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第三章『争乱篇』
第七十話『黄昏時の天空へ捧げる讃美歌』 急
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回廊を進む神皇は、傍らに転がる遺体と酸鼻な血の匂いに顔を顰めていた。
だが動揺は見せず、あくまで威厳に満ちた佇まいで歩いていく。
「大覚寺、爾もか……」
神皇の眼に一人の壮年男の遺体が映った。
侍従長・大覚寺常定。
長年皇族に仕え続けた、神皇にとって忠臣の筆頭格である。
「神皇陛下自らお出ましか……」
「とうとう実物にお目に掛かれるとは、感無量だね」
そんなところへ、二人の男女が対面から歩いてきた。
「爾らは?」
「『地上ノ蠍座』の『七曜衆』、日下部光郎だ」
「同じく、月夜萌以。狼ノ牙の首領Дに言われて、貴方を迎えに来たという訳だよ」
日下部光郎・月夜萌以の二人は神皇の眼前に迫り、小柄な彼を見下ろす。
しかし神皇は眉一つ動かさない。
「迎えに来たと申したか。成程、大儀である」
「何だと、俺達に『大儀』だと?」
「奴の所へ無事行けるとも限らんのでな。道中は爾らが朕を守るのであろう?」
「僕達を護衛扱いとは……。いや、寧ろ御立派かな」
「うむ、案内してもらおうか……」
日下部と月夜は互いに顔を見合わせた。
「本当に良いのか? これから自分に何が待ち受けているか、解らない貴方ではないだろう」
「何か最期に望みがあるなら、聞いてやらない程無慈悲ではないよ。僕も日下部もね」
「今、爾らに望むとすれば一つしか無かろう」
神皇は窓から外へと目を遣った。
「この混乱に巻き込まれる臣民がこれ以上出ないようにして欲しい、ただそれだけである」
「そうか……」
日下部は目を閉じた。
「月夜、首領Дに連絡出来るか?」
「どうする気だ?」
「神皇の処刑は天空上映で全世界に報せるつもりだと聞く。その間、連合革命軍には戦いをやめて神皇の最期を見届けるように通達してもらうんだ」
月夜は瞠目した。
「本気か?」
「お前の言うとおり、俺達は最後の望みを聞かない程無慈悲ではない。ここで約束を違えてしまえば、此方の正義が失われる」
「有難い」
神皇は小さく微笑んだ。
月夜が電話端末を取り出し、何処かに連絡を入れる。
「月夜、直談判は俺からしよう。お前は能力で通路を開いておいてくれ」
「能力は君に付与することも出来るのだが……。まあ良い、解った」
月夜から日下部に電話が渡された。
「爾の能力で道成寺の許へ直通出来るというわけか……」
「そうだ。既に第二皇女と第三皇子も案内している」
「深花と賢智が……。成程、娘息子は助けてもらいたかったが、そういう訳にもいかんらしいな」
「心苦しいが仕方ないんだ。新しい社会に禍根を残す訳にはいかないからね」
月夜は窓に手を掛けた。
窓硝子に光が満ちる。
「これでこの窓は隠し通路になった」
「そうか。爾の御陰で安全に最期の花道を歩めそうだな」
神皇が窓を開くと、その先には暗闇の通路が続いていた。
そこへ足を踏み入れる前に、月夜に向けて振り向く。
「頼みも聞き入れてくれた礼に、朕も爾らの話を聞こうではないか。爾らの抱えた苦しみ、切望をな」
「僕達は強者が弱者を虐げることの無い、平等な社会を作る為に戦っている。それ以上の理由はないよ」
「それは大義であって動機ではないだろう? 爾らをその大義に至らせた事情を朕は訊いておきたいのだ」
日下部が電話を終えた。
「月夜、何も話す必要は無い」
「日下部……」
「ふ、今更情に訴えて助かろうなどと思ってはいない。ただ、今朕に出来る礼がこの程度だと思っただけだ」
日下部は小さく溜息を吐いた。
「行くぞ」
三人は月夜の作った通路へ入っていった。
⦿⦿⦿
