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第三章『争乱篇』
第七十四話『絶え間なく降る愛の詩(前編)』 急
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二人が向かったのは遊園地だった。
実は航、今まで殆ど来たことが無かったりする。
航が薄らと覚えているのは、まだ魅琴と出会っていない幼稚園の頃、まだ両親が離婚していなかった頃に連れられた記憶くらいのものだ。
「定番のデートスポットの一つだけど、だからこそ君と来てみたかったんだけど、どうかな……?」
「そうね、良いんじゃない?」
澄まして答える魅琴だが、口角に期待感が隠し切れていない。
「あのさ、実は僕、幼稚園の頃以来なんだけど、君は?」
「私は生まれて初めてよ」
どう考えてもワクワクしている。
それが証拠に、入場した魅琴は足早にジェットコースターへと向かっていた。
「興味があるのよね、絶叫マシンなどと呼ばれるご大層な遊具に。果たしてこの私を絶叫させる程のものがあるのかしら……」
「え? 待っていきなり? 流石にもうちょっとウォーミングアップというか、段階踏まない?」
尻込みする航の手を魅琴が引っ張っていく。
早い時間帯だった為か、それ程待ち時間も長くはなかった。
「もっと他の所を楽しんでからにしない?」
「何をビビってるのよ?」
確かに、航が経験してきた戦いの中で絶叫マシン以上の速度と恐怖などあまりにもありふれていた。
しかし、それは戦いに身構えているからこそ耐えられる話であって、日常の何ということのないシチュエーションでは話が別だ。
「ぎょええええエエッッ!!」
なので、航は情けない叫び声を上げてしまっていた。
一方で魅琴はというと。
「イエーイ!」
意外と楽しんでいた。
普段のイメージとはかけ離れているが、澄ましたままでいる程ノリが悪くはないらしい。
「おわあああああっっ!!」
「五月蠅ーい!」
「死ぬうううううっっ!!」
「雑魚がーっ!」
そんなこんなで、二人はジェットコースターの他にも次々に絶叫マシンを乗り継いでいった。
後半になって音を上げる航を無理矢理付き合わせる魅琴は、まさにドSの面目躍如だった。
「も、もう無理……休ませて……」
「うーん、確かに結構お昼の時間も過ぎちゃったわね。ご飯にしましょうか」
漸く絶叫地獄から解放される――航は胸を撫で下ろした。
どうもこの二・三時間で二・三日絶食したくらいに消耗した気がする。
そんなわけで、二人はレストランへと向かった。
「扨て、先ずは此処に入りましょう」
「え? 先ず?」
席に着いた二人はメニューを選び、注文を伝える。
そして料理が運ばれてくるのだが……。
「やっぱりそうなるのか」
「病院食は本当に少なくて……」
次々と運ばれてくる料理を、魅琴は矢継ぎ早に食べ尽くしていく。
凄まじい健啖振りは相変わらずであった。
「言っとくけど、割り勘にも限度があるからね?」
「ちゃんと自分で払うわよ」
魅琴はこの後も二件目、三件目とレストランを梯子し、各所で大量に注文をする。
ただ、御陰で航もゆっくりと休むことが出来た。
これならばこの後の予定も問題無く熟せそうだ。
「じゃ、行きましょうか」
「もう良いのかい?」
「ええ。満足したわ」
食事を終えた二人は、花壇庭園へと向かった。
既にアトラクションでは遊び尽くしてしまった為、二人でゆったりと落ち着いて景色を楽しもうと、航が提案した。
「別に、私は疲れていないけれど?」
「僕が疲れたんだよ……」
「だらしがないわねえ」
わかっていたことだが、体力では到底敵うべくもなかった。
「まあ良いわ。航が考えたプランなのに私が引っ張り過ぎちゃったところもあるし」
「そうだよ全く……」
「それに、こういうのも悪くないわ。良い香りね……」
ゆっくりと、花々の香りに身を委ねる魅琴。
航はそんな彼女の姿に安らぎを覚えていた。
何をするでもなく、ただ目の前にある美しい光景をじっくりと味わうこと。
それは何かと慌ただしく動いてばかりの現代に於いて、「時間」という名の支配的資源を唯々浪費するという、ある種究極の贅沢である。
この空間で、愛する人と共に只過ごすだけの、無為な時間。
それこそが掛け替えのない一時であった。
「次は……観覧車にでも乗るか」
