蟲ノ市 -ムシノシ-

モノリノヒト

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三日目

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 今日は地下三階に行くことにした。
 昨日の凄惨な状況は、まるでゲームの中。
この平和な地下一階で過ごす男たちには別世界の出来事のようだった。

 三日目だというのに、すっかり歩きなれた通路を地下に向かって歩いていた。
そもそも迷う事などない通路ではあるが…。

 男は青年を探していた。彼がいなければセキュリティカードを持たない男は地下探索はおろか、地下一階から出ることすらできないからだ。

「よっ、今日も地下に行くのか?」

 いいタイミングで青年が現れた。
 男は青年の問いに首肯すると、オレも行くという青年…つまり細蟹ササガニを連れて歩き出した。
 男性用居住区を抜けた十字路を右に曲がり、真っすぐ進めばセキュリティカードの必要な自動ドアが現れる。
細蟹ササガニが気軽にセキュリティカードを翳し、ロックを解除。
 昨日封印を解いた下り階段を降りる。

 暫く降りると異様な雰囲気と共に壁の色が茶色にくすみ始めた。
地下二階が近いようだ。
 しかし本日は地下二階に用事はない。

 昨日の惨状を思い出し、少々顰めっ面になりながらも地下三階への封印を力づくで壊す。

「行こうか」
「…うむ」

 語り合う言葉は多くない。
それはこの先の事…つまり地下三階が恐らく無事ではないという事を雰囲気で分かっているからだろうか。
 階段を使い、地下三階まで降りる。

 いつもと同じ造り。
地下三階に到着した男の前には封印された扉があった。
 地下二階から続く異様な雰囲気はそのままに、壁は茶色に染まっており、清潔さが感じられない。
 注意深く扉を観察していると、細蟹ササガニがある事に気が付いた。

「あれ?地下四階への階段がない」

 下へ続いているはずの階段は途中から引きちぎったかのように失われ、下には暗い空間が続いていた。

「…本当だ、危ないな。なんで壊されてるんだろう」

 男は地下四階に続いていたはずの深淵を覗きながら言った。

 …壊されている? どうして壊されていると判断したのだろう。
階段を壊すことなんてできるのか? …引きちぎって?
大人二人が並んで降りれるような広く頑丈な階段だ。
確かに引きちぎったような壊れ方をしているように見えなくもないが、こんな階段を引きちぎる人間がどこにいるというのか。
 また男の頭の中で靄が蠢いていた。

「まあ、いいか。さあ、ここが地下三階だ。遺伝子操作した蟲を食って生きてる奴等の居住区だぜぇ…」

 …言葉に少しの違和感を覚えつつも、封印を体当たりで壊そうと試みる細蟹ササガニ

「…工具は使わないのか」
「え? ああ、あれは内側からしか使えないんだ」

 そう言われれば是も非もない。二人で協力して扉の封印を体当たりで壊した。

「いってぇ…やけに頑丈な封印だったな」

 細蟹ササガニが肩を払いながら言った。
 頑丈でなければ封印にならないだろうと思いつつも、男はその言葉を飲み込んだ。

 眼前に広がるのは同じ造りのフロア。
背後に階段、右側にエレベーター。正面にはセキュリティのかかった自動ドア。

「そして、これ、っと」

 細蟹ササガニがセキュリティカードを翳し、自動ドアのロックを解除する。
 通路に入ると、まず茶色の壁が目に入った。
明らかに人工的に塗られたわけではない茶色。
 造りは上の階と同じで、迷うことはなさそうだ。
 ただ、あちこちに蜘蛛の巣があったり、蟲が行進していることが気になる。

 そして非常に臭う。
色々な蟲の臭いが鼻につく。

「あんた達、何やってるの、早く、こっち!!」

 通路の奥から威勢のいい美女が声を荒げながらやってきた。
 汚れた茶髪、整った顔、ジャケットを羽織り、素肌を見せないようにしている。
足もズボンだが、隙間から蟲が入らないようにしているのか、紐でしっかりと縛ってある。
 そして右手に持つ…ハリセン。

 美女は美女だが、セクシーさは足りない。さながら歴戦の兵士のような雰囲気を纏う彼女自身とその格好に対し、アンバランスなハリセンが一見して、ふざけているようにも見える。