夕刻の日が西の空だけでなく地上を焼いているかの様に、大都市統京は焔に包まれていた。
混乱は収まるどころか、鎮圧に任った治安組織が次第に劣勢に立たされ、更に昏迷を極めていく。
有力貴族の邸宅に侵入した連合革命軍の暴漢が東瀛丸を手に入れ、神為を身に付けてしまったのが痛い。
燃え盛る炎の脇では、国防軍や警官隊、貴族の私兵、そして暴漢や市民が血塗れで倒れている。
まさに地獄絵図、そこには死と痛みと悲しみが拡がり、悲鳴と怒号に包まれていた。
省庁の近辺でも、警官隊と暴漢が衝突している。
銃声と火炎瓶が飛び交う傍ら、一人の女がバラバラの死体となって転がっていた。
ゴシックロリータ服の千切れた残骸に火が点き、肉の切り口から零れた血が光に色めく。
第一皇子の近衛侍女・貴龍院皓雪の首が切断され、白目を剥いていた。
が、零れていた血液が不自然に動き、細切れになっていく。
まるで蟲の群の様だ。
更に、貴龍院の眼球が愚流リと動いた。
この異様な状況に、側で戦いを繰り広げる者達は誰一人として気付いていない。
貴龍院の血は無数の紅い蜘蛛となってバラバラの肉片に群がる。
そしてそれらは紅い糸を吐き、体を繋ぎ合わせていく。
「ん……」
元通りに繋がった貴龍院の体は頭を抱えて起き上がった。
この段階になって、漸く暴漢や警官隊の一部にこの異様な事態に気が付く者が現れた。
次第にそれは一人、また一人と伝わり、彼らは戦いをやめて貴龍院の姿に目を奪われる。
「ふぅ、やってくれたわねぇ……」
貴龍院は落ちていた日本刀を拾うと、暴漢や警官隊を見て不気味に微笑んだ。
「今のを見られた以上、一人として生かしておく訳には行かないわぁ」
貴龍院の一睨み、暴漢と警官隊は逃げる間もなくその場に皆倒れ伏した。
同時に、貴龍院は力を使い果たしたのかふらついて膝を突く。
「これだけの人数を同時に心臓麻痺させるのは……流石に体力を使うわね。血も失っているし、後始末は任せようかしら……」
貴龍院は懐から電話を取りだし、何処かへ掛ける。
「もしもし、征一千君? 一つお願いがあるのだけれど……」
『どうしたんだい、御媛様? 大変そうだね』
「ええ。貴方の手駒が少々やり過ぎたようでね、『裏の力』を使っちゃったのよ。痕跡を消しておいてくれると助かるわ」
『成程ね、解ったよ』
貴龍院は電話を終えると、来た道を戻り始めた。
今、彼女を見守るものは誰も居ない。
皇國のどの勢力とも別の思惑の下、彼女は闇に動き始めようとしていた。
奇しくも太陽は西へと落ちていく……。
⦿⦿⦿
皇國国会議事堂・衆議院本会議場。
弐級為動機神体が突き破った天井から夕刻の空が覗いている。
そこに、議場の様子が映し出されていた。
どうやら処刑の準備は万端と言ったところらしい。
議員や貴族、そして二人の皇族が壁際に並ばされていた。
唯一戦っていた敷島も、二人の皇族を人質に取られつつ五人を相手に満足な戦いをすることなど出来ず、膝を突いて項垂れ、肩で息をしていた。
そんな敷島に、嘗ての仲間である金剛悟が蹴りを入れた。
「ぐっ!」
「様ァ無いな、水徒端。刻御門の立場を羨んでももう遅いぞ。皇族に近い侍女で選ばれ得たのがあいつだけだった。貴様も獅乃神叡智に敗れてすぐに首領の下へ馳せ参じていれば、間諜として使われる余地は充分あったのだが、心が折れた貴様は完全に裏切る道を選んだ。やはり首領の見立ては正しかった。所詮貴様は脆弱な貴族の御嬢様よ」
「脆弱というのは正しいな……。だが、それでも貴様らに与するのは二度とごめんだ」
敷島は金剛を睨み上げ、無理に笑って見せた。
「金剛、そういう貴様は為動機神体に乗らんのか? 貴様は土生以上の操縦士だった。それを見込まれて地上ノ蠍座の七曜衆に抜擢されたことを誇りに思っていた筈」
「フン……」
再び金剛の蹴りが敷島に入り、敷島は転倒した。
