術に因って脅威となり、忠誠を以て仕えるべき皇族と一戦交えようとしている。
早辺子は自身の記憶の中に大切に仕舞われた、航との輝石の様な日々を反芻した。
そして再び目を開け、現在の主君である鯱乃神那智に目を向けた。
「私は誇りある水徒端男爵家の令嬢、栄えある皇國臣民、偉大なる神皇陛下の臣下。仕えるべき主はその御子息たる第二皇子・鯱乃神那智殿下で御座います」
「そして、その主は皇國軍人、皇國の敵を滅ぼすべき戦士だ。分かるな?」
「……はい」
早辺子は僅かに答えを詰まらせた。
そんな彼女に、鯱乃神は更に問い詰める。
「君も華族の身ならば弁えて己の責務を果たせ。我々は下々の民とは違うのだ」
「……心得ております」
またしても、早辺子は言葉を詰まらせた。
そのような態度を見かねたのか、鯱乃神は溜息を吐いた。
「即答出来ないとは、その時点で分かっていないということだ。良いか、人間にはその価値に大いなる差がある。建前上は誰もが生まれながらに等しく至尊の価値があるなどと言う者も居るが、現実はそうではない」
「殿下、神皇陛下の御子息たる貴方様が仰って良い御言葉なのですか?」
「水徒端、私も臣民の手前、建前上は同じ事を言うだろう。『身分の違いはあれど、それはあくまで立場の違いでしかなく、本質的には全ての民が陛下の元で平等である』とな。だが、一方で弁えねばならん現実というものも存在するのだ。私達、貴き者達は建前と現実の両方を心に刻まねばならんのだ。だから私は私の責務として皇國の敵を討つ」
鯱乃神は椅子から立ち上がった。
「湯浴みに向かう。君も私の役に立て。それが君の務めなのだからな」
鯱乃神はそう言い残して部屋を出て行った。
主の背を見送る早辺子は覚悟を決める他無かった。
彼女に残された道は……。
⦿⦿⦿
更に翌日、七月十二日日曜日。
この日、航は根尾と共に再び魅琴の入院する病院へと向かっていた。
「岬守君、君が久住君と話してくれて、俺にそれを伝えてくれて良かった。もう少しで彼女は心労で取り返しの付かないことになるかも知れなかった。分かってはいたつもりだったが、甘え過ぎたことを反省しなくてはいけないな……」
「根尾さん、早速の対応ありがとうございます」
昨日あの後、航は双葉に言ったとおり、すぐ根尾に相談した。
勿論、訴えの内容はかなり掻い摘まみ、不穏な言葉は伝わらないように配慮した。
その結果、双葉は一時的に皇奏手の秘書として彼女の直接的な管理下に置かれることとなった。
皇の許で東瀛丸の効果が切れるまで様子を見て、神為が無くなり次第帰宅の許可を出す、という手筈となっている。
今は双葉を議員会館の皇事務所に送り届けた帰りに、事の顛末を魅琴に説明しに行くところだ。
「一先ず、これで久住君が前線に出されることは無くなるだろう。尤も、虻球磨君や繭月さんもこの先参らないとは限らない。有事とはいえ、こんな異常の状態は長く続いてほしくないものだ……」
「そうですね……」
現在、航達の扱いは急速に推し進められた法制度改革によって強引に合法化されている状態だ。
つまり通常であれば理不尽なのは間違い無く、双葉が参ってしまったのも無理は無かった。
「麗真君は怒るだろうな……」
「言い辛いなら僕から伝えましょうか?」
「いや、非難を受ける責任は俺にある」
そんな話をしているうちに病院が見えてきた。
しかし根尾のスマートフォンがけたたましく鳴動し、不穏な事態を告げる。
根尾はスマートフォンには一瞥もくれずに、角を曲がって進路を変更する。
「どうしたんですか?」
「今の着信音は緊急用でな。これが鳴ったときはすぐに君を横田飛行場へ送り届けなければならんのだ。悪いが君が出てくれないか? 態々車を止める時間も惜しいものでな」
すわ、敵襲か。
航は恐る恐る電話に出た。
「もしもし、代理で電話に出ました、岬守です」
『おお、岬守さんですか。豊中です。探知班が敵機の襲来を掴みました。すぐに此方へ来てください』
「でも、カムヤマトイワレヒコは前の戦いで結構損傷しましたが……」
