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第三章『争乱篇』
第六十八話『個人的仇敵』 序
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時は遡り、七月十六日。
この日、雲野兎黄泉は白檀揚羽を通して皇奏手に呼び出され、一つの要請を受けていた。
彼女と兄・雲野幽鷹は元々日本国民ではなく、拉致被害者と共に日本に入国してから帰化の手続に入った、ということになっている。
二人の帰化申請は非常に特殊な事例であるので、通常よりはかなり短い期間で許可が下りるだろうが、それでもこの短い期間ではまだ日本国籍は付与されていない。
それで、この二人に関しては特別警察特殊防衛課の契約対象から外れたのである。
だがそれとは別に、兎黄泉は皇から秘密裏に最後の作戦を助ける様に要請されたのだ。
二十時半過ぎ、兎黄泉は一人で兄の病室を訪れていた。
一時は集中治療室に移されていたが、今は通常の病室に戻っている。
とはいえ、元通り麗真魅琴と同室ではなく、それぞれ別々に一人ずつで入院していた。
「御兄様、兎黄泉はどうすれば良いのでしょう……?」
兎黄泉は独り、兄の寝顔に問い掛けた。
皇の要請を受ける他無い、ということは解っている。
今自分達を庇護し得るのが日本国だけであり、その唯一の国家が失われれば自分達もまた運命を共にするしかない。
要望通り、航とカムヤマトイワレヒコに同乗し、日神回路を発動し続ける為に神為を貸すことを断るつもりは無い。
だが彼女には一つ、不安があった。
神為を貸すのは良いとして、果たしてそれだけで事足りるのだろうか。
「兎黄泉にも……出来るでしょうか……」
兎黄泉は拳を握り締めた。
元々、彼女が貸せる神為は兄・幽鷹と違って多くない。
戦いで役に立つ為には、兄が死の淵、黄泉比良坂の麓で覚醒した力が必要になるのではないか。
誰かと融合して自分を委ねることで、神為を何倍にも引き上げるあの力が。
「御兄様、教えてください。兎黄泉にも、御兄様が麗真魅琴さんを助けた力を授けてください……」
そう呟いたとき、彼女は頭上から自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
顔を上げると、そこにはどこかで見たような、曖昧な記憶の片隅に見付けたような少年が半透明の朧気な姿で佇んでいた。
『兎黄泉ちゃん……』
少年は兎黄泉の名を呼んでいる。
その声をはっきり聞き、彼女は声の主、少年の正体を悟った。
「ああ、御兄様、今の身体に入る前はそんな姿でしたね……」
雲野兄妹は元々、植物状態だった別の異性一卵性双生児の魂を現在の肉体――神皇の複製体に移した異性一卵性双生児である。
二人の、今の肉体に入る前の人生についての記憶は曖昧であるが、決して消えた訳ではない。
兎黄泉は兄・幽鷹が魂の姿で漂っている様子を見て理解した。
「そういうことですか……。元々、この身体は魂の無い空っぽの器だった……。兎黄泉は魂と身体の神為を繋ぎ合わせ、融け合わせることで一人の人間として成り立たせている……。ほんの少し、魂の一部を神為に変えて……」
それは為動機神体を操縦する原理とほぼ同じである。
謂わば、魂という操縦士が肉体という外なる神と接続され、操縦している状態だ。
魂は肉体の神為を全部、肉体は魂の神為を一部、自らのものとして使用することが出来る。
「なら自分を完全に神為に変えてしまえば、より深く強く融け合うことが出来る。そして、その状態で別の誰かの中に入れば……。御兄様はそうやって麗真魅琴さんに全部を預けた。そして、返してもらう時にまた肉体と魂が別れてしまったのですね。それが、御兄様の今……」