「それも良いわね」
「本当に? 退屈だったら言ってくれて良いんだよ?」
「退屈でも良いの。貴方と一緒ならそれも……」
どうやら魅琴も同じ気持ちらしい。
二人の心は確かに繋がっている、そんな気がした。
そんなこんなで、二人は遊園地で閉園までの時間をマスコットキャラクターと写真を撮ったり、噴水を楽しんだり、観覧車で夕暮れの景色を楽しんだりしながら、まったりと過ごした。
「ああ、楽しかったわ。また行きたいわね」
「そうだね。でも次はもう少し加減してくれると助かるかな」
「うふふ、そうね。最初から少し飛ばし過ぎたかなって、流石にちょっと思う処はあるわ」
「それは良かった」
「次はもっとたっぷり、時間いっぱい使って貴方の情けない反応を愉しむのも悪くないわね」
「結局ドSじゃないか……」
遊園地から出た二人は夕食へと向かう。
航としては少しお洒落な店を選んでみたつもりだったが、魅琴にしてみれば案の定量が足りなかったらしく、大衆向けのファミリーレストランの方に長居してしまった。
その細い体の何処にそれだけ食べる余裕があるのかと不思議で仕方が無いが、魅琴は最初から何もかも不思議な少女だったので今更だろう。
「じゃあ次はカラオケに行こうか」
「あら、意外と健全じゃない。カラオケボックスで一夜明かすのね」
心做しか、魅琴の顔が機嫌を悪くしたように見える。
その態度が航の心を却ってドギマギとざわつかせる。
「いや、その……。別に徹カラって決まってる訳じゃないから……」
「じゃあ、何処で泊まるの?」
「そ、それは……」
魅琴は意地悪く、蠱惑的に微笑んでいた。
「じゃあ終電まで! 終電まで歌うよ!」
「誤魔化したわね。最初から泊まりの予定なんだから、今更照れなくても良いのに」
航は魅琴に揶揄われながら、近場のカラオケボックスに入った。
「飲み物取ってくるね、何が良い?」
「オレンジジュースお願い」
航は魅琴を部屋に残し、ドリンクバーに飲み物を汲みに行った。
部屋に戻ると、魅琴は丁度端末を操作し終えたところだったらしい。
どんな曲を入れたのかと画面に目を遣ったが、同時に派手な演出が流れる。
「さ、採点ゲーム?」
「ええ、チャンスをあげようかと思って」
魅琴はマイクを手に、不敵な笑みを浮かべていた。
その佇まいは、大袈裟に言えば歴戦の剣客を思わせる。
「ち、チャンス?」
「貴方、確か言っていたわよね? 『今に見ていろ、吠え面を掻かせてやる』って……」
あれは確か、鷹番夜朗との戦いで足止めを食らった夜のことだった。
そういえば、航はそんな独り言を魅琴に聞かれた気がする。
そして、思い出した。
昔の魅琴は、何かにつけて航と勝負事をするのが好きだった。
「成程、久々に勝負しようか」
「ええ、掛かってらっしゃい。先攻は譲るわ」
「よーし、美声を聴かせてやろう」
航は得意な曲を入れ、意気揚々と歌に臨んだ。
結果は八十四点だった。
「微妙ね」
「五月蠅いな。さ、君の番だよ」
採点画面が終わり、魅琴の入れた曲が流れ出す。
「軍歌かよ……」
「御爺様が好きでね」
だが、恐ろしく上手かった。
人体を知り尽くしている彼女は、歌声のコントロールも完璧なのだ。
惚れ惚れする様な美声が、勇ましい詞を朗々と歌い上げる。
採点結果が出ると、航は呆れかえってしまった。
「僕、こういう本格採点で百点満点って初めて見たよ……」
「ま、こんなところね」
「勝たせる気が無さ過ぎる……」
「当然でしょう」
魅琴は朗らかな笑みを咲かせた。
その両眼には、はっきりと航の姿が映し出されている。
「私はね、航のことをコテンパンに負かしたいの。汎ゆる分野で、滅茶苦茶に、徹底的に、完膚無きまでに、容赦無く」
「酷い女だ……」
「だって、航が悪いのよ。あんな生意気なことを言うんだもの」
魅琴の手が航の手を握る。
「たった一つだけ、私がどうしても勝てないものが貴方にはあるんでしょう?」
「あ……」
そう、航は魅琴を連れ帰る際に言い聞かせた。
魅琴が航に喫した、たった一つの敗北――結局は自分を嫌わせることが出来なかったという、今この時を二人で過ごすことに繋がった決定的な勝敗である。
この瞬間、航の中に嘗て無い愛しさが込み上げてきた。
今、航は魅琴の行動の全てを理解し、そしてそれを余さず抱き締めたいと感じていた。