「嫌味か、水徒端。というより負け惜しみか。確かに俺は六年前に土生と組んで、そして敗けた。あの忌々しい輪田衛士にな。それ以来、直靈彌玉に入ることを体が受け付けなくなった。だが、そんなことは最早どうでも良い。革命が終わり、日本人という狗の民族が国家を失えば、為動機神体そのものがこの世から消えるんだ」
議長席の横穴の奥から小さな足音が聞こえる。
どうやらまた皇宮から誰かが到着したようだ。
「神為という概念すら、この世から消える。さあ、血筋によって強者が弱者を虐げる制度を築き上げた、忌々しい悪魔の到着だ」
横穴から三人の男女が姿を現した。
七曜衆の日下部光郎、月夜萌以、そして二人に連れられ、全ての叛逆者の怨敵である神為の体現者、神皇が。
「おお、久し振りだね大智ォ!」
道成寺が歓喜の声を上げて神皇に歩み寄った。
「朕は爾と面識など無い筈だが?」
「ところがどっこい、実はあるんだよねえ! 我輩から奪った苟且の帝生活はどうだった? 思い出話を語ってみたまえよ。君の無意味な人生をな、ハハハハハ」
「うむ、やはり別人だな……」
神皇の登場に、議員や貴族達は一様に俯いている。
これから起こる絶望的な事態から目を背ける様に。
「別人? おやおや、どうやら薄々察してはいるが、どうしても認めたくないといった様子だね。結局君は我輩に敗けたのだよ。この稀代の大英傑・道成寺公郎にねェ!」
「道成寺公郎……。あの男は逆賊ながら確かに傑物だった。理想を掲げ国を獲り、政に於ける業を背負って舵を取る気骨のある男だった。その男が朕との勝敗に拘る筈も無し。爾とは似ても似つかんよ」
神皇は後ろ手を組み歩み出て、議場の中央から全体を見上げる。
これから処刑の運命を待つにも拘わらず、その姿は堂々としたものだ。
「皆、面を上げよ。この場にて起こること、目を背けること罷り成らん」
「良い事を言うじゃないか」
道成寺は神皇の正面に立ち、拳銃に銃弾を込める。
「君の言うとおりだ。長きに亘り君臨し続けた尊き血筋とやらが絶えるところ、全皇國臣民がその眼に焼き付けるべきだ。勿論、その後で同じことが起こる明治日本の民も。そして日本国家の終わりという慶事を給る全世界の人民も!」
狂気の笑い声が議場に響き渡る。
だが神皇はどこまでも静かで、涼やかで、対比として燥ぐ道成寺の姿が只管滑稽なものとして浮かび上がってしまっていた。
「道成寺よ、道中で爾の部下達から色々と聞かせてもらった。その上で、今の爾の行いは酷く的外れであると言っておこう」
「関係無いよ。これから君達全員を人民裁判に掛け、人道に対する罪で処刑するのだから」
「裁判と云ったか。それはどのような法規に従って行われるのだ?」
「法律など強者の都合に過ぎん。もう一度言うが、君達は普遍的な道徳的真理に基づいて人道に対する罪で裁かれるのだよ」
「つまり、爾が法となり爾が裁くということか……」
「解らん奴だね。法ではなく、真理だ。正義と言い換えても良い」
神皇は溜息を吐いた。
「真理、正義か……。朕がそれによって裁かれる謂れなど無い、とは言わん。人の身でそれを司るなど甚だ烏滸がましきことだからだ。今の爾の様にな。然様な裁きを下すは唯、天のみ。その審判が如何様になるかは、これから判るであろう」
道成寺は眉を顰めた。
「天命というやつかね。君達は二言目にはいつもそれだ。反吐が出るよ。君が帝位に返り咲けたのも天の意思とでも言うつもりかね? 記紀神話の様に……」
道成寺の口調は酷く嘲る様な、皮肉に満ちたものだった。
ならばこれから貴様が裁かれるのもまた天の意思だろうと、そう言いたいのだろう。
対して、神皇は懐かしむ様に小さく笑う。
「それは分からぬ。神武聖帝の様に、天命を授かったという実感は持てなんだからな。だがそうであるならば……」
神皇の蟀谷から汗が伝う。
それに息も荒い。