兎黄泉は小さな胸に手を当てて呼吸を整える。
その推察は兎黄泉にとって、これからやろうとしていることが大きな賭けであると示していた。
『大丈夫だよ、兎黄泉ちゃん』
宙に浮かぶ幽鷹の魂が兎黄泉に優しく微笑みかける。
そして心做しか、ベッドで眠る今の兄の顔も笑っている様に見えた。
兎黄泉は少しばかり勇気付けられた気がした。
兄が大丈夫と言うからには、屹度兄は帰って来られるのだろう。
それは勿論、兎黄泉も……。
「御兄様は今、もう一度魂と身体を繋ぎ合わそうとしているのですね」
『ふにゅ』
「まだ、終わってはいないのですね」
『ふにゅ』
幽鷹は兎黄泉の質問に頷く。
彼女は覚悟を決めた。
「解りました。皇奏手さんのお願い、兎黄泉は受けます。その時までに、自分の全部を神為に変えられるようになっておきますです」
兎黄泉の決意を見届けた幽鷹は安心した様に消えていった。
再び目覚めの準備に入ったのだろう。
蒸し暑い夜のことだった。
その後、八月半ばにミッドウェー島の上空で、兎黄泉はこの日の覚悟を実践することになるのである。
⦿⦿⦿
単機、カムヤマトイワレヒコで皇國首都統京を目指す岬守航はミッドウェー島上空へ差し掛かろうとしていた。
それと同時に、前方の敵が黙殺し難く気配を強めていく。
近付くまでは殆ど感じなかったにも関わらず、その威圧感は指数関数的に怖気を増していき、悍ましい感覚が全身をどす黒く塗り潰す。
苦い記憶、心的外傷が背中に圧し掛かり、尻の穴から脳天へと激しく突き上がる。
「はぁ……はぁ……」
『大丈夫ですか、岬守航さん?』
兎黄泉が航に声を掛けたのは、一つに融合した彼女に航の精神状態が伝わったからだろう。
近付くにつれ、航は待ち受ける敵の正体の確信を深めていく。
滅多なことでは折れない航だが、そんな彼を心底震え上がらせた人物が二人居る。
一人は言うまでも無く幼馴染の麗真魅琴で、航が彼女に与えられた敗北は一生消えない思慕の烙印となって残り続けるだろう。
そしてもう一人の許へ、航は今にも到達する。
抗うことが一切出来なかったあの夜、魅琴の助けが入らないまま夜を明かしていれば、間違い無く屈服してしまっていた。
魅琴と並び、航の心を折り得た女、麒乃神聖花。
ミッドウェー島の上空にて、航は遂に彼女の駆る全高三十六米の特別機、絶級為動機神体・カムムスビと対峙した。
『久し振りですねえっ! 待っていましたよ、航!』
天を揺るがす彼女の声、即ち絶大なる神為に、航は戦慄いて硬直した。
能く通る彼女の声、鮮明に想起された生身の姿形が、拭い得ない心的外傷を呼び起こす。
「麒乃神……聖花っ……!」
航は敵の名を呼び捨て、辛うじて戦意を保つ。
(呑まれるな。唯でさえ厳しい戦いなのに、気持ちで負けていては駄目だ!)
この敵は彼自身が乗り越えなければならない因縁の相手である。
(生きて、勝って、この戦争を終わらせて、日本を守る!)
航は歯を食い縛って戦意を奮い立たせる。
個人的な仇敵に対し、光線砲を向ける。
少々前のめりであるが、動けなくなるよりはずっと良い滑り出しだ。
しかし、そんな気負った航の意識に兎黄泉が警告する。
『駄目です! 機体を神為で守って!』
「え?」
兎黄泉の声に航が踏み止まった、その時だった。
敵機カムムスビが刹那の揺らぎを見せたと同時に、世界が横転する凄まじい衝撃が航を襲う。
全身がバラバラ、粉微塵に砕かれた様な痛みと同時に、航は自身が機体ごと金剛石の如く固い壁に叩き付けられたと感じた。
そして、機体と結び付いた感覚は自身が水に沈められたのだと認めた。
(何が……起こったんだ……!)
