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四日目
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「おはようございます」
声をかけられて目覚めると、昨日とは違う眼鏡をかけた大人しそうな女性が部屋にいた。
反対側のベッドでは細蟹が蟻をもりもりと頬張っていた。
その光景に少々の嫌悪感を覚えつつ、自らも空腹であることに気付く。
「…おはよう」
男がのそりとベッドから起きると、彼女が皿に盛りつけられた蟻を差し出した。
大量の白と黒。6本の脚がゆっくりとした動きで皿の上で舞っている。
その光景に食欲を奪われながらも、蟻が白蟻ではなく、頭が黒い事に気付く。
ああ、そうか、食べられる蟻なのか、と男は理解するも、手は伸びない。
「男の方なので、これぐらいは食べるかと思って持ってきたのですが…」
女性が困った顔で言う。
眼鏡の女性は茶髪にポニーテール、大人しそうな顔立ちだったが、美女と同じく服は完全防備。
腰にはハリセンを帯びており、アンバランス感が半端ではない。
「食わねぇのか?すっげぇ美味いぜ」
細蟹が次から次に蟻を口の中にいれていく。
「見た目はともかく、蟻酸は遺伝子操作されてますから、人間の味覚にぴったり合うようになっています。私達は幼い頃からこの蟻だけを食べてきましたので、栄養素や水分も含め、完全栄養食なんですよ」
「へぇ、じゃあその蟻酸ってやつが、この味の素なのか」
ぱくぱくと蟻を摘まんでは口に運ぶ細蟹の手は止まらない。
「はい。もちろん蟻の体自体も栄養素が豊富です。顎や脚は特にカルシウムが豊富ですね」
「よく知ってんなぁ、流石は鈴子さんだ」
褒められた女性…鈴子は得意気に語る。
「この蟻は絶滅するほどまで食べつくさなければ勝手に増えますので、地下三階にはあちこちにいます」
なるほど、畜産の一種と言えなくもないか。
「ただ、そこに白蟻が混じっていることがありまして…」
白蟻、か。昨日の話では、人間の睾丸が大好物だという。
「なぁ、白蟻を食べるとどうなっちまうんだ?」
細蟹の質問に、急に暗い影を落とす鈴子。
どうやら答えにくい質問だったようだ。
「…俺は食欲がないから、いい。そっちで食べてくれ」
そう言って皿を返すと、鈴子は残念そうな雰囲気を出しつつも、はにかんで皿を受け取る。
* * *
食事が終わり、少しくつろいだ後、男は話を切り出した。
「…ああは言われたが、居住区に戻らなければな」
細蟹も同意する。
「びっくりするほど蟻は美味かったけどな。ホント、この分じゃ地下四階と地下五階はどうなってるやら…」
鈴子が、ハリセンの手入れを止めて言う。
「そう、ですよね…。出来れば男の方には、ここにいてほしかったんです…けど」
はっきりと気落ちした雰囲気で声を絞り出していたが、男たちの決意が固い事を知ると、護衛を買って出てくれた。
大人しそうな顔をしていても、長年白蟻と格闘してきた歴戦の戦士だ。頼りになる。
通路に出ると、やはりどこからか乾いた音が聞こえてくる。朝だというのにハリセンが振り回されているようだ。
昨日の美女に見つかると何か言われそうなので、こっそりと進んだ。
…が、十字路を曲がったところで鉢合わせしてしまう。
「どこ行こうっていうの? あれほど危ないからって説明したのに…」
「いやぁー、やっぱオレは地下一階がいいわ」
美女が咎めるような顔で威嚇してくるが、細蟹はやや緊張した笑顔で反論した。
「あなたたち、男でしょ?ここにいる女を選り取りみどりよ。危険を犯してまで帰る必要なんてあるの?」
なるほど、男性が全滅しているということはそういう問題もあるのか、と男は得心した。
その為にやや強引に奥まった部屋に案内され、出ていくことを拒まれているのか。
「…魅力的な話だが、帰ります。寝てる間も蟻に襲われる可能性があるなんて、ゆっくりしていられない」
男が断固とした決意を見せると、男の背中に隠れるようにしていた細蟹が、鈴子に何かを耳打ちしていた。
…また戻ってくる、などと聞こえた気がしたが…冗談だろう。
「そう。じゃあもう止めないわ。体に蟻がつかないように気をつけなさい」