そんな航に、魅琴はこの世の者とは思えない程の美しい笑みを満面に湛えて、桃源郷に浸る様な声色で航に語る。
「だったら何度でも何度でも、航が私に勝てるのはそれだけなんだって思い知らせるの。だから航は、ずっとそのたった一つの栄光に縋り付いていなさいね。手放したら絶対許さないから」
航は改めて己が恋情への確信を深めた。
やはり、魅琴のことが好きだ。
魅琴とデートして良かった、付き合って良かった、告白して良かった、好きになって良かった。
麗真魅琴という女性と出会えて本当に良かった。
航はそんな万感の思いを胸に、深く頷いた。
「ああ、ずっと大切にするよ」
「ふふ、よろしい」
魅琴は続けてもう一曲入れた。
「僕の番は?」
「勝利の報酬よ」
勝手な物言いだが、航は悪くない想いがした。
今、この感情に浸り込むには、一曲丸ごと勝利宣言されるのも一興かも知れない。
「それに、聴いてほしいの。これはね、唯一御爺様と御父様が両方とも好きだった歌」
曲が始まった。
聞いたことがない歌だが、歌謡バラードらしい。
流麗で繊細で、それでいて何処か確固たる芯を感じさせる旋律だ。
『夢に見た人へ』
夢で抱きしめた光が
胸の中照らしている
あなたはわたしの太陽
きっと特別な人
かけがえのない日々は
青空ばかりじゃなくて
嵐に連れ去られた
大切なものもあった
思い通りにいかず
くじけそうなときには
あなたがかけてくれた
言葉が力になった
守りたいものがある
伝えたいことがある
だから今歌うの
希望を紡ぐの
愛を確かめた夜が
切なさをわたしに宿し
やがては新しい朝を
もっと輝かせる
ああ、遙かな未来を歩む
わたしとあなたへ届けたい
大瑠璃の鳴き声と共に
山桜が散るその前に
流れゆく川の水
いつまでも途絶えずに
澄みわたり続けて
明日を運ぶの
夢で抱きしめた光が
胸の中照らしている
あなたはわたしの太陽
きっと特別な人
夢で出会ったあなたと
手を取って歩きだす
昨日から続く明日へ
ずっとずっといつまでも
「おお……」
航はすっかり聴き入っていた。
この歌詞に魅琴が自分の心境を乗せ、航に伝えたのだとしたら……。
「しんみりさせるのはちょっと早かったかしらね……」
「いや、耳が幸せだよ」
「ありがとう」
こうして二人は終電まで歌い続け、一日目のデートを終えた。
実は航、今まで殆ど来たことが無かったりする。
航が薄らと覚えているのは、まだ魅琴と出会っていない幼稚園の頃、まだ両親が離婚していなかった頃に連れられた記憶くらいのものだ。
「定番のデートスポットの一つだけど、だからこそ君と来てみたかったんだけど、どうかな……?」
「そうね、良いんじゃない?」
澄まして答える魅琴だが、口角に期待感が隠し切れていない。
「あのさ、実は僕、幼稚園の頃以来なんだけど、君は?」
「私は生まれて初めてよ」
どう考えてもワクワクしている。
それが証拠に、入場した魅琴は足早にジェットコースターへと向かっていた。
「興味があるのよね、絶叫マシンなどと呼ばれるご大層な遊具に。果たしてこの私を絶叫させる程のものがあるのかしら……」
「え? 待っていきなり? 流石にもうちょっとウォーミングアップというか、段階踏まない?」
尻込みする航の手を魅琴が引っ張っていく。
早い時間帯だった為か、それ程待ち時間も長くはなかった。
「もっと他の所を楽しんでからにしない?」
「何をビビってるのよ?」
確かに、航が経験してきた戦いの中で絶叫マシン以上の速度と恐怖などあまりにもありふれていた。
しかし、それは戦いに身構えているからこそ耐えられる話であって、日常の何ということのないシチュエーションでは話が別だ。
「ぎょええええエエッッ!!」
なので、航は情けない叫び声を上げてしまっていた。
一方で魅琴はというと。
「イエーイ!」
意外と楽しんでいた。
普段のイメージとはかけ離れているが、澄ましたままでいる程ノリが悪くはないらしい。
「おわあああああっっ!!」
「五月蠅ーい!」
「死ぬうううううっっ!!」
「雑魚がーっ!」
そんなこんなで、二人はジェットコースターの他にも次々に絶叫マシンを乗り継いでいった。
後半になって音を上げる航を無理矢理付き合わせる魅琴は、まさにドSの面目躍如だった。
「も、もう無理……休ませて……」
「うーん、確かに結構お昼の時間も過ぎちゃったわね。ご飯にしましょうか」