困惑する航だが、戦いの記憶が答えに結び付く。
このダメージは、規模こそ桁違いだが硫黄島の時に似ている。
タカミムスビに止めを刺す直前、鯱乃神那智から受けた最後の抵抗とそっくりだ。
「今のは……解放された神為をぶつけられたのか……!」
航は戦慄した。
今の攻撃、カムムスビは殆どその気配を見せなかった。
ほんの僅かに見られた揺らぎも、攻撃と全く同時だったと言って良い。
また、攻撃範囲も全く分からない。
(こんなの躱しようがないぞ)
焦燥感と共に海面を見上げる航だったが、再び兎黄泉が警告する。
『油断しないで! 神為の攻撃は水の中だろうと関係無いです!』
「解ってるけど、だからってどうすれば!」
『さっきみたいに機体を守って!』
さっきみたいに、とはどういうことか――そう尋ねようとした瞬間、再び航は痛烈極まり無い衝撃に襲われた。
耐え難い激痛、全身から噴き出す血潮に、早くも意識が薄れる。
「う……ぁ……」
闇の中へ沈んでいく最中、航は砂粒の様な細やかな煌めきを見ていた。
為す術無く、このまま海の底で永久の眠りに就く――そう予感した時だった。
『は? 殺されるの? 私以外の女に?』
魅琴の姿が航の脳裡に映し出された。
しかもその表情、声はこれまでに無い怒りを纏っている。
「ひぃっ!?」
余りの迫力に、航の意識は一気に現実へと引き戻された。
妄想の中の魅琴がここまでの怒りを見せたのは初めてのことだ。
『あの、岬守航さん、大丈夫ですか……?』
「み、魅琴……無茶苦茶怒ってた……」
航は呼吸を荒げながら額の汗と血を拭った。
心臓が早鐘を打っているせいで出血が止まらない。
『当然でしょ。他の女に殺されるってことは、永遠にそいつの物になるってことなのよ。そんなの、許せる訳無いじゃない』
「目が覚めたのにまだ話し掛けてくるの!?」
『自分の妄想でしょうが』
航は尚も自分で作り出した魅琴の声と一人問答している。
『な、何をやっているのですか?』
兎黄泉は唯々困惑している。
航の行動は狂人のそれでしかないのだから、当然だろう。
だが、航には別の予感があった。
航の潜在意識が魅琴の妄想を作り出す時、それは何か重大なことを報せようとしているのだ。
『良い? この戦い、相手は桁外れの神為に物を言わせ、為動機神体の神為無効化機能を無視して攻撃してきているわ』
「ああ、そうだろうね。皇族らしい戦い方だよ」
航は問答を続ける。
『そしてそれに耐えられているのは、貴方が兎黄泉ちゃんと同調して大幅に、それこそ皇族と張り合える程に神為を上昇させているからよ』
「君が神皇と戦った時、幽鷹君と融合したみたいに、だろ?」
『ええ。私を差し置いて他の女と一つになるなんて本来は許せないけれど、その時の分を差し引いて今は不問にしてあげるわ』
繰り返すがこれは航の妄想なので、彼自身が一人で魅琴に嫉妬されて許される茶番を演じているだけである。
『まあそれは兎も角、重要なのはここからよ。今受けた二発の神為は、どちらもたった一発で機体ごと跡形も無く消し飛ばされる威力の攻撃だった。にも拘わらず、貴方もカムヤマトイワレヒコも生き残っている。これが何故だか解る?』
「その答えはさっきなんとなく掴んだよ」
航は意識を失いかける寸前に見た煌めきのことを思い返す。
「僕は無意識のうちに虎駕の能力、鏡の障壁で機体を守ったんだ。だからその破片が微かに見えた。そうだろう?」
『正解よ。この戦い、最早通常の為動機神体戦じゃない。術識神為まで駆使した総決算になると思いなさい』
「解ったよ。で、それだけか?」
航は妄想の魅琴の声に問い掛ける。
此処までのことは既に解っている話だ。
つまり、潜在意識が伝えたいことは他にもある筈だ。
「まだあるんだろう? もっと大事な話が」
『ええ。航、能く聴きなさい……』
魅琴は航に言い聞かせる。
抑も、航に虎駕憲進の能力が使える理由はまだ航自身にも能く解っていない。
