日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第三章『争乱篇』

幕間十二『壊劫』

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 嗚呼ああ、生まれ落ちてしまった……。

 おれあらわれしいずぞ。

 まばゆき光にあふれている。

 ……れど、おれは誰ぞ。

 ……しこうして、誰がおれぞ。

 な小さき男よ。

 おれの器を取り上げし男よ。

 答えよ、なれおれか。

 ……成程、かみのすめらおれに譲るつぎか。

 すなわち、なれおれか。

 ならば他の者はどうか。

 痩せた老夫は?

 若き女は?

 をとは?

 もう一人、得体の知れぬ女は?

 なれら皆、おれの生まれ落つるを祝福するか。

 ……成程、皆おれということか。

 然れど、の壮麗にして厳粛なる降誕の間に場違いなるむしが一匹。

 ように無礼・不快・耳障りなおとを立てるは甚だ不敬不届千万。

 おれに非ざるは限り無きけんを催すものなり

 せよ……。

 ……。

 危うくこの場のおれもろとも滅殺するところであった。

 まだ見ぬおれを共々おうさつするところであった。

 父を名乗るおれよ、大儀であった。

 今、おれの降誕に際し、てんしんめいしんばんしようさんぜんかいに問う。

 おれは誰ぞ、誰がおれぞ。

 なれら皆、おれに非ずば在るからず。

 心すし。

 天地神明、すべあまねおれためしょうしょうたるし。

 森羅万象、余すことなくこれおれまんぷくひたらしめるし。

 三千世界、あらゆるおれの細胞をまつしようまでらくに満たし続けるし。

 てんかいびやくばんぶつてんべて今日きようこのときの為、おれの為ぞ。

 ひとずは、かみのすめらの在りしかみのくにおれ也と心得た。

 然らば、小さき者共よ、此のおれに名を与えよ。

 神聖至尊たる此のおれさわしき名を付けよ。

 ……。

 そうか……。

 おれの名は『かみえい』……。



    ⦿⦿⦿



    ⦿⦿



    ⦿



 皇紀二六五八年元旦。
 しんせいだいにっぽんこうこくは皇宮宮殿、の間。
 じんのうおおとりかみだいと侍従長・だいかくつねさだ、侍女・くら、第一皇女・かみせいが見守る中、「せいきゅう」と呼ばれる人工母胎はそのはこふたを開いた。
 人工羊水が排出され、はこつながるへそも切り離される。

 今に、一人のが降誕した。
 だが侍従長・だいかくつねさだはその赤子の様子に困惑を極めていた。
 こうぜんのごほうを思わせるちゃきんいろの肌がうっすら青みを帯び、はっきんしょくの毛が青くきらめいている。
 目蓋の裏からわずかにのぞそうぼうは、真紅とりゆうりよくの色違いだ。

 そして何より、この赤子は泣く様子が全く無かった。
 これでは呼吸が出来ない。
 青い唇だった為、死産ではないかとも疑った。

「陛下、御子は……」

 恐る恐る、だいかくじんのうに申し出ようとする。
 しかし、じんのうは構わずこの奇妙な赤子に両手を伸ばし、天からの賜り物を光にかざすように取り上げた。

「素晴らしい……! この太陽の様な、いやそれ以上の、ようにも形容することかなわぬ眩い生命力……!」

 じんのうは興奮を抑えられないといった様子で震えていた。
 だいかくはこの時、初めて赤子が既に呼吸していることに気が付いた。
 その神秘的な見目形に、初め彼は底知れぬ畏れを抱いた。

「陛下、御子が御無事で何よりです。一向に泣かれぬものでわたくしはてっきり……」
だいかくよ、なんじもまだまだよの。この子は既にちん以上に強大な力を備えておる」
「へ、陛下より……!」

 冬だというのにだいかくの額に汗が伝った。
 立場上聞いていたじんのうの、理解を超えた真の力のすさまじさを更にしのぐというのか。

「ということは、御子は既に『神の領域』へと……?」
よう。いや、成長すればその上へと至るやも知れぬ。真に真なる至高、ちんもその存在をおぼろに感じているに過ぎぬ高み、『ぞうの領域』へと……!」

 じんのうの小さな手、短い腕が可能な限り高く子を掲げる。
 余りに想像を絶する次元の話に、だいかくただただ主君を見守ることしか出来なかった。

「聴くが良い、我が嫡子よ。ちんじんのう、森羅万象をべる者、三千世界の大帝也。は即ち、なんじの未来である。そして此処はこうこくなんじに約束されし神州也。ちんも、この場に控えし臣下も、遍くこうこく臣民のことごとくも、なんじの降誕を心より祝福するものである……!」

