日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第三章『争乱篇』

第七十五話『絶え間なく降る愛の詩(後編)』 序

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 月の光が甘く、甘く、求め合う二人を包み込んでいた。

 ここは桃源郷だろうか。
 まるで火口の様なしやくねつだ。

 これは愛か、それとも欲望か。
 本能が叫び声をあげている。

 なんと美しい夜だろう。
 夢のような感動に、ただただむせいてしまう。
 なんと美しいひとだろう。
 これではもう、ぼくきみから離れられない。

 だからそろそろ許してくれないか。
 もう充分、嫌と言う程、きみには決してかなわないとわかったから。
 このままではきつうれしさの余り死んでしまうから。
 その末路に対して、ぼくの意思など余りにも無力だから。

 お願いだ、もうやめてくれ、もう無理だ。
 思考回路がき付いてしまう。

 嗚呼ああ、そこはぼくにとって最後の城門だ、こじ開けないで。
 いとしさがあふれて魂までもまろび出てしまう。

 ける、ける、ける……。

 き、死ぬ……。



    ⦿⦿⦿



    ⦿⦿



    ⦿



 どこか懐かしい薫りがさきもりわたるの鼻をくすぐった。

わたる、そろそろ起きなさい」

 耳元で天使がささやき、体が優しく揺すられる。
 暖かな日差しが目蓋に降り注いでいる。
 どうやら朝が来て、うることが彼を起こしているらしい。

「ん、おはようこと……」

 わたるは薄く目を開き、朝日に照らされたことほほみを見上げる。
 うる邸で迎えた八月三十日の朝は実に心地良い日和だった。
 二人はカラオケの後、終電でことの家へと向かい、懐かしの豪邸で一夜を明かしたのだ。
 彼女の家で寝泊まりしたのは、頻繁に通っていた中学時代を含めても初めてのことだった。

(そっか……ぼくことと……)

 この上なく幸せな一夜を過ごした筈のわたるだったが、何故なぜか記憶が無い。
 いや、良く思い出してみると、すさまじい初体験だった気がする。
 ある意味期待通りだったという感覚が残っているが、同時に記憶が封印される程の壮絶さだったということだろうか。

(でも、こんな風に起こされるのは良いな……)

 わたるはこの朝に柔らかな幸せを感じていた。
 そんな彼に、ことは優しく告げる。

「顔、洗ってきなさい。朝御飯、作ってあげるから」

 その言葉で、わたるは一つのことを思い出した。
 この広い家にはかつて、ことと父親が暮らしていた。
 母親と祖父も居た筈だが、中学時代に見掛けることは無かった。

 つまり、父親亡き今、ことはこの豪邸に一人暮らしなのだ。
 当然、家事は全て彼女が一人でこなしていることになる。
 そういえば、竹を処分してもらったとも言っていた。
 自分の世話だけとはいえ、この広さでは大変に違いない。

「待ってて、ぼくも手伝うよ」

 わたるの申し出に、ことは驚いた様子できょとんとしていた。
 しかし、わたるにはそれが自然な気がしていた。
 久しく訪れていなかったが、この家で家事を、特に食事の用意をするのはいつも二人一緒だった。
 それが今でもわたるに染み付いているのだ。

「今はお客さんでしょ? わたしがやるから」
「今更になって他人行儀なことを言うなよ。せつかくだから昔の様にさせてくれないか?」

 わたるはそう告げて洗面所に向かった。
 そんな彼の背中を見て、ことつぶやく。

「そんな元気があるとは、なまぬるかったか……。もっとこってり絞ってやるべきだったかも……」

 背後でわずかに聞こえた声に、わたるは背筋にほんの少しの涼しさを感じた。

    ⦿

 わたるは結局料理を触らせてもらえず、盛り付けや配膳の手伝いにとどまった。
 食卓にことの父・うるつるの姿が無いことに一抹の寂しさを覚えるが、香り立つ料理の湯気が気持ちの良い朝を演出している。

「どうしたの、わたる? ぼーっとして」
「いや、少しね……?」

 わたるはこの家を訪れていた中学時代を思い出していた。
 あの頃、この部屋に来るのはもつぱら夕食時だった。

(朝はこんな感じに日の光が差し込むのか……)