つまり、航の術識神為には尚も未知の能力があり、完全覚醒に至っていないのだ。
それが今、解き明かされようとしていた。
『貴方って本当、とことん才能が無いのね。今更完全覚醒だなんて』
「自分でもそう思うよ。というか、だから今君にそう言われているんだけどね」
『ええ。でも、これでもう大丈夫……』
「ああ、ありがとう……」
航は魅琴に礼を言い、再び海面を睨み上げた。
『岬守航さん……?』
「ごめん兎黄泉ちゃん、待たせたね。さあ、気を取り直して行こう」
航はカムヤマトイワレヒコをゆっくりと浮上させていく。
不思議と、麒乃神聖花を前にした緊張は消し飛んでいた。
戦いはここからが本番、といったところである。
この日、雲野兎黄泉は白檀揚羽を通して皇奏手に呼び出され、一つの要請を受けていた。
彼女と兄・雲野幽鷹は元々日本国民ではなく、拉致被害者と共に日本に入国してから帰化の手続に入った、ということになっている。
二人の帰化申請は非常に特殊な事例であるので、通常よりはかなり短い期間で許可が下りるだろうが、それでもこの短い期間ではまだ日本国籍は付与されていない。
それで、この二人に関しては特別警察特殊防衛課の契約対象から外れたのである。
だがそれとは別に、兎黄泉は皇から秘密裏に最後の作戦を助ける様に要請されたのだ。
二十時半過ぎ、兎黄泉は一人で兄の病室を訪れていた。
一時は集中治療室に移されていたが、今は通常の病室に戻っている。
とはいえ、元通り麗真魅琴と同室ではなく、それぞれ別々に一人ずつで入院していた。
「御兄様、兎黄泉はどうすれば良いのでしょう……?」
兎黄泉は独り、兄の寝顔に問い掛けた。
皇の要請を受ける他無い、ということは解っている。
今自分達を庇護し得るのが日本国だけであり、その唯一の国家が失われれば自分達もまた運命を共にするしかない。
要望通り、航とカムヤマトイワレヒコに同乗し、日神回路を発動し続ける為に神為を貸すことを断るつもりは無い。
だが彼女には一つ、不安があった。
神為を貸すのは良いとして、果たしてそれだけで事足りるのだろうか。
「兎黄泉にも……出来るでしょうか……」
兎黄泉は拳を握り締めた。
元々、彼女が貸せる神為は兄・幽鷹と違って多くない。
戦いで役に立つ為には、兄が死の淵、黄泉比良坂の麓で覚醒した力が必要になるのではないか。
誰かと融合して自分を委ねることで、神為を何倍にも引き上げるあの力が。
「御兄様、教えてください。兎黄泉にも、御兄様が麗真魅琴さんを助けた力を授けてください……」
そう呟いたとき、彼女は頭上から自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
顔を上げると、そこにはどこかで見たような、曖昧な記憶の片隅に見付けたような少年が半透明の朧気な姿で佇んでいた。
『兎黄泉ちゃん……』
少年は兎黄泉の名を呼んでいる。
その声をはっきり聞き、彼女は声の主、少年の正体を悟った。
「ああ、御兄様、今の身体に入る前はそんな姿でしたね……」
雲野兄妹は元々、植物状態だった別の異性一卵性双生児の魂を現在の肉体――神皇の複製体に移した異性一卵性双生児である。
二人の、今の肉体に入る前の人生についての記憶は曖昧であるが、決して消えた訳ではない。
兎黄泉は兄・幽鷹が魂の姿で漂っている様子を見て理解した。
「そういうことですか……。元々、この身体は魂の無い空っぽの器だった……。兎黄泉は魂と身体の神為を繋ぎ合わせ、融け合わせることで一人の人間として成り立たせている……。ほんの少し、魂の一部を神為に変えて……」
それは為動機神体を操縦する原理とほぼ同じである。
謂わば、魂という操縦士が肉体という外なる神と接続され、操縦している状態だ。
魂は肉体の神為を全部、肉体は魂の神為を一部、自らのものとして使用することが出来る。