『御心配には及びません。超級為動機神体には自己修復機能がありますし、それに加えて整備曹長が不眠不休で直してくれています』
どうやら根尾の予想は当たり、またしても敵の脅威が迫っているらしい。
本来ならば双葉の言うとおり、当たり前の様に航に出撃を要請するのはおかしな話だし、緒戦の時の様子だと自衛隊もそれは百も承知だろう。
しかし、航は行かねばならない。
今、日本を守るには航の力がどうしても必要なこともまた事実なのだから。
「わかりました。今、根尾さんの車で向かっているところです。すぐに行きます」
次はどんな敵だろうか、強敵だろうか。
航はそんな不安を胸に、電話を切った。
本来、彼らはそのストレスから漸く解放された筈だった。
双葉の表情からは、唯でさえ限界だった心労を更に押し付けられた憔悴が滲み出ている。
謂わば「無理が漏れている顔」だろうか。
そんな彼女が再び「逃げ出したい」と零し、拉致の際に脱出を主導した航に縋っても無理からぬことであった。
「久住さん……」
「だって、あの時も今も同じじゃない。私達、何も悪いことなんかしてないのに、無理矢理閉じ込められて、戦わされてるんだよ? ただ狼ノ牙が政府に変わっただけじゃない」
しかし、前回と今回では状況が全く違う。
武装戦隊・狼ノ牙に拉致された時は、不法な集団の管理下から平和な祖国に帰ろうとしていた。
だが今は、最早平和とは言えない自国の、その政府の管理下に置かれているのだ。
帰ったとして追われる身になるだけであるし、帰った先に平穏があるとも限らない。
「私達ね、一昨日の戦いで死ぬところだったんだよ。ううん、私達が戦う前にもう何人も殺されてた。私が気を失った後だって、根尾さんや虻球磨君だけじゃ倒しきれなくて、何人か応援に来たけど、沢山死んじゃった。まるで流れ作業みたいに戦って、消耗品みたいに人が死んじゃうんだよ? どうしてみんなおかしいって思わないの?」
双葉は拳を固く握り締めた。
「岬守君だってこのまま当然の様に戦わされて、当たり前みたいに死んじゃうかも知れないんだよ?」
航は考える。
双葉は先程「自分は役に立たない」と己を卑下していた。
そう悩んで自信を喪失している――そう思っていた。
だが本当はそうではない。
戦いで役立つか、そうでないか、という論点自体が的外れなのだ。
双葉が苦しんでいたこと、訴えたかったこととは、当たり前の様に戦闘要員として見られ、戦闘要員としての価値で判断されることそのものだった。
「ごめん、僕が悪かったよ……」
航は痛感した。
自分は既に戦う覚悟が出来ている。
魅琴が守ろうとした日本を、彼女の意思を無駄にしない為にも、今度は自分が守り抜く――そう強く決意している。
しかし、それを仲間にまで無意識に押し付けていたのかも知れない。
自分と同じ思いで当然だと何処かで思っていたのかも知れない。
「久住さん、大切なことを思い出させてくれてありがとう」
「岬守君……!」
「君には辛い思いをさせた。反省しなくっちゃな……」
航は双葉に微笑みかけた。
双葉は顔を上げ、航をまじまじと見詰めている。
「東瀛丸の効果が切れて視力が元に戻ったらさ、新しい眼鏡が必要になるよね。今度、魅琴と三人で買いに行こうよ」
「買いに……行けるのかな……?」
「行けるさ、行こう。この戦い、僕が必ず終わらせる。眼鏡を買いに行けるような、平穏な日常を必ず取り戻してみせる」
「そう……」
双葉は小さく笑い、再び視線を落とした。
航は椅子から立ち上がった。
「今すぐに根尾さんと相談してくるよ。久住さんがこれ以上苦しまないで済むように、何か良い方法を考えてくれると思う」
「うん、ありがとう……」
窓に映る双葉の表情は暗い。
もう航には自分の中の心労を隠さなくても良くなった、ということだろうか。
双葉の瞳は外の風景を呆然と眺めている。
どこを見ているかわからない眼が景色を移ろっていた。
航はルームキーを取り出し、客室へと向かった。