 じんのうは完全に生まれたての我が子に夢中になっている。

「おおっ……!?」

 じんのうは思わず感嘆の声を漏らした。
 赤子は歓喜に笑っていたのだ。
 これには思わず、だいかくあんの笑みを浮かべた。

 この様子なら安心だ。
 じんのう陛下のけいがんに狂いがあろうはずがない。
 じんのう陛下のじんとくに間違いがあろう筈がない。

 きつ、御子はこうこくの未来を一層明るく照らすであろう。
 まさしく、陛下が形容したように、眩いばかりの神力、しんで――そう確信した。

 しかし、瞬時に赤子は真顔になった。
 さながら窓の枠に一筋のほこりを見つけた様に、けんしわが寄っていた。
 そして彼は、小さな小さな手を挙げた。
 じんのうは、刹那に何かを察したようだった。

「いかん!!」

 じんのうの体からしんが全方位に放出された。
 しかしそれはこの空間を何一つ破壊することなく、の間の外へひろがっていった。
 赤子はそれを受けてか、再び元の穏やかな表情に戻っていた。

「へ、陛下……?」

 だいかくは、汗だくになって肩で息をする主君の身を案じて声をかけた。
 じんのうは一転、極めて難しい顔をしている。

「蚊だ」
「蚊、でございますか? な、在り得ませぬ。このの間はする御子の為に最高水準の清浄が保たれており、埃も菌の類も、空気中に僅かも存在しない筈……」

 だいかくの異論に対し、じんのうは首を振った。

「部屋ではない、更に言えば屋内でもない。皇宮の中庭を我が物顔で音を立てて飛んでおったのだ」
「は、はあ……。それが問題であったと?」
「うむ、危ないところであった」

 まじまじと自身を見つめるじんのうの手に抱かれ、赤子は穏やかに笑っている。
 だがこの場の者、特にじんのうはそれどころではなかった。

「この子はまだしんを制御できてはおらぬようだ。いや、しんではないな。今この小さき手がぞうに握られていれば、例えば空気中の酸素、水素、窒素、炭素、もろもろの元素原子が核融合を起こす程の、あるいは新たなる天体が生成される程の、途方も無い圧と熱量が発生したであろう」
「そ、それ程でございますか……? 荒唐無稽なお話ですが、陛下がおつしやるなら真実なので御座いましょう……。いやはや何ともおそろしい……」
しばらくはちん自らがてやらねば、冗談ではなく総てをおわらせることになるであろうな」
「す、総てを……」

 だいかくかたを飲んだ。
 御子を安全に制御出来るとすればじんのうしかいない。
 だが、彼にはすべきことがある。

「しかし陛下にはこうこくに余すことなくしんをお送りいただく尊きやくが……」
「うむ、付きっ切りでは観られぬ。故に我が嫡子が三千世界の破壊に至ることなきよう『助け』を施す。そして近衛侍従を付け、『助け』を破られる兆候が見られた折にはちんしらせることを命ずる」

 皇宮に沈黙が流れる。
 じんのうの言葉の後を侍従長のだいかくも、侍女・くらも紡げずにいた。

 しかし、だいかくくらは気付いていなかった。
 この場に呼ばれてもいない奇妙な黒い装いの美女が平然と同席していることを。
 幼き皇女・かみせいくらの袖を引っ張り、部屋の隅を指差しているが、くらにはなおも分からない。
 やがて、じんのうは静かに口を開いた。

な女、そろそろ何か申せ。たたずまいから見て、なんじが此処に参ぜしは我が嫡子に何ぞ関係があるのだろう」

 じんのうの呼び掛けで、初めて長身の女が認識された。
 黒い装束に身を包んだ彼女は、白い歯を見せて不敵に笑う。

すがじんのう陛下。よいあたくしの賜りし神託の日。故に先んじて預言の御子にまみえようとさんじた次第でございます」
「ほう、神託とな……」

 女とじんのうは視線を合わせる。
 じんのうは女から何かを感じていたのか、鋭い光を宿していた。
 彼女にはじんのうに負けない程の超然とした雰囲気がまとわりついている。

「まあ良い。女よ、名を告げよ」

 じんのうは小さく口元でほほんだ。
 女もそれに微笑みと答えを返す。

りゆういんしらゆき。西方の霊山におわりゆうの祖神に縁を持つ巫女みこせんに御座います」
「成程。ではなんじがやってみるか? 我が嫡子の近衛侍女を」
「願ってもいない事。基よりあたくし以外には荷が重いという思案によりお伺いしました」

 即答であった。
 じんのうはそれにうなずき、ゆっくりと彼女に近寄っていく。

「ではりゆういんよ、じんのうより勅命を授ける。此の子を我が後継に相応しきあらひとがみに育て上げよ。我が嫡子、かみえいを!!」

 じんのうからりゆういんに赤子、かみえいが授けられた。
 りゆういんは御子を受け取ると、かかえて不敵に笑った。

「畏れながら謹んでけ致しましょう、偉大なるじんのう陛下」
「うむ、心して務めよ」

 くして、一つの強大なる存在がこの世に生を受けた。
 彼が時空を超越する世界一の大国、その頂点に君臨するという星の下に生まれたのは、果たして単なる偶然か。

 その時、りゆういんに抱えられたかみかんだかい良く通る声で言葉を紡いだ。

しんこくへんがんゆいどくそん

 この日、三千世界は一つの転換を迎えた。
 その新たな局面の名は……。
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