抑も、神為無き彼は大還暦の老人であり、しかも長く伏せっていて体調も万全で無い筈なのだ。
だが、神皇は語り続ける。
「そうであるならば僥倖、幸甚の至りと言う他あるまい。八十一年前の皇紀二六〇五年、西暦でいうところの一九四五年、朕は人の身から神として君臨するに至った。誠、臣民に恵まれたと言う他無い。これ程の運命の祝福、感謝に言葉も見付からぬ」
「それは本心かね?」
「うむ。事此処に至って、漸くその問に心から頷くことが出来る」
神皇の表情に力は無く、支配者としての威厳は消え去っていた。
だが慈しみに満ちた、全てを受け容れる様な穏やかな微笑みを浮かべている。
道成寺はそんな彼に対し、憎悪に満ちた表情と共に銃口を向けた。
「ならば地獄で亡者相手に君主ごっこに興じると良い。先程この銃に込めたのは鉛玉ではない。君を撃ち殺すのは『銀の銃弾』こそ相応しい。この瞬間を長年待っていたぞ。全世界に見せ付けられながらに全ての歴史に懺悔し、全人民にその死に様を曝すが良い!」
「死に様を曝す、か……。それは吝かではないが、爾に殺されてやる訳にはいかんな。臣民による弑逆など、あの時だけで充分だ。これ以上朕の赤子に大逆を犯させる訳にはいかぬ」
神皇はゆっくりと両目を閉じた。
その瞬間、議場の空気が明らかに変わった。
誰もが奇妙な感覚に、違和感に包まれていた。
神皇は静かだった。
嘗て無い静けさと涼やかさに満ち満ちていた。
呼吸音も、心臓の鼓動音すらも凪いでしまったかの様に。
やがて、後手に組んでいた両腕が力無くぶら下がり、真直ぐ上がっていた顔が項垂れた。
「ま、まさか……」
道成寺は動揺を隠せず口を開いた。
倒れていた敷島が駆け寄り、恐る恐る神皇の様子を確かめる。
顔付きを、反応を、そして脈拍を確かめる。
そして一歩離れ、沈痛な面持ちで首を振った。
「御臨終だ。齢百二十、大往生だろう……」
神皇・鳳乃神大智、崩御――突然の事態に、議場の誰もが呆然とする他無かった。
議員も、貴族も、二人の皇族も、叛逆者も、道成寺ですら言葉を失っていた。
だが動揺は見せず、あくまで威厳に満ちた佇まいで歩いていく。
「大覚寺、爾もか……」
神皇の眼に一人の壮年男の遺体が映った。
侍従長・大覚寺常定。
長年皇族に仕え続けた、神皇にとって忠臣の筆頭格である。
「神皇陛下自らお出ましか……」
「とうとう実物にお目に掛かれるとは、感無量だね」
そんなところへ、二人の男女が対面から歩いてきた。
「爾らは?」
「『地上ノ蠍座』の『七曜衆』、日下部光郎だ」
「同じく、月夜萌以。狼ノ牙の首領Дに言われて、貴方を迎えに来たという訳だよ」
日下部光郎・月夜萌以の二人は神皇の眼前に迫り、小柄な彼を見下ろす。
しかし神皇は眉一つ動かさない。
「迎えに来たと申したか。成程、大儀である」
「何だと、俺達に『大儀』だと?」
「奴の所へ無事行けるとも限らんのでな。道中は爾らが朕を守るのであろう?」
「僕達を護衛扱いとは……。いや、寧ろ御立派かな」
「うむ、案内してもらおうか……」
日下部と月夜は互いに顔を見合わせた。
「本当に良いのか? これから自分に何が待ち受けているか、解らない貴方ではないだろう」
「何か最期に望みがあるなら、聞いてやらない程無慈悲ではないよ。僕も日下部もね」
「今、爾らに望むとすれば一つしか無かろう」
神皇は窓から外へと目を遣った。
「この混乱に巻き込まれる臣民がこれ以上出ないようにして欲しい、ただそれだけである」
「そうか……」
日下部は目を閉じた。
「月夜、首領Дに連絡出来るか?」
「どうする気だ?」
「神皇の処刑は天空上映で全世界に報せるつもりだと聞く。その間、連合革命軍には戦いをやめて神皇の最期を見届けるように通達してもらうんだ」
月夜は瞠目した。
「本気か?」