その足で根尾の許へ向かい、双葉のことを話さなければ。
彼女はもう限界だ。
⦿⦿⦿
同じ頃、皇國ではとうに日が落ちていた。
統京湊区・紅坂御用地は鯱乃神邸。
訓練を終えて帰宅した第二皇子・鯱乃神那智を侍女・水徒端早辺子が出迎えた。
「お帰りなさいませ、鯱乃神殿下」
「ああ」
早辺子は邸宅へと足を踏み入れた鯱乃神に付き従う。
「水徒端、あれの調子はどうなっている?」
自室へ辿り着いた鯱乃神は軍服を脱ぎながら早辺子に尋ねた。
鍛え抜かれた瑞々しい肉体が露わになる。
「まだ最終確認が済んでおりませんが、ほぼ完了しております」
早辺子は鯱乃神の専用機を調整するように言い付けられている。
彼女が鯱乃神の侍女として迎えられたのは総合的に高い能力を持っているが故だが、一番の理由は為動機神体の整備能力を買われてのことである。
「明日には万全の態勢が整えられるかと。お待たせして申し訳御座いません」
「いや、充分だ。聞きしに勝る優秀さだな」
早辺子はほっと胸を撫で下ろした。
以前仕えていた主と比べ、鯱乃神は常識的で穏当なようだ。
尤も、以前の主が余りにも酷かっただけだろうが。
「輪田が敗れた話は?」
「聞き及んでおります。残念で御座いました」
「うむ。それで、今度は私が遠征軍の指揮下で金色の機体を攻略することになりそうだ。近い内に出撃命令があるだろう」
鯱乃神は拳を握り締めて口角を上げた。
「整備が間に合いそうで何よりだ。敵は甲夢黝の謀叛を沈めし男の駆る『金色の機体』。輪田をも退けたとなると実力は本物、相手にとって不足はない。今から武者震いが止まらん……!」
「え……?」
早辺子は鯱乃神の言った或る一説に引っ掛かりを覚え、目を見開いた。
聞き逃してしまっていたらまだ幸せだったかも知れないが、哀しいことに彼女はそれが出来ない程に従者として優秀であった。
「申し訳御座いません殿下、今『敵は甲夢黝の謀叛を沈めた』と仰りましたか?」
「……言ったな」
「まさか、岬守様が敵なのですか……?」
鯱乃神は小さく息を吐くと、ソファの元へ歩いた。
「そういえば君は知らなかったのだな。まあ、陛下を襲った下手人とその逃亡を手引きした操縦士のことは政府高官にすら伝わっていないのだから仕方の無いことだ。しかし、考えてもみろ。一連の大層な活躍を為し得る操縦士が、明治日本に何人も居ると思うか?」
「私はてっきり……敵に恐るべき操縦士が現れたのだとばかり……」
鯱乃神はソファに腰掛けると、早辺子の方に鋭い視線を向けた。
「今の内に言っておこう。優しく飛行具だけを破壊して生け捕りに出来る相手だとは思えん。君の知己とは百も承知だが、敵味方に分かれてしまった以上は覚悟しておけ」
早辺子は両目を閉じた。
そして、公転館で航と過ごした一月ばかりの日々を思い出す。
叛逆組織に心を殺して忍び込んだ生活の中で、航と過ごした時々だけは素の自分を出せる憩いだった。
その中で、出会ってはならなかった航に対し、早辺子は報われぬ恋をした。
また、航は地獄を抜けた後に待っていた地獄からも救い出してくれた。
自らの身を顧みず、強大な相手を物ともせず……。
今、岬守航は皇國の敵となった。
そして自らの授けた技術に因って脅威となり、忠誠を以て仕えるべき皇族と一戦交えようとしている。
早辺子は自身の記憶の中に大切に仕舞われた、航との輝石の様な日々を反芻した。
そして再び目を開け、現在の主君である鯱乃神那智に目を向けた。
「私は誇りある水徒端男爵家の令嬢、栄えある皇國臣民、偉大なる神皇陛下の臣下。仕えるべき主はその御子息たる第二皇子・鯱乃神那智殿下で御座います」
「そして、その主は皇國軍人、皇國の敵を滅ぼすべき戦士だ。分かるな?」
「……はい」
早辺子は僅かに答えを詰まらせた。
そんな彼女に、鯱乃神は更に問い詰める。
「君も華族の身ならば弁えて己の責務を果たせ。我々は下々の民とは違うのだ」
「……心得ております」
またしても、早辺子は言葉を詰まらせた。
そのような態度を見かねたのか、鯱乃神は溜息を吐いた。