「早く! ドアを閉めて!」

 そう言われた男と細蟹ササガニは通路へと侵入する。
背後で自動ドアが閉じた音がした。

 「行ってみるか?」

 細蟹ササガニの言葉を首肯し、美女の呼ぶ方へ向かう。
男たちの姿を見ると、美女は訝しげな眼を見てハリセンを構えた。

「男…? 上から来たのね。まさか下からじゃないでしょうね」

 美女は男たちをじろじろと見て、警戒しながらこちらの様子を伺っている。

「一階の居住区から来たんだ」

 細蟹ササガニがそう言うと美女は少し警戒を解いたようだ。

「ああそう、探検も大概にしないと命を落とすわよ」

 どういう意味だろう。

「こういう事よ!」

 突然美女がハリセンで男の足元を叩いた。
拳銃の発砲音のような大きな音が通路に響き、男たちは思わず身を硬くした。

 美女がハリセンを離すしぐさを唖然と見ていた男は、細蟹ササガニの視線に気付き、目線を落とす。
 今しがたハリセンで叩いた後を見ると、米粒くらいの大きさの、白い蟻が見えた。
立ったままだと、本当に米粒にしか見えない。

「…何だ、この蟻」

 大きさは2cmほど、一昨日に見た食べられる蟻と違い、その蟻は全身が白に近いクリーム色だった。

「その白い蟻は、人間を食べるんだ。あたし達は常に、その蟻とか危険な蟲とかを警戒しながら、食べられる虫を食べて生活してるのさ」

 細蟹ササガニが引き攣った笑顔で言う。

「それじゃまるで、人間が食物連鎖に組み込まれてるみたいじゃねぇですか」

 美女は少し影を落としながらも言う。

「そうだよ。人間は食物連鎖の頂点のはずだったのに、なぜか人間を捕食する蟲が生まれてしまった。そしてこいつらの好物は…男の睾丸」

 思わず股を閉じて、股間を押さえる細蟹ササガニ
その情けないポーズに苦笑しながらも美女が言う。

「このフロアの男はみんな食われたよ。早く帰りなと言いたいところだけど、もう白蟻共が寄ってきてる。帰るのは諦めた方がいいね」

 先ほどまでは静かだった通路のあちこちから、発砲音のような音が聞こえる。
この音はさっきのハリセンの音に違いない。
 地下二階と違い、地下三階は何人かの生き残りがいるようだった。

 美女に連れられ通路を進む。

「この部屋を使っていいわよ」

 案内された先は、綺麗とはいい難いベッドが4つ並ぶ部屋だった。
中には誰もいない代わりに散乱する、白蟻の死骸。
 隣で細蟹ササガニが縮みあがるのが見えた。

「こ、ここにも、蟻がいるのかよ」
「食べられる蟲を取る為に、ここを出ていかないといけないでしょ。その帰りについてきちゃうこともあるわね」

 慌てて部屋を注意深く調べ始める細蟹ササガニ
 男は気になっていた事を美女に聞いた。
 
「…この白蟻を食べることはできないのか?」
「食べてはいけないわ。絶対に」

 厳しく咎める視線で美女は言い放った。
続けて悲しげに言葉を紡ぐ。

「蟻を食べた人間は地下に落とさなきゃいけなくなる。あんた達も空腹だからって手をつけちゃいけないよ」

 なんだか重大事項のようだ。
 蟲から身を守る護身用にと、ハリセンをもらった。
 特に危ないのは、蟻と蜘蛛と油虫。
油虫は凶暴ではないが、ハリセンが効かないので見たら逃げるようにと教えられた。

「なぁ」

 心労ですっかり元気を失った細蟹ササガニが声をかけてくる。

「もしかして、上に戻れねぇのかな」

 細蟹ササガニも上に戻る危険性に気付いたらしい。
 もしもこのまま地下一階に戻り、もしも白蟻を連れてきてしまったら…。
無気力とはいえ、地下一階には、まだ生きた男性がそこそこの数存在している。
彼らを餌にされれば、白蟻がこのシェルターを掌握したといっても過言ではないだろう。

「…さぁな」

 対して男は随分と落ち着いていた。
この環境に慣れているかのように、ロッカーの影から現れる白蟻の気配にも、素早く気付き、高速でハリセンを打ち付ける。

 乾いた音がして、白蟻は無残な死骸となった。

「…あんた、すげぇよ…」

 細蟹ササガニはそれっきり寝入ってしまった。
 男は入念に服や靴をチェックし、白蟻がいない事を確認すると、静かに意識を手放した。
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