「お前の言うとおり、俺達は最後の望みを聞かない程無慈悲ではない。ここで約束を違えてしまえば、此方の正義が失われる」
「有難い」
神皇は小さく微笑んだ。
月夜が電話端末を取り出し、何処かに連絡を入れる。
「月夜、直談判は俺からしよう。お前は能力で通路を開いておいてくれ」
「能力は君に付与することも出来るのだが……。まあ良い、解った」
月夜から日下部に電話が渡された。
「爾の能力で道成寺の許へ直通出来るというわけか……」
「そうだ。既に第二皇女と第三皇子も案内している」
「深花と賢智が……。成程、娘息子は助けてもらいたかったが、そういう訳にもいかんらしいな」
「心苦しいが仕方ないんだ。新しい社会に禍根を残す訳にはいかないからね」
月夜は窓に手を掛けた。
窓硝子に光が満ちる。
「これでこの窓は隠し通路になった」
「そうか。爾の御陰で安全に最期の花道を歩めそうだな」
神皇が窓を開くと、その先には暗闇の通路が続いていた。
そこへ足を踏み入れる前に、月夜に向けて振り向く。
「頼みも聞き入れてくれた礼に、朕も爾らの話を聞こうではないか。爾らの抱えた苦しみ、切望をな」
「僕達は強者が弱者を虐げることの無い、平等な社会を作る為に戦っている。それ以上の理由はないよ」
「それは大義であって動機ではないだろう? 爾らをその大義に至らせた事情を朕は訊いておきたいのだ」
日下部が電話を終えた。
「月夜、何も話す必要は無い」
「日下部……」
「ふ、今更情に訴えて助かろうなどと思ってはいない。ただ、今朕に出来る礼がこの程度だと思っただけだ」
日下部は小さく溜息を吐いた。
「行くぞ」
三人は月夜の作った通路へ入っていった。
⦿⦿⦿
夕刻の日が西の空だけでなく地上を焼いているかの様に、大都市統京は焔に包まれていた。
混乱は収まるどころか、鎮圧に任った治安組織が次第に劣勢に立たされ、更に昏迷を極めていく。
有力貴族の邸宅に侵入した連合革命軍の暴漢が東瀛丸を手に入れ、神為を身に付けてしまったのが痛い。
燃え盛る炎の脇では、国防軍や警官隊、貴族の私兵、そして暴漢や市民が血塗れで倒れている。
まさに地獄絵図、そこには死と痛みと悲しみが拡がり、悲鳴と怒号に包まれていた。
省庁の近辺でも、警官隊と暴漢が衝突している。
銃声と火炎瓶が飛び交う傍ら、一人の女がバラバラの死体となって転がっていた。
ゴシックロリータ服の千切れた残骸に火が点き、肉の切り口から零れた血が光に色めく。
第一皇子の近衛侍女・貴龍院皓雪の首が切断され、白目を剥いていた。
が、零れていた血液が不自然に動き、細切れになっていく。
まるで蟲の群の様だ。
更に、貴龍院の眼球が愚流リと動いた。
この異様な状況に、側で戦いを繰り広げる者達は誰一人として気付いていない。
貴龍院の血は無数の紅い蜘蛛となってバラバラの肉片に群がる。
そしてそれらは紅い糸を吐き、体を繋ぎ合わせていく。
「ん……」
元通りに繋がった貴龍院の体は頭を抱えて起き上がった。
この段階になって、漸く暴漢や警官隊の一部にこの異様な事態に気が付く者が現れた。
次第にそれは一人、また一人と伝わり、彼らは戦いをやめて貴龍院の姿に目を奪われる。
「ふぅ、やってくれたわねぇ……」
貴龍院は落ちていた日本刀を拾うと、暴漢や警官隊を見て不気味に微笑んだ。
「今のを見られた以上、一人として生かしておく訳には行かないわぁ」
貴龍院の一睨み、暴漢と警官隊は逃げる間もなくその場に皆倒れ伏した。
同時に、貴龍院は力を使い果たしたのかふらついて膝を突く。
「これだけの人数を同時に心臓麻痺させるのは……流石に体力を使うわね。血も失っているし、後始末は任せようかしら……」
貴龍院は懐から電話を取りだし、何処かへ掛ける。
「もしもし、征一千君? 一つお願いがあるのだけれど……」
『どうしたんだい、御媛様? 大変そうだね』