漸く絶叫地獄から解放される――航は胸を撫で下ろした。
どうもこの二・三時間で二・三日絶食したくらいに消耗した気がする。
そんなわけで、二人はレストランへと向かった。
「扨て、先ずは此処に入りましょう」
「え? 先ず?」
席に着いた二人はメニューを選び、注文を伝える。
そして料理が運ばれてくるのだが……。
「やっぱりそうなるのか」
「病院食は本当に少なくて……」
次々と運ばれてくる料理を、魅琴は矢継ぎ早に食べ尽くしていく。
凄まじい健啖振りは相変わらずであった。
「言っとくけど、割り勘にも限度があるからね?」
「ちゃんと自分で払うわよ」
魅琴はこの後も二件目、三件目とレストランを梯子し、各所で大量に注文をする。
ただ、御陰で航もゆっくりと休むことが出来た。
これならばこの後の予定も問題無く熟せそうだ。
「じゃ、行きましょうか」
「もう良いのかい?」
「ええ。満足したわ」
食事を終えた二人は、花壇庭園へと向かった。
既にアトラクションでは遊び尽くしてしまった為、二人でゆったりと落ち着いて景色を楽しもうと、航が提案した。
「別に、私は疲れていないけれど?」
「僕が疲れたんだよ……」
「だらしがないわねえ」
わかっていたことだが、体力では到底敵うべくもなかった。
「まあ良いわ。航が考えたプランなのに私が引っ張り過ぎちゃったところもあるし」
「そうだよ全く……」
「それに、こういうのも悪くないわ。良い香りね……」
ゆっくりと、花々の香りに身を委ねる魅琴。
航はそんな彼女の姿に安らぎを覚えていた。
何をするでもなく、ただ目の前にある美しい光景をじっくりと味わうこと。
それは何かと慌ただしく動いてばかりの現代に於いて、「時間」という名の支配的資源を唯々浪費するという、ある種究極の贅沢である。
この空間で、愛する人と共に只過ごすだけの、無為な時間。
それこそが掛け替えのない一時であった。
「次は……観覧車にでも乗るか」
「それも良いわね」
「本当に? 退屈だったら言ってくれて良いんだよ?」
「退屈でも良いの。貴方と一緒ならそれも……」
どうやら魅琴も同じ気持ちらしい。
二人の心は確かに繋がっている、そんな気がした。
そんなこんなで、二人は遊園地で閉園までの時間をマスコットキャラクターと写真を撮ったり、噴水を楽しんだり、観覧車で夕暮れの景色を楽しんだりしながら、まったりと過ごした。
「ああ、楽しかったわ。また行きたいわね」
「そうだね。でも次はもう少し加減してくれると助かるかな」
「うふふ、そうね。最初から少し飛ばし過ぎたかなって、流石にちょっと思う処はあるわ」
「それは良かった」
「次はもっとたっぷり、時間いっぱい使って貴方の情けない反応を愉しむのも悪くないわね」
「結局ドSじゃないか……」
遊園地から出た二人は夕食へと向かう。
航としては少しお洒落な店を選んでみたつもりだったが、魅琴にしてみれば案の定量が足りなかったらしく、大衆向けのファミリーレストランの方に長居してしまった。
その細い体の何処にそれだけ食べる余裕があるのかと不思議で仕方が無いが、魅琴は最初から何もかも不思議な少女だったので今更だろう。
「じゃあ次はカラオケに行こうか」
「あら、意外と健全じゃない。カラオケボックスで一夜明かすのね」
心做しか、魅琴の顔が機嫌を悪くしたように見える。
その態度が航の心を却ってドギマギとざわつかせる。
「いや、その……。別に徹カラって決まってる訳じゃないから……」
「じゃあ、何処で泊まるの?」
「そ、それは……」
魅琴は意地悪く、蠱惑的に微笑んでいた。
「じゃあ終電まで! 終電まで歌うよ!」
「誤魔化したわね。最初から泊まりの予定なんだから、今更照れなくても良いのに」
航は魅琴に揶揄われながら、近場のカラオケボックスに入った。
「飲み物取ってくるね、何が良い?」
「オレンジジュースお願い」
航は魅琴を部屋に残し、ドリンクバーに飲み物を汲みに行った。
部屋に戻ると、魅琴は丁度端末を操作し終えたところだったらしい。
どんな曲を入れたのかと画面に目を遣ったが、同時に派手な演出が流れる。
「さ、採点ゲーム?」
「ええ、チャンスをあげようかと思って」
魅琴はマイクを手に、不敵な笑みを浮かべていた。
その佇まいは、大袈裟に言えば歴戦の剣客を思わせる。
「ち、チャンス?」
「貴方、確か言っていたわよね? 『今に見ていろ、吠え面を掻かせてやる』って……」