 何度も通った一室だが、この色彩は新鮮だった。
 知り尽くしていると思っていた相手の新たな一面を見る――それはさながら、今のわたることの関係を象徴しているかの様だ。
 実際、昨日のことは様々な顔を見せてくれた。
 屹度今日も、これからも新しく彼女の魅力を発見していくだろう。

 逆は?
 ことわたるに新鮮な驚きを感じてくれるだろうか。
 自分は彼女に新しい魅力を提示出来るだろうか。

「ほら、すわって。冷めてしまうわ」
「ああ、そうだね」

 ことに促され、わたるは席に着いて手を合わせた。

「いただきます」
「いただきます」

 朝食にしては中々に豪華な献立だった。
 炊きたての白米、まきたましると、サーモンサラダに豚のしよう焼き、牛肉じゃがに、たまねぎいたものやしそうめん

「随分……気合いを入れてくれたんだね」
「え? 別にこんなものよ?」

 確かに普段のことの食事量を考えると、これでも少ないくらいかも知れない。

「久々に食べるけど、やっぱりいな」
「当然でしょ」

 ことは澄まし顔だが、声は僅かに弾んでいた。
 そしてわたるは箸を進めていくうちに気が付いた。

「あ、もしかしてこれ……」
「うふふ」

 ことが朗らかに笑った。
 昨日、花畑を歩いていた姿がくちななら、今の笑顔は宛ら向日葵ひまわりの様だ。
 どうやらわたるの推察は当たっているらしい。

「この料理の味付け、全部ぼくの好みドンピシャだ」
「御明察。良く出来ました」
「いや、感服したよ。すがだなあ……」

 わたることが自分の好みを完璧に把握していることと、それを寸分違わず狙い撃ちできる技量に舌を巻いた。
 そして同時に、彼女が一人で朝食の支度をしたがったことと、伝うことは許されても料理には手を付けさせてもらえなかった理由も理解した。

「そうか、だから自分で作りたかったのか。そうとも知らず手伝おうなんて、これはとんだだったね」
「ま、二人で支度するのも結果的に昔を思い出して懐かしかったわ。それに、これからこうやって二人で色々すると思うと楽しそう……」

 ことはそう言うと夢見るような瞳で虚空を見詰めていた。

「おいおい、まるで新婚生活が始まるみたいな言い方だな」
「あら、行く行くはそうなるでしょ?」

 当然の様に言ってのけることだが、わたるは思わずせてしまった。

「ちょっと、大丈夫?」
「ごめん。ビックリしちゃったもんで……」

 わたるは考える。
 ことと恋人同士にはなった。
 では、この先はどうなるだろう。
 別れるとは考えづらいから、ことの言うように結婚して夫婦になるのだろうか。

 だとするとなおのこと、相手にれ直すのが自分だけでは良くない。
 これだけ頑張ってくれた分を返すのはもちろんのこと、更に大きなものを与えたい。
 そうして、二人の愛は互いに互いを成長させ合い、強く大きくなっていく。
 そのためにも、まずは目の前の出来ることから始めよう。

こと、今度はぼくきみの好きな料理を作るよ」
「好きな料理? あんぱん?」
「いや、それはそうだろうけど、そうじゃなくてだね……」

 ことのあんぱん好きは百も承知だ、今更言うまでもない。
 だが今のわたるには分かる。
 大量の食事をる彼女だが、その中には確かに好みというものが存在する。
 長年見てきて薄らと感じていたことだが、昨日のデートで理解が進んだ気がする。

ぼくにだってきみの好みを把握出来たりしてね」
「あら、それは嬉しいわね。でも出来る範囲で構わないわよ。料理でも貴方あなたわたしの足下にも及ばないんだから」
「ははは、言うじゃないか」

 そんなこんなで、二人は和やかな雰囲気で朝食を終えた。
 わたるにとっては中々の量だったが、好みの味付けだったこともあって、そう苦にはならなかった。
 後片付け、洗い物はわたるが全て買って出た。
 やはりこの家では、家事を二人で分かち合う方が落ち着くのだ。

 その後、わたることは彼女の父・つると祖父・いるはいに手を合わせ、日本とこうこくの戦争に終わりが見えたことと、二人が正式に交際し始めたことを報告した。
 心做しか、つるいるの写真はそれぞれ穏やかに微笑んで見えた。

 て、デート二日目はことが立てたプランに沿って進めることになっている。
 ずは投票からだろう。
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