「ええ。貴方の手駒が少々やり過ぎたようでね、『裏の力』を使っちゃったのよ。痕跡を消しておいてくれると助かるわ」
『成程ね、解ったよ』
貴龍院は電話を終えると、来た道を戻り始めた。
今、彼女を見守るものは誰も居ない。
皇國のどの勢力とも別の思惑の下、彼女は闇に動き始めようとしていた。
奇しくも太陽は西へと落ちていく……。
⦿⦿⦿
皇國国会議事堂・衆議院本会議場。
弐級為動機神体が突き破った天井から夕刻の空が覗いている。
そこに、議場の様子が映し出されていた。
どうやら処刑の準備は万端と言ったところらしい。
議員や貴族、そして二人の皇族が壁際に並ばされていた。
唯一戦っていた敷島も、二人の皇族を人質に取られつつ五人を相手に満足な戦いをすることなど出来ず、膝を突いて項垂れ、肩で息をしていた。
そんな敷島に、嘗ての仲間である金剛悟が蹴りを入れた。
「ぐっ!」
「様ァ無いな、水徒端。刻御門の立場を羨んでももう遅いぞ。皇族に近い侍女で選ばれ得たのがあいつだけだった。貴様も獅乃神叡智に敗れてすぐに首領の下へ馳せ参じていれば、間諜として使われる余地は充分あったのだが、心が折れた貴様は完全に裏切る道を選んだ。やはり首領の見立ては正しかった。所詮貴様は脆弱な貴族の御嬢様よ」
「脆弱というのは正しいな……。だが、それでも貴様らに与するのは二度とごめんだ」
敷島は金剛を睨み上げ、無理に笑って見せた。
「金剛、そういう貴様は為動機神体に乗らんのか? 貴様は土生以上の操縦士だった。それを見込まれて地上ノ蠍座の七曜衆に抜擢されたことを誇りに思っていた筈」
「フン……」
再び金剛の蹴りが敷島に入り、敷島は転倒した。
「嫌味か、水徒端。というより負け惜しみか。確かに俺は六年前に土生と組んで、そして敗けた。あの忌々しい輪田衛士にな。それ以来、直靈彌玉に入ることを体が受け付けなくなった。だが、そんなことは最早どうでも良い。革命が終わり、日本人という狗の民族が国家を失えば、為動機神体そのものがこの世から消えるんだ」
議長席の横穴の奥から小さな足音が聞こえる。
どうやらまた皇宮から誰かが到着したようだ。
「神為という概念すら、この世から消える。さあ、血筋によって強者が弱者を虐げる制度を築き上げた、忌々しい悪魔の到着だ」
横穴から三人の男女が姿を現した。
七曜衆の日下部光郎、月夜萌以、そして二人に連れられ、全ての叛逆者の怨敵である神為の体現者、神皇が。
「おお、久し振りだね大智ォ!」
道成寺が歓喜の声を上げて神皇に歩み寄った。
「朕は爾と面識など無い筈だが?」
「ところがどっこい、実はあるんだよねえ! 我輩から奪った苟且の帝生活はどうだった? 思い出話を語ってみたまえよ。君の無意味な人生をな、ハハハハハ」
「うむ、やはり別人だな……」
神皇の登場に、議員や貴族達は一様に俯いている。
これから起こる絶望的な事態から目を背ける様に。
「別人? おやおや、どうやら薄々察してはいるが、どうしても認めたくないといった様子だね。結局君は我輩に敗けたのだよ。この稀代の大英傑・道成寺公郎にねェ!」
「道成寺公郎……。あの男は逆賊ながら確かに傑物だった。理想を掲げ国を獲り、政に於ける業を背負って舵を取る気骨のある男だった。その男が朕との勝敗に拘る筈も無し。爾とは似ても似つかんよ」
神皇は後ろ手を組み歩み出て、議場の中央から全体を見上げる。
これから処刑の運命を待つにも拘わらず、その姿は堂々としたものだ。
「皆、面を上げよ。この場にて起こること、目を背けること罷り成らん」
「良い事を言うじゃないか」
道成寺は神皇の正面に立ち、拳銃に銃弾を込める。
「君の言うとおりだ。長きに亘り君臨し続けた尊き血筋とやらが絶えるところ、全皇國臣民がその眼に焼き付けるべきだ。勿論、その後で同じことが起こる明治日本の民も。そして日本国家の終わりという慶事を給る全世界の人民も!」