「なら自分を完全に神為に変えてしまえば、より深く強く融け合うことが出来る。そして、その状態で別の誰かの中に入れば……。御兄様はそうやって麗真魅琴さんに全部を預けた。そして、返してもらう時にまた肉体と魂が別れてしまったのですね。それが、御兄様の今……」
兎黄泉は小さな胸に手を当てて呼吸を整える。
その推察は兎黄泉にとって、これからやろうとしていることが大きな賭けであると示していた。
『大丈夫だよ、兎黄泉ちゃん』
宙に浮かぶ幽鷹の魂が兎黄泉に優しく微笑みかける。
そして心做しか、ベッドで眠る今の兄の顔も笑っている様に見えた。
兎黄泉は少しばかり勇気付けられた気がした。
兄が大丈夫と言うからには、屹度兄は帰って来られるのだろう。
それは勿論、兎黄泉も……。
「御兄様は今、もう一度魂と身体を繋ぎ合わそうとしているのですね」
『ふにゅ』
「まだ、終わってはいないのですね」
『ふにゅ』
幽鷹は兎黄泉の質問に頷く。
彼女は覚悟を決めた。
「解りました。皇奏手さんのお願い、兎黄泉は受けます。その時までに、自分の全部を神為に変えられるようになっておきますです」
兎黄泉の決意を見届けた幽鷹は安心した様に消えていった。
再び目覚めの準備に入ったのだろう。
蒸し暑い夜のことだった。
その後、八月半ばにミッドウェー島の上空で、兎黄泉はこの日の覚悟を実践することになるのである。
⦿⦿⦿
単機、カムヤマトイワレヒコで皇國首都統京を目指す岬守航はミッドウェー島上空へ差し掛かろうとしていた。
それと同時に、前方の敵が黙殺し難く気配を強めていく。
近付くまでは殆ど感じなかったにも関わらず、その威圧感は指数関数的に怖気を増していき、悍ましい感覚が全身をどす黒く塗り潰す。
苦い記憶、心的外傷が背中に圧し掛かり、尻の穴から脳天へと激しく突き上がる。
「はぁ……はぁ……」
『大丈夫ですか、岬守航さん?』
兎黄泉が航に声を掛けたのは、一つに融合した彼女に航の精神状態が伝わったからだろう。
近付くにつれ、航は待ち受ける敵の正体の確信を深めていく。
滅多なことでは折れない航だが、そんな彼を心底震え上がらせた人物が二人居る。
一人は言うまでも無く幼馴染の麗真魅琴で、航が彼女に与えられた敗北は一生消えない思慕の烙印となって残り続けるだろう。
そしてもう一人の許へ、航は今にも到達する。
抗うことが一切出来なかったあの夜、魅琴の助けが入らないまま夜を明かしていれば、間違い無く屈服してしまっていた。
魅琴と並び、航の心を折り得た女、麒乃神聖花。
ミッドウェー島の上空にて、航は遂に彼女の駆る全高三十六米の特別機、絶級為動機神体・カムムスビと対峙した。
『久し振りですねえっ! 待っていましたよ、航!』
天を揺るがす彼女の声、即ち絶大なる神為に、航は戦慄いて硬直した。
能く通る彼女の声、鮮明に想起された生身の姿形が、拭い得ない心的外傷を呼び起こす。
「麒乃神……聖花っ……!」
航は敵の名を呼び捨て、辛うじて戦意を保つ。
(呑まれるな。唯でさえ厳しい戦いなのに、気持ちで負けていては駄目だ!)
この敵は彼自身が乗り越えなければならない因縁の相手である。
(生きて、勝って、この戦争を終わらせて、日本を守る!)
航は歯を食い縛って戦意を奮い立たせる。
個人的な仇敵に対し、光線砲を向ける。
少々前のめりであるが、動けなくなるよりはずっと良い滑り出しだ。
しかし、そんな気負った航の意識に兎黄泉が警告する。
『駄目です! 機体を神為で守って!』
「え?」
兎黄泉の声に航が踏み止まった、その時だった。
敵機カムムスビが刹那の揺らぎを見せたと同時に、世界が横転する凄まじい衝撃が航を襲う。
全身がバラバラ、粉微塵に砕かれた様な痛みと同時に、航は自身が機体ごと金剛石の如く固い壁に叩き付けられたと感じた。
そして、機体と結び付いた感覚は自身が水に沈められたのだと認めた。
(何が……起こったんだ……!)