あれは確か、鷹番夜朗との戦いで足止めを食らった夜のことだった。
そういえば、航はそんな独り言を魅琴に聞かれた気がする。
そして、思い出した。
昔の魅琴は、何かにつけて航と勝負事をするのが好きだった。
「成程、久々に勝負しようか」
「ええ、掛かってらっしゃい。先攻は譲るわ」
「よーし、美声を聴かせてやろう」
航は得意な曲を入れ、意気揚々と歌に臨んだ。
結果は八十四点だった。
「微妙ね」
「五月蠅いな。さ、君の番だよ」
採点画面が終わり、魅琴の入れた曲が流れ出す。
「軍歌かよ……」
「御爺様が好きでね」
だが、恐ろしく上手かった。
人体を知り尽くしている彼女は、歌声のコントロールも完璧なのだ。
惚れ惚れする様な美声が、勇ましい詞を朗々と歌い上げる。
採点結果が出ると、航は呆れかえってしまった。
「僕、こういう本格採点で百点満点って初めて見たよ……」
「ま、こんなところね」
「勝たせる気が無さ過ぎる……」
「当然でしょう」
魅琴は朗らかな笑みを咲かせた。
その両眼には、はっきりと航の姿が映し出されている。
「私はね、航のことをコテンパンに負かしたいの。汎ゆる分野で、滅茶苦茶に、徹底的に、完膚無きまでに、容赦無く」
「酷い女だ……」
「だって、航が悪いのよ。あんな生意気なことを言うんだもの」
魅琴の手が航の手を握る。
「たった一つだけ、私がどうしても勝てないものが貴方にはあるんでしょう?」
「あ……」
そう、航は魅琴を連れ帰る際に言い聞かせた。
魅琴が航に喫した、たった一つの敗北――結局は自分を嫌わせることが出来なかったという、今この時を二人で過ごすことに繋がった決定的な勝敗である。
この瞬間、航の中に嘗て無い愛しさが込み上げてきた。
今、航は魅琴の行動の全てを理解し、そしてそれを余さず抱き締めたいと感じていた。
そんな航に、魅琴はこの世の者とは思えない程の美しい笑みを満面に湛えて、桃源郷に浸る様な声色で航に語る。
「だったら何度でも何度でも、航が私に勝てるのはそれだけなんだって思い知らせるの。だから航は、ずっとそのたった一つの栄光に縋り付いていなさいね。手放したら絶対許さないから」
航は改めて己が恋情への確信を深めた。
やはり、魅琴のことが好きだ。
魅琴とデートして良かった、付き合って良かった、告白して良かった、好きになって良かった。
麗真魅琴という女性と出会えて本当に良かった。
航はそんな万感の思いを胸に、深く頷いた。
「ああ、ずっと大切にするよ」
「ふふ、よろしい」
魅琴は続けてもう一曲入れた。
「僕の番は?」
「勝利の報酬よ」
勝手な物言いだが、航は悪くない想いがした。
今、この感情に浸り込むには、一曲丸ごと勝利宣言されるのも一興かも知れない。
「それに、聴いてほしいの。これはね、唯一御爺様と御父様が両方とも好きだった歌」
曲が始まった。
聞いたことがない歌だが、歌謡バラードらしい。
流麗で繊細で、それでいて何処か確固たる芯を感じさせる旋律だ。
『夢に見た人へ』
夢で抱きしめた光が
胸の中照らしている
あなたはわたしの太陽
きっと特別な人
かけがえのない日々は
青空ばかりじゃなくて
嵐に連れ去られた
大切なものもあった
思い通りにいかず
くじけそうなときには
あなたがかけてくれた
言葉が力になった
守りたいものがある
伝えたいことがある
だから今歌うの
希望を紡ぐの
愛を確かめた夜が
切なさをわたしに宿し
やがては新しい朝を
もっと輝かせる
ああ、遙かな未来を歩む
わたしとあなたへ届けたい
大瑠璃の鳴き声と共に
山桜が散るその前に
流れゆく川の水
いつまでも途絶えずに
澄みわたり続けて
明日を運ぶの
夢で抱きしめた光が
胸の中照らしている
あなたはわたしの太陽
きっと特別な人
夢で出会ったあなたと
手を取って歩きだす
昨日から続く明日へ
ずっとずっといつまでも
「おお……」
航はすっかり聴き入っていた。
この歌詞に魅琴が自分の心境を乗せ、航に伝えたのだとしたら……。
「しんみりさせるのはちょっと早かったかしらね……」
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「ありがとう」
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