狂気の笑い声が議場に響き渡る。
だが神皇はどこまでも静かで、涼やかで、対比として燥ぐ道成寺の姿が只管滑稽なものとして浮かび上がってしまっていた。
「道成寺よ、道中で爾の部下達から色々と聞かせてもらった。その上で、今の爾の行いは酷く的外れであると言っておこう」
「関係無いよ。これから君達全員を人民裁判に掛け、人道に対する罪で処刑するのだから」
「裁判と云ったか。それはどのような法規に従って行われるのだ?」
「法律など強者の都合に過ぎん。もう一度言うが、君達は普遍的な道徳的真理に基づいて人道に対する罪で裁かれるのだよ」
「つまり、爾が法となり爾が裁くということか……」
「解らん奴だね。法ではなく、真理だ。正義と言い換えても良い」
神皇は溜息を吐いた。
「真理、正義か……。朕がそれによって裁かれる謂れなど無い、とは言わん。人の身でそれを司るなど甚だ烏滸がましきことだからだ。今の爾の様にな。然様な裁きを下すは唯、天のみ。その審判が如何様になるかは、これから判るであろう」
道成寺は眉を顰めた。
「天命というやつかね。君達は二言目にはいつもそれだ。反吐が出るよ。君が帝位に返り咲けたのも天の意思とでも言うつもりかね? 記紀神話の様に……」
道成寺の口調は酷く嘲る様な、皮肉に満ちたものだった。
ならばこれから貴様が裁かれるのもまた天の意思だろうと、そう言いたいのだろう。
対して、神皇は懐かしむ様に小さく笑う。
「それは分からぬ。神武聖帝の様に、天命を授かったという実感は持てなんだからな。だがそうであるならば……」
神皇の蟀谷から汗が伝う。
それに息も荒い。
抑も、神為無き彼は大還暦の老人であり、しかも長く伏せっていて体調も万全で無い筈なのだ。
だが、神皇は語り続ける。
「そうであるならば僥倖、幸甚の至りと言う他あるまい。八十一年前の皇紀二六〇五年、西暦でいうところの一九四五年、朕は人の身から神として君臨するに至った。誠、臣民に恵まれたと言う他無い。これ程の運命の祝福、感謝に言葉も見付からぬ」
「それは本心かね?」
「うむ。事此処に至って、漸くその問に心から頷くことが出来る」
神皇の表情に力は無く、支配者としての威厳は消え去っていた。
だが慈しみに満ちた、全てを受け容れる様な穏やかな微笑みを浮かべている。
道成寺はそんな彼に対し、憎悪に満ちた表情と共に銃口を向けた。
「ならば地獄で亡者相手に君主ごっこに興じると良い。先程この銃に込めたのは鉛玉ではない。君を撃ち殺すのは『銀の銃弾』こそ相応しい。この瞬間を長年待っていたぞ。全世界に見せ付けられながらに全ての歴史に懺悔し、全人民にその死に様を曝すが良い!」
「死に様を曝す、か……。それは吝かではないが、爾に殺されてやる訳にはいかんな。臣民による弑逆など、あの時だけで充分だ。これ以上朕の赤子に大逆を犯させる訳にはいかぬ」
神皇はゆっくりと両目を閉じた。
その瞬間、議場の空気が明らかに変わった。
誰もが奇妙な感覚に、違和感に包まれていた。
神皇は静かだった。
嘗て無い静けさと涼やかさに満ち満ちていた。
呼吸音も、心臓の鼓動音すらも凪いでしまったかの様に。
やがて、後手に組んでいた両腕が力無くぶら下がり、真直ぐ上がっていた顔が項垂れた。
「ま、まさか……」
道成寺は動揺を隠せず口を開いた。
倒れていた敷島が駆け寄り、恐る恐る神皇の様子を確かめる。
顔付きを、反応を、そして脈拍を確かめる。
そして一歩離れ、沈痛な面持ちで首を振った。
「御臨終だ。齢百二十、大往生だろう……」
神皇・鳳乃神大智、崩御――突然の事態に、議場の誰もが呆然とする他無かった。
議員も、貴族も、二人の皇族も、叛逆者も、道成寺ですら言葉を失っていた。
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