困惑する航だが、戦いの記憶が答えに結び付く。
このダメージは、規模こそ桁違いだが硫黄島の時に似ている。
タカミムスビに止めを刺す直前、鯱乃神那智から受けた最後の抵抗とそっくりだ。
「今のは……解放された神為をぶつけられたのか……!」
航は戦慄した。
今の攻撃、カムムスビは殆どその気配を見せなかった。
ほんの僅かに見られた揺らぎも、攻撃と全く同時だったと言って良い。
また、攻撃範囲も全く分からない。
(こんなの躱しようがないぞ)
焦燥感と共に海面を見上げる航だったが、再び兎黄泉が警告する。
『油断しないで! 神為の攻撃は水の中だろうと関係無いです!』
「解ってるけど、だからってどうすれば!」
『さっきみたいに機体を守って!』
さっきみたいに、とはどういうことか――そう尋ねようとした瞬間、再び航は痛烈極まり無い衝撃に襲われた。
耐え難い激痛、全身から噴き出す血潮に、早くも意識が薄れる。
「う……ぁ……」
闇の中へ沈んでいく最中、航は砂粒の様な細やかな煌めきを見ていた。
為す術無く、このまま海の底で永久の眠りに就く――そう予感した時だった。
『は? 殺されるの? 私以外の女に?』
魅琴の姿が航の脳裡に映し出された。
しかもその表情、声はこれまでに無い怒りを纏っている。
「ひぃっ!?」
余りの迫力に、航の意識は一気に現実へと引き戻された。
妄想の中の魅琴がここまでの怒りを見せたのは初めてのことだ。
『あの、岬守航さん、大丈夫ですか……?』
「み、魅琴……無茶苦茶怒ってた……」
航は呼吸を荒げながら額の汗と血を拭った。
心臓が早鐘を打っているせいで出血が止まらない。
『当然でしょ。他の女に殺されるってことは、永遠にそいつの物になるってことなのよ。そんなの、許せる訳無いじゃない』
「目が覚めたのにまだ話し掛けてくるの!?」
『自分の妄想でしょうが』
航は尚も自分で作り出した魅琴の声と一人問答している。
『な、何をやっているのですか?』
兎黄泉は唯々困惑している。
航の行動は狂人のそれでしかないのだから、当然だろう。
だが、航には別の予感があった。
航の潜在意識が魅琴の妄想を作り出す時、それは何か重大なことを報せようとしているのだ。
『良い? この戦い、相手は桁外れの神為に物を言わせ、為動機神体の神為無効化機能を無視して攻撃してきているわ』
「ああ、そうだろうね。皇族らしい戦い方だよ」
航は問答を続ける。
『そしてそれに耐えられているのは、貴方が兎黄泉ちゃんと同調して大幅に、それこそ皇族と張り合える程に神為を上昇させているからよ』
「君が神皇と戦った時、幽鷹君と融合したみたいに、だろ?」
『ええ。私を差し置いて他の女と一つになるなんて本来は許せないけれど、その時の分を差し引いて今は不問にしてあげるわ』
繰り返すがこれは航の妄想なので、彼自身が一人で魅琴に嫉妬されて許される茶番を演じているだけである。
『まあそれは兎も角、重要なのはここからよ。今受けた二発の神為は、どちらもたった一発で機体ごと跡形も無く消し飛ばされる威力の攻撃だった。にも拘わらず、貴方もカムヤマトイワレヒコも生き残っている。これが何故だか解る?』
「その答えはさっきなんとなく掴んだよ」
航は意識を失いかける寸前に見た煌めきのことを思い返す。
「僕は無意識のうちに虎駕の能力、鏡の障壁で機体を守ったんだ。だからその破片が微かに見えた。そうだろう?」
『正解よ。この戦い、最早通常の為動機神体戦じゃない。術識神為まで駆使した総決算になると思いなさい』
「解ったよ。で、それだけか?」
航は妄想の魅琴の声に問い掛ける。
此処までのことは既に解っている話だ。
つまり、潜在意識が伝えたいことは他にもある筈だ。
「まだあるんだろう? もっと大事な話が」
『ええ。航、能く聴きなさい……』
魅琴は航に言い聞かせる。
抑も、航に虎駕憲進の能力が使える理由はまだ航自身にも能く解っていない。
つまり、航の術識神為には尚も未知の能力があり、完全覚醒に至っていないのだ。
それが今、解き明かされようとしていた。
『貴方って本当、とことん才能が無いのね。今更完全覚醒だなんて』
「自分でもそう思うよ。というか、だから今君にそう言われているんだけどね」
『ええ。でも、これでもう大丈夫……』
「ああ、ありがとう……」
航は魅琴に礼を言い、再び海面を睨み上げた。
『岬守航さん……?』
「ごめん兎黄泉ちゃん、待たせたね。さあ、気を取り直して行こう」
航はカムヤマトイワレヒコをゆっくりと浮上させていく。
不思議と、麒乃神聖花を前にした緊張は消し飛んでいた。
戦いはここからが本番、といったところである。
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高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
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