日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第三章『争乱篇』

第六十五話『薨去』 破

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 はやてつ中尉以下三名、こうこく遠征軍のちようきゆうどうしんたい三機が進路を変え、北方から硫黄島を目指していた。
 無論、後から追い掛ける敵には気付いている。

(後方の敵は四機。数的優位を保ちながら最低限の戦力で追って来たか……)

 まだ敵とは充分な距離がある。
 しかし、少しでも詰まると射程に入るため、速度を緩められない状況だった。
 故に、途中の海上で発見したしやちかみ隊の華族軍人達のなおだまてて行かざるを得ない。

「六機もやられたのか……なおだまが残っているのは……三個か」
『ざまぁねえぜ、情けない』
『おいおい、おれ達も人のことは言えんだろ』
「そうだな……」

 はやは二つの嫌な予感を覚えていた。
 一つは、今後日本国がどうしんたい操縦の技能を上げ、更にごわくなるであろうこと。
 そしてもう一つは、この先の硫黄島で待ち受ける状況が悪いことだ。

「殿下、どうか御無事で……」

 目的地へ近付くにつれ、はやの心臓は鼓動を早めていた。
 何かが彼に事態を告げているかの様だ。

 間も無く、北硫黄島上空。
 金色の機体としやちかみ隊の交戦が移動し、残る四機のミロクサーヌれいしきが撃墜された区域に、元隊の三機が接近していた。
 と、その時である。
 はやの元に、一見の通信が入った。

はや……中……尉……』
「そのこえは、まさか……殿下……?」

 はやが驚いたのは、しやちかみらしき声が随分と弱っており、まるで風前の灯といった調子でかすれていたことだ。
 彼は最悪の事態を予感した。

「殿下! 今何方どちらですか? 直ちに救出へ向かいます!」
『いや、せ……。わたしはもう……駄目だ……』

 しやちかみの言葉にはやは眉をしかめた。
 皇族らしからぬ弱気さが、既に手遅れであることを確信させる。
 彼の胸に悲痛な後悔が襲い掛かる。

「申し訳御座いません……! わたしが……あんなことを提案したばかりに……!」
『決断したのは……わたしだ……。それよりも……頼みがある……』
「頼み……ですと……?」

 はやが疑問に思ったと同時に、一機のミロクサーヌれいしきが彼らの隊列に加わった。
 しやちかみが敗北したからには、他のしやちかみ隊機も全て撃墜されていると思われたが、意外にも一機残っていたらしい。
 いな、その機体もまた間違い無く撃墜されたはずだった。

『こちらひらつじ。すみません、殿下をまもりすることが出来ませんでした……』
ひらつじ少尉? どういうことだ?」
わたしが……わたししんが……ひらつじの機体を……再生させた……』

 ひらつじらい少尉――しやちかみ隊で隊長に次ぐ実力者の彼は、わたるとの戦いの末に撃墜されていた。
 辛うじてなおだまを脱出させることは出来たものの、戦闘不能に陥って海上に浮かんでいた、筈だった。
 そんな彼の機体を、しやちかみさいしんを使って再生させたのだ。

く聴け、はや中尉……。ひらつじ少尉を復活させたのは、任務継続の為ではない……。君達四機で可能な限りのこうこく兵を回収し、撤退してもらう為だ……』
「何を……! 貴方あなた様の無念を無駄には出来ません! ひらつじ少尉が復帰してくれれば百人力だ! 目標の島、意地でも手に入れます!」
『駄目だ……。それでは他の者達が助からん……』

 華族軍人は誇り高い。
 生きて敵の虜囚となるくらいならば死を選ぶだろう。
 また、彼らははたが捕虜となった事実を既に把握している。
 つまり、日本国がしんを無力化して抵抗を封じる「そうがん」を持っていることも推察出来ていた。

『どんな手を使っても良い……。一人でも多く生かして帰れ……。きみ達が生きて帰ることは、この戦いの経験を持ち帰るということだ……。それは机上の情報処理とは比較にならん価値が有る……。きみ達が生きていることに……それそのものに……それだけで価値が有るのだ……』

 はやは悲痛に表情を曇らせた。
 下には目標としていた硫黄島、その陸上に重なり合った金色の機体とタカミムスビが見える。
 それはまさに、しやちかみが撃破されてしまった姿に違いなかった。

はや中尉、敵と交渉しましょう』

 ひらつじの提案だった。
 はやもそれしか無いと思っていた。
 戦うことも出来なくはない。
 だが、背後より迫る敵は決して楽な相手ではなく、命は保証されない。

(殿下は我々を生かそうと……!)

 はやは恥を忍ぶ決意をした。

めいひのもと軍各機、応答されたし。ちらこうこく軍・はやてつ中尉」

 はやわらにもすがる思いで、自衛隊機に友軍の回収と撤退を持ち掛けた。
 そんな中、しやちかみの通信が、消え行く様な独り言がとうとうと続く。

『この戦いは……両国の戦争にけるほんの一部に過ぎない……。今回は……島の占領を諦める……。だが、今回だけだ……。こうこくは無敵であり、戦争目的はいずれ必ず果たされるだろう……。我々は勝利へ向かい進み続ける……。ただ今回は……少しばかり回り道をするだけだ……』