「即答出来ないとは、その時点で分かっていないということだ。良いか、人間にはその価値に大いなる差がある。建前上は誰もが生まれながらに等しく至尊の価値があるなどと言う者も居るが、現実はそうではない」
「殿下、神皇陛下の御子息たる貴方様が仰って良い御言葉なのですか?」
「水徒端、私も臣民の手前、建前上は同じ事を言うだろう。『身分の違いはあれど、それはあくまで立場の違いでしかなく、本質的には全ての民が陛下の元で平等である』とな。だが、一方で弁えねばならん現実というものも存在するのだ。私達、貴き者達は建前と現実の両方を心に刻まねばならんのだ。だから私は私の責務として皇國の敵を討つ」
鯱乃神は椅子から立ち上がった。
「湯浴みに向かう。君も私の役に立て。それが君の務めなのだからな」
鯱乃神はそう言い残して部屋を出て行った。
主の背を見送る早辺子は覚悟を決める他無かった。
彼女に残された道は……。
⦿⦿⦿
更に翌日、七月十二日日曜日。
この日、航は根尾と共に再び魅琴の入院する病院へと向かっていた。
「岬守君、君が久住君と話してくれて、俺にそれを伝えてくれて良かった。もう少しで彼女は心労で取り返しの付かないことになるかも知れなかった。分かってはいたつもりだったが、甘え過ぎたことを反省しなくてはいけないな……」
「根尾さん、早速の対応ありがとうございます」
昨日あの後、航は双葉に言ったとおり、すぐ根尾に相談した。
勿論、訴えの内容はかなり掻い摘まみ、不穏な言葉は伝わらないように配慮した。
その結果、双葉は一時的に皇奏手の秘書として彼女の直接的な管理下に置かれることとなった。
皇の許で東瀛丸の効果が切れるまで様子を見て、神為が無くなり次第帰宅の許可を出す、という手筈となっている。
今は双葉を議員会館の皇事務所に送り届けた帰りに、事の顛末を魅琴に説明しに行くところだ。
「一先ず、これで久住君が前線に出されることは無くなるだろう。尤も、虻球磨君や繭月さんもこの先参らないとは限らない。有事とはいえ、こんな異常の状態は長く続いてほしくないものだ……」
「そうですね……」
現在、航達の扱いは急速に推し進められた法制度改革によって強引に合法化されている状態だ。
つまり通常であれば理不尽なのは間違い無く、双葉が参ってしまったのも無理は無かった。
「麗真君は怒るだろうな……」
「言い辛いなら僕から伝えましょうか?」
「いや、非難を受ける責任は俺にある」
そんな話をしているうちに病院が見えてきた。
しかし根尾のスマートフォンがけたたましく鳴動し、不穏な事態を告げる。
根尾はスマートフォンには一瞥もくれずに、角を曲がって進路を変更する。
「どうしたんですか?」
「今の着信音は緊急用でな。これが鳴ったときはすぐに君を横田飛行場へ送り届けなければならんのだ。悪いが君が出てくれないか? 態々車を止める時間も惜しいものでな」
すわ、敵襲か。
航は恐る恐る電話に出た。
「もしもし、代理で電話に出ました、岬守です」
『おお、岬守さんですか。豊中です。探知班が敵機の襲来を掴みました。すぐに此方へ来てください』
「でも、カムヤマトイワレヒコは前の戦いで結構損傷しましたが……」
『御心配には及びません。超級為動機神体には自己修復機能がありますし、それに加えて整備曹長が不眠不休で直してくれています』
どうやら根尾の予想は当たり、またしても敵の脅威が迫っているらしい。
本来ならば双葉の言うとおり、当たり前の様に航に出撃を要請するのはおかしな話だし、緒戦の時の様子だと自衛隊もそれは百も承知だろう。
しかし、航は行かねばならない。
今、日本を守るには航の力がどうしても必要なこともまた事実なのだから。
「わかりました。今、根尾さんの車で向かっているところです。すぐに行きます」
次はどんな敵だろうか、強敵だろうか。
航はそんな不安を胸に、電話を切った。
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