美女が道を開けてくれた。
ううむと未練を滲ませる細蟹を尻目に、元来た道を歩む。
とにかく蟻が多い。白蟻はもちろん、食べられる蟻も地下一階で繁殖しては大変なので潰していく。
大群でやってくる為、進んだ距離に対しての疲労が大きい。
疲労困憊になりながらも、階段のある通路の扉までやってきた。
鈴子がセキュリティカードを翳し、自動ドアを開く。
「あたしが見張ってるから早くして頂戴」
美女は通路に残り、自動ドアが閉まる。
蟲がついていないか互いの体を念入りに確認する。
…問題なし。
「では、私はここで」
鈴子がそう言うと、細蟹が提案をする。
「ありがとう、助かったよ。あ、そういえば…鈴子は上に来ないのか?」
よほど鈴子の事を気に入ったのか、地下一階に誘おうというのだ。
柄にもなく細蟹が照れている。
「このシェルターに入る時の条件に、市民権があります。私達は地下三階までしか入ることが許されていません」
失念していたと言わんばかりに肩を落とす細蟹。
「…地下には降りれるわけだな。地下の階段を壊したのは、あなたたちか?」
それはないだろうと思いつつも男は尋ねた。
鈴子は意外そうな顔をして、声を絞り出してきた。
「………はい。探検はここまでにして、地下には絶対降りないでください」
「わーかったよ」
渋々了承した細蟹。
来た時のまま、封印の破られた扉を通って地下一階への階段を上がる。
「地下三階ってさ…」
帰り道、細蟹がぽろっと漏らした。
「意外と、住めば都なのかもな…」
男は心底嫌そうな顔をして細蟹を睨んだ。
* * *
「やっぱり、家が一番だよなー」
自分のベッドに大の字に倒れこむ細蟹。
細蟹の部屋は警邏の兄と二人で使っている4人部屋だった。
この一室を家と呼んでいいのかどうかは疑問符がついたが、細蟹達は外に出た事がない。
であれば、確かにこの部屋はホームと呼べるのかもしれない、とそこで男の思考は落ち着いた。
「地下は世界が違いすぎたな…。どうして同じシェルター内で、こうも違うんだ」
地下二階、地下三階と見てきて、造りは同じでもまるで別世界だった二か所を思い出していた。
様々な疑問が湧き、男は答えを導きだせそうではあったものの、どの疑問も脳内の靄に包まれており、思い出すことはできなかった。
そこで細蟹に市民権について聞いてみた。
もしかすると質問することで靄が晴れるかもしれない。
「昔の話だが、シェルターに入る条件としてDNAに市民権のデータを埋め込まれたらしい」
ふむ。
「扉を通る時にDNA鑑定されて、不適合者は弾くってことらしいよ。見たことないからわかんないけど」
扉とはセキュリティカードで開く自動ドアの事らしい。
そうなるとさらなる疑問が湧いてくる。
シェルター外から来たはずの男自身が弾かれないのはなぜなのか。
これは自動ドアのDNA鑑定システムが壊れているか、細蟹と共連れだったので問題なかったか、恐らくその辺りだと考え着いた。
それでもまだ疑問はある。
これだけ住人が少ないのだ。警邏しているような人物に余所者の区別がつかないだろうか。
いや、区別がついたとしても性根の良い人なら素直に助けてくれただけだろう。
弟である細蟹がこれだけお節介なのだ、兄もそうでないとは言い切れない。
「蟻、美味かったのか?」
ふと口をついて出た言葉は、暗に自分の空腹を訴えるものであった。
「ああ、すっげぇ美味かったぜぇ!蟻があんなに美味いとは、地下三階に住んでもいいぐらいだ」
それは言い過ぎだろうと思ったが、細蟹は既に蟻の味を思い出して恍惚とした表情をしている。
…そんなに美味いなら食ってみれば良かったな、と男は思った。
その後、細蟹から食事を振舞ってもらったが、味に納得のいっていない様子だった。
この様子では一人でも勝手に地下三階に行ってしまいそうな雰囲気すらあった。
途中から警邏の兄も加わり、三人で食事をしつつ地下三階について話した。
警邏の兄は酷く心配していたが、幸せそうに地下三階を語る弟を見て安心したようだ。
「そんじゃ、またな」
「おやすみー」
「…ごちそうさま」
二人と別れ、部屋に戻る。
一日開けていたベッドだったが、出て行った時のままだった。
部屋の中にいる中年男性達もほとんど移動していないように見えた。
ベッドに入ると意識が途切れ、すぐに眠りについた。
もちろん男には…今後起きる惨事の兆候に気付く由も、なかった。
声をかけられて目覚めると、昨日とは違う眼鏡をかけた大人しそうな女性が部屋にいた。
反対側のベッドでは細蟹が蟻をもりもりと頬張っていた。
その光景に少々の嫌悪感を覚えつつ、自らも空腹であることに気付く。
「…おはよう」
男がのそりとベッドから起きると、彼女が皿に盛りつけられた蟻を差し出した。
大量の白と黒。6本の脚がゆっくりとした動きで皿の上で舞っている。
その光景に食欲を奪われながらも、蟻が白蟻ではなく、頭が黒い事に気付く。
ああ、そうか、食べられる蟻なのか、と男は理解するも、手は伸びない。
「男の方なので、これぐらいは食べるかと思って持ってきたのですが…」
女性が困った顔で言う。
眼鏡の女性は茶髪にポニーテール、大人しそうな顔立ちだったが、美女と同じく服は完全防備。
腰にはハリセンを帯びており、アンバランス感が半端ではない。
「食わねぇのか?すっげぇ美味いぜ」
細蟹が次から次に蟻を口の中にいれていく。
「見た目はともかく、蟻酸は遺伝子操作されてますから、人間の味覚にぴったり合うようになっています。私達は幼い頃からこの蟻だけを食べてきましたので、栄養素や水分も含め、完全栄養食なんですよ」
「へぇ、じゃあその蟻酸ってやつが、この味の素なのか」
ぱくぱくと蟻を摘まんでは口に運ぶ細蟹の手は止まらない。
「はい。もちろん蟻の体自体も栄養素が豊富です。顎や脚は特にカルシウムが豊富ですね」
「よく知ってんなぁ、流石は鈴子さんだ」
褒められた女性…鈴子は得意気に語る。
「この蟻は絶滅するほどまで食べつくさなければ勝手に増えますので、地下三階にはあちこちにいます」
なるほど、畜産の一種と言えなくもないか。
「ただ、そこに白蟻が混じっていることがありまして…」
白蟻、か。昨日の話では、人間の睾丸が大好物だという。
「なぁ、白蟻を食べるとどうなっちまうんだ?」
細蟹の質問に、急に暗い影を落とす鈴子。
どうやら答えにくい質問だったようだ。
「…俺は食欲がないから、いい。そっちで食べてくれ」
そう言って皿を返すと、鈴子は残念そうな雰囲気を出しつつも、はにかんで皿を受け取る。
* * *
食事が終わり、少しくつろいだ後、男は話を切り出した。
「…ああは言われたが、居住区に戻らなければな」
細蟹も同意する。
「びっくりするほど蟻は美味かったけどな。ホント、この分じゃ地下四階と地下五階はどうなってるやら…」
鈴子が、ハリセンの手入れを止めて言う。
「そう、ですよね…。出来れば男の方には、ここにいてほしかったんです…けど」
はっきりと気落ちした雰囲気で声を絞り出していたが、男たちの決意が固い事を知ると、護衛を買って出てくれた。
大人しそうな顔をしていても、長年白蟻と格闘してきた歴戦の戦士だ。頼りになる。
通路に出ると、やはりどこからか乾いた音が聞こえてくる。朝だというのにハリセンが振り回されているようだ。
昨日の美女に見つかると何か言われそうなので、こっそりと進んだ。
…が、十字路を曲がったところで鉢合わせしてしまう。
「どこ行こうっていうの? あれほど危ないからって説明したのに…」
「いやぁー、やっぱオレは地下一階がいいわ」
美女が咎めるような顔で威嚇してくるが、細蟹はやや緊張した笑顔で反論した。
「あなたたち、男でしょ?ここにいる女を選り取りみどりよ。危険を犯してまで帰る必要なんてあるの?」
なるほど、男性が全滅しているということはそういう問題もあるのか、と男は得心した。
その為にやや強引に奥まった部屋に案内され、出ていくことを拒まれているのか。
「…魅力的な話だが、帰ります。寝てる間も蟻に襲われる可能性があるなんて、ゆっくりしていられない」
男が断固とした決意を見せると、男の背中に隠れるようにしていた細蟹が、鈴子に何かを耳打ちしていた。
…また戻ってくる、などと聞こえた気がしたが…冗談だろう。
「そう。じゃあもう止めないわ。体に蟻がつかないように気をつけなさい」
美女が道を開けてくれた。
ううむと未練を滲ませる細蟹を尻目に、元来た道を歩む。
とにかく蟻が多い。白蟻はもちろん、食べられる蟻も地下一階で繁殖しては大変なので潰していく。
大群でやってくる為、進んだ距離に対しての疲労が大きい。
疲労困憊になりながらも、階段のある通路の扉までやってきた。
鈴子がセキュリティカードを翳し、自動ドアを開く。
「あたしが見張ってるから早くして頂戴」
美女は通路に残り、自動ドアが閉まる。
蟲がついていないか互いの体を念入りに確認する。
…問題なし。
「では、私はここで」
鈴子がそう言うと、細蟹が提案をする。
「ありがとう、助かったよ。あ、そういえば…鈴子は上に来ないのか?」
よほど鈴子の事を気に入ったのか、地下一階に誘おうというのだ。
柄にもなく細蟹が照れている。
「このシェルターに入る時の条件に、市民権があります。私達は地下三階までしか入ることが許されていません」
失念していたと言わんばかりに肩を落とす細蟹。
「…地下には降りれるわけだな。地下の階段を壊したのは、あなたたちか?」
それはないだろうと思いつつも男は尋ねた。
鈴子は意外そうな顔をして、声を絞り出してきた。
「………はい。探検はここまでにして、地下には絶対降りないでください」
「わーかったよ」
渋々了承した細蟹。
来た時のまま、封印の破られた扉を通って地下一階への階段を上がる。
「地下三階ってさ…」
帰り道、細蟹がぽろっと漏らした。
「意外と、住めば都なのかもな…」
男は心底嫌そうな顔をして細蟹を睨んだ。
* * *
「やっぱり、家が一番だよなー」
自分のベッドに大の字に倒れこむ細蟹。
細蟹の部屋は警邏の兄と二人で使っている4人部屋だった。
この一室を家と呼んでいいのかどうかは疑問符がついたが、細蟹達は外に出た事がない。
であれば、確かにこの部屋はホームと呼べるのかもしれない、とそこで男の思考は落ち着いた。
「地下は世界が違いすぎたな…。どうして同じシェルター内で、こうも違うんだ」
地下二階、地下三階と見てきて、造りは同じでもまるで別世界だった二か所を思い出していた。
様々な疑問が湧き、男は答えを導きだせそうではあったものの、どの疑問も脳内の靄に包まれており、思い出すことはできなかった。
そこで細蟹に市民権について聞いてみた。
もしかすると質問することで靄が晴れるかもしれない。
「昔の話だが、シェルターに入る条件としてDNAに市民権のデータを埋め込まれたらしい」
ふむ。
「扉を通る時にDNA鑑定されて、不適合者は弾くってことらしいよ。見たことないからわかんないけど」
扉とはセキュリティカードで開く自動ドアの事らしい。
そうなるとさらなる疑問が湧いてくる。
シェルター外から来たはずの男自身が弾かれないのはなぜなのか。
これは自動ドアのDNA鑑定システムが壊れているか、細蟹と共連れだったので問題なかったか、恐らくその辺りだと考え着いた。
それでもまだ疑問はある。
これだけ住人が少ないのだ。警邏しているような人物に余所者の区別がつかないだろうか。
いや、区別がついたとしても性根の良い人なら素直に助けてくれただけだろう。
弟である細蟹がこれだけお節介なのだ、兄もそうでないとは言い切れない。
「蟻、美味かったのか?」
ふと口をついて出た言葉は、暗に自分の空腹を訴えるものであった。
「ああ、すっげぇ美味かったぜぇ!蟻があんなに美味いとは、地下三階に住んでもいいぐらいだ」
それは言い過ぎだろうと思ったが、細蟹は既に蟻の味を思い出して恍惚とした表情をしている。
…そんなに美味いなら食ってみれば良かったな、と男は思った。
その後、細蟹から食事を振舞ってもらったが、味に納得のいっていない様子だった。
この様子では一人でも勝手に地下三階に行ってしまいそうな雰囲気すらあった。
途中から警邏の兄も加わり、三人で食事をしつつ地下三階について話した。
警邏の兄は酷く心配していたが、幸せそうに地下三階を語る弟を見て安心したようだ。
「そんじゃ、またな」
「おやすみー」
「…ごちそうさま」
二人と別れ、部屋に戻る。
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