 こうこくの四機は旋回し、残る九人の回収へと向かった。
 自衛隊機から攻撃する様子は無い。
 どうやら交渉はれられたらしい。

 こうこく軍は硫黄島を諦めて撤退する代わりに、生き残った兵を回収する。
 自衛隊はそれをえて追わない。

『これは退却ではない……。勝利へ向かう進路を変える……転進……である……』

 しやちかみの通信はここで途絶えた。



    ⦿⦿⦿



 胸に致死の鉄塊を突き立てられたしやちかみは、せめて一人でも多くの部下を帰還させる為にひらつじ機を再生させたことで、残されたしんをほぼ全て使い果たしてしまった。
 辛うじてはや機と通信し、最期の意志を伝えることはかなったものの、終わりの方にはほとんうわごとの様な状態でつぶやくことしか出来なかった。

 今、しやちかみの感覚は全てが遮断され、意識は闇の中へと沈み込んでいる。
 臨終の世界、自分の内側だけが全ての世界、はや外界のことは知る由も術も無い。
 そんな彼のもとあらわれたのは、うれいにれた眼をした父の姿だった。

よ……、もうあれと、えいと己を比べるのはやめよ』

 しやちかみは思い出した。
 これは、軍隊に行くと言った夜に父の寝室へと呼ばれて語られた言葉だ。

『軍へ行くのは良い。なんじの決意表明にはなんじの美点がく出ておった。なんじは己を甘やかさぬ男だ。皇族の地位に甘えず、己をひたきに磨き続けられる男だ。ちんはそんななんじのことを、えいせいと変わらず誇りに思っておる』
もう……さま……」

 そうであった、確かそんなことを言われたのだった。
 父の言うこともわかる。
 現に、その予言は当たってしまったと言うことだろう。

『だがなんじえいと己を比較してしまうが故に、自分を愛せずに苦しみ続けておる。何事も過ぎたるは毒だ。己に厳し過ぎる基準を、無理難題を課して生き急ぐべきではない。なんじの自己否定は、孰れなんじを破滅へと駆り立てるであろう。願わくは少しでも、ちんいとなんじの愛を向けてはくれぬか。なんじとどまれるように……』

 しやちかみは父へ向かってほほんだ。
 どこか自嘲的で、諦めに満ちた笑みだった。

(申し訳御座いません。わたしもうさまいいけを守れませんでした……)

 しやちかみにはついに、父の言葉は届かなかった。
 父の上げた美点も、しやちかみに言わせれば世界一恵まれた環境によって与えられた、持っていて当たり前の資質に過ぎない。
 それでは駄目なのだ。
 彼は何としても、皇族としての生まれに無関係な価値が欲しかった。

(しかし、手に入らなかった……。結局わたしを超えられなかった)

 そう、しやちかみは己にとって価値のある人間になれなかった。
 最強のどうしんたい操縦士になれなかった以上、自分は軍人としてもまた無価値。
 そんな男の為に、部下達が犠牲になることなどあってはならなかった。
 なら、彼らは自分とは違うのだから。

 この世には二種類の人間が居る。
 命に代えてでも大事を成して初めて生きるに値する人間と、初めから生きる価値のある命を持って生まれてきた人間だ。
 平民も、士族も、華族でさえも、生まれてきたこと自体が尊く、初めから生きる価値を持った命である。
 父は言わずもがな、皇位を継ぐべき命として生まれてきた兄も、皇族を指導すべく最初に生まれてきた姉も、父の一大事には父に代わってこうこくを支えることが出来るしんを備えて生まれてきた弟妹も、初めから生きる価値を持った命である。

 ただ自分だけは、命に代えてでも大事を成さねばならなかった。
 生きるに値しなかった命が消える、それがこの結末なのだ。

(だからわたしが死ぬ、それは良い。それは仕方の無いことだ……)

 しかし、しやちかみは一つだけ気に入らなかった。
 それはひろあきらを超えるべく戦った相手・さきもりわたるのことである。

(貴様は今まで、何人殺した?)

 実のところわたるはこれまで、直接的には誰の命も奪っていない。
 生身の戦いでもことごとく止めを差し切れてはいないし、どうしんたいでの戦いでも撃墜した機体からは全ての操縦士が脱出している。

(戦場に出ながら、命を奪うことなく軍事的成果だけ手に入れる……。それがどうにも気に入らん……)

 故に、しやちかみはある意味で満足していた。
 自分の命をもつて、かたきから不殺ころさずを奪うことが出来るのだ。
 さきもりわたるは今ようやく、戦いの業を背負ったと言えるだろう。
 あるいは、本来踏み込むべき間合いにまれた、と。

(精々修羅の道をまいしんするが良い。そして、わたしと同じく破滅へ転落するのだ。こうこくに刃向かう以上、行き着く先は敗北と死だけなのだからな……)

 いつの間にかしやちかみの目の前から父・じんのうの姿が消えていた。
 いよいよ命のともしが消えるのだ。
 闇に沈んでいた彼をまばゆい光が包み込んでいく。

(兄様……)

 しやちかみが最期に思い浮かべたのは、最も思い悩まされてきた兄のことだった。
 だが、そこには憎しみも嫉妬も無かった。
 死に際して己を包んでいたよどみがち、裸の素直な心だけがあった。

「ずっと兄様がうらやましかった……。兄様にさわしい弟になりたかった……。こんなことを言ったらまた困らせてしまうかな……。またえたら、そのときは謝らなきゃ……」

 その言葉は呟いたのか、はたまた思い浮かべただけだったのか。
 かく、それを最期に彼は事切れた。
 しんせいだいにっぽんこうこく第二皇子・しやちかみやすとも、二十五歳にして硫黄島に死す。
 自らの価値を盲目に追い求めて生き急いだ、あまりにも短い生